第2話「あの時、俺は自分の正義を手放した。精神的な支柱を」
――3年前、俺たちがまだ俺たちだった頃。
剣士のバッカス、魔法剣士のレオ兄、そして魔術師の俺。
まだ、俺たちが3人のパーティだった時の話だ。
……過去を語るときには、自惚れが混ざる。
それを差し引いても当時の俺たちは、同世代の冒険者の中でもトップクラスに居たと思う。人数に比して誰よりもダンジョンの深くに潜ることができていたし、だからこそ稼ぎも多かった。
あと一歩、もう一歩だけ大きな成功を挙げることができたのなら。
歴史的な遺物の発見、純粋に大きな金になる宝物、あるいはモンスターの討伐。
もう少しばかりの名声が手に入れば、Aランクに手が届くのではないか。
そんな一線を越えることができると思っていたころ。
ダンジョンの最奥に潜る仕事があった。
ちょうど、俺が女になってしまった時と同じだ。
ギルドが直接、腕利きの冒険者を集めて普段は潜れない深い所まで潜る。
これを行うことでダンジョンの未開地を少しでも潰していく。
そういう仕事の最中だった。
――グランドドラゴンが出没した。
翼こそないものの、現代人が戦うには充分過ぎる強敵。
スライムよりも危険と類される怪物だ。
最初に接敵したパーティは壊滅していて、そこに俺たちが駆け付けた。
怪我人を守りながらの戦闘、かなり不利な条件だったが、それでも。
今の俺とバッカスだけでは勝つことはできなかっただろう。
しかし、当時の俺たちならできた。まだレオ兄が冒険者だったあの時は。
『――お前たちに折り入って、頼みがあるんだ』
グランドドラゴンに崩された戦列。
本来であれば無事に撤退する方法を模索するべき時間。
あいつは、俺たちに取引を持ち掛けてきた。
『今回の手柄が欲しい。もちろん対価は用意しよう』
……ちょうど、我が国の王子サマが同行していた。
深く潜る作業だというのに随分と呑気だと思っていたが、まさかこんなことになるとは思っていなかった。
実際に開拓を行う俺たちよりも重装備の精鋭を連れておきながら、グランドドラゴンやそれ以外のモンスターと戦うこともなかった彼らは、俺たちの手柄を要求してきた。
グランドドラゴンを討伐した、という分かりやすい名誉。
それをまだ若い第三王子のために献上することを求められたのだ。
何をバカな――俺はそう答えようとした。
こんな理不尽を飲む必要はない。ここで戦わなくて何が戦士だと。
『――無理だ、フランク。ここは飲むしかない』
『っ、なんでだよ、兄貴……!!』
動き出そうとした俺をレオナルドが制した。
相手に聞こえないように耳打ちをした。
『バッカスの傷は深い。相手は国軍、数で負けている。俺たちに勝ち目はない』
『だからって、こんなふざけた話を飲むのか! 俺たちの未来が――』
『――無論、タダで済ませるつもりはない。まぁ、見てろって』
思えばニヒルに笑うレオ兄を見たのは、あれが最後だったかもしれない。
スッと前に出たレオナルドは、手早く交渉を進めてみせた。
俺たちが得るべき名声の代償として、限界まで対価を釣り上げたのだ。
……きっと兄貴は俺よりもずっと上手くやった。
バッカスが今も無事なのは兄貴のおかげと言っても過言ではない。
あの場で俺が意地を通していたら、誰が死んでいてもおかしくなかった。
『まぁ、悪くない話だったろ?
お前の無念も分かるが、その慰め程度にはぶん獲ってやった』
ダンジョンから帰った後、名誉と引き換えに受け取ったそれなりの報酬を前に兄貴がそう言った。俺がこういうことを嫌う人種だと分かっていながら。
『……っ、俺はやっぱり納得できねえよ』
『フランク……これはもしもの話だが、口封じが送り込まれてくるかもしれん』
レオ兄はいつも通り先を見つめていて、俺は兄貴の考えにゾッとした。
そして言われて初めて、確かにあり得ると思い至った自分の甘さに。
『――もし、奴らがその気ならば、俺も全力で報復をやる。
今はそれで許してほしい、フランク』
結局のところ、レオ兄が予測した口封じは送り込まれては来なかった。
それから少しのことだ。兄貴は冒険者をやめた。
兄貴が貯めようとしていた金額に到達したのだろう、あの報酬で。
俺たちから名誉を奪った王子サマは戦争へ赴き、その立場を盤石にしたと聞く。
そして、あのクソ王子と結託したギルドの人間アダムソンは、しばらくしてギルド長になった。上の人間に胡麻を摺ることに長けているだけで出世したのだ。
そんなあの男が、女になった俺の事をあっさりと追放した。
これが顛末だ。俺という冒険者が、この稼業の中で味わったものだ。
「……すまない、嫌なことを思い出させてしまったね」
先生の言葉を前に、首を横に振る。
そこまではできたけれど、言葉を返すことができなかった。
思い出した過去に押しつぶされそうになっていたから。
「っ……先生に言われて、初めて明確に自覚したよ」
あの一件で、俺だけが取り残された。いや、俺とバッカスだけが。
確かにそれなりの金は手元に残ったが、それだけだ。
3年程度で気軽に引っ越せなくなるくらいの金額でしかなかった。
そんなもののために俺は意地を捨てた。
生きていく中で当然に信じていられる正義を、捨てたのだ。
最後の最後に踏ん張りを利かせるための拠り所を、俺は失った。
「あの時、俺は自分の正義を手放した。精神的な支柱を」
今日の今日まで明確には自覚していなかったこと。
それをピタリと言い当てる洞察力。
同時に俺が冒険者をやめるまでそれを口にしなかった配慮。
シルビア・クリスタラーという医者が本物であることを実感する。
「人生とはそういうものさ、妥協を飲まなければいけないときもある。
けれど、私は君の無念を否定したくはない。
私には当時から、あの竜退治の真の立役者は見えていたのだから」
ッ、全員が口裏を合わせていたというのに……。
「だが、それはそれとして過ぎたことは変えられない。
君の身に起きたのは望まぬ不幸ではあるが、これを機に戦いから離れることだ。
たとえこの先、私が君を治す手段を見つけたとしてもね」
――スライムに襲われておきながら、命があっただけ良いと思うべきだ。
そんな風に自分を納得させることは容易い。
実際にギルドから追放された今、打てる手立てもないのだから。
「きっと、俺が元に戻れるころにはもう無理ですよ、年齢的に」
「30歳程度が最前線で戦う魔術師の限界ではあるからね」
俺の言葉に静かな笑みを浮かべるシルビア先生。
そんな彼女の胸の奥を、俺は読み取ることができなかった。
「……もう1杯、飲んでいきたまえよ。今日はぶどうもあるんだ」
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