第11話「よく戻ってきてくれた、ボクの腕の中に――」
――歳を重ねるたびに、新しい人間関係を築くのが億劫になる。
特に、自分が好きになった相手、焦がれた相手には、近づきたくない。
俺のような情けない人間を認識されたくないと思ってしまう。
それは今回も同じだった。
俺はトワイライトの王子様に一目惚れをした。
けれど、だからと言って近づきたかったわけじゃない。
ただ一方的に舞台の上に立つ彼女を見ていたかった。
だからトワイライトの常連になっても彼女を指名するようなことはしなかった。
バーテンをやってるレオ兄と適当な話をしながらステージを眺める。
それだけで良かった、のに。
『――初めまして。最近よく見に来てくれていたよね?』
ある日、突然に彼女が俺の前に現れた。
数多いる観客の1人してではなく、俺個人を見て、俺個人に語り掛けて。
『ど、どうして……』
『ふふっ、恥ずかしがり屋な友人のために一肌脱ぐってレナ姉がね。
貴方にとってはレオナルドさんなのかな?』
兄貴が要らぬ世話を焼いたのだ。
俺がいつも指名料を口実に断っていたからって、自分が金を持った。
そこまでして俺にフィオナを引き合わせた。あの王子を目の前に。
『新しいお客さんが来ていることは見て分かってた。
貴方が注いでくれる熱い視線は、ボクにも見えていたよ。
いつ、ボクを隣に座らせてくれるのだろうと待ってたんだ――』
その言葉はリップサービスだったはずだ。
少なくとも俺はそう思いたかった。思おうと努めた。
けれど、フィオナの振る舞いにはそんな自覚を破壊するだけの力があった。
『なるほど、じゃあ、フランクさんはおじさんになったから人付き合いが億劫に』
一度覚えてしまった快楽は、そう簡単に忘れることはできない。
最初はレオ兄の奢りだったけれど、一度でもあのフィオナに近づいてしまえば。
もう、俺は店に行くたびに彼女を指名してしまっていた。
そんな中で、いつの間にか彼女は俺の事をおじさんと呼ぶようになって、それが不思議と嫌いじゃなかった。
『――この屋敷に誰かを招いたのは、義父さんが亡くなったとき以来だ』
あの日、レオ兄にトワイライトの用心棒を頼まれた日。
兄貴の推測通り、あの日に有ったのだ。
俺はあの日に知ってしまった。フィオナの秘密を。
踏み込んではいけない領域へと足を踏み入れてしまったのだ。
「……ようやく2人きりだね? おじさん」
あの日以来、再び俺はフィオナの屋敷へと足を踏み入れた。
通された客間で彼女と向かい合っている。
俺たちの間には熱いカモミールティー。彼女の義父が好きだったらしい。
「ああ。まずはありがとう。俺なんかのために時間を用意してくれて」
「――構わないさ。
きっと貴方が思っているよりボクは貴方のことを好いているのだから」
カモミールティーを口に運んだ彼女の視線が、スッと鋭利なものに変わる。
……これは、彼女が俺のために店の外での時間を用意してくれた時から予測していたことだ。
俺は、フィオナにとって二度と会いたくない相手になったと思っていた。
しかし現実にはそうではなかった。だから彼女が問うてくるのは――
「――どうして今日の今日まで来てくれなかったんだい?
店に顔を出すのが財布に厳しいのなら、ここに来ればよかったのに」
そうだ、やはりこれになる。
どうしてあの日から今日まで顔を出さなかったのに、今、会いに来たのか。
……店じゃなくても良いから屋敷に来いと言われるのは予想外だが。
「こ、ここにって……」
「別に良いだろう?
おじさんはトワイライトで仕事をしたんだ、もう身内みたいなもんだ」
っ……まさか、あの王子の方から客としての関係を踏み越えてくるとは。
リップサービス、と思えるはずもない。この期に及んで。
「……ごめん。俺はあの日、君の秘密を知ってしまった。
トワイライトの人も知らない君の屋敷を知って、それ以上に君に踏み込んだ」
「ほう。それで? それがどうしてボクに顔を出さない理由になるのかな」
考えていた以上だった。
予測していたよりも彼女は俺の事を好いてくれていて、だからこそ思っていたよりもずっと激しく問い詰められている。
「いや、俺の顔を見たら変に意識させてしまうかなと……舞台に悪影響が……」
「キミはプロとしてのボクを甘く見ているね。
この程度のことで悪影響なんてないし、仮にあっても表には出さないさ」
……確かに。
フィオナにそう言い切られてしまうとそもそもが要らぬ気遣いだったと分かる。
「でも、貴方の言い分は理解できた。おじさんらしい考え方だ。
けれどボクの考えとは違う。秘密を知られて気まずいなんて思っていないよ」
フィオナの視線が静かに突き刺さる。
物理的な距離を超えて、こちらの視線を捕えて離さない。
まるで指先で顎を持ち上げられているような、そんな感覚がある。
「――ようやく秘密を共有できる相手が見つかった。そう感じているんだ」
彼女の言葉に息を呑む。
……あの日、俺はまたしてもやってしまったと思った。
人生で幾度か経験してきたように、不用意に相手の領域に足を踏み込んだ。
それゆえに嫌われてしまったのだと。けれど、そうではなかった。
「ねぇ、おじさん。もうひとつ教えてくれるかな」
「ひとつじゃなくていい。君にならなんでも答えるよ」
「じゃあ、遠慮なく。どうして今日になってボクのところに?」
察しがついているのだろうか。
フィオナは俺の身体を舐めるように見つめてくる。
少女になってしまったこの身体を。
「……君の力を借りられれば、一時的にでも、男に戻れるんじゃないかって」
「ふふっ、なるほどね。やっぱりそうか。そんな気はしてたんだ」
じっとりとした視線を送ってくるフィオナ。
それも当然だろう。一度はもう会わないという決断をしておきながら、自分の都合でそれを翻したのだ。呆れられて当然と言える。
「……怒ってる?」
「いいや、そもそも貴方がボクと会わないと決めていたことに比べれば全然。
逆に今日ここに来たこと自体は怒るどころか喜ばしいくらいさ」
くいっと、自らの紅茶を飲み干すフィオナ。
そして彼女はスッと立ち上がる。
――スラリと伸びる長い脚、美しさを具現化したような中性的な顔立ち。
小さくなってしまったこの身体で彼女を見上げると、息を呑むしかなかった。
最初からずっと彼女のことを王子の異名に相応しい女性だと思っている。
けれど、今になって分かった。
自分より小さな彼女に、俺はどこか愛らしさを感じていたと。
でも、今となっては、彼女の方が背が高い。少女になってしまった俺では。
「ふぃ、フィオナ、さん……?」
ゆっくりと距離を詰めてくるフィオナ。
その両腕が、軽くなってしまった俺を抱き上げた。まるでお姫様みたいに。
「――小さくなったね、おじさん。きっと貴方にとっては災難なのだろう」
彼女の両腕に持ち上げられていることに、自分が赤面しているのが分かる。
……今の身体は、フィオナに持ち上げられてしまうほど軽いのか。
バッカスのような筋肉男じゃない、ただの女性に。
「でも、ボクにとっては違う。貴方がそうなったから戻ってきたというのなら」
抱きかかえた俺に微笑みかけるフィオナ。
「よく戻ってきてくれた、ボクの腕の中に――これも神の導きなのだろう」
……これもあの日に知ったことだが、フィオナという女は敬虔な教徒だ。
この開拓都市では珍しいほどに。
そんな彼女にとって、俺との再会は神に感謝するようなことなのか。
「そろそろ時間だ。これが見たくてボクに会いに来たんだろう?」
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