第54話 終演

 青白い光線によって吹き上げられた海の蒸気が収まり始め、一同が呆然とその様子を見ていた。あの中にはジャックとカインが飲まれ、身体中をバラバラにしているのだと全員が思った。涙を流し、二人への想いが去来する。降り注ぐまっ白な霧の中を突き破るように中から、立て続けに水柱が上がった。


 水柱は陸地に差し掛かって止まり、スピードを緩めることなく港の端にある海岸へと突っ込んで止まった。最後に砂柱が吹き上がって静かになった。


 その水柱の正体は、アンバーが走るために水面を蹴ったために起こっているのだと分かる。アンバーがカインを抱えて走っていた事にようやく気付いたマリアは、絶望の縁から救いあげられたかのように走った。


「カ、カイン! アンバー! 大丈夫!?」


 カインはあの光の爆発から逃げ延びていた。


 光に飲まれる直前、アンバーはチカラを限界まで振り絞って走り、カインを抱きとめていた。


 うつ伏せになっているアンバーを抱き上げると、その拍子に溢れ出るどろりとした鼻血を飲み込んでむせた。マリアはアンバーの背をさすった。顔面が蒼白で、疲れから虚ろな目になってしまっている。今にも気を失いそうなアンバーを強く優しく抱きしめた。


「お疲れ様……」


「うん……」


 マリアは倒れているカインの胸をさすると、目を開けて無事だと頷いてみせた。


 マリア同様、カインたちの元へと走り寄っていたニーナが海岸の一部が動いた気がして見つめ、そして呻いた。


 アンバーは身体を起こし、その姿に気がついた。


 ジャックの胸を青い光の槍が貫いた直後、光に包まれ、爆炎が吹き上がった。


 咄嗟に、本能からかジャックは首を守っていた。だが、そこには家族の想いが詰まった赤いマフラーがあった。


 海岸を這いずる焼けただれた両腕は溶け、長くダラリと垂れ下がり、焼けた皮膚がドロリと地面に垂れて心臓が剥き出しになっている。なおも再生を始めるが、明らかに再生のスピードが遅くなってきている。ジャックは倒れているカインへとグニャリと溶けた両腕で這い進んだ。その目は未だに怒りに満ちて真っ赤に燃えている。


 痛々しいジャックの姿を見て、シャオは猟銃をガシャリと手放し、涙を流しながら願うように叫んだ。


「お願いです! もうやめて! 優しい父さんに戻ってください! お願いですから!」


 ニーナはなにも出来ないようジャックをチカラで持ち上げ、押さえつけるように重圧を加えた。


 ニーナは涙声で叫んだ。


「いいかげん……元に戻りなさいよ!  父さん!」


 空が白み始め、朝日が戦場にいる全ての人々の冷えた心を包み込み始めた。


 剣を手放し、ジャックに抱きついたマリアの顔は、クシャクシャになって鼻水と涙に濡れていた。


「帰って来てよ……父さん。父さんがいなきゃ寂しいよ」


 マリアはジャックの胸、黒く焦げたシスター・リースのロザリオの隣に自分のロザリオを突き刺した。


 治らない。元に戻らない。


 ジャックの瞳は未だに赤く、暗い光に包まれている。ルディは苛立ちから怒鳴った。


「な、なんで……? どうして元に戻らないんだよ!」


 みんなが呆気にとられ、どうすればいいかと思考を巡らせる。


 ジャックの腕が長く伸びたまま再生し、焼けちぎれた神経を繋げると、マリアの首を掴んで持ち上げた。


 カインは鈍く脈動するような痛みに呻き、その光景を見た。


 首を折られる、とカインは思った。マリアが怪我をすればもう治すチカラはない。すなわち本当の死だ。


 ルディがその腕に飛びかかってしがみついた。


「やめろ! やめろよ!」


 ビリーが背中に飛びついた。


「ダメっスよ! 父さん!」


 アンバーが再生したばかりの皮膚すらない脚にすがりついた。


「やめて! もうやめてよ! 父さん!」


 シャオが、ニーナが、ミカエルが涙を流し強く抱きしめた。


 ルディのしがみついた腕の爪が再生しながら伸びていく。


 カインは這いずり、なにが起きるのか、なにをするつもりなのかを悟った。


〈と……まれ、……まれ〉


 カインのチカラが視神経を赤く染め上げ、目に向かって血管が浮き出ていく。深紅の瞳に火が灯る。チカラをさらに増幅させていく。


 ズキンズキンと、脈打つ度に痛みが奔る。カインの目から血の涙が溢れ出した。


〈やらせない! 絶対にやらせないぞ!〉


『とおおおぉまぁぁぁぁれえええ!!』


 ――同時にリースが、首を掴まれているマリアの前に飛び出した。


 今では半身を失った黒い狼男となったジャックの爪がリースの柔らかい腹部を貫いて止まり、さらにマリアの腹にも爪先がくい込み届く。


 時が止まったように感じた。いや、止まっているのだ。自分のチカラがさらに覚醒したんだと気づき、次の瞬間には絶望した。チカラは強烈な頭痛となって解けた。カインは叫んだ。


〈遅かった! 遅かったんだ! ちくしょう!〉


「うわああああっ!」


 リースは黒く禍々しく染まったジャックの頬に触れ、キスをした。


「愛しています、ジャック……」


 リースはジャックの胸に刺さった十字架に触れて子守唄のような柔らかな、それでいて消え去りそうな声音で祈りを捧げた。


 マリアの首を掴む腕のチカラが緩み始め、刺される寸前、リースの背にチカラを使っていたマリアが血を吐いた。


 ジャックの黒く逆立った毛が寝始め、銀色へと戻っていく。戻ったばかりの金色の瞳が目の前のリースを捉えた。


「リー……ス?」


 緩んだ腕からリースの身体がこぼれ落ちるように倒れると、ジャックは思わず叫んだ。


「リース! おい! リースしっかりするんだ! なにが……いったいなにがあった……」


 骨が折れているであろう胸を抱えたカインが歩み寄る。


 カインはジャックの前まで行くと睨みあげた。その瞳にはチカラの反動で血走った目が怒りに溢れていた。


 カインはジャックの顔を殴り、折れたアバラへと伝わる痛みに顔を顰めた。


「うぐぅっ……父さんがやったんだ……父さんが……怒りに呑まれて……やったんだ!」


 収まらない怒りからジャックの首に巻いてあるマフラーを掴み、カインは叫んだ。


「このクソオヤジがアアアアァッ!」


 カインの拳が怒りに震えながらジャックの顔をもう一発殴った。


 人間に戻り始めているジャックの顎を捉えたパンチ一発で、たたらを踏んで尻もちをついた。


 殴られた頬を触ると、吸血鬼のリースの黒い血がついていることに気付いた。


「あぁ……ああぁ……」


 ジャックは涙を流し、リースに駆け寄った。


「すまない……リース」


 リースはジャックに微笑むと、心臓に刺さったロザリオを引き抜いた。このまま人間に戻れば、死んでしまうと思ったのだ。


「ハァハァ……愛して……る」


 頬に触れた手が弱々しく震えていて、思わずジャックは手を添えて自分の頬に押し付けた。


 マリアは涙を零し、腹部から血を垂らしながら、意を決したように叫んだ。


「し、死なせない……死なせないよ!」


 マリアのチカラが緑色に輝いた。リースの腹部から小さな泡がフワフワと出てくるとパチンと弾ける。


 まるで吸血鬼の身体が再生を拒んでいるように治りが見るからに遅い。


 カインはマリアの隣りに跪くと、マリアの手に添えた。緑色の光に赤い光が混じり始めた。


「み、みんな……チカラを合わせるんだ……」


 アンバーが走り寄り手を添えた。紫色の光が混じる。


 ビリーがその手を添えると黄色い光が混じる。ナナ・ウォレスがビリーの手に触れると、気恥しそうに二人は見つめ合った。薄緑色の光がビリーの黄色い光と混じり合って溶けだしていく。


 ルディが手を当て白い光が出始めると、ニーナの手がルディの背に添えられ、橙色の光が強く包み込んでいく。リンクスはニーナの手の上にその手を乗せ、ニーナに微笑んだ。ニーナは少し驚いたように受け合い、笑みを返した。


 シャオはミカエルの手を握り、ピンク色の光と青い光が混じり合う。


 ジャックは生え揃ったばかりの脚で歩き、重なり合った小さな手を上から躊躇いがちに包み込んだ。


 金色に光輝く様々な色が取り込むようにリースの身体に流れ込んでいくと光り輝くチカラの奔流が奇跡を起こした。


 リースの内から生まれた淡い光の泡が弾け、リースの身体に空いた穴がみるみると治っていく。


 それを機にえぐり取られたリンクスの目が、刺されたマリアの腹部が、カインの胸が、そしてナナの魔力が蘇っていく。


「これは……」


 思わずジャックの口から感嘆の声が漏れると、カインは言った。


「これは……奇跡さ」


 リースが不思議そうに腹部を押さえて起き上がると、子供たち全員がしがみついた。


「良かった……本当に良かった」


 マリアが一旦せき止めていた涙を流すと、カインは一瞬見とれ、自分の目から溢れるものを隠すようにそっぽを向いて離れた。


 ジャックはリースの背を抱き、子供たちをまとめて抱きしめた。


「ゴメンなぁ……みんな……ゴメンなぁぁ」


 全員がわぁわぁと泣き始め、ミカエルがみんなが泣いているのを見て悲しくなり大声を張り上げて泣いた。


 ライオネル元団長と冒険者ギルドのエイリーンは、虹色に光り輝く、円陣を組んで泣いている一団に歩み寄り、決まり悪そうに言った。


「いいものを見せてもらった。そして街を救ってくれた。これ以上ないほどの恩が君たちにはあるが、早くこの街から立ち去った方がいい」


 エイリーン・ボセックは戦闘中とは違い、酒場での若さ溢れる言い方とも違う、少し気だるそうな口調で言った。


「そぉだろうね、これだけの騒ぎが起きた。教皇庁が動く。この街を救ってくれたあんた達でも、異端だと決めつけて裁こうとするに決まっているんさ、教皇庁に睨まれてるアタイらギルドでも匿いきれないでしょぉね」


 瓦礫が崩れ、誰かがいることに気がついた。その場にいる誰もが警戒心を剥き出しにした。


 グレイス孤児院の面々はその人物に見覚えがあった。


 現在宿泊中の貝殻旅館のオーナー、ビビアン・オーデルだ。


「母……さん?」


 思わずナナは駆け出した。


「母さん!」


 ビビアン・オーデルは自分の目を疑い、狼狽えた。だが、すぐに目が潤み、ナナを抱きしめた。


「おぉ……おおおぉおぉ」


 二人は抱き合って泣き崩れた。


 ジャックは明らかに歳が五十は離れていそうな二人を見て言った。


「どういうことだ? ビビ婆さん」


 ビビアン・オーデルは言った。


「娘だ。娘なんだ。アタイの、いなくなっていた娘なんだ」


 ビビアン・オーデルはジャックに促され、ちょうどいい高さの瓦礫に座らせられた。落ち着くとようやく話し始め、その口調はまるで昔ばなしを懐かしむようにも、悲しむようにも語った。



 ビビアン・オーデルの娘は魔力を持って産まれた。世界のどこかに魔女の里があり、強い魔力を見初められた娘は、魔女が迎えに来ると言う。ビビアンはおとぎ話だと思っていたが、実際にそれは来た。魔女はアンナマリー・ウォレスと名乗った。普通の少女にしか見えなかった。娘、ナナは五歳まで魔女の里にいたが、本人は場所だけは覚えてはいないと言う。戻ってきたナナは元の髪色とは違い、所々緑色になっていて、これは魔力の証なのよと言った。


 娘のナナが十五の歳の頃、今と同じようにモンスターの襲来が起きた。


 この頃はまだ各国とモンスターとの生存をかけた戦争が起きていて、駐留しているはずの十字軍兵士団は遠征していて、ほとんど残っていなかった。駐屯軍の兵士たち、全員が戦かったが、人数の心許ない駐屯軍では抑えきれず、さらにはクラーケンが海側から現れたことで街は壊滅的な打撃を受けた。


 ナナは街の人々を魔術を使い、戦うことで守ろうとした。生命を賭け、誇りを持って戦ったのだ。この魔術はこの時のため、人々の為に使うのだと、これが自分に課せられた役割で、試練なのだと思っていたのだ。娘は必死で戦い、モンスター共を撃退せしめた。


 みんなを守れたのだと思った。


 だが、振り返った娘を待っていたのは畏怖を込められ向けられた視線と、怨みの罵声だった。夫や妻、子供を失った人々は石を投げつけた。


 娘は“モンスターを呼び寄せた、死の魔女”と呼ばれた。


 ナナは何も言えなかった。絶望し、戸惑った娘はまだ生きていたクラーケンの背後からの一撃を受け、海へと転落した。


 この物語はこれで終わらず、箝口令が敷かれ伏せられた。撃退したのは十字騎士だと話しをすり替えられたのだ。


 そして魔女の親であるビビアン・オーデルは五年も投獄され、拷問の末に左手の親指と小指をすり潰されてその後釈放された。


 ビビアンが街に戻った頃には、魔術を使い街を守った娘の存在は当に消し去られていた。


 代わりに人々が口にしていたのは魔女の噂。


 恐ろしい魔術を使った魔女がモンスターを操って街を襲い、そして十字騎士が撃退したという話しだった。




 ジャックは破れた布切れを腰に巻いて瓦礫に座って聴き入っていた。


「そんなことがあったのか……でも、それは何十年も前の話しではないのかい?」


「……五〇年前だよ」


「そう、ウチはクラーケンの一撃を受け、取り込まれそうになって、魂を分離した片割れなの」


 ビリーはじっとナナを見つめた。ナナは目線を逸らし、如何にも辛くないと笑顔を作り言った。


「ウチは、魔女は普通の人間より長生き出来るけど、魔術を使えば使うほど寿命が縮んでしまうの。だから、あと何年生きられるのかすら分からない……」


 ナナの作った笑顔から涙が一筋零れ落ちる。登り続ける朝日がその一粒を光輝かせているように見える。ビリーはその光景を生涯忘れることはないだろうと思った。


「だからさ……だから、ごめんね、ビリー」


 ビリーはふぅっと息を吐き出し当然のように言った。


「あぁ! ビックリした!」


 笑い、さも当然の事のように言う。


「なぁんだ。そういうことっスか! ぼくはそんなこと気にしないっスよ」


「でも、ウチは六十五歳のおばあちゃんなんよ? もっといい子が――」


「――ナナ、ぼくは君が好きだ。結婚しよう」


「んけっ!……」


 ジャックがカエルのような引きつった声を出す中、その場にいる全員が凍りついた。


 ナナの頬を止めどなく涙が伝い落ちていくと、何年も我慢していた涙が溢れ出した。


「はい、ビリー・ブライト。ウチもビリーが大好きよ」


 二人がキスをすると、むず痒いものを我慢していたマリアとアンバーがきゃーっと悲鳴を上げた。


 マリアとアンバーが手を握り合い、飛び跳ねる中、同年代のニーナとシャオはポカンとビリーを見ていた。



 ***



 ジャックは船に乗り、トラキアの街を眺めていた。


 半壊してしまったトラキアの街並みを、顔を覗かせた太陽が照らし出す。建物も財も失った街の人々は、貧民街との境目すら無くなっている。全てを失った人々は途方に暮れていた。街を守るはずの十字軍駐屯兵団に掴みかかり怒声を浴びせるものも、また、腹を空かせて泣き叫ぶものもいる。


 貧民街で生活していた者たちは自分たちの数少ない食べ物を分け与え始め、雨風をしのげるよう建物を開放した。


 その陣頭に立ち率先して示していたのは闇商人ベルメールだった。商売の為なら同業者すら裏切るような世界に生きているが、今は煤で頬を汚し、パンを分け与えている。ベルメールを裏切って人買いに売り飛ばしたピケットは、逃げられないように手枷を着けられたままパンを配っている。その顔は不服そうだ。


 結局、あの後、夜が明けたトラキアの街にモンスターの襲撃を受けたと連絡を受けた教皇庁からの増援が駆けつけた。


 その中にはもちろん異端審問官もいたが、魔女の事は伏せたまま、元駐屯兵団元団長のライオネルが街の人々と共に撃退した事となっている。現団長だったジェイムズ・ウィンターの死を受け、街の冒険者ギルドの力も借りたのだと語った。街のギルドは言わば自警団程の権力しかないが、その実力は折り紙付きで、教皇庁より、モンスター討伐のためのギルド再建には協力を惜しまないことを約束してくれた。とは言っても口約束程度だ。冒険者ギルドに権力を持たせたくない教皇庁は、これからもギルド連盟との小競り合いを続けていくのだろう。


 ジャックはあの戦闘から生き残っていた船、初日に乗せてくれるか交渉していた船の前で、来た時同様、大荷物を背負いながら、見送りに来てくれた面々と話をしていた。


 港の桟橋には冒険者ギルドのエイリーン・ボセック、貝殻旅館のビビアン・オーデルとナナ・ウォレスの三名だけが見送りに来ていた。


 駐屯兵団元団長のライオネルは街の復興作業と、壊滅的な打撃を受けた兵団の立て直しを余儀なくされていた。老骨に鞭打ち、副団長をしている若すぎる騎士ダグラス・マイルの教育に励んでいた。


 エイリーンは言っていた。


「はいはーい! それでは伝言を伝えますねー!」


 エイリーンは務めて低い声音を作り、腰に手を当てる事で真似て言った。


「まだまだケツの青いダグラスの教育には先入観に翻弄されぬよう、そして、差別をせぬよう徹底するつもりだ。此度の事はすまなく思っている。だが、兵団には、どんなに鍛えても人間としての意志があるもの。どうかそこは分かっていて欲しい。君たちと戦えたことは彼らの財産となるだろう。それと、見送りに出れなくてすまない。道中くれぐれも気をつけてくれ」


 エイリーンはいつもの調子に戻って続けた。


「……と、仰られておりましたー! こちらからは伝言はありませんかー?」


 エイリーンは、酒場『酔龍』の売り子姿に戻っていて、今では耳に手を当てて待っている。大斧を担いだ戦闘用の動きやすい服装ではなく、メイド服姿でツインテールを揺らしている。ついでに性格やけだるそうだった喋り方まで豹変している。


 この変わり身の速さに恐怖を覚えたのは僕だけだろうか? とカインは思う。


「それなら、大変お世話になった。くれぐれも身体に気をつけてくれ、と伝えてくれ」


 ジャックはしばし考え、付け加えるようにエイリーンに耳打ちをした。


「承知しました! それとですね、早く行った方がいいですよぉ。今、異端審問官も来ているし、見つかったら首チョンパにされちゃいますよぉ」


 ビビアン・オーデルはドクドクタケキノコの弁当を作ってくれていた。


 ジャックは顔を顰めないように注意しながらありがたく受け取った。


「本当にありがとう。また娘に会えたのはお前さんたちのおかげだよ」


「孫みたいな年の差になっちゃったけどね」


 二人は笑い合い、ジャックも笑みを浮かべた。


 ナナ・ウォレスはビリーの前に歩みでると、白い小石のようなものが付いているネックレスを渡した。


「これはお守り。また必ず会えるように“魔術”ではなく、“願い”を込めたの。あなた達の“チカラ”のようにね」


 そう、ナナ・ウォレスは未知のチカラをそう結論付けた。これは“願い”のチカラなのだと。


 しばらくナナとビリーは見つめ合い、お互いがその胸の内を察した。言葉は必要なかった。いつまでも見ているカインの尻をマリアが蹴りあげた。


「いって! 何すんだよ!」


「はいはい、おじゃま虫は向こうに行きましょうね」


 同じように見ていたジャックは、シスター・リースに背中を押され、歩きながらもまだ見ていたいと振り返っていた。シスター・リースが笑みを浮かべながら、首が折れそうな程の力で前を向かせられた。


 ジャックにはなぜ見てちゃいけないのか、その意図が分からず、軽く首を捻った。


 シスター・リースは、クスリと笑って受け合い、肩越しに後ろを振り返った。


 シスター・リースの手が止まったのに気付くと、不思議と釣られるように振り返った。ビリーは足りない身長を補うようにつま先で伸ばし、ナナに口づけをした。頬を桜色に染めたナナは軽く手を振った。


「行ってらっしゃい、ビリー・ブライト」


「必ずすぐに戻ってくるっスよ。行ってきます、ナナ」



 ***



 ジャックは念願のキャラック船に乗り込み、船長の案内で船を見せて回ってもらっている。ウキウキと嬉しそうなジャックは甲板から大海原を見つめ、風を受け、暖かな太陽の照り返す光を全身で受けた。その様子を見ていたカインは安堵のため息をもらした。


「やれやれ……」


「ほんと、人の気も知らないでのんきだよね」


「ア、アンバー! ……いたのか」


「さっきからずっといますぅ! ねぇ、父さん、元に戻って良かったよね」


「ああ、シスター・リースも喜んでいるし、ミカエルも熱が下がったらしい。今は大好きなクッキーをむさぼっているよ」


 カインがあごをしゃくって合図すると、その先には甲板の隅っこでハンカチの上にクッキーを並べている三人の姿が見えた。ミカエルはリースの膝の上にちゃっかりと座り、シャオの差し出すクッキーを両手に持って交互に齧り付いている。


「あはは、ミカエルったらかわいい! 今回の功労者は間違いなくミカエルよね。後で飴玉でもあげようかな」


「そうだな。ミカエルのチカラであの“ゲート”が閉じられなかったら、今回は本当にやばかった」


「そうね……ねぇ、ビリーはここに残った方がよかったんじゃない? だって、魔女の寿命が長いにしても、魔術の使いすぎでナナの寿命はもうそんなにないんじゃ……」


 当のビリー本人はトラキアの街の港をいつまでも見ていた。ナナとビビアンが豆粒のように小さくなっても手を振り続けている。ビリーはいつまでもそれを見つめていた。その横顔には光る物が見えてカインは目を逸らした。


「……ビリーが、男が決めたことなんだ。尊重してやろう」


 アンバーもそれ以上はなにも言わなかった。いずれこの街にビリーは戻ってくる。そうなったら家族は離れ離れになってしまうのでは無いかと思うと胸に穴が空いたように感じた。


 なにもビリーだけには留まらない。ルディやマリアもだ。父さんやシスター・リースはメドベキアの孤児院に戻るだろうが、カインと言えど孤児院から出れば明日も知れないのだ。


「ねぇ? カイン……?」


「ん?」


「好きな子とか……いるの?」


 カインは思わずマリアを見た。今はルディをニーナと囲み、疑惑をぶつけている。


「はあっ!? リンクスが女だってお前ら最初から気づいてたのか!?」


「あっきれた。本当に気づいてなかったんだ」


 ニーナは腕を組み、滝のような冷や汗をかいているルディを見て、追い討ちをかけるように言った。


「ほんっとニブチンなんだから……こぉのっバカルディ!」


「え、えぇ……マジかよ……」


 ルディは頭を抱えてしゃがみ込み、気楽に抱きついたりアレやコレやしていた事を思い出していた。


 ニーナとマリアに囲まれ、未だに追撃は止まりそうもなかった。


 カインは自然とマリアを追っていた視線を甲板に落とし、一瞬アンバーを見て逸らした。


「……ん、今は……考えられないな。シスター・リースを人間に戻せるかどうかもまだ分からないんだ」


 アンバーは答えず、先程のカインの一連の流れを反芻する。


「そう……ね」


 アンバーは一人になりたくなって、甲板の手すりにもたれかかった。


 ひとりでに流れ落ちる涙を一度だけ指で拭った。声を上げて泣きたい想いを、初恋の苦味を噛み殺すようにハンカチを取り出してもう一度拭う。


 キュッと唇を引き絞り、鼻を啜った。自分の頬を思いっきり叩くとバチンと音がして、誰かに聴かれはしなかったかと目線を泳がした。安堵したアンバーは目に火を宿し、再度決意する。


〈まだよ。まだ始まったばかりなんだから、諦めたらダメだからね、アンバー!〉


 ビリーはナナから受け取ったお守りを握り締めた。愛を誓い合い、この旅から戻ったら結婚式を挙げることになっている。だが、これはまだシスター・リースとジャックには内緒だった。


 ビリーはそっとお守りである白い小石のネックレスに口づけをすると、首に掛けた。


 ビリーの目には、力強く、そして揺るぎない“願いの意志”が宿っていた。気弱だった少年は水平線を見つめて、その先にある困難を想像する。


 振り返り、見守るように自らを取り巻く、虹色に光り輝く“家族”と共になら、どんな困難だろうと乗り越えていけるだろう。


 ビリーはその小さな体躯をめいいっぱい伸ばし、目の端と同じ塩辛い風を吸った。


「さぁて、次はどんな旅になるか楽しみっスねぇ」

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【第2章完結】くたびれ神父の孤児院は超危険だけど最強らしい~吸血鬼に攫われたシスターを助けに行く子供達との超能力バトル!血の繋がりのない“家族”の物語り らぃる・ぐりーん @Lyle1982

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