キスの温度
うんざりしている二人を前に、私はニコニコ顔。
「ようこそ、水越沙耶の恋愛報告会へ」
「また、バカなことを言ってる」
いつものように辛口の弥生だけど、私はまったく怒らない。
マコだっていやいや顔だけど、聞きたくて仕方がない顔をしている。隠しても私には分かるんだから。
今日はすき焼きを奮発しようと、二人を呼んだ。食べ放題だけど、それだって高級なすき焼きだ。奢ってあげるんだから、話を聞いたっていいじゃない?
「お肉は食べても大丈夫なの?」
マコが心配してくれた。
「んぐふ、ふふふ……週末に体力を使い果たしちゃってね、補給しなくちゃいけないの」
「ばーか」
「何よ! いいじゃない!」
弥生は幸せな私を妬んでいる。だからすぐにこういうことを言うのだ。
「ほら食べなさいよ」
「んん、うぐ……おいひぃ」
霜の降った上質な牛肉と新鮮な野菜。しめはうどんか雑炊。甘じょっぱい香りが立ち込めて、生卵に付けた肉がキラキラと輝く。
私の口を塞ぐように弥生が肉を食べさせた。口に入れた途端、溶けてしまう脂。
食べていて思い出したことがある。
「ねえ! 何を食べたらこんなに可愛い顔になるんだ? って言われたの!!」
社長の言葉を思い出して、うっとりしながら言うと、さすがの弥生も前のめりになった。
「嘘でしょ……どっからそんなキザな台詞が出るのよ」
「ほんと」
マコは肉から目を離さずに言う。女の前では大食いで、男の前ではピンチョスひとつなんて、あまりにも態度が違いすぎる。
「さすが五つ星」
「でしょう?」
「で、どうしたの?」
「そうよ、そうよ、その言葉のあとよ。あったの、あったのよ。やっと解禁よ」
「凄かったでしょ? お互いに禁欲状態だったんだから」
「社長は紳士だからそこまで野獣じゃないわよ。でも弥生が言っていた通り、求められて求められて、休む暇なんかなかったわ。落ち込んでばかみたいだった」
といいながらにやけが止まらない。
「言った通りじゃない」
弥生は満足げ。
ドレスと美容院、クルージングの話しから始まって、メインの夜の話し。食べる時間も勿体ないくらいで、しゃべりまくる。食べ放題の料金は、話せれば帳消しになる。
「美しいって言葉知ってる?」
「当たり前」
「言われたことある?」
「あるわけないじゃん」
ねえっと弥生とマコは言った。
「何度も何度も囁くの……」
「ほう……」
「それに、ほんとうに好きな人とキスをすると足がぴょんて跳ねるってやつ、なんだっけあの映画、お姫様のやつ」
「プリティプリンセス」
休みなく食べているくせに、ちゃんと聞いているマコも、隙が無い。
「そうそれ! それ! そんなの映画のなかだけだって思ってたけど、本当に跳ねたの! びっくりでしょう? こうやって、こう、こうよ」
立ち上がってその足を再現した。
大きく頷いて、弥生が言う。
「ねえ、沙耶」
「ん? なあに?」
「話をしすぎて声がしゃがれてるわよ」
「え!? ほんと?」
ほらと言って、お茶を飲まされた。
テーブルの上には、空いた肉の皿が積み重なって、女三人で食べたとは言えない量だ。ほとんどマコだけど、感心するほどよく食べる。食べ放題にして良かった。
私は話しに夢中で時々、弥生が口に運んでくれる肉を食べるばかり。恋で胸がいっぱいの私は、お腹も空かない。
「これからどうなるか分からないけど、羨ましい。私もクルーザーに乗りたいなあ」
マコが食べる箸を止めずに羨ましそうに言った。
「私だって乗りたいわよ」
辛口女子の弥生も言った。やっぱりみんなこういうことをして貰いたいのだ。
「お弁当も作ってもらった」
「え!? 料理まで出来るの?」
「そうなの、それもプロ並み」
「いいじゃない、沙耶は何も出来ないんだから」
驚いたマコとは別に、やっぱり弥生は辛口。
「いいじゃない、出来なくたって」
「そうよね、もし、結婚したとしても家政婦さんを雇えるもんね」
なによ、「もし」って。
「羨ましい反面、沙耶のことが心配」
「どうして?」
「社長と秘書だよ? 社内恋愛が禁止されてないからとはいっても、オープンに出来ない関係は、長続きしないような気がしてならない」
弥生は、辛口だけどいつも心配してくれる。
「それは私も感じてる」
私だけじゃなく、弥生やマコも同じことを思っているんだ。社長の妻にはなれないって。
「付き合っているのを周りに知られないようにするなら、徹底しないと沙耶に傷がつくよ? 想いが叶って本当に良かったと思うけど、悲しみしか残らない恋愛は、沙耶には向かない」
「ありがとう、心配してくれて」
恋に恋して熱を上げてしまっている私を、冷静にさせてくれるのはやっぱり友達。
「でも初めから終わりがあるって分かっているなら、後悔しない最高の恋愛になると思うけど? 社長なんだし、クルーザーみたいな別世界を見せてもらって、プレゼントも買ってもらって。楽しめばいいじゃない。割り切ることも重要よ?」
恋愛は楽しむ派、と公言する弥生でも私の恋愛に関しては、慎重派になる。だけど、恋愛したら結婚を意識するというマコは、私には遊べと言ってまるで他人事。
「なんでも買って貰ったら愛人じゃない」
「そうじゃないわよ、経験よ、経験。上流階級の男と付き合うなんて、宝くじがあたるより難しいんだからさ、人生においての思い出だと思えばいいじゃない。経験や体験はお金じゃ買えない貴重な宝になるんだし」
「なんだか寂しいけど」
ばくばく食べながらマコが言うけど、その食べっぷりといったらない。ここまで大きく口が開く女を見たことが無い。
「買ってもらった物は高額で転売するか、私達にお友達価格で売ってよ」
「なによ! ふざけて」
「社長もそのつもりで付き合ってたとしたら?」
「え?」
弥生に言われるまで、思っても見なかった。自分が期限付きの恋愛かもしれないと思っているということは、社長も同じように思っているかもなんて、そんなこと少しも考えなかった。
「弥生が言ったことは冗談よ、冗談」
マコが笑い飛ばしてくれたけど、ズキリと心に刺さった。この痛みは、この現実から目を背けていたことかもしれない。
「沙耶の恋愛に水を差すわけじゃないけど、社会的地位の高い男が独り身で、なんの色恋沙汰がないのがおかしい」
「あ、それは私も思った」
マコは食べるのに夢中だったくせに、そういう時だけ反応がいい。
「経営者だったら、後継ぎだって重要でしょう? 子供の一人や二人いたっておかしくない年なのに、独身なんてありえない」
「でも本当に何もなかったもん」
長いこと社長秘書をしている私が証明する。何もなかった。
「さすがに結婚歴があったとは言わないけど、婚約までしていたとかはあったかもよ?」
「……」
「沙耶、いいじゃん、もしそんなことがあったって、今は沙耶の彼氏なんだし、ね?」
「うん」
「平凡が一番よ」
「……うん」
さすがに不安になると、マコが慰めてくれた。弥生も悪気があって言ったわけじゃなことは、友達である私が良く知っている。面倒見のいい弥生が心配しているだけだ。
「しかし、こうも綺麗になる?」
「うん、確かに」
二人はまじまじと私の顔を見た。しゅんとなっていた私は、元気が復活する。
「そんなに綺麗になった?」
「うん」
「二人の言うことは信じる」
「うん、本当に綺麗になった」
「急にしんみりとしないでよ」
「いい恋愛をしてよ?」
「うん」
弥生は心から心配してくれている。
恋愛初心者に近い私が暴走しないように、ブレーキをかけてくれているのだ。
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