第8話
「遅くなってすみません」
出社してすぐ、皆に声を掛けて回る。遅刻しても怒るような人はここにはいなくて、皆さんとても優しく「大丈夫?」と返してくれた。
「美緒ちゃん、おはよう」
この人もまた然り。由良くんはにっこり笑って私に声をかけてくれる。
「今日のお昼、楽しみにしてるね!」
そんな彼に胸が温かくなった。
「あ、でも……旦那さんは怒ったりしない?」
そう言ってほんの少し、表情を曇らせる由良くんを不思議に思ったけど「大丈夫だよ」とだけ返す。すると由良くんは首を傾げた。
「やましいことなんて何もないんだから、洸さんの顔に泥を塗らない限り大丈夫」
説明してみれば由良くんは眉間にしわを寄せた。
「いや、そうじゃなくて……旦那さんの気持ちの問題、なんだけど……」
ポツリと呟いた彼に私は少し考えてその意図を理解する。
ああ……そういうこと。
「洸さんは私を愛してないから。嫉妬なんてするわけないよ」
淡々と告げた私に目をまん丸にして驚く由良くん。皆には“結婚する”ことしか伝えていないから仕方がない。だって普通、結婚って愛し合う人同士がするものでしょ?それが当たり前。
だけど、洸さんにとって愛のないこの結婚生活ももう私たちにとっての“当たり前”になっていて。由良くんにはそれを伝えることにももう抵抗はなかった。
「どういう、こと?」
由良くんの瞳が揺れる。私が全て打ち明ければ──と言っても。
「洸さんに一目惚れしてプロポーズして……だけど彼は私のお姉ちゃんのことが好きで。いつか他の人と結婚しなきゃいけないから、それならお姉ちゃんの代わりにって私と結婚してくれたの」
それだけで伝わるんだからとても簡単な話だ。
きっと優しい由良くんのことだから、私のことを心配してくれるんだろう。だから──。
「由良くんも言ってくれたでしょ?『結婚は好きな人としなきゃ』って」
そう付け足せば苦笑する彼。そう、私は幸せなんだ。“好きな人と結婚した”から。
だけど彼は──洸さんはどうなんだろう。
きっと幸せではないよね。それが少し胸を痛めるけど、旦那様はそんなの承知の上だと思う。
「幸せなんだよ、好きな人の隣でいられることって」
「……知ってるよ、そんなこと。僕もおんなじだからね」
目を細めて何かを想う彼に、一瞬時が止まったように魅入った。
そういえば、由良くんの恋愛事情なんて聞いたことがない。明るいムードメーカーな彼はきっとモテるんだろう。この職場には若い女の子は少ないから、きっとその相手は私の知らない子なんだろうけど。
「早く仕事終わらせなきゃ。ご飯行けないよ?」
そう言ってまたパソコンと睨めっこした由良くん。その横顔はどこか憂いに満ちていて、何故だか私の胸にもモヤモヤが広がった。
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