第13話「――ボクの家に来なよ、おじさん」
「それでさ、どうして一時的にでも男に戻りたかったの?
根本的な治療とは別にってことでしょ?」
ポットから注ぎ直したカモミールティーを飲みながら、彼女が尋ねてくる。
店で見る時よりもずっとリラックスしていて、彼女の私生活を垣間見ているのだという実感が強くなってくる。
「……俺さ、冒険者アパートに住んでるんだ」
「ああ、義父さんが近づくなって言ってた場所だね」
なるほど、年頃の娘にそう教えているのは正解だな。
「どうして近づいたらダメなの? おじさんはそこに住んでいるんだろう?」
カモミールティーの吹き抜ける香りを感じながら、フィオナにどう説明するのが最適なのかを考える。もっとも端的に伝わる表現はなんだろうと。
「――冒険者ギルドってのは女人禁制でな。男しかいないんだ」
「ああ、それでおじさんが追放されちゃったって」
「そうだ。で、男しかいないから基本治安が悪い。
簡単に言うとトワイライトで出禁を食らったような奴ばかりなんだ」
流石に言い過ぎたかとも思うが、そんなことはないだろう。
昨日だって胸をベタベタと触られたわけだしな。
……しかし、今の俺に女を見出してくる奴は別の意味でヤバイな。
隔離しておくべきなんじゃないだろうか、本当の子供に手を出す前に。
「……えっ、その見た目でまだそんなところに住んでるの?」
俺の表現は的確に伝わったらしい。
今、俺が置かれている状況がいかに危険なのか。
「生憎と。かれこれ1週間くらい経つよ」
「……守れてる? 貞操」
ドレスから伸びる俺の足を見つめながらフィオナがそんなことを尋ねてくる。
こうして彼女に見つめられると、白いな、俺の足。
太腿をすり合わせるだけで柔らかくて気持ちがいい。
「今のところは」
「ホントに? まぁ、おじさんは魔術師だから起きてるうちは大丈夫だろうけど、寝てる間とか本当に大丈夫なの?」
比喩表現が的確に伝わり過ぎたのか、フィオナが本気で心配してくれている。
身を乗り出してきそうなくらいの勢いだ。
「まぁ、流石に1人で寝てるとヤバいから相棒の部屋にな。
ただいつまでもあいつに迷惑を掛けているのも悪いと思って……」
「それで一時的にでも男に戻りたかったってわけだね?」
彼女の問いに”寝てる間だけでもな”と答える。
それだけでもバッカスに頼り切りの状況から脱することが可能だ。
新居探しの良い時間稼ぎになると思ったのだけど、当てが外れてしまった。
「……うーん、それは悪いことをしたね。ボクが力になれれば良かったのに」
「いや、フィオナに謝ってもらうようなことじゃ。
俺が変な期待をしただけだ。最初から君の言葉を信じていれば」
――フィオナが、そう造られた存在、神の使徒。
信じられているのだろうか、そんなことを、今の俺は。
確かに彼女の使う技は神に近いというのは理解したけれど、それで。
「良いんだよ、信じられないのも当然さ。教会の中でさえそうだったんだ。
でも、そうだね。今のおじさんが出禁者の巣に居るというのは見過ごせないな」
そう言った彼女が俺の手を引き、短くなった腕で肩を抱いてくる。
……幼い姿であっても、フィオナは王子様なのだと分からせられてしまう。
彼女の唇が、こちらの耳元に寄せられ――
「――ボクの家に来なよ、おじさん」
は……???? なんだ、俺は今、何を言われたんだ……??
「ふふっ、そんなに驚くことないじゃないか」
呆気に取られている俺の顔を見て、ニヤニヤと笑みを浮かべるフィオナ。
マズいな、完全に予想外過ぎて何をどう考えれば良いのか分からない。
素直に考えれば彼女の誘いに食い付きたいが、いや、ダメだろ、常識的に。
「ま、待ってくれ、ダメだろ、そんなこと……」
「なんで? 何か不都合でもあるのかな?」
「いや、君みたいな女の子の家に俺みたいなおっさんが住み着くわけには」
「ははっ、鏡を見なよ、フランクお嬢さん――?」
っ~~~?!! 俺は今、何をされた?!
耳たぶに柔らかな感触と艶めかしい音が響いて。
……口づけられたのだ、彼女の唇が優しく触れていた。
つい先ほどまで。
「フィオナさん……?!!」
「初心な生娘みたいな反応だね、嫌いじゃないよ」
「からかわないでくれ……と、とにかくだな!」
ここからどうにかして断るための言葉を並べようと思った。
30歳間近のおっさんが、トワイライトの王子の屋敷に居候なんて犯罪だぞ。
王子様と同棲罪で死刑になる、というかレオ兄に殺されかねない。
「――断る理由、特にないだろう?
おじさんが今の状況から脱する方法なんて引っ越すか、男に戻るかだ。
でも後者への道筋は見つからなかった。一時的なものでさえ」
……まったくもって、おっしゃるとおりだ。
冒険者アパートなんていうヤバい場所に住んでいる限り、俺に安眠はない。
バッカスに頼るしかないという現状は打開できない。
「相棒さんにこれ以上、迷惑を掛けたくないんじゃないのかい?」
「……だけど、君に迷惑を掛けてしまったら同じことだ」
「ふふっ、迷惑なんかじゃないよ。ここは1人で暮らすには広すぎる――」
そう呟いたフィオナが天井を見つめて、俺も同じことを感じていたと思い出す。
初めてここに足を踏み入れた時、そして2回目の今日も。
ここには使用人も同居者もいない。フィオナという家主以外には。
屋敷という器に対して人間という中身が少なすぎるのだ。
だから、どこか冷たい印象を感じてしまっていた。
「――それとも、おじさんにとって迷惑だったかい? ボクからの誘いは。
流石にそこまで嫌われているとは思っていないのだけど、そうだと言うのならボクも身を退くことにしよう」
ッ……バカな。俺が嫌っているだと、この俺が、貴女のことを。
「そんなことはない! 俺は貴女のことを尊敬している。
初めて見た時からずっと、見惚れて、その……綺麗な人だと……」
勢いよく口を開いたというのに、言葉が途切れてしまう。
自分の顔が真っ赤になっている自覚がある。
いったい何を口走っているんだろうか、今の俺は……。
「――決まりだね。これからは毎日、見惚れてくれていて良いよ」
あ、か、完全に持っていかれてしまった。
丸め込まれてしまった。これではもう、どう逃れることもできない。
けれど不思議と悪くない気分だった。
それどころか彼女がここまで言ってくれるのが、嬉しかった。
「ふ、不束者ですが、よろしくお願いします……っ」
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