2話 異国の少女
実家に向かうケンヴィードの足どりはとてつもなく重かった
実家が嫌いではないが、近づくに連れ気が滅入ってくるのは何故だろう。
おそらく火蜥蜴御殿に帰れば、間違いなく父は自分を束縛してくる。
縁談とか押し付けられるだろうし、下手すればこのまま軍を除隊しろと言われるかもしれない。
そんな押し付けがケンヴィードにはぼんやりと予想できていた。
そんなことを考えながらケンヴィードは馬に乗りゆっくりと実家へと戻ろうとした道中だった。その事件が起きたのは。
ドサッとケンヴィードの馬の目の前に一人の少女が倒れ込んできた
驚きのあまりけたたましく鳴き声を上げる黒毛の馬。
ケンヴィードは慣れた手綱さばきでそれを宥めながら彼女を見た
その眼の前には三人位の若い魔血貴族が立ちふさがっていた
「おいお前、俺の肩にぶつかっておいてその態度は何だ!」
魔血貴族は怒り心頭な表情で彼女に食いかかってきた
「第一ここは魔血の神聖な地域だ!お前みたいな非魔血の…しかも異国の汚え肌の女がほっつき歩くのは許されねえんだよ!」
その言葉を聞いてケンヴィードは彼女をちらりと確認する
長く真っ直ぐな黒髪の少女の肌は褐色――つまり東方の夜美ノ民の特徴だった。
「おい何か言えよ!すいませんでしたって言え!」
魔血貴族たちはそんななにも言わない彼女を痛めつけるように黒い髪を掴み上げた
ケンヴィードはそんな眼の前の茶番にひとつため息を付いた
そして腰からすっと魔剣『サラマンダーテイル』を取るとそのままその魔剣を少女に絡む魔血貴族に向かって投げ放った。
『サラマンダーテイル』は豪速で魔血貴族の眼の前をよぎりそして石畳に突き刺さる。
あまりにも一瞬の出来事で魔血貴族たちの顔は青ざめていた
「邪魔だ」
ケンヴィードは怒気をこめて一言そう言い放つ
その圧倒的な存在感に魔血貴族たちは一瞬で震えあがった。
「ああ、すいません。まさか魔法騎士団の御方がいらっしゃるとは…」
魔血貴族たちは尻尾を巻くように一言そう言うと蜘蛛の子を散らすようにその場を後にする。
ケンヴィードは不機嫌そうにもう一つため息をつくと右手を虚空へとかざす。
次の瞬間石畳に突き刺さった魔剣はふわっと浮くとまるで収まるところに帰ってくるようにケンヴィードの右手に吸い寄せられた。
「お前、どこの屋敷の下働きの娘だ?」
ケンヴィードは石畳に座り込む異国の少女を見下ろしながら一言そう聞いた
彼女は漆黒の大きな瞳でケンヴィードをみながらゆっくりと立ち上がる
「助けてもらいありがとうございます」
彼女は一言そうケンヴィードにお礼を言うと土で汚れたスカートを叩くとそのままその場を去ろうとした
「待て」
ケンヴィードは一言彼女を制止させる。
彼女は怯えたような黒い瞳でケンヴィードを見上げた
「どこの女中か知らないが、ここは魔血が多く行き交う場所だ。また先程みたく魔血に絡まれるのも時間の問題だぞ」
その一言に彼女は少し困った表情を浮かべケンヴィードを見た
「じゃあどうしろって言うのですか?」
その問いを聞くまでもなくケンヴィードは急に馬を鐙を蹴りそのまま走り出した
そして間髪入れずに彼女の褐色の腕を掴み取るとそのまま彼女の体ごと馬に飛び乗らせた。
「ちょっと!何するの――!」
「何って、送ってやるんじゃないか…」
「送るって私を?そんなの聞いてない――」
「だから暴れるな。こっちのほうが一人で帰るより絡まれる確立は少ないだろ」
馬上でジタバタ暴れる彼女をなだめるようにケンヴィードは一言言った。
その言葉を聞いて彼女も一理あるようでそのまま大人しくなった。
「あなた変わった魔血ですね」
彼女は一言そう言うとケンヴィードを見た
「じゃあ、火蜥蜴御殿…ティアマート邸に送ってもらえませんか?」
「え…?」
この夜美ノ民の少女、俺の実家の女中なのか――?
その言葉にケンヴィードはかなり動揺したがそれを冷静に取り繕った
「なかなかいいところで働いてるんだな…」
ケンヴィードは一言そういうと馬の鐙を蹴りそのまま風になるように馬を走らせた。
移ろいゆく景色の中ケンヴィードはあえて自分の身分をギリギリまで隠そうと思っていた。
そんな中前に乗る彼女は不意に口を開いた。
「あなたは魔法騎士団の方ですよね…」
その問いにケンヴィードは淡々とした口調で答えた
「そうだが…それがどうしたんだ?」
「いえ…」
そう言うと彼女は低い声で一言ケンヴィードに聞き返した
「ケンヴィード様ってどういう御方なのかなって聞いてみたかっただけです…」
その質問にケンヴィードはまた少し動揺したが、彼女をからかうつもりもあり敢えて自分を偽って答えた
「ああ、まあ同僚だし少しは知ってるが…」
「ほんと?」
彼女のその無垢な瞳にケンヴィードは少し嘘を言うのが忍びない気分に陥りそうになったが、あえて自分の悪評を広めるのもいいかと思い言葉を続けた。
「あまり期待しないほうがいいぞ。ケンヴィードって男は英雄になって天狗になっている。女癖も悪いし育ちがいいのを鼻にかけて悪評しかない奴だ」
ちょっと言いすぎかな――
自分の悪評を言いながらケンヴィードは少し彼女のことを思い反省した
とうの彼女はその一言を聞いてそれ以上聞き出すことを諦めたように黙り込んだままだった。
まあ自分がどれほど悪く思われても関係ない。
所詮異国の民の下働きの少女。自分とは相容れない関係であるはずだから。
その時はそう思っていた。
やがて馬を走らせていくと一際大きく豪奢な屋敷、所謂『火蜥蜴御殿』と呼ばれる選帝侯サランド公爵邸が見えてくる。
ケンヴィードはそのまま正門から屋敷に入るとそのままエントランスに馬を止める
彼女はてっきり裏側に行くものだろうと思っていたのだろう。急に堂々と表玄関に着けられて少し動揺しているようだった。
「ほら、ついたぞ」
ケンヴィードは一言そう言い彼女の手を取り彼女を馬からおろしてあげた
彼女は呆然とした様子でケンヴィードを見ると言葉を発しようとしたその時だった。
「これは、坊ちゃま。お帰りになるなら申されてもらえればお迎えに上がりましたのに」
そう言ったのはティアマート家の執事長。
そして使用人たちはケンヴィードの周りにずらりと整列し始める
そんなケンヴィードを彼女は驚きの表情を浮かべ一言言った
「私を騙してたの?」
その一言にケンヴィードは口元に小さく笑みを浮かべただけでそのまま居並ぶ使用人たちの真ん中を堂々と歩き始める。
「ちょっと無視しないでよ!」
「こら、ユノ!」
そんな彼女に非魔血のメイド長は一言叱責する
「あの方がティアマート家の跡継ぎのケンヴィード様だよ!」
その言葉に彼女はただただ呆然とケンヴィードの後ろ姿を見送るしかなかった。
それが出会ってはいけない運命の相手との邂逅だとはケンヴィードもユノも気づいてはいなかった
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