18

翌朝出勤すると、正面玄関で社長を待つ。社長は自分で車を運転して通勤しているので、いつものように社長を出迎える。

玄関で車を停めると、斎藤さんが駐車場へ車を止めに行くのだ。


「おはようございます」

「おはよう」


颯爽と車を降りて、斎藤さんと代わる。キーを運転手に渡すだけでも、なんとカッコいい仕草か。ハリウッド俳優も真似できない。そして隙がないさまは、毎日見ていても飽きない。

見とれている場合ではないと、私は首を振る。

社長からバッグを受け取り、エレベーターに乗るまでに、今日一日のスケジュールを簡単に伝える。

日頃デスクについて伝えているが、時間がないときは、歩きながらが鉄則となる。


「本日、役員会議、営業部の戦力会議、それから、同じく開発部による新薬の進捗状況の報告がございます」

「分かった」

「それから、私事ではございますが、有休を申請したいと思っております。業務が滞ることなく引継ぎは致しますので、ご安心ください」


よし、言えた。


「……休むのか?」


社長が立ち止まった。いつもの「分かった」ではなかった。絶対に、十中八九「分かった」と返事をすると思っていた私はただ、きょとんとしてしまった。

有休が欲しいと言うことでさえ勇気がいることで、覚悟を決め一気に言ってしまえばいいと思っていただけに、鼻をへし折られたような気分になった。

何か勢いがないと絶対に言えないと、昨夜の勢いとは打って変わって小心者になっていた。後に残すと一日がそのことで一杯になってしまって、何も手につかなくなってしまう。その日の予定を伝える時に、一気に言ってしまおうと考えていた。


「何日だ?」


エレベーターに乗り込むなり、開口一番社長が聞いた。


「申し訳ございませんが、一週間程休みたいと思っております。人事課より有休を消化するようにと、再三言われておりまして、どうしようかと思っていたところでございましたので。まとめて休んだ方が、効率もいいかと判断いたしました」


私の背後に社長が立っている。背を向けて話すわけにも行かないので、社長に横向きになって話す。


「考えておく」

「慈善パーティーなど、行事がつまってございますが、それが終わってからと言うことでお願いいたします。今日、明日と言うことではございません」

「考えておく」


考えておくとはなんだ? 私の頭のなかはハテナマークで埋まった。

それに、なんだか不貞腐れたような低い声。

有休は社員に与えられた当然の権利だ。いつものように、「分かった」と一言いってくれればいいだけなのだ。

確かに、一度に一週間申請するのは好ましくないが、こぼれ落ちてゆく有休は、社長でも救い上げることは出来ないのだ。今どきの夏休みだって一週間なんだから、そんなに無理な日数ではないはず。夏休みだって、まともに取ってないというのに。

まさか、取ってはならないとでもいうのだろうか。私は、嫌な不安を抱えたまま仕事をしていた。


「部長」

「ん? ああ、水越君」


パソコンから顔を上げ、私を見上げる。


「有休を申請したいのですが」

「やっと取る気になったか」


若いころはスマートで、モテたというのが口癖の部長は、どっぷりと脂肪のついたお腹の上に手を組んで乗せた。

男性であっても秘書課の一員であるなら、この体形はいただけない。


「ずっと取りたかったんですよ? 休みが嫌いな人なんていません」

「まあ、そうだが。で、社長は?」

「考えておくとだけ」

「考えなくても取らせてやってくれよう、ねえ」


部長は、デスクにいる秘書たちに同意を求める。秘書たちも、私に同情しているのか、強く頷く。


「じゃあ、部長が言ってくださいよ」

「お考えがまとまるまでまっていなさい」

「部長~!」

「私も人事課から休ませるように言われていたんだよ。でも相手が社長だろ? 言えないじゃないか」

「え~ 代わりの予定を組んでくださいよ」


秘書課を見渡すと、一斉に私から視線をずらした。さっきとは全く違う。これだから休めないのだ。もう、みんな嫌い。

神原さんだけは、私に同情の顔を見せてくれた。経験を積んで、独り立ちしていたらきっと「私が水越さんの代わりを」と申し出てくれたに違いない。


「まあ、その時になったら、皆で協力するから」

「お願いしますよ?」


私は休みに何をしようかと考えるほど、取得を楽しみにしていた。

考えておくと返事があるとは、想像もしていなかった。休みを取っていないのは、社長が一番よく知っている。

気分よく仕事が出来たのは、休みが取りたいと言った時までで、今は本当に腹が立っている。


「もう! 胃も痛いじゃない」


あの夜のことだって男のくせにうやむやにして。あんなに無責任な男だとは思わなかった。

キリキリと痛む胃に、また薬を飲んだ。


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