第3話 魔法
ジュライの姿が消え、私は再び出入り口のない小部屋にポツンと一人取り残されてしまった。
そういえば、出迎えの神官を呼んでいると言っていたが、一体どこから迎えが来るのだろう?
四方の壁は全て石! 唯一外に出られそうなのは、高いたか〜い天井にはめられた天窓だけ。
まさか、あの窓まで壁をよじ登って行けってわけじゃないよねぇ......。
もしくは、あそこから縄梯子でも降ってくるんだろうか......?
天窓を仰ぎ見ながら「あはは......」と苦笑するしかなかった。
どう頑張っても私の頭ではそれ以外の方法は考えつかず、絶望とも虚無ともとれる感情が押し寄せる。
しかし、そこしか外に出る所が無いのであれば__
「やってみるか! ボルダリングなんてしたことはないけど!」
こんな何の突起もないツルツルの壁面を、はてさて、どうやって登ろうか?
カエルやイモリのように手のひらに吸盤がついていたら楽々登れるのだが、残念ながら 人間の手に吸盤はない。
ツルツルのお高かそうな石壁をジーーッと睨んでいると、いきなり眼前の壁から「ガコンッ!」という音がしたかと思うと、続いてスライドドアが開くように左からスイーッと壁が消ていくではないか!
「へっ!?」
開いた壁の向こう側には、60代とおぼしき穏やかな顔立ちの男性が額に汗して立っている。
身長は170センチくらいかな? テレビで見たことのある教会の司教が着ているような白くて長い服を着て、ストラみたいなものを身につけている。
異世界出身の私でも、服装だけでこの人物が神に仕える職業であることがわかる。
「あ……あなたが……、神子さま……ですか?」
かなり呼吸が乱れている。ここまで走ってきたのか?
この服装だとさぞ走りにくかったことだろう。
神官とかって運動とかしてなさそうだし__
「はぁ、そうですが」
やはり神子と呼ばれるのは少々気恥ずかしい……
そういえば、私が警察官になり初めて「おまわりさん」と呼ばれた時の感覚に似ているかも。
あれは、嬉しくも恥ずかしい体験だった。
いやいや! そもそも警察官はなるべくしてなった職業であって、そう呼ばれることは至極当然なことだ。
あの時は「あー私は警察官になったんだ……」という実感をかみしめただけだったが、神子は……神子は、こう、何かが違うっ!
私は一人百面相をしていたようで、神官は不安げなというより、怪訝な顔で私のことを見ていたのだが、私自身は全く気付いてはいない。
「み、神子さま、あの……」
やっと言葉を発した神官の声に、私はハッ我にかえった。
そうだった! ジュライが言っていた「お迎え」が来ていたんだった。
「あはは。ごめんなさい。あまりにも意味の分からないことばかりが起きたので、混乱して」
取りつくろうように、私は頭を掻きながら笑ってみせた。
神官は少しほっとしたような表情を見せ
「女神子さまであらせられるのですね。私はレニ国第一神官であり、司教のセクリアと申します」
これまたよく見ると、大御所の映画俳優のようなイケオジ。
残念ながら私は老け専の趣味はないので、こちらもまた恋愛対象外。
「眼福」と感謝して終了です。
そもそも出てくる人すべてを恋愛対象として見ている自分もどうなの? って感じだ。
確実に乙女ゲームのやり過ぎによる副作用だな。
ここは異世界ではあるが、今の私にとっては現実であり、ゲームや物語の世界ではない。
当然、次々現れる登場人物は攻略対象ではない。
そこのところを今一度肝に銘じて、気を引き締め直す。
「初めまして。私は高原千穂と言います。よろしくお願いします」
名を名乗った後で、本名を名乗って良かったのか? と少々不安を感じたが言ってしまったものはしょうがない。
平安時代のように本名を使い呪詛をかけられたりすることは、まぁ無いと信じよう。
「こちらこそ。よくおいでくださいました」
セクリアと名乗った神官はうやうやしく頭を下げた。所作が洗練されている。
頭を上げたセクリアさんはさっと横へ移動し、私が小部屋から出られるように道を開けてくれた。
「外に馬車を呼んでございます。どうぞこちらへ」
「はぁ」
そつがない。
大理石のような石で作られた小部屋から、私は一歩外に歩み出た。
小部屋の外は荘厳な教会のような場所だった。
見上げる程の高い天井と真っ白な壁。左右の壁面にはステンドグラスの窓が並ぶ。
私が知ってる教会と違うのは、人が座る長椅子がないことと、祭壇に十字架やキリスト像、マリア像が飾られていないこと……その代わり正面には紋章らしき模様の入った、大きな赤い布が垂れ下がっている。
私が出てきた小部屋は正面向かって右側にあり、小部屋への入り口は開いたまま壁がパカっと口を開いているような状態だ。
「神子さま、少々お待ちください」
私を小部屋から5メートルほど離したところでセクリアさんは小部屋の前に戻り、開いたままの小部屋の入り口に右掌を向けて何かブツブツ唱え始めた。
ほどなく彼の周囲に白色の小さな光がポツポツと現れ、それらの光はセクリアさんの右掌へと集まり一気に光量が増し、開いていた小部屋の出入り口右側からスイーッと壁が出来上がっていき、完全に小部屋の出入り口を消してしまった。
小部屋の出入り口は見事に他の壁と同化し塞がってしまった。
とても壁の奥に小部屋があるなんて想像出来ない。
「これが、魔法……」
初めて見る光景だった。光る掌をかざすだけで何の道具もなく壁が出来上がった。
「お待たせいたしました……神子さま?」
私は初めて見た魔法というものに、嬉しさと感動で動けなくなってしまった。
視線は魔法で作られた壁に釘づけだ。
「神子さま、いかがなされましたか?」
セクリアさんに声をかけられて、我に返る。
「えっ? あ……その……魔法って初めて見たから、ちょっと感動して」
つい、慌てて弁解じみたことを言ってしまう。
「そうでしたか。私は聖の魔力を持っています。この世界には他にも多様な魔力がございます。よろしければお教えいたしますよ」
「本当ですか! 是非是非! 教えてくださいっ!!」
嬉しさのあまり、目を爛々と輝かせて思いっきりセクリアさんに詰め寄る。
完全にセクリアさんが引き気味になっていたのだが、楽しいこと、興味のあることには盲目的に突き進んでいってしまう。
少しは落ち着いて周りのことも気にしなければと思いはするが、こればかりは治らない。悪い癖だ。
「み、神子さま、まずは馬車で王宮へ向かいましょう。お話はその後で……」
苦笑しながら、セクリアさんが両手をゆっくり上下に動かして、私に落ち着くように促す。
仕事中に「まぁまぁ落ち着いて」という場面で私もよく使うジャスチャーだ。
このような仕草って、万国ならぬ万世界共通なんだな。
あ、でも日本のジェスチャーが他国で別の意味を持つものもあるんだっけ! 極力、自分 からジェスチャーを使うことは避けた方がいいかも。
郷に入っては郷に従えだ。まずは、こちらの世界を知ることが大事かな。
「ささ、こちらでございます」
セクリアさんは私の前に立ち、教会らしき建物のドアを開けた。
眩しい光が薄暗い建物内に入ってくる。 扉の向こうには、初めて目にする光景が広がっていた。
未舗装の道、建物は西洋風。 行き交う人々は“いかにもファンタジー漫画に出てくるような、簡素で動きやすい服”を着ている。
「神子さま、こちらへ」
セクリアさんはメリーゴーラウンドにあるような馬車の前で、扉を開けて待ってくれていた。
車体に繋がれた二頭の栗毛の馬のうち、一頭がブルンと頭を振った。
礼服ではなく、騎士と思われる服を着た御者が私を見下ろしている。
『鋭い目つきの男だな』
柔和な表情のセクリアさんとは違い、目つきのせいで無愛想な印象を受ける。
無言だが「早く乗れ」と目で語りかけてくる。
仕方なく馬車に乗り込もうと、ステップに足をかけた__
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