第9話「眼を逸らさないで――綺麗な瞳だ」
「――いいや、待つ必要はないよ、プリンセス」
耳元の近くで響く、ささやき声。
その独特の低さと美しさに、すぐに声の主が分かる。
俺が指名しようとしていた王子フィオナ、当人がここに居ると。
「ふふっ、はじめまして。だよね?
こんな愛らしいお姫様に選んでいただけるとは光栄だ」
唇を俺の耳元に寄せていた体勢から流れるように、隣の席に腰を下ろす王子。
ショーに立つ時とは違う、落ち着いたジャケットを纏っていて、それがまたとても似合っていた。
「こんな黄昏の入り口からボクを訪ねてきてくれるんだ。
今宵はキミを独り占めにできると思って良いのかな――?」
隣に座ったまま、俺の肩を抱き寄せてくるフィオナ。
……女になった今だからこそ余計に分かるが、本当に王子様みたいな女だ。
絵物語の向こう側にしかいないような存在が目の前に居てくれる。
それがたとえ仮初であろうとも目の前でこうして接してくれる。
「眼を逸らさないで――綺麗な瞳だ」
こちらを見つめる彼女の瞳にドキドキして視線を逸らそうとした。
けれど、彼女はそれを制して、静かにこちらを見つめてくる。
溜息が零れるまでの一瞬を、俺は永遠のように感じていた。
「……眼は変わらないんだね? おじさん」
スッと笑みを浮かべ、俺の肩から腕を引き抜くフィオナ。
その彼女の言葉で全てを理解する。
てっきり俺は、偶然にも第2幕よりもかなり早めに出勤したフィオナが途中から話を聞いていたのだと思った。俺を新しい客だと思ってそのように対応してくれたのだと。
「……いつから気づいてたんだ?」
「ふふっ、眼を見て初めて分かったんだ――」
肩を抱くようなことも、強引に視線を惹きつけるようなこともされていない。
けれど、彼女の瞳から眼を逸らせなくなっていた。
艶やかな黒髪の下で輝く紅い瞳が、なによりも美しくて。
「――なんてカッコつけたいところだけれど、流石に違う。
最初から聞いていたのさ、レナ姉のところにフランクおじさんが来てるって」
悪戯っぽく微笑んでみせるフィオナ。
その表情がまた彼女の空気に似合わず幼げで、愛らしい。
「でも、眼は変わってないってのは本心だよ」
「色は変わったぜ? こんな桃色になっちまってよ」
「ふふっ、そういうことじゃない。色は変わっても輝きは変わってないさ」
……俺の瞳が輝いていたわけがないだろうに。
そう返そうとしたが、それよりも先にレオ兄が口を開いていた。
「なに、アンタにはアタシのところに来た客の情報が全部行くわけ?」
「――ふふっ、そんな訳ないよ。
ただ、おじさんが来たら教えてくれるように頼んでいたかな」
……俺が来たら教えるように、か。
この店で絶大な人気を誇る王子フィオナが。
「どうして、俺を……?」
「ボクとキミの秘密があるから、かな」
ささやきながらウィンクしてみせるフィオナ。
……てっきり俺は避けられているというか、もう二度と会いたくない相手にカウントされているんじゃないかと考えていたけれど、どうもそうではないらしい。
「それでフィオナ。今日は君を指名したいんだ。君の時間が欲しい」
「いいや、その必要はないよ。
貴方がボクにしたい話が予想通りなら、ここではできない」
彼女の回答に息を呑む。そうか、そう来るか……。
「それにここでボクの時間を買うと高くつく。
代わりと言ってはなんだけど、店が終わった後はどうかな?」
諦めかけていたところに思わぬ申し出。
俺に断る理由はなかった。
しかし、金を払わずにこんな女の時間を貰えるなんて犯罪なのではないか。
「ちょっとちょっと、お店に金落とさせなさいよ~、フィオナ」
「良いじゃないか、レナ姉。
大変なんだろう? おじさん、ギルドを追放されちゃって」
そんなことまで知っているのか。
まぁ、レオ兄とフィオナはこのトワイライトで働いているんだ。
話に出ていてもおかしくない、のだろうか。
「仕方ないわね。ま、オーナーには内緒よ?」
「ふふっ、オーナーは滅多に顔出さないだろう? レナ店長」
「やめてやめて。いつの間にか責任負わされて迷惑してんだから」
……いつの間にか店長扱いなのか、レオ兄は。
最初は自分の魔法で氷を造れることからバーテンで入り込んだと聞いていたが。
あと、オーナーとも古くからの知り合いだって話だったか。
「――なぁ、フィオナ。一杯奢らせてくれないか?」
こちらの言葉に驚いたように、眼を見開き、そして静かに微笑むフィオナ。
「良いよ。でも1幕の途中でお暇させてもらうことになっちゃうけど?」
「構わない。いろいろと気遣ってくれたお礼に」
「ありがとう。それじゃあ、レナ姉、いつもの奴で――」
フィオナの言葉に頷いたレオ兄が、スパークリングワインを用意する。
炭酸を宿した薄い黄金色のワインは、黒を基調とする衣服に身を包むフィオナにとてもよく似合っていた。
スッとこちらにグラスを向けて乾杯の仕草をしてくれるフィオナ。
ワイン用のグラスは薄いから乾杯の時でもグラスをぶつけ合わないという教養を持っているのが彼女だ。俺は最近まで知らなかった。
「……また会いに来てくれて嬉しいよ、おじさん」
静かに微笑む彼女に何か言葉を返そうとした。
したのだけれど、それは開演のベルに掻き消されてしまう。
今宵もトワイライトというショーラウンジの本番が始まろうとしていた。
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