第1章「亡国のレコンキスタ」・第1節

第1話『背負った傷口が語る真実は、当人の口先よりもずっと雄弁だ』

『――傷痕を見れば、人生が分かる。

 背負った傷口が語る真実は、当人の口先よりもずっと雄弁だ』


 それが先生の口癖であり、哲学だった。

 俺がこんな少女の身体になるずっと前からのかかりつけ医。

 冒険者ギルドに雇われ、幾人もの冒険者の傷を治してきたお医者様。

 シルビア・クリスタラーという女医の信念だ。


「まだ新しい傷は負っていないようだね、フランクくん」


 脱いでいた衣服に袖を通している間、先生にそんな言葉を掛けられる。

 冒険者ギルドを追放された身だが、シルビア先生は俺の事を最後まで診ると言ってくれて、ギルドに設置された診療所での治療を許されているのだ。


「まぁ、もう冒険者じゃなくなりましたからね。なかなか怪我することも」

「うむ、良いことだ。おかげで私の診察が通用しない」

「傷痕がないから何も語ってくれないと?」


 俺の言葉に頷く先生。


「といっても君の生活に変化があったのは分かる。

 化粧を覚えたな? 誰に教えてもらった? レナくんかい?

 いや、しかし、髪からの香りが彼女のそれではないな」


 ひえーっ、本当によく見てるな、この先生は。

 髪の香りは昨晩フィオナに手入れしてもらった残り香で、化粧はアイシャにやってもらった。別に化粧して出かけるような場所はないと言ったのだが、こういうのは回数をこなすものだと。


「よくレオ兄の匂いなんて覚えてますね?」

「彼が彼女になるのを手伝っているからね。患者のことは忘れないタチなんだ」

「ああ、そういえばそうでしたね。兄貴もまだ先生の患者って訳か、俺と同じく」


 こちらの言葉に頷くシルビア先生。


「冒険者でこそなくなったが、君たちの身体のことは私が一番知っている。

 といっても、君の治療法を見いだせていないのは私の手落ちだが……」


 そう言いながら氷で冷やしていたオレンジジュースを取り出す先生。

 彼女も魔法使いだ。これくらいのことは簡単にできるのは知っている。


「良いのかい? 患者への肩入れなんじゃ」

「それを咎められる人間なんて、ここにはいないよ。

 私の代わりになる私以上の医者をギルドに見つけることはできない」


 先生が振る舞ってくれたオレンジジュースを受け取る。

 近くの果物屋が作っている品物だ。味がとても良い。

 高くてなかなか手を出せないんだが、先生には何度かご馳走になっている。


「私だって、むさくるしい男ばかり見ていたら気が狂ってしまう。

 君のような柔らかな少女とは、少しでも時間を共にしたいものなのさ」

「でも中身がおっさんだって分かってんでしょ? 先生」


 吹き抜けるオレンジの香りを感じながら、シルビア先生に軽口を叩く。


「ふふっ、やめてくれよ、フランクくん。

 同世代におっさんと名乗られると自分の老いを実感してしまうじゃないか」

「いや、先生は別だよ。元の俺よりずっと若く見えるし。

 やっぱお医者様だから健康法とか知ってるの?」


 シルビア先生と俺は、ほぼほぼ同世代らしい。

 細かい年齢は教えてくれていないけど、医者としては中堅どころの年齢。

 しかし、戦争に行っていた時期があるらしく歳に比べて医者より経験が多い。

 そんな話を噂で聞いた。本人からもぼかしながらではあるが、同じような話を。


「特別なことを知っている訳じゃない。

 ただ何をすれば身体に負荷が掛かるかを少し多く知っているだけさ。

 そしてそれを他人よりも少し避けているだけのこと」


 先生の言う少しの差というのが、大きいのだろうな、たぶん。


「それでフランクくん。君はもう冒険者に戻るつもりはないんだよね?」

「ああ、先生も知ってるだろ。完全に追放されちまった」

「ダンジョンに潜らないでも仕事はあるだろう?」


 街中に出されている細かい依頼をこなす仕事か。

 たしかにそれなら大丈夫かもしれないが、ギルドを除名されているからな。

 仕事を請けるにも、あのギルド長のクソハゲに話を通さないといけない。


「街中の依頼もギルドを通さずに請けると後がめんどくさい」

「なるほどね。そこら辺の仕組みは専門じゃないから分からないが、君がそのつもりならそれで良い」


 どこか安心したように先生が呟く。


「……いったい、何を心配されているんです? シルビア先生」

「いや、君の身体は以前より弱くなっているからね。

 魔力量こそ向上しているが、身体そのものは元々よりずっと脆い」


 既に自覚していたことだけど、改めて言われるとズシリと来るな。


「私は今でも、以前の君の身体を覚えている。

 君が言うところのおっさんだった身体と、そこに残った傷を、鮮明に」

「……面と向かって言われると照れますね」


 先生のような美人に身体と連呼されるとちょっと恥ずかしくなってしまう。


「直接に言ってしまうと、変な意識を形成すると思って今まで控えていた」


 え……? 別に身体とか傷口とかの話は何も控えていなかったと思うけど。

 シルビア先生にとっては口癖みたいなものだった。


「――私から見たかつての君は、ダンジョンでの死を望んでいるようだったよ」


 っ、なるほど。控えていたというのはこの事か。


「最初に見た時から、君は命知らずな危うい青年だった。

 しかし明確に変わったのは、3年前の一件からだと私は考えている」

「ッ……な、なんのこと、ですか。先生……?」


 ダメだ、完全に気取られてしまっている。

 言われるまで意識もしていなかったけれど、そうだ。

 3年前から死を望んでいるようだったと言葉にされれば、自覚してしまう。

 今まで無意識だったものが、意識として明確に形成されてくる。


「やはり、私の推測は正しかったようだね。

 フランクくん。これは良い機会だ、間違っても戦いに戻るな。

 君はもう、とっくの昔からそれに向いている人間じゃなくなっている」

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