第12話 井戸

 ……本当に、私とあの世のものは近いの?

 私は授業を受けながらも、ちよから聞いた話を思い出してぶるぶる震えた。

 あんな怖いものと私が近いだなんて、そんなこと、考えられない……!

 授業中の教室内はとても静かだ。先生が袴を揺らす音や、皆が鉛筆を走らせる音がよく聞こえる。そんな中だと、どうしても思考が授業と関係ない方向に飛んでいってしまう。

 私は先生の話を書き写しながら、ちよの話をもう一度思い出して、さあっと寒くなった。

 こ、怖い……。あんな怖いものと、どうして私が近縁だというの? それにああして現れるお化け達は、目の前の生きている人間を一体どうするつもりで出てきているのだろうか。全く考えが読めない。まさか、あちら側へ連れていこうとでも考えているのだろうか。それはつまり、殺してしまうということだけれど。

 魂殺しか……。殺してしまうと言うなら、藤一郎によると私もそれをしたのだから、確かにお互い近いものと言えないこともないのかも知れないが……それにしても、怖いではないか。私はあんなに怖くない!

 そんなことをぐるぐる考えていたら、授業が終わった。皆それぞれに先生に頭を下げ、終礼の挨拶をする。結局、授業の内容はあまり頭に入ってこなかった……。自分で書いたものを見ても、何だか見覚えがないような感覚だ。

 私はため息をつきながら教科書と筆記用具をまとめると、それを持って廊下に出た。

 自分の部屋に帰ると、教科書を勉強机に置いて椅子に腰を下ろした。

 そしてそのまま、頭を抱える。

「ああ、もう……」

 本当に、藤一郎が言ったことは真実なのだろうか? そんな考えがよぎる。

 だって、あまりにも荒唐無稽に思えるではないか。根拠も証拠もない。ただ、藤一郎の話と、……希清様の言動だけが、頼りというだけだ。

 私は暫し頭を抱えたままでいて、それから、そっと引き出しを開けた。そこには、類巣先生から借りている新聞の切り抜きがしまわれている。

 それをそっと手にとって、じっと眺める。

 希清様の目の前で惨殺された、妹の璃子姫……。それも恐ろしい殺され方をしている。しかも業病の治癒のためなど、理不尽にも程がある。

 希清様はこんなに恐ろしい事件で妹を失って、けれど生まれ変わってもう一度会えるという確信を頼りに、今まで生きてこられたのだろうか。

 どうして、希清様はそんな確信を抱くことができたのだろう? 生前、璃子が何か言っていたのか、それとも……双子という関係の特別なものが生んだ、不思議な確信だったのだろうか。

 よく分からないが、そうして分からなくさせているのは、私に璃子としての記憶がないというのが大きな原因の気がする。

 せめて記憶があったなら……。

 私はため息をつくと、もう一度新聞記事を見た。

 殺された私……。想像もできない。

 もし殺された璃子が私だというのが事実だとして、どうして私は、生まれ変わる先に葵子を選んだのだろう。葵子に、一体何があったというのだろう。偶然なのか? それとも……。

 私は今度は深い深いため息をつくと、新聞記事をしまって両手で頬杖をついた。

 暫くそのままじっとして、それから前をまっすぐ見つめたまま、小さく声を漏らした。

「……藤一郎」

「何だ」

 藤一郎は本棚の上に足を組んで現れた。

「……私が璃子だというのは、本当なの?」

「本当だ」

「……魂殺しをしたのは、本当?」

「何度言わせる気か分からんが、確かなことだ」

「じゃあ……どうして璃子は、葵子を選んで魂殺しをしたのかしら?」

「そんなことは知らん。自分でしたことだろう」

「でも私……記憶がないのよ」

「それを僕に言ってどうする。僕に記憶の世話はできん」

 私は横目でちらりと藤一郎を見て、それからため息をついた。

「……そうよね」

 私がそう返事をすると、いつの間にか藤一郎の姿は消えていた。

 殺された私……。人を殺してまで甦ろうとした私……。

 ……どうして?

 希清様のため……?

 私は立ち上がると、部屋を出た。向かったのは音楽室だ。

 放課後の校舎は静かだ。ピアノの音がよく聞こえてくる。音楽室に誰かいることは確かなようだ。

 私はそっと音楽室のドアを開けた。するとピアノに向かう類巣先生の姿が見えた。

 類巣先生は暫くピアノを弾く手を止めなかったが、ちょうど良いところまで弾くと、手を止めてこちらを見た。

「あなたですか。何かご用ですか」

「あ……いえ、その……」

 私はもじもじとして、それから遠慮がちに類巣先生を見た。

「あの、少しお話を……できませんか」

「構いませんよ。いらっしゃい」

 言いながら類巣先生は立ち上がって、私の座る椅子を用意してくれた。

 私はお礼を言いながらその椅子に腰掛けると、ピアノ椅子に座っている類巣先生を、上目遣いに見上げた。

「あのう……類巣先生」

「はい」

「類巣先生は……人が人を殺すことについて、お詳しいんですよね?」

「詳しいと言う程ではありません。関心があって、そういった話を集めているだけです」

「では、その……一つお聞きしたいのですが……」

「何でしょうか」

「……人は、殺された後、どうなってしまうのでしょうか」

 私は変なことを訊いているという自覚があって、思わず小さな声になっていた。

 類巣先生は一瞬黙って、それから頷いた。

「難しい質問ですね」

「すみません……。でもどうしても、気になってしまって」

「この間からお貸ししている新聞記事のことですか」

「はい……。殺されてしまった人は、その後どう思うのか……考えてしまって」

「そうですか」

「たとえば、他の人を殺してでも、生まれ変わろうと思ったりとか……するものなのでしょうか」

「さあ、私には分かりません。殺されたことがないものですから」

「そ、そうですよね」

「ですが、そうですね。軍にいた時に一度だけ、殺人事件に遭遇したことがありますよ」

 類巣先生の話に、私はびっくりした。

「え? 軍人というのは、殺人事件の探偵もするものなのですか?」

「いいえ、そうではありません。隊の中で人殺しがあったのです」

「えっ、そんな恐ろしいことが……?」

「まあ、あなたの疑問の参考になるかは分かりませんが、その時のことをお話しすることはできますよ」

 私は身を乗り出した。

「はっ、はい、ぜひ!」

「ではお話ししましょう。随分昔の話ですが、少し騒ぎになったので、良く覚えています」……


 類巣先生はその時まだ入隊したばかりで、日々訓練に明け暮れていた。

 まだ階級も付かない本当に下っ端の頃で、当時寝食は他の新人隊員と共におこなっていた。とは言え私語は基本的に禁止という規律の中にあったので、賑やかな生活とはほど遠かった。

 寝室は狭く、二段の寝台が二つ据えられているくらいで、他には何も入らない。寝台の間に人が立てるくらいの間が開いているだけなので、寝室では何もできなかった。

 ある夜、月明かりの綺麗な夜だったが、類巣先生は自分にあてがわれた寝台で眠りについていた。それは下の段だった。

 その夜も静かで、訓練に疲れた同期達の寝息だけがよく聞こえていた。

 そうして眠っていると、類巣先生はふと目を覚ました。別に何か感じたのでもなく、ただすっと目が覚めたのだ。

 寝室の暗さから察するに、まだ夜半だ。妙な時間に目が覚めたものだと思っていると、何か部屋の中に音がする。

 それはするりするりという足音で、どうやら寝台の間を往復しているらしい。

 こんな時間に起きて、誰が何をしているのかと思って、類巣先生は音のほうに顔を向けた。

 すると、寝台の間を白い人影が歩いている。

 するり、するり、と足音を立てているその人影は、若い女性だった。

 軍の宿舎に女性がいるわけがない。ましてこんな真夜中だ。類巣先生は、夢でも見ているのか、それとも寝ぼけているのかと思った。

 そう思って見ていると、どうも鼻をつく妙なにおいがする。泥の腐ったような、水の腐ったような、不快なにおいだ。こんな狭い寝室に水の気配などあるわけもないので、類巣先生にはにおいの原因は分からなかった。

 女性は類巣先生が起きていることに気付いていない様子だった。そのまま突き当たりに行き、すっと踵を返すと、するりするりと部屋を出て行った。ドアを開閉する音は聞こえなかった。すると、不快なあのにおいもなくなった。

 その夜は何もなかったが、翌日、同じ部屋で生活している同期の一人が、妙に青い顔をしている。体調でも悪くしたかと思って声をかけたが、

「いや、何でもない」

 の一言だけ。

 類巣先生はそれ以上声をかけることもせず、その日の訓練を過ごした。

 その日の夜、類巣先生はまた真夜中に目を覚ました。

 すると、するり、するり、という音がする。そのほうを見ると、昨晩の女性が寝台の間を歩いていた。あの不快なにおいもする。こうはっきりと見えるとなると、どうも夢幻ゆめまぼろしではないらしい。

 類巣先生は声をかけてみるべきか迷ったが、いざ声をかけてみようとしても、どうもうまく声が出ない。仕方なく様子をうかがっていると、女性はまた部屋を出て行った。

 そういうことが、毎晩続いた。しかもそうして日がたつごとに、同期の一人の様子がどんどんおかしくなる。いつも青い顔をして、どうも何かに怯えている様子だ。

 ある時、その同期とたまたま寝室で二人きりになったので、類巣先生は話を聞いてみることにした。

 すると同期は、

「俺はもうだめだ、俺はもうだめだ……」

 と呟くばかりで、話にならない。もっと詳しく聞きだそうとしてみると、同期は重い口を開けて、ふるふる震えながら類巣先生を見た。

「……いいか、夜、何があっても声を出すなよ」

 どういうことかと訊くと、同期はふるふる震えたまま、「何があっても声を出すなよ」とだけ繰り返した。

 その夜も、類巣先生は夜半に目が覚めて、例の女性も現れた。

 不快なにおいと共に、するり、するり、と寝台の間を行き来している。

 よくよく観察してみると、女性は一人一人の寝台をじっと見て、それからするりするりと歩んでいる。どうも、この部屋の誰かに用でもあるような様子だ。

 誰か捜しているのか、そう声をかけようとしたが、同期の「何があっても声を出すなよ」という言葉を思い出し、類巣先生は黙っていた。

 同期の言っていたのは、多分この女性が現れても声を出すな、ということなのだろう。類巣先生はそう理解した。しかしそう思うと、同期はこの女性について何か知っていることになる。逆に言えば、この女性は同期と関係があることになる。

 そう思うと、黙っていろと言うのが、類巣先生への警告と言うより、同期の自衛の為なのではという気がしてきた。

 その夜も、女性は何もせずに部屋を出て行った。

 それを見て、類巣先生は寝床から降り、同期の寝台を覗き込んだ。

 同期は目を覚ましていて、目を見開いたままがたがたと震えていた。

「類巣、俺はもうだめだ……もうだめだ、取り殺される……」

 そう言うのである。

 事情を訊くと、同期は顔を覆って泣き出した。

 あの女性を知っているのかと問うと、知っていると言う。では、あの女性に何かやましいことでもあるのかと問うと、あると言う。

 そうして、

「類巣、どうしようもない……俺は殺されるのだ……」

 などと言う。

 事情がくめないので何とも救いようがないと類巣先生が言うと、同期はおいおい泣いて、黙ってしまった。

 同期のことはどうにもしようがなかったが、騒ぎが起こったのは翌日のことだった。軍の敷地にある三つの井戸のうち、右の井戸から女の死体が上がったのだ。井戸はこのところ使われておらず、封鎖されていたのだが、清掃のために蓋を開けてみたら、水に浸かった女の死体が見つかったという。

 警察も入り大騒ぎになったが、犯人は分からなかった。どうも扼死体やくしたいだったらしいが、身元もよく分からない。死体は警察が運んでいった。

 その夜、同期が青い顔をして類巣先生の元へ来た。二人きりで話をしたいという。それで二人で宿舎の裏へ行くと、同期は肩を縮めながら類巣先生を見た。

「お前もあれを見ただろう」

「あれというと?」

「あの女の霊を見ただろう……」

 そう言う同期の肩に、何か塊が見える。よくよく見てみるとうっすらと透けた嬰児えいじのようだった。

 女の霊もそうだが、今はお前の肩に赤子が見える。そう言うと、同期はぎゃあと悲鳴を上げて逃げていった。類巣先生は一人取り残されて、叫びながら走って行く同期の姿を見送った。

 その晩は、同期は寝室には戻ってこなかった。それどころか、一晩中同期の叫び声が聞こえていたので、また騒ぎになり、同期は取り押さえられた。

 取り押さえられた同期は、てんかんの発作かと思われて病院に連れて行かれた。そして、同期は数日のうちに警察に逮捕された。どうして逮捕されたのだか、類巣先生には分からなかった。

 後日詳しいことを他の同期から聞くと、つまりこういうことらしかった。

 あの同期は女性を孕ませて、結婚を迫られて困ったあげく、手で絞め殺してしまったそうだ。それで死体の処理に困った時、使われていない井戸のことを思い出した。ここに捨てれば見つかるまいと捨てはしたが、結局見つかってしまい、良心の呵責に耐えかねて発狂したのだろうとのことだった。

 ついでに、これは噂だが、とこの話を教えてくれた同期は、一つ噂話を聞かせてくれた。女を殺したあいつは、連日女の幽霊に祟られていたそうだぞ、と。その女の幽霊は、毎夜、自分を殺した男の名を呼びながら、「次はお前……次はお前……」と囁いていたらしい。

 類巣先生は、女の幽霊を見はしたが、声など全く聞いていない。その女の声は、殺した本人にしか聞こえていなかったのだろうか。しかし、当人にしか聞こえていなかったものが、どうして噂となって広まっているのか、どうにも理由が分からない。話をしてくれた同期に訊いてみても、噂の出所は曖昧なままだった。

 後日談になるが、捕まった後その男は首を吊って自死したらしい。遺書には、「赤子の声がする」とだけ書かれていたという。

 女の霊に祟られて罪が露見した後は、赤子の霊に祟られていたのだろうか。もちろん、赤子の声を聞いた者は、男の他には、いない。

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