第14話「ボクの寝室にご招待しよう♪」
成人と同時に故郷を出て10年以上、ずっと1人で生きてきた。
だから正直、他人と生活を共にするなんてことはもうできないと思っていた。
1人で生きていることに慣れ過ぎてしまって、他人に合わせるなんて。
「――ごめんね、毎晩お風呂まで用意してもらっちゃって。
ここまでしなくて良いんだよ? ボクに合わせてると生活リズムが狂ってしまう」
お風呂から出てきた寝間着姿のフィオナが、俺に声を掛けてくれる。
そんな彼女のために用意していたハーブティーを見せて、テーブルへと誘う。
トワイライトでの仕事を終えた彼女のためにお風呂とお茶を用意することはすっかりルーティンとなっていた。
「良いんだ。世話になってるお礼にこれくらいはさせて欲しい」
「ははっ、お礼としてはやりすぎだよ。
使用人にここまでやってもらおうとしたら給金を弾まないといけない」
そう答えながら、ハーブティーに口をつけるフィオナ。
……緩んだ彼女の笑顔に、今日も美味しいお茶を用意できたのだと安心する。
まだ大人の姿のままだけど、この姿でここまでリラックスしているところは初めて見ることができた。
(これからは毎日見惚れてくれていて良い、か……)
まだ1週間は経っていないけれど、このままだと彼女の言ったとおりになる。
正直、ことあるごとに惚けてしまって。幸せなことにとても疲れてしまう。
……俺はこの生活に耐えられるのだろうか、色んな意味で。
「まだ、その姿のままで大丈夫なのかい?」
「今日は出勤が遅かったからね、まだ大丈夫だよ。
店に出る前にも用意してもらってありがとう、お風呂」
この屋敷に住むようになってから、フィオナが言っていたのだ。
本当なら出勤前と帰宅後、両方でお風呂に入りたいと。
けれど疲れてしまって上手く行かないことが多いと。
「いや、これくらいはな」
「このまま家政婦さんとして雇いたいくらいだ。
仕事探しなんかしなくて良いから、この屋敷の管理をお願いしたいな」
フィオナの屋敷に引っ越すよりも前に伝えてはいた。
とりあえず落ち着いたら、新しい仕事を探すつもりだと。
「いや、流石にそこまで頼るわけには……」
「おじさんがそう言うのは分かる。
でもボクは今、貴方を雇っても良いと思うくらいに良くしてもらっている」
濡れた前髪をかき上げながらフィオナが告げる。
その白いうなじに、否応なく視線を奪われる。
「だからさ、今やってくれていることを義務と思わなくて良いからね?
自分自身のことを優先してくれていいし、それでもここに居て欲しいな」
「……ありがとう、そう言ってくれると」
気の利いた言葉は何も返せなかったけれど、本当に言動から気遣いを感じる。
つくづく彼女の振る舞いにドキドキさせられてしまう。
接客業をやっているからというのもあるのだろうが、生来こうなのだろうな。
「それと、このあと時間あるかな?
もう眠たくて眠たくて仕方ないってことはないよね?」
「ああ。まだ起きては居られるけど、何かあるのか?」
ウィンクしながらこちらの言葉に頷くフィオナ。
「――ボクの寝室にご招待しよう♪」
むせた。思わぬ誘いに、飲みかけのハーブティーでむせた。
寝室、フィオナの寝室だと……?!
犯罪なんじゃないか、寝室侵入罪で死刑じゃないか、そんなの。
「さぁ、座ってくれ。今から女の子としての生き方を教えてあげよう」
王子様の寝室には柔らかな絨毯が敷き詰められていて、歩くだけで気持ちが良かった。屋敷の重厚さに似つかわしい大きなベッドに、クラシカルなカーテン。私物はそこまで多くなくて、寝るための部屋という感じだが、どちらにしろ、女の部屋に入ったことさえない俺には刺激が強かった。
「あ、あの、フィオナさん……?」
彼女に誘導されるままに三面鏡の前に用意された椅子に腰を下ろす。
椅子自体もモコモコで柔らかい。
「髪は女の子の命だ。たとえ仮初であろうと、これだけ美しい髪を手入れしないというのは冒涜というものだろう」
俺の長髪にフィオナの指先が優しく触れる。
柔らかな俺の髪が、彼女の指に絡みついていく。
ああ、こんなにも気持ちが良いのか、髪自体には感覚は通ってないはずなのに。
「髪の手入れ、か……考えたこともなかった」
「まぁ、少し前までおじさんだったわけだしね。
髪の手入れなんて知らなくて当然さ。ゆっくり覚えていけばいい」
”まずはヘアオイルの使い方を教えてあげよう”
そう呟いた彼女は、流れるような手つきでこちらの長髪にオイルを塗っていく。
……鏡に写る自分の髪を、フィオナの指先が撫でる髪を見て自覚する。
確かにこの桃色の髪はとても綺麗だ。魔力に染め上げられた髪が。
「……なぁ、フィオナ」
「なんだい? おじさん」
だいぶ間隔の広いクシを使って俺の髪をすいてくれるフィオナを見つめる。
鏡越しに、俺の長髪を見つめる彼女を見つめていた。
「君は誰から教わったんだい? 髪の手入れの仕方」
「ふふっ、鋭いね。ここには義父とボクしかいなかった」
鏡越しにフィオナが静かな笑みを浮かべてくれる。
「義父さんがね。”親代わりは父親代わりであり、母親代わりでもある”って。
髪の手入れの方法も、化粧の仕方も教えてくれた。
今になって思うと下手も下手だったけど、あの人が教えてくれたから今がある」
本当に愛しそうに語るものだな。
きっと彼女を育てた義父という人は良き親だったのだろう。
「……おっと、良いところで時間切れか。まぁ、ちょうどいいかな」
フィオナの背丈が小さくなる。
時間が来て、少女としての姿に変わったのだ。
だいたい夕方から深夜までが大人で居られる時間だと言っていた。
衣服も同時に小さくなっている。何着か変化する服を用意しているらしい。
「アイシャと呼ぶんだったな? その姿では」
「うん。まぁ、別に誰もいなければ良いんだけどね。
この姿の時には、本名で通してるからさ。そこは合わせて欲しい」
――アイシャ・マウ・ホルスト。それが彼女の本名だ。
ホルストというのは義父の名字らしく、教会の人間や近所の人にはそっちの名前で通っているそうだ。偉大な聖職者の忘れ形見、まだ幼いアイシャと。
大人の姿になれることとフィオナという名前は誰も知らないらしい。
――フィオナとアイシャ。
彼女の両面を知るのは、トワイライトのオーナーと俺だけだと言っていた。
「しかし、大人の姿で出入りしてたら何か言われるんじゃないのか?」
「ああ、なんか生き別れの姉が住み着いてるって噂になってるね」
随分と妥当な線の噂話だな。確かに赤の他人には見えないか。
アイシャの彼女も、フィオナの彼女も。
「新しい同居人が増えたからもっと噂になるかも」
「……確かに。まぁ、それこそ家政婦にでもすればいいと思うが」
「うん、対外的には妥当な話だよね。今までボク1人なのが不釣り合いだったし」
俺の髪の手入れを終わらせてからアイシャは手早く自分の髪に同じ手入れを施していた。今の俺ほど長くはないが、彼女の黒髪は確かに観客の目を惹きつける武器のひとつだ。
「さて、と――こんなもので良いかな」
流れるような作業に見惚れているうちに彼女自身の手入れは終わってしまった。
あとはもう寝るだけと言ったところだ。
そろそろ俺もこの部屋を出なければいけない。
「あー、今日はありがとうな。髪の手入れ、教えてくれて」
「ふふっ、明日は化粧の仕方を教えてあげるよ」
そう笑ったアイシャがベッドの上に腰を下ろす。
そして、指でトントンと自らのベッドを突くような素振りを見せる。
「おいでよ、廊下は冷えるだろう――?」
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