第4話 「あいてる、あいてる」

 一日の授業が終わった後、私は二階様と一緒にあんみつ屋に来ていた。

 二階様と二人きりでの外出だ。……ということにはなっているのだけれど、実際には、二階様お付きの女の人が付いてきている。その人はあんみつ屋の入り口近くに立っていて、用が言いつけられるのを待っていた。

 私は私用で外出することがあってもちよを連れることはほとんどしないので、お付きが付いてきているというこの状況にどぎまぎしていた。

 私と二階様はそれぞれあんみつを前にして、それをつつきながら楽しく歓談していた。

 二階様は春らしい爽やかな黄色のワンピースをお召しになっていて、同じ色のカチューシャで御髪おぐしをまとめられていた。くるりくるりとした毛先が肩の向こうで踊っていて、まるで羽が生えているみたいだ。

「まあ、お兄様が?」

 と、二階様。

 話はちょうど、父が養子をとることに決め、私に兄が出来ることになったという話題だった。

 私はそれに頷いた。

「そうなんです。でも、お会いしたことのない方ですし、写真などでもお顔を拝見したことがなくて……。どんな方なのか、全然分からないんです」

「そう……。不安もあるでしょうけど、何だか楽しみね。お兄様なんて、素敵ね」

「二階様は、ごきょうだいなどはいらっしゃるのですか?」

「ええ。姉が二人。女ばかりなの」

「では二階様は、末の妹でいらっしゃるんですね」

「そうなの」

「その、私は今まで一人でいましたから、きょうだいがいるというものがどういう感じなのか分からなくて……。二階様は、お姉様方とは、どんなご様子なのですか?」

「どんな様子……。そうね、何と言ったらいいかしら。姉たちはわたしのことをとても良くしてくれるのだけれど、いつまでも小さな子どもを扱うようにしてくるというか……少し、甘やかしすぎるというか……」

「二階様がお可愛くて仕方がないのですね」

「そうなのかしら。でも、わたし、もうそんなに子どもでもないのよ?」

 二階様はおかしそうにくすくすと笑った。

 そうしていると、あんみつ屋に二人組の女性客が入ってきた。年の頃は二十代くらいに見える。二人とも今時珍しいかっちりとした着物姿で、しゃなりしゃなりと歩いている。席に着くと、二人でお喋りを始めた。

 何が気になったのか、二階様はその二人のほうを見た。そうして暫く着物姿の女性客たちの様子をご覧になっていて、二階様は笑顔のまま、ほうとため息をついた。

「素敵ね、お着物」

 何だか不思議なつぶやきに思えたので、私は首を傾げた。

「二階様もお着物くらいお持ちなのでしょう?」

「ええ。でも、わたし、あまり着物が似合わないのよ」

 それを聞いて、私は意外だった。思わず目を丸くしてしまう。二階様ほどの美貌ならば、着物が似合わないなんていうことはあり得ないと思うけれど。

「どうしてそう思われるのですか?」

 私にそう問われると、二階様は頬を赤らめた。そして恥ずかしそうに、お胸の前に手を持っていった。

「あの……わたし、胸が大きいから……。さらしを巻いても苦しいだけで膨らんだままだし、胸が帯に乗っているのが、みっともなくて……」

 そう言われてみると、確かに二階様のお胸は大きく思える。ちなみに私は、着物を着るときでもさらしを巻いたことはない。

「こんなに大きいの、恥ずかしいわ」

 二階様は困ったような、情けないような、そんな表情をなさった。

「だから、少しでも小さくしようと、色々やったのよ。ほぐしてみたり、痩せてみたり。でも手足や腰が細くなるばっかりで、ここは全然変わらなくって……。お着物だとみっともないし、お洋服だと、目立つでしょう? 本当に恥ずかしいわ」

 二階様は真っ赤になった頬を白い手で覆って、下を向いた。

「二階様……」

 二階様ほどのお方がそんなことにお悩みになっているのかと思うと、何だか胸が痛んだ。けれどどんな言葉をおかけしていいのか分からず、私は何も言うことができなかった。

「あ、ごめんなさい葵子さん、こんな話……」

「いいえ! どうぞ、何でもお話しになってください」

「ありがとう」

 二階様はまだ真っ赤なお顔で微笑んだ。

 そうしてあんみつを一口、綺麗な唇のお口に含まれると、顔色が元に戻るまでそうしておられた。

 そうしてやっと元の顔色に戻ると、二階様はくすりと笑った。

「でも嬉しい。葵子さんと二人であんみつを食べに来られるなんて」

「はい、私もとっても嬉しいです!」

 厳密には、お付きの人も付いてきているけれど……。ずっと同じ場所に、微動だにせずに立っている。まるでいませんよとでも言っているような様子だ。

「ねえ、葵子さん?」

「はいっ」

「わたしのことは、二階じゃなくて、蓮子と呼んでくれないかしら」

「えっ?」

 二階様の思わぬ申し出に、私は驚いた。

「ですが……」

「そうしてほしいの。だめ?」

 二階様はまるでうように、上目遣いに私の顔を覗き込んだ。

 そんなふうにされてしまうと……。

「わたし、葵子さんのことは葵子さんと呼びたいし、蓮子と呼んでもらいたいの。葵子さんとお友達になりたいのよ」

「二階様……!」

 私は感激した。二階様がそんなことを言ってくださるなんて!

「ね? だから、わたしのことは蓮子と呼んでほしいの」

「はっ、はい。光栄です、れ、れん……」

 私はとっさにお呼びすることが出来ず、しどろもどろとなってしまった。

「……れん、蓮子……様……」

 言うと、私は恥ずかしさと照れで、顔が熱くなった。それに嬉しさもあり、思わず小さく笑ってしまった。

 そして蓮子様も、私から下のお名前で呼ばれて、頬を赤くなさって微笑んだ。

「うふふ。嬉しい。葵子さん」

「蓮子様……」

「葵子さん」

 呼び合うと何かくすぐったいような感覚になり、私達はくすくすと声を立てて笑ってしまった。

 一通り笑うと、蓮子様はふうと一息をついて、改めて私の顔をご覧になった。

「葵子さん、そう言えば、わたしに何かお話があったようだけれど……。何だったの?」

 言われて一瞬きょとんとなってしまったが、何のことだったのかすぐに思い出した。

 そうなのだ。

 私は蓮子様に、ちよから聞いたような怖い話をしていただこうと思って、授業が終わってから声をかけさせていただいたのだ。そうしたら蓮子様が、「せっかくなのだから、外に出かけましょう」とおっしゃったので、本題を話す前にこうしてあんみつ屋にやってきたのだった。

 ちよから聞いた話は、怖い話としては充分だった。と言うより、少し怖すぎた……。だから出来れば、もう少し軽いものが聞きたいかも知れない……。

 とは思ったが、何をお話しになるのかは蓮子様のご自由だ。

 私は居住まいを正した。

「蓮子様、実はお願いがあるのです」

「どうしたの? わたしに出来ることなら、何でも言って」

「いえ、たいしたことではないのです。その……怖い話を、お聞かせくださいませんか?」

 蓮子様は目を丸くなさった。一体どうしてそんな話を聞きたがるのだろう、と思いになったのに違いない。

「まあ。どうして?」

「その……実は、怖い話を集めていて」

「何かあったの?」

「うんと……まあ、その……。人に、あることを言われて……。その人の言ったことが本当かどうかも分からないんですけれど、自分のことを知るために、怖い話がどうしても必要なのです。詳しい話は、私もよく分かっていなくて、その……うまくお話できないんですけど」

「そうなの……」

 蓮子様はこの話を真剣に聞いてくださった。そして、真面目なお顔をして頷いた。

「わたしに協力できることなら、何でもするわ。葵子さんのためになることだもの」

「蓮子様……。ありがとうございます!」

「だけど、怖い話なんて、わたしあまりよく知らないわ」

 蓮子様は頬に手を当てて、困ったようなお顔をなさった。

「わたし自身の経験でなくてもいいの?」

「はい、それはもちろん」

「じゃあ、人から聞いた話をするわね。うちで働いてくれている人の中に、ナエという名の人がいるの。その人は若い頃、よく金縛りに遭ったらしいの」……


 ナエというのは二階家に仕える女性で、主に調理場で働いているという。その人が若い頃の、まだ二階家の女中になる前の話だ。

 その人には、こういう場合は決まって金縛りに遭う、という条件があったらしい。

 うつぶせに眠る。そうすると、必ず金縛りに遭ったという。

 金縛りに遭うと、背中に何かが乗っているかのようにずんと重く、腕も脚も動かせない。かろうじて目を開くことは出来るものの、自分の身に起こっていることが恐ろしく、大抵は目をつぶり、金縛りが解けるまで待ち続けている。

 ある夜、この日も寝相でたまたまうつぶせになってしまい、はっと気付いて目を覚ましたときには既に金縛りに遭っていた。

 寝室の障子には月明かりが当たって、ほんのりと明るい。障子はいつもぴったりと閉じているので、隙間から漏れてくる明かりはない。

 はずだった。

 しかし、金縛りに遭っている今障子を見ると、かすかに隙間が開いていた。そこから月明かりがさし込んでくる。でも月明かり以上に、何かこの世のものでないものがその隙間から入り込んできそうで、恐ろしくなった。

 金縛りに遭っているから、顔の向きも変えられない。目を閉じるしか出来ない状況で、必死に目を閉じ、金縛りがとけるまで待った。いつも通り、背中がずんと重く、何かが乗っているかのようだ。そのことも恐ろしかった。

 そうしてぎゅっと目をつぶっていると、背中のずんとした重みが、だんだんと重みを増してくるような気がしてきた。まるで何かが覆い被さってきているかのようだった。

 怖い、怖い、そう思いながらただじっと金縛りがとけるのを待っていると、耳元に風がかかってきた。

 風ではない。息だ。

 そう気付いたとき恐怖は頂点に達した。ほとんど錯乱した状態では、聴覚は正確には働かない。だから、その息に混じって、何か声がすることにすぐには気付かなかった。

 声がする。何か言っている。そう気付くと、少しはっきりと言葉が聞こえた。

 いやだ、聞きたくない。そう思うが、金縛りで手が動かず、耳をふさぐことも出来ない。否応なく、声は耳に入ってきた。

「……あいてる……あいてる……」

 声はそう言っていた。

 早く早く、早くとけて。願うようにじっとしていると、ふっとからだが軽くなった。金縛りがとけたのだ。

 ナエはおそるおそる、そっと目を開けてみた。

 あいてる。声はそう言っていた。

 そこで怖々障子を見てみると、ぴったりしまっていて、隙間すらあいていない。金縛りの最中はうっすらと開いていたような気がするのだけれど……。

 とは言え、金縛りは無事にとけたのだ。ナエは安心して、今度はきちんと仰向けになって眠り直した。

 翌朝目覚めたナエは、うんとのびをし、目を開いた。

 すると、いつも布団をしまっている押し入れのふすまが、こぶし一つ分開いていた。

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