第13話 カフェエにて

 ……殺された人間は、祟る。

 いや、必ずしもそうなるとは言い切れないが、類巣先生から聞いた話を信じる限り、殺されたことを恨むと、どうも人は祟りやすくなるようだ。

 私も殺された……。藤一郎の話が真実ならば。そして生まれ変わる先に黒川葵子を選んだということは、璃子は葵子を祟ったのだろうか? しかしそうなると、黒川葵子に一体何があったというのかという話になる。

 璃子が殺されたのは、私の生まれるか生まれないかというくらい。当然璃子と葵子に面識などあるはずもない。むしろ、璃子は葵子の存在を知らなかったのではないのだろうかとさえ思える。

 しかし殺された後、希清様の呼ぶ声に応えるため、黒川葵子を選んで魂殺しをした……。

 なぜ黒川葵子だったのか? なぜそんなことができたのか?

 全く分からない……。

 もしも万人に、死後誰かを取り殺すだけの力があるというなら、璃子に葵子を殺せたのもうなずける気もするが、しかし、璃子がしたのは魂殺し。ただの殺しとは訳が違うのだ。祟ったり取り憑いたりして殺すのとは、違うものだろう。

 ……分からない。ああ、分からない。

 私はそんなことを考えながら、人通りの多い街中を行ったり来たりしていた。

 と言うのも、希清様にお会いするかどうか、迷っている最中なのだ。

 私は私自身のことについてよく分かっていないが、つまりそれは璃子についてよく分からないことが多いと言うこと。ならば璃子について知るために、璃子をよく知る人に話を聞くのが近道であろう。……それはつまり、希清様にお話を伺うということ。

 ああ、だけど! 私は道の真ん中で頭を抱えた。そんなことを、希清様にお聞きしていいものだろうか?

 希清様は、妹の璃子を失ったことが傷となっているのだ。何しろ、あの御髪……。あんなに真っ白になるまで、悲しみ、苦しんでこられた方なのだ。そうそう安易にお聞きしていい話ではない。

 ……どうする。

 以前希清様が帝大から立花女学院に来られた時に、まっすぐに来られるとおっしゃっていたから、帝大へ向かうのは簡単だ。人力車でも借りればいい。でもそれをせず歩いてうろうろしているのは、そんなに足早に向かえる程私の覚悟も決まっておらず、迷いに迷っているからだった。

 ああ、どうしよう……。一度は意を決して女学院を出てきたが、このまま帝大まで向かってしまってもいいものか……。

 そうしてうろうろして、やはりお話を伺おうかと歩を進め、と思うとまた迷いが出て引き返す。何とも情けないが、希清様のお心を思うと、私のしていることがどうにも軽率なことのように思われ、思い切りが付かない。

 私って、こんなにはっきりしない人間だったかしら?! そんなことを頭の中で叫ぶ。

 ああ、でも……そんなに簡単な話じゃないのよ……。だって希清様の心の傷に触れる話なんだもの、決して気安い話をしに行くのじゃないのよ……。

 だ、だけど、何も知らないままでいるなんて、私を璃子と確信している希清様のお心を無視して生きるということなんじゃないかしら? そんな気もする……。

 自分の業罪ということを考えるためにも、希清様のお心と向き合うためにも、避けては通れない道なんだわ……。

 と、思って、また帝大のほうへ足を向ける。ああ、でも……。と思って引き返し、いやいやそんなことは言っていられない、と思い直して足を向ける。……私は何をしているの!

 はあ、とため息が出た。

 とにかく……とにかく、確信的なお話ができなくてもいいの、希清様と璃子がどんな関係だったか、それだけでもとにかく聞くのよ……。そう、核心に迫れなくてもいい、ただ、璃子のことが何か一つでも分かればそれでいいのよ……。

 そうよ、勇気を出して!

 ……と思った瞬間に萎え、またため息が出た。

 ……もう、本当に、私は何をしているの……。

 そう思って、顔を上げた。

 そして、私はびっくりして目を丸くしてしまった。

 私の目の前にいる方も、びっくりしたように目を丸くなさっている。

 一瞬何が起こったのか分からなかった。だが、しかし、今目の前にいる方は、紛れもなく……。

「ま、希清様?」

「葵子? どうして、こんな所にいるんだ?」

 それはもっともな疑問だろう。普通にいつも通りの生活をしていれば、こんな所でばったり出くわすはずがない。

 希清様は学ラン、学帽、インバネスという出で立ちで、まさに学校帰りというご様子だ。学校帰りにふらりと散歩をなさる方だという印象がなかったので、私は混乱した。

「ま、希清様、どうなさったのですか? ここは、小石川へは通じていませんが……」

「あ、いや、確かに、そうなんだが……」

 希清様はどぎまぎなさって、後頭部に手を触れて少し頬を赤くなさった。

「実は、葵子に会いに行こうとしていたんだ」

「え?」

「その、何だ。友人達から、妹ができたなら、カフェエくらい連れて行ってやれと言われてな……。それで、誘いに行こうと思っていたんだが。まさか、葵子がこんな所にいるとは思わなかった」

 私はきょとんとした。

「カフェエ……ですか?」

「ああ。しかし、俺はカフェエには行ったことがなくてな……。服装もどんなものがいいのだか分からないし、学生服で来てしまったんだが、こんな格好でカフェエに行こうだなんて、不良じみて嫌だと思われないか心配でな……。そう思ってうろうろしていたら、同じようにうろうろしている人影がいて、何だろうと思ったら、葵子だったものだから……その、驚いた」

 希清様も私との急な遭遇に動揺なさっていると見えて、そんなことをつらつらとおっしゃった。

 と言うか、希清様は、私が挙動不審に道を行き来しているところを、見ておられたのだ! 私は顔がぼっと熱くなって、思わず下を向いた。

「葵子は、その、何をしていたんだ?」

「えっ、あの、その……実は、私も、希清様にお会いしたくて、その……それで……」

「俺に会いに? どうして。急な用事でもできたのか?」

 そうではない。いや、そうとも言えるかも知れないが、そうではないのだ。

 私は何と言っていいのか分からずにもじもじした。その私の様子を見て何と思ったのか、希清様までもじもじなさって、少し恥ずかしそうに頬をかいた。

「……いや、そうか、俺に用があったんだな」

「いっ、いえ、大した用事ではないのです。ただ、少しお話をしたくて……」

「話?」

「他愛のないお話です。少しおしゃべりをしたくて……」

 本当は璃子のことを聞くのが核心だが、とても正直には言えず、私はもじもじと濁した。

 しかし、ただおしゃべりをしたくて希清様に会いに行こうとしていたなどと、恥ずかしいにも程がある。私は顔を真っ赤にして、手を口元に持っていった。

「そ、そうか」

 希清様も照れたように頬を赤くなさった。その頬の赤いのが、髪の白さを余計に引き立てる。今日は天気も良いから、毛先が透き通っていっそう綺麗だった。

「話をするなら、カフェエはちょうどいいかもしれないな。その、どうだろう。これから一緒に行くというのは……。学生服で行くなんて、不良じみていて、嫌かも知れないが」

「いえ、そんなことはありません。ぜ、ぜひ、一緒に行きましょう」

「そ、そうか」

 希清様は熱くなったご自分の頬に触れて熱を冷ますようになさると、「じゃあ、行くか」と言って歩き出した。

 私は希清様の隣に並んで、一緒に街中を歩いた。

 ……まさか、本当にまさか、こんな所で希清様にお会いするなんて……! ああ、まだ動揺している……。

 希清様が向かったのは、大通りに面した洒脱な店構えのカフェエで、窓ガラスも色が入っていて美しかった。

 店の中も西洋風のモダンな造りで、洋装の大人達が多くいた。私もカフェエなんてほとんど入ったことがないので、どきどきして、女給に席へ案内された後も、こぢんまりと椅子に腰掛けていた。

 希清様も少し緊張なさっているご様子だ。学帽をお取りになると、それを置いて、手持ちぶさたのようにぽんぽんと叩いた。

 そうして話題が見つからないまま、女給が注文を取りに来た。

「ご注文をお伺いします」

「あ、ああ。そうだな。俺は……珈琲コーヒーで。葵子は、どうする」

「あ、私は、お茶をいただきます」

 どうにも、顔を上げることができない。女給がどんな顔立ちをしているのだかも分からないまま、女給は行ってしまった。

 私達はなおそれぞれにもじもじとして、注文したものが届くと、ようやくお互いにほっと息をついた。

「本当に、あんな所で会うとは思っていなかったな。行き違いにならなくて、良かった」

「はい。本当に……」

「下手をすれば会えなかったな。これも導きかな」

「そうですね。きっと、引き合うものがあったんですよ」

「そ、そうか」

 希清様はまた頬を赤くなさって、珈琲を飲まれた。

「希清様」

「何だ?」

「よく、こんなお洒落なカフェエをご存じでしたね」

「ああ……」

 と言うと、希清様は少し困ったようなお顔をなさった。

「遊び人の友人がいて、こういう店に詳しいんだ。そいつが、妹と遊びにどこかへ行けだの、カフェエにでも連れて行けだの、口うるさくてな……」

「まあ。素敵なご友人がいらっしゃるんですね」

 私は思わずくすりと笑った。

「口から生まれたのかと思う程喋るやつで、時々閉口するんだが、確かに葵子をどこにも連れて行かないのもどうかと思ってな。今日は連れてこられて良かった」

「はい。ありがとうございます」

「しかし、こんな格好で悪かった。カフェエにはどんな格好で行けばいいものか、分からなかったものだから。友人達の言うとおり、確かに少しは遊び歩くことを覚えたほうがいいかもしれないな……」

「私は希清様がどんなものをお召しでも気にしません。それに、無理に遊びを覚えようとなさらなくても、楽しいと思えることをおやりになったらいいと思います」

「そうかな。しかし、何をやったらいいものだかな……」

「希清様のお好きなことでいいんですよ。そ、その……もし……」

 もし私とのお話がお好きなら、それを……と言いたかったが、どうにも恥ずかしくて、言えなかった。

 希清様はもう一度珈琲を飲まれると、改めて私の顔をご覧になった。

「葵子、そう言えば俺に話があると言っていたが」

「あ、は、はい」

「他愛のない話を……と言っていたが、俺もあまり色々と話をするのは得意じゃないからな……。何を話したらいいか」

「あ、あの、あまり気をお遣いにならないでください。本当に、何でもない話をしたいだけなのです」

「何でもない話か……。難しいな」

 と言って少しお考えになると、希清様は何か思い付いたように私を見た。

「葵子」

「あ、はい」

「その……先日の桜は本当に見事だったな。あまり花見というものをしたことがなかったんだが、葵子と行けて嬉しかった。あの時あげた花は、もうしおれてしまっただろうが」

「あ……いいえ」私は首を振った。「希清様からいただいた桜の花は、本に挟んで押し花を作っています。そのまま何もせずに枯らしてしまうのは、何だかさびしくて……」

「そ、そうなのか? それは……ははは」

 希清様は嬉しそうに照れ笑いをなさった。

 その時私は、希清様が鴉を殺した時のことを不意に思い出して、さっと首が固くなった。それから藤一郎が言った、希清様が狂気だという、あの一言。私はちらりと希清様の顔を見た。

 しかし、目の前の希清様は、穏やかで、とても普通だ。私はそのお顔を見てほっとした。

 何のためらいもなく鴉を殺したときの希清様では、もはやないのだ。あの時は本当に度が過ぎてしまっただけで、狂気をお持ちだなんて、そんなことは……。

 私も微笑んで頷いた。

「押し花ができあがったらどうしようかと考えるのが、今は楽しいです。しおりにしようか、額に入れようか、ペンダントに入れようかと……色々考えてしまって」

「そ、そうか。そうしてくれているとは思っていなかったな。うん、まあ、葵子の好きにするといい」

「はい。できあがったら、希清様にもお見せしますね」

「それは……ありがとう」

 希清様の頬は既に真っ赤だった。それくらい嬉しく思ってくださったのだろう。そう思うと私も嬉しかった。

「葵子は、花が好きなのか?」

「え?」

「桜を見に行きたいと言ったのも葵子だったし、拾った花でも押し花にして大切にしてくれる。だから、好きなのかと思ったんだが」

「あ……はい。花は好きです。特に、白木蓮が」

「白木蓮?」

「はい」

「そう言えば、葵子の学校にも木蓮が植わっていたな。あれだけ大木なら、あれは白木蓮なのか」

「そうなんです。入学前に花は終わっていましたが、来年にその花を見るのが楽しみで……」

 と私が言うと、希清様は私の顔をまじまじとご覧になって、それから何を思ったのか嬉しそうな笑みを見せた。

「そうか……白木蓮が好きか。今でも、好きなのだな……」

「え……?」

 一瞬、希清様が何をおっしゃっているのか理解できなかった。今でも……? と思うと、はっとした。希清様は、私の言葉に璃子を見て、おっしゃったのだ。

 では、璃子も、白木蓮が好きだった……?

 思わぬところで璃子との接点が生まれた気がして、私はなぜかぞっとした。

 なぜ、背筋を寒気が通るのだろう。

 璃子。そして私。白木蓮の好きな二人。

 いや、二人ではない。一人だ。藤一郎の言に寄れば、同一人物なのだから。

 そう思うとまた背筋がぞっとした。私は本当に璃子で、葵子として生きてきたこれまでの自分に、ひびが入ったような気がして。

「白木蓮は俺も好きだ。少しきついが、良い香りがするな。あの香りを嗅ぐと、色々なことを思い出すよ」

 希清様は、私の寒気にはお気付きになっていない様子だった。ただ懐かしそうにそうおっしゃった。

 私も何とか取り繕って、どうにか話を合わせようと必死になった。

「希清様も、白木蓮がお好きなのですね」

「ああ。花にはあまり興味がないんだが、その……璃子が好きでな。つられて思い入れが深くなった。うちの庭にも植わっていて、色々な思い出がある。まあ、使用人の中には、蓮に似ていて縁起が悪いと言う者もいたんだが」

「ああ……確かに、そういう話も聞きますね。蓮は死を思い起こさせるから、それに似ている木蓮も不気味に見えるとか……」

 話を合わせながらも、いつ希清様が私を璃子だと言い出すかと、冷や冷やした。藤一郎に璃子だと言われるのは百歩譲って許せるが、なぜか希清様に璃子と言われるのは、恐ろしかった。

 でも、私は……璃子の話を聞くために、希清様にお会いしたかったはず。ここで恐ろしがっていては、いけないのだ。

 ちょうど、今なら、璃子の話をお聞きしても不自然でない……はず。今……今なら……。

 私は、意を決した。

「あの……希清様」

「ん?」

「希清様と璃子様とは、どんな思い出があるのですか?」

 ついに、訊いてしまった。

 私は顔が冷たくなるのを感じた。血の気が引いているのだ。それだけ、重大なことを訊いたという自覚があった。

 希清様は少し驚かれたようだった。暫く何も言わずにいて、まじまじ私の顔をご覧になると、それからふいふいと首を振った。

「……いや、よそう。悪かった、安易に璃子などと口に出して」

「いいえ、希清様、聞きたいのです」

「なぜ?」

「その……希清様と璃子様が、どんなふうだったか……璃子様はどんな方だったのか、聞きたいのです」

「なぜだ、葵子。なぜそんなことを聞きたがる?」

「……私にとって、大切なことのように思えるからです」

 そう、確かに大切なことだ。しかし私は、そう言うことで、私に璃子としての自覚が芽生えたのではないかと希清様に誤解されるのを恐れた。決してそうではないからだ。

 むしろ、自覚も記憶もないからこそ、聞きたいのだ。

 希清様は再び黙ってしまわれた。そして私を見て、やや切なそうなお顔をなさると、それからふうと息を吐いて頷かれた。

「……そうまで聞きたいのか」

「……はい」

「だが……あまりいい話ではないかも知れないぞ。葵子が聞くと、つらくなるのではないか?」

「私は、大丈夫です」

「……そうか。しかし……」

「希清様」

「うん?」

「では、まず、これをお聞かせください。希清様と璃子様は、仲がよろしかったんですか?」

 この質問は、それなりに当たり障りないものに思えた。私は慎重に希清様のお顔を見た。

 希清様は切なそうなお顔を改めて、微笑んで頷かれた。

「……ああ。良かった」

「双子でいらっしゃったんですよね。普段どのようにしていらっしゃったんですか?」

「そうだな……普段から、常に一緒にいた。離れている時の記憶のほうが、思い当たらないくらいだ」

「そうなのですか……」

「まあ、あまり、内輪の話を聞かせるのも気が引けるんだが、俺達は……孤独にしていることが多くてな。自然と一緒にいることが多かったんだ」

「孤独……?」

 私が首を傾げたのにお答えになろうとして、希清様は思い改めたように首を振った。

「いや、詳しいことはよそう」

「なぜですか?」

「いい話ではないからな……」

「あの……失礼なこととは思いますが、もしかして、ご家族とうまくいっていらっしゃらなかったんですか?」

「いいんだ、葵子。聞かなかったことにしてくれ」

「ですが……」

「……まあ、その、なんだ。色々あってな。こちらから家の者を避けていたんだ。それだけだ」

 希清様はそれだけだとおっしゃるが、色々あったとは何だろう。何か深刻な事情があって、二人だけで身を寄せ合っていたのではないだろうか。

 私には何も分からなかった。希清様も、これ以上お話しになる気はなさそうだ。

 もしかして、私を璃子と分かっていながら、せっかく記憶がないのだから、わざわざ思い出すこともあるまいと、気をお遣いになっているのかも知れない。そう思うと、それだけ重大な秘密があるように思われ、私は何か浮き足立つような気分に襲われた。

 希清様はちらりと私の顔をご覧になった。そして私の顔に何をお感じになったのか、元々切ない面差しのお顔を更に切なそうになさって、微笑まれた。

「しかし、璃子といると幸せだった。これだけは、変えられない事実だな」

「そう……なのですか」

 私は何だか希清様のその表情に、複雑な心境を感じ取った。希清様は私のことを紛れもなく璃子とお思いだ。その記憶が私にないのを寂しいと思われている反面、記憶がなくて良かったこともあると思っておられるような、相反するお気持ちがあるのではないか。

 本当は、思い出を親しく語り合い、これからのことも明るく話すことができればと、そう思っておられるのかも知れない。しかし私に記憶がないのでそれができない。それを、良い面もあると無理にご納得されているかのようなご様子だった。

 しかし、私はその希清様の迷いを、確かに何か暗い秘密があるのだという核心としてとらえた。そうでもなければ、希清様がこれほどまでに切ないお顔をなさるものだろうか。

 私は今一度勇気を出して、訊いてみることにした。

「あのう……希清様」

「ああ」

「何か、おつらいことがあったのですか?」

「つらいことか……。いや、まあ、あまりいい話ではない」

「お聞かせください。知りたいのです」

「葵子……」

 希清様は困ったように眉を寄せた。

「そうなのか……。なら、少しだけ話そう。葵子は、双子があまりいいものと思われていないことは、知っているな」

「ああ……はい。世継ぎ問題になったりして、ややこしいと……」

「そうだな。それに、異常な誕生だからと霊力を恐れられたりもする。特に、男女の双子は忌み嫌われてきた」

「なぜですか?」

心中者しんじゅうものの生まれ変わりと言われているからな」

「心中者の……?」

 そんなことは初めて聞いた。

「そうなんだ。まあ、俗信だが……。だから、家の中では肩身の狭い思いをすることも多くてな。とりわけ母は、殺してくれなどと……」

 とそこまで言って、希清様は口をつぐまれた。

 それから不自然な程朗らかに微笑まれて、私の顔を見た。

「少し話しすぎたな。まあ、そんなことを言ってももう大した問題でもない。今は同じ黒川でも、親は新しくなったのだから」

「希清様……」

 希清様が突然表情を変えられたので、私はついて行けなくて動揺した。

 とりわけ母は、殺してくれと……。

 希清様は、確かにそうおっしゃった。しかしそれを口になさった瞬間、お顔つきが変わったのだ。不自然な程の、明るい笑顔に。ただでさえ切なさをたたえたお顔立ちに、そのような笑顔をなさると、かえって悲劇がにじみ出ているように見えてしまう。

 希清様と璃子は、本当に……何か酷いことがあったのだ。そうに違いないと、私はそう思った。

「葵子」

「あ……はい」

「葵子は今、幸せか?」

「……はい。幸せだと……思っています」

「そうか。なら、いいんだ」

 突然の質問に私は戸惑った。しかし私の戸惑いを察したご様子もなく、希清様は嬉しそうなお顔をなさった。

 希清様のこの表情の変わりよう。私はついて行けなくなると同時に、どこか寒気を覚えるような感じがした。どうして、希清様のこの無垢な表情に、寒気がするのだろう。

 ……まるでこれまでの悲劇など、お忘れになったかのようなお顔付き。

 家の不和も、璃子が殺されたことも、何もかも頭の中にないような。

 いや……頭の中にないのではない。頭の中をあまりにも満たすから、溢れるそれの反動で、こんな表情をなさっているのでは?

 そう思うと、身に感じた寒気がすうっと引いていった。

 希清様……。

 私はこれ以上、璃子のことを訊くことができなくなった。希清様は今も、苦しんでおられる。それなのに、もっと苦しませるようなことが、私にできようか。

 私は思わず下を向いて、ぽそりと口にした。

「……申し訳ありません、希清様」

「何を謝る?」

「私、希清様のお心をあまりに理解していなくて……とてもおつらいことを思い出させてしまいました」

「何がつらいことがあるものか。気に病むな、葵子。お前が幸せなら、俺は何ともない」

「希清様……」

「そうつらそうにするな、葵子。お前を苦しませるようなことを言ったなら、俺が悪かった。しかし、葵子、これだけは覚えておいてくれ。お前が幸せなら俺も幸せだ。だから、お前を傷付けたり、殺そうとしたりする人間からは、絶対に守ってやる。お前をもう、傷付けさせたり、殺させたりしないからな」

 希清様は明るい笑顔でそうおっしゃった。しかしもとから切なそうなお顔立ちをなさっている希清様だ、そんな表情をなさると、もっと悲しそうに見える。しかし、悲しそうに見えるのに、明るくも見えるものだから、そのちぐはぐなお顔は私を混乱させた。

 希清様……。希清様は確かに、私を璃子とお思いだ。だからこそ、こんなことをおっしゃるのだ。

 私はそれに対して、どう思ったらいい?

 私は悩みに悩んで、上目遣いに希清様を見ると、また下を向いた。

「……希清様。どうか、苦しまれないでください」

「何を言うんだ、葵子。俺が苦しいものか」

 希清様は笑顔のまま、首を傾げた。本当に、私が何を言っているのか理解していないご様子だった。

 私はそれに何も言えなくなった。

 希清様は珈琲を飲まれると、窓の外をご覧になった。

「今日はいい天気だな」

「……はい。とても」

「葵子に会えて良かった。こうして話をするのも、いいものだな」

「……はい」

「気に入ったなら、友人から色々な店を聞いておくよ。今度は、別のところにも出かけよう」

「ありがとうございます、希清様。……嬉しいです」

「う、うん。そうか。ははは」

 希清様ははにかんだようになさって、ごく普通に微笑まれた。

 それまでの悲劇を思わせる表情も、またそんな悲劇などなかったかのような奇妙な笑顔もなく、ごく普通のご様子だった。

 私は何を言うべきか分からなくて、ただ、下手な微笑みを浮かべただけだった。


 寄宿舎に帰ってきたのは夕刻になってからだった。

 私は室内着に着替えることもせず、お出かけ着のままベッドに倒れ込んだ。はしたないけれど、どうにも体が重くて、どうしようもなかった。

 希清様……。

 私は璃子のことを聞こうとして、希清様にお会いしようとした。しかし希清様からうかがった璃子との関係は、いや、希清様と璃子を取り巻く環境は、私が思っていたよりも根深いものだった。

 私は希清様のあの悲劇を思わせる表情を思い出し、自然と眉に力が入るのを感じた。希清様がご経験なさったことは、私にとって想像できないようなもので、その理解できないという感覚が胸苦しかった。

 希清様は妹の璃子と共に、家の中でつらい思いをなさっていた。そんな中で結ばれた二人の関係は、普通の兄妹というものより、もっと特別なものになっていったのだろう。それなのに、希清様は殺人で妹を失った。そして、御髪が真っ白になられるまでに苦しまれたのだ。

 ……私が思っていた以上に、希清様と璃子の周りには、悲劇がつきまとっていたのだ。

 これ以上希清様に璃子のことをお聞きするのは……私には、できない……。

 私は黒川の家で、とても大切にされ、幸せに成長してきた。だから希清様のご家庭のことを、うまく想像することができない。一体何があったのか、殺してくれとまで言った、お母様のその言葉以上のことがあったのか、そんなことも分からない。

 私はベッドに顔をうずめると、深くため息をついた。

「……藤一郎」

 小さな声で藤一郎を呼ぶ。しかし、それに対する返事はなかった。

「……藤一郎」

「何だ、しつこいな」

 もう一度呼ぶと、藤一郎から返事があった。顔を上げていないので、藤一郎がどこに現れたのだか分からないが、どうせ本棚や勉強机の上に現れただろう。何しろ藤一郎は、行儀が悪いのだから。

 私は顔を横に向けると、暫し黙って、小さく口を開けた。

「……あなた、私のことを璃子だと言ったわね」

「それがどうした」

「藤一郎、もしかして、あなたって過去のことが分かるの?」

「なぜそんな発想になる。そんなことは僕には分からん」

「だって、私を璃子だと言ったわ」

「過去が分かるわけではない。魂が過去を語るのだ」

「だったら、分かるんじゃない」

「魂が現す以上のことは分からん」

「じゃあ、それでもいいわ。……ねえ、希清様と璃子に、一体何があったの?」

「そんなことを訊いてどうする」

「知りたいのよ。知らなくちゃいけないの。でもこれ以上希清様にはお聞きできないわ……。だからあなたに訊いてるの」

「僕に訊いてもどうにもならんぞ」

「それでも教えてほしいのよ」

「お前は頻繁に意味が分からんな」

「それでもいいわ……」

 今は、藤一郎の口の悪さも気にならなかった。そんなことより、本当に知りたかったのだ。希清様と、璃子のことを。

「ねえ、どうなの。分かるの? 分からないの?」

 私の声は自分でも意外な程冷静だった。でも心の中は決して冷静などではなかった。これから藤一郎が口にすることが、どれほど私の心を揺さぶるか、直感していたからだ。

「どうなの?」

「さっきも言ったが、そんなことを僕に訊いたところでどうにもならん」

「分かるの、分からないの、どっちなの」

「お前、黒川希清のそばにいて、そんなことも分からなかったのか?」

「私に分かるわけないじゃないの」

「それほどの力を持ちながら、結構なことだな。分からんなどと、よく言える」

「分からないんだから、仕方ないじゃないの。私はあなた程、あの世じみていないのよ」

「何を言う。僕などより、お前のほうが余程あの世じみている」

「……何なのよ、それ」

「まあいい。しつこくされるのも本意じゃないから、教えてやる。黒川希清とお前は、家の中で幾度となく殺されかかり、使用人にも弄ばれたあげく、ある時家から逃げ出したのだ。その逃げ出した先で、お前は殺された」

 私はばっと起き上がった。そして藤一郎のほうを向く。藤一郎は私がいつもお茶を飲んでいるテーブルに座って、足を組んでいた。

 ……幾度となく殺されかけた? 使用人に弄ばれた?

 ……何、それ……。何よ、それ……。

「待ってよ……。殺されかけたって、何? 弄ばれたって、どういうこと?」

「そのままだ」

「具体的に、どういうことなのよ?」

「だから、それを僕に訊いてどうする」

「どういうことなの……どういう……」

 力なく問うが、それを藤一郎が答えてくるのも恐ろしい。

 私は黙ってしまった。黙り込んだ私を、藤一郎はつんとした顔で見つめている。興味などないような顔だ。実際、興味などないのだろう。

 希清様と璃子は、酷い扱いを受けていた……。それも、想像を絶する扱いだ。具体的にどんなおこないを受けたか、藤一郎は語らないが、それでも藤一郎の語った過去の衝撃は、私を打ちのめした。

「……それ……」

「何だ」

「……それは、希清様と璃子が、心中者の生まれ変わりだと言われたからなの……?」

「そうだ」

「それで……そんな扱いを受けて、逃げ出したのに……希清様は、璃子を失ったの……?」

「まあ実際は、お前は殺されることを分かっていて、希清の手を引いていったのだがな」

「……え?」

「言っただろう、お前はどういうわけだか、人の生死を操ると。それは自分の命も例外ではない。自分を殺させることもできたのだ」

「ど、どうして……?」

「お前は殺されて、最初から生まれ変わろうという気だったのだ。その先で幸福を手にしようとした。希清も共にな。それで生まれ変わる先に黒川葵子を選び、魂殺しをして生まれ変わった。そこで育ち、折を見て両親を死の淵に立たせ、そこから甦らせることで希清を養子に取ろうという話を引き出したのだ。お前は殺される前から、全てを計画していた。まったく、考える程業の深い罪だな」

「え……ちょっと、ちょっと待ってよ……」

 思考が追いつかない。

「あなたは、璃子を失った希清様のお心が、璃子を呼んだと……言わなかった?」

「そうだ」

「それじゃあ、つまり……どういうことなのよ?」

「希清に呼ばれることで、あの世に運ばれることなく、転生先を死後すぐに見つけられたのじゃないか。自分でやったことじゃないか、わざわざ僕に訊く程のことなのか?」

「そんな……そんな、私……」

 ――逃げましょう、お兄様。今度は一緒に、幸せになるのです。

 そんなことを言って、璃子は、私は、希清様の手を引いていったの? そして希清様の目の前で、殺されたの? 希清様に殺される場面を目撃されるところまで、私は計画していたというの?

 希清様がお心に傷を負うところまで、私は、分かっていて、全てをおこなったというの?

「そんな……私、そんなこと……」

「とにかく、お前は全て計算ずくでやったのだ。お前の業罪は、この世では考えられない程重いぞ」

「そんな……私……私は……」

 私は両手で頬を覆って、ふるふると震えた。泣き出しそうだったが、泣き出せない程、私の心は締め付けられていた。

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