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翌日出勤すると、秘書課のみんなは、私が仮病を使ったとは知らずに、心配の声を掛けてくれた。非常に申し訳ない。
「水越さんが風邪で休むなんて、滅多に、いや、初めてじゃないですか? もっと私がサポートするべきでした。申し訳ありません」
ずる休みをした私に、自己反省ともとれることを言ったのは、やっぱり神原さんだ。彼女は本当に優しく思いやりがある。心が綺麗な彼女を前にして、汚れ切った私の心は申し訳なさでいっぱいになる。
「そんな風に言わないで? 神原さんのせいじゃないんだから。本当に迷惑をおかけしました。ついうたたねしちゃったら、熱が出ちゃっただけなの」
「やっぱり、こき使われすぎなんですよ、社長に」
「無理できない年になったのかしらね」
「ご冗談を」
こんなことを言われてしまって、心配して自宅まで来てくれた社長に申し訳ない。
「昨日は? 大丈夫だったの?」
「部長が予定を伝えに行って、それからは用があれば呼ぶっておっしゃって。でも全く出番なしでした」
そんな気はしていた。近寄り難い雰囲気の社長に、私以外の秘書は拒否をする。さらに、社長は私にしか仕事を頼まない。そんな状態で仕事をしているから、婚期も恋愛も逃すのだ。
自分だけを信頼し、信用して仕事を任せてくれているのはいいけれど、本当に病気になった時が怖い。
私の代わりはいくらでもいる筈なのに、それを思わせない社長が悪いのだ。
顔を出しづらいが、既に仮病と知られているし、言い訳も通用しない状況なのだから、いつも通りに仕事をする。手早く朝の新聞をまとめ、コーヒーを淹れると、社長室に向かった。
「おはようございます。新聞でございます。コーヒーです」
「おはよう」
社長はいつもと変わらなかった。
「あの……昨日は……」
消え入りそうな声で言って、持って来たジャケットを渡す。
「ああ……」
「ありがとうございました」
「風邪は治ったようだな。良かったよ、元気に出勤してくれて」
朝から嫌味だ。風邪じゃなかったことを知っているのに。
でも顔は笑っている。おかしい、社長がおかしい。笑っている。嫌味じゃないのかも。
「風邪じゃないこと知ってるくせに……」
いけない、心の声が出てしまった。
「何か言ったか?」
「いいえ、何も……」
「ならいい、今日の予定を」
絶対に聞こえた。だって、笑いを堪えているもの。
何を考えているのか分からないだけじゃなくて、意地悪なんだ。腹も立つけど、社長が悪い訳じゃなく、ずる休みをした私が悪いのだからしょうがない。
「はい、申し訳ございません。本日のご予定です」
私は少なからず、社長との距離が縮まったと思ったところだったのに、これでは前進どころか、後退もいいところだ。本当に悲しい。
「以上です。本日もよろしくお願いします」
「ん」
淡々と予定を告げると、社長室を出る。私も色々と抱える年齢で、頭の中に隙間がないほど、考えることがあり疲れ切っている。
辞めようかと初めて思うようになったこの頃に、追い打ちをかけるような出来事があって、期待したのが悪かった。
「社長も様子がおかしい。何か企んでるのかしら?」
この日の夜も自宅に帰ると、弥生に電話をした。
『ふんだりけったりね』
「そうでしょう?」
『で、その後の変化は?』
「変わらない。どうして何も言わないのかな」
『男ってさ、好きな女じゃなくても抱けるのよ。分かるでしょう?』
それは分かっていたことだけど、口に出して言われたくなかった。
「分かるけど、今回はそうであって欲しくないわよ」
『気持ちはわかるけど、時間も経っているし、変化も無し、何も言ってこない所を見ると、そう思っても仕方ないわよ』
「うん」
『男が目の前に美味しいものがぶら下がってたら、食べちゃうのは当たり前。社長も男だったってことよ。沙耶もきっぱり諦めて、合コンしようよ。最近いい男を見つけたからさ』
「そうしようかな」
『失恋には次よ、次の恋。若い時の時間は貴重なのよ。いつまでも引きずってたら、いい恋が逃げちゃうわ。失恋には次の恋が一番の薬。忘れなくてもいいから、あきらめなくちゃ。特に沙耶の場合は、社長だし』
「的確過ぎて何も言えないわ」
忘れなくてもいいから、諦めなくちゃ、か。確かにそう。こんなに大好きなのに忘れるなんて出来ない。それでも諦める作業に入らないと、一生結婚が出来なくなってしまうかもしれない。今の時代にありえないなんて思ってたけど、やっぱり、身分違いの恋は実らないんだ。
弥生に電話をして、話すだけでも心が軽くなるし、誰にも言えなかった恋を、やっと言うことが出来たのは、胸のつかえみたいなものが取れて嬉しい。
次にする恋はハードルが高そうだ。それでもとどまっている訳にはいかない。弥生が言うように、若い時の時間は貴重なのだ、前へ進まなければいけない。
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