第7話


「──おい、頼。そろそろ下がれ」

 洸さんの一声で、頼さんはすぐに背筋を伸ばす。

「畏まりました、副社長」

 お辞儀をして去り際に私にウインクすると副社長室から出ていった。



「素敵な、方ですね」

 ぽつりと零せば、洸さんは立ち上がって私のもとへやってくる。

「……お前は俺の嫁だろ?」

 するりと頬を撫でるからもう目の前の旦那様のことしか考えられなくなった。


「私は洸さんしか愛していません」

 彼の目を見てはっきりと答えれば、洸さんは満足気に口の端を上げる。

「……ん、よし」

 もう合い言葉の様な台詞だ。


 本来の目的である大事な資料を鞄から取り出して彼に手渡す。

「さんきゅ」

 と頭を撫でてくれるから、それが何より幸せだと思う。


「では、仕事に行ってきます」

 ぺこりと会釈すると同時にこの静かな空間に鳴り響いた着信音。それは私のもので、スマホを取り出してみればそれは由良くんからだった。

「はい」

 耳にスマホをあてると「あ、美緒ちゃん!?」と大きな声。それは洸さんにも聞こえるくらいで、彼の眉がピクリと動いた。

「なに、由良くん」

 緊急事態かと思ったけれど、彼の声はそんな雰囲気でもない。

「会社の近くに、オシャレなカフェできたんだよー!お昼に行かない!?」

 あまりにもどうでもいい内容に拍子抜けしたが、明るく爽やかな声色に思わず笑みが溢れた。


「はいはい、じゃあお昼はそこにしよう」

 軽く流すと歓喜の声をあげる由良くんに断って電話を切る。鞄にスマホを入れて今度こそこの部屋から出ようとした。

 ──だけど。

「美緒」

 耳元で聞こえた声に吃驚する間もなく、肩を掴んで振り向かされる。

「洸さ──っ」

 有無を言わさず重ねられた唇。家の外で彼から私に触れるのはとても珍しい。もちろん喜ばしいことだ。


「夫の前で堂々と浮気か?」

 全く身に覚えのない話にきょとんとしていると、また唇を奪われる。

「電話の相手……男だろ」

 ──もしかして、嫉妬?

 そんな期待もすぐに打ち砕かれるのに。


「大企業の副社長の新妻が、早々に不倫とか洒落にもならねえだろ」

 ビジネス一筋の旦那様。会社の株が落ちでもしたら大変だもの。


 そうやって、口付けだけでコントロールされてしまう従順な妻。都合のいい女だと、自分でも笑えてくる。

 夫がやきもちを妬いてくれないからって、拗ねるような妻ではいけない。洸さんは、そんな面倒な女は一番嫌いなんだから。


「……大丈夫です、洸さんの顔に泥を塗るようなことはしません」

 無理矢理笑顔を作って、そう言い切ると彼に背を向ける。

「では、お仕事頑張ってください」

 私は冷静を装って副社長室を出た。



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