第53話 痛み分け
六メートル四方の槍の檻に閉じ込められたジャックは、低く唸り鬱陶しそうに折り重なる槍を切断し始めた。
檻の周りをアンバーが猛スピードで駆け回り、逃がすまいと槍の隙間を縫うように矢を射っていく。
射った場所にはすでに姿は無く、まるで全方位から何十人かに射かけられているように見える。
***
「す、すごい……」
ナナ・ウォレスは言葉として出ていることにも自分でも気づかぬうちに言っていた。
〈だけど……だけど、彼らが使うチカラとは何なのだろう? 魔女の血統でもないとしたら、魔術では無いということになる。あれ程の戦闘力を魔力の一切も使わずに補われるチカラとは一体……?〉
魔術師や魔女は実際にひっそりといる。だが、呪文も魔力も使わないものなど存在しないのだ。はるかな過去に、魔王と戦った英雄たちがいた時代にもそんなものがあったことなど聞いたことも無い。
あるのは神に仕える神官が使う治療術、それに魔女や魔術師が扱う触媒を介した魔術。英雄たちの中にはその両方がいたらしいが、定かではない。何しろ二百年も前の事なのだ。
つまり、アレは全くの未知な存在。
いや、今は考えまい。まずは助けなければ。ナナは残り少ない魔力でなにが出来るのかを考えた。
ナナは動かなくなった半身を見下ろした。身体中傷だらけで、傷のない場所などどこにもないように見える。ナナは躊躇しながらも、自らにそっくりな顔の額に自身の額をくっつけた。呟くように呪言を唱え始めると、半身の記憶が雪崩込む。囚われている間の残酷な扱いの数々、およそ人としての尊厳はなく、物のように扱われ続けていた。封印とこの扱いから逃れる為、記憶とともに蓋をして逃げ出したのだ。
ナナは涙を零し、自分の代わりに耐え続けていた魂の逃げ出した肉体にただただ呟いた。その魂の逃げ出した肉体に封印を解かれた為に生まれた赤子のような人格にも。虐待され続けただけの辛い生を終わらせることに、ナナは泣いた。
「……ごめんなさい。辛かったよね。本当にこんな辛い想いをさせて……ごめんなさい。その絶望も辛さも、ウチが受け止めるからね」
傷ついた半身が淡い消え入りそうな光に包まれ始め、光が一瞬増した。肉体は残り少ない涙を流しかき消えた。
ナナは涙を拭い、自身の魔力が戻った事を確かめるように杖を握りしめ、伴侶を失った絶望への怒りに、暴走する黒い狼男となってしまったジャックを見つめた。
だが、魔術で狼男を元に戻すなんて方法は聞いたことがない。今も生き続ける吸血鬼や狼男などというモンスターの治し方なんて……。
***
アンバーは囲いの中を射続けた。
カインはロザリオを、まるでナイフのように持ち、隙を伺っていた。
黒狼は射かけられる矢を避けることなく低く唸り、その場で腕を交差させ、顔面のみを防御している。まるで怒りを溜めつつ何かを待っているようにも見える。
カインはルディへと目配せをして頷きあった。
ルディはチカラを使い、手の上に青い炎を溜めていく。
ゆっくりと焦らず大きくしていく。
落ち着きのないルディは、この作業が苦手で、今まではある程度までの大きさしか火の玉を大きく出来なかった。
だが、今はちがう。家族を救うためなら何でもしよう。ジャックのように。
カインはロザリオを握りしめて歩み寄っていく。
黒い狼男は身体中に刺さった矢もそのままに、槍の檻をぶち破ってカインへと突進。
やはりこれを待っていたのか。獣のように自らの間合いに入る事を。
予期していたカインは、チカラを使ってビリーへと指示を出していた。ビリーがカインの前に躍り出る。痛々しい傷は治りきらずにまだ残っている。だが、ビリーのチカラの雷に恐れている今がチャンスなのだ。
ビリーが鋭く突く槍をジャックがいなし、爪を振るうと、それをマリアが盾で受けた。盾が切り裂かれていく。振り下ろす剣を爪が弾き、牙がマリアの首を狙う。ビリーが潜り込み、短槍による下からの突き上げに、ジャックは首を引いて避ける。さらにマリアが剣で追撃をする。
高速で繰り広げられる乱舞に神経を削りながら黒狼とマリアとビリーの応酬が繰り広げられる。
だが、無限に近い体力をもつ狼男にいつまでも食い下がれる訳がないのは明らかだった。
「シャオ! ルディ! ニーナ! 合図を出したら、君たちのチカラで動きを止めてくれ!」
カインは声をあげて願った。このチャンスを逃す訳にはいかない!
だが、明らかにダメージの残るビリーの動きが悪くなってきている。
カインは苛立ちも隠さず叫んだ。
「マリア! ビリーと下がれ! 三人とも! 今だ!」
猟銃に添える手を伝い、シャオのチカラの矛先が動き続ける黒狼の動きすら先読み、完璧にタイミングを合わせる。
火薬の破裂に射出される弾丸が黒狼の肩を貫くと、血を蹴ったばかりのジャックはその場で背を下にひっくり返った。
肩への衝撃で作られた一瞬の隙を逃がさない。ニーナは、太ももの棒手裏剣を全て飛ばし、両脚を地面に縫い付けるように貫いて止まった。
さらには、シスター・リースの突き出す手の爪が槍のように伸びてジャックの両腕を貫いた。
「ご、ごめんなさい。必ず……子供たちと元に戻してあげますから、今は我慢して下さい」
カインは上出来だとばかりに頷いた。
「さぁて、ルディ、ビリー、君たちの合体技といこう。分かっていると思うが、まずは父さんに一度大ダメージを与えるしかないんだ。ルディ! 最大のチカラで撃てよ」
「父さん、死ぬぜ?」
カインは夜空をチラリと見上げ、憎々しげに月を見て舌を打つ。
「死なないさ、まだな。あのデタラメな再生能力があるんだ。ルディ、火は使わずにやってみてくれ」
ルディが両手を合わせ、チカラを込めつつ広げた。シャボン玉のように横に伸び、透明な丸い玉が出来上がる。
「ビリー、チカラはまだ使えるか?」
「モチロンっスよ!」
ビリーはルディの膨らみ続ける火の玉の中に雷をミミズのように這わせようとした。
バチンっと玉が弾けると辺りを爆風が走り抜ける。皆が風に煽られてよろけてしまう。
「クソッ! やっぱ合わせると爆発しちまうな」
「もう一度だ。ルディ、今度は青い炎を作ってやってみてくれ。小さくていい」
ルディは頷き、火の玉に片手を添えるとそっとチカラを注いでいく。青い炎はルディにとっての最大火力だ。破壊力はずば抜けているし、このまま大きくすることも出来るが、チカラの粘性のせいか投げる事は出来ない。
ビリーは、おっかなびっくり、そうっとルディの青く光る手に触れた。
「い、いけん! そのままじゃまた弾けちゃうよ!」
ナナはヨロヨロと立ち上がるとルディの手を握った。そして二人の間に立つとビリーの手も握った。
「ビリーのチカラは方向性が難しいんだと思うんよ。チカラとチカラがぶつかって弾けちゃう。だから、ウチの風の魔術で常に回転させる」
ビリーはナナを心配そうに見つめた。視線に気付いたナナはその心の内に笑みを浮かべて答えた。
「大丈夫やよ。それぐらいなら、魔力は持つと思うから」
ビリーは渋るように頷いてみせた。
「でも、チャンスは一度だけ。だから……お願いね」
ルディは、それでも不安そうなビリーの肩に軽く拳をぶつけた。
「おい、ビリー。それなら全力でやっていいか?」
ビリーはチラリとナナを盗み見ると、いいカッコしようと胸を張った。声が聴こえるようにわざと大きい声になる。
「フフン! 望むところっスよ」
三人は横並びでジャックの方に向き直った。
真ん中に立つルディがチカラを込め始める。その手のひらに浮かぶ火の玉が赤から青い炎へとその姿を変え、火力を底上げしていく。
ひたすら膨らみ続け、ゆうに四メートル以上はある青い炎は、今にもその暴力性を爆発させようとしている。ビリーとナナはその表面にそっと両手を添えた。
視線で合図を送り合うと、ナナが杖をその皮膜に押し当て、隣にいるルディにすらよく聴き取れない言語で呪文を唱え始めた。杖の先の宝石は光り輝き円の中心が渦巻き始める。ビリーがおっかなびっくりチカラを押し込めていく。もしこれが爆発すれば、ただでは済まないだろうと、ナナとビリーは息を飲んだ。
大きな爆弾風船に小さな小さな雷が迸り始めた。いく宛を手探りするように縦横無尽に走り続けている。
円の中心でチロチロと弱々しい雷を出しているビリーの背中を、ナナが力いっぱい叩いた。バンと大きな音がする。思わずチカラが溢れ出て円の中で激しい雷が回転を始めた。
「遠慮なんていらないよ! ビリー! 胸を張りなさい! 男の子でしょ!」
驚き過ぎて目を見開いているビリーに向かって、ナナは笑って見せた。ルディは笑いながら言った。
「大丈夫だぜぇ! ビリー、おれの感覚じゃまだまだこんなもんじゃ破裂なんてしないからよぉ! 全力でやれや!」
「……分かったっスよ、後悔すんなっスよぉおおお!」
ビリーの手から数千もの雷が遡り初めて、瞬く間に青い炎の中心で閃光が耳障りな音を立て始めた。
想定以上の威力にナナは焦りを浮かべた。それはルディも同じだった。
「ルディ! チカラの維持だけに集中して! ウチはチカラの流れを抑えるので手一杯なの!」
「ぐぅっ……うぉおおおお!」
「ど、どうやって撃ちゃいいんだ!?」
「はぁっ!? どういうこと!?」
「おれはここまで大きくなると撃てないんだよぉおおお!」
ナナは思いもよらぬ告白に、驚愕の顔でルディを見つめた。後方から走って来る少女が見える。
「そのまま維持してて! 後はやるから!」
「おおぉよおぉおおおお! 頼んだぜぇぇぇぇ!」
ナナの杖の柄の部分からナナの魔術の根幹である風を生み出し、目標とは真逆の方向へと吹き出し始める。
このまま撃てば勢いを止められずに吹き飛ばされてしまうだろう事は明らかだ。それを見越してナナは杖から風を逆噴射させている。やがてその場に合流した、腕を組み、なにやら怒ったような顔のニーナに言った。
「……後、お願い出来るかな?」
ニーナはありったけの槍や剣を背後に浮かべて、その場で腰に手を当ててニヤリと笑った。
「……まったく、あんたたちったら、あたしがいないとなんにも出来ないんだから! 世話がやけるったらありゃしないわっ! でも、面白そうだから乗ったっ!!」
複数の武器が折り重なり、青白い光の塊を囲うように飛んでくると、ルディの腕を手錠のように囲み、みるみるうちに砲塔を作り上げていく。
「行くわよぉぉ! あんた達ぃいいいっ!」
ニーナの浮かべる剣の一つが砲塔の中に突っ込み、そのはち切れそうな表皮を破いた。
青い閃光は一瞬、即席の砲塔を押し広げ、力の向かう方向を見つけると雪崩込むようにジャック目掛けて
ジャックは突き刺さったシスター・リースの爪をものともせず起き上がり、両脚を縫い止めるニーナの棒手裏剣に押さえつけられている両脚を爪で切り落とした。その瞬間飛び退いて避けようとした。
カインは目に赤いチカラを灯らせて上半身だけになったジャックへと飛びつき、胸に十字架を突き刺した。
「初めての親子喧嘩に決着をつけるよ。クソッタレ親父……」
青く輝く暴力的な光の柱はジャックとカインを貫いた。
戦闘の最中に海の沖合に流されていた船のひとつに当たると、閃光は四方八方へとそのエネルギーを爆散していった。その後から、大気を焼きながら、パリパリとした雷が迸ってゆっくりと消えていった。
「今……カインが……」
ニーナが言葉をこぼした。その言葉は、その場の誰にも聴こえていたが、誰一人答えるものはいなかった。
カインはたしかに言っていた。
「これを突き刺す役目、一番危険な役目は僕がやる」と。
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