第52話 融合

「そんなこと……出来ませんよ。失敗したら、父さん死んじゃうんじゃないですか? 私、嫌です。父さんがかわいそう」


 シャオの頬を涙が伝った。ジャックの心臓に突き刺すことを想像し、それだけでも胸を痛めた。いつも傷だらけで、家族を守っているジャックに、狼男の特性で治るとはいえ、ただのひとつも傷をつけたくはない。


 皆一様に心の奥底に存在するジャックの疲れた顔で微笑む顔がよぎっていた。苦手な子供たちに振り回されて四苦八苦しているジャック。ルディとビリーのイタズラに半べそをかくジャック。そして、家族を守るためなら自分の幸せや痛みなどは度外視するほど、愛情深いジャックだ。


 過去にメドベキアの町で買い物をすれば“化け物たちの孤児院”だと罵られ、子供たちが落ち込んでいた時には必ず、高価な甘いものを作って、ただただ寄り添って黙ってそばに居てくれた。


 家族のためなら自分を犠牲にし続けるジャック。なんでも受け止めている。まるで大樹のように寄り添い、子供たちを見守り続けている。そんな彼をみんなが愛していた。


 それぞれが大地に目を伏せて黙り込み、ロザリオを見つめた。マリアが小さく震える手を上げて言った。


「私は……助けたい。元に戻してあげたい。もう一度、あの大きな手で頭を撫でて欲しい」


 アンバーがそれを見て頷き、後に続いた。


「私たち、まだなにも父さんにしてあげられていない。プレゼントだって、また作ってあげたい。私も……助けたい」


 腕を組んで押し黙っていたニーナはクスリと笑って言った。


「当然よねっ! あたし一人でもやるつもりだったわっ! ちょっとチクッとやるだけよっ! シャオ! そして、元に戻ったら、一緒に謝りに行こう?」


 シャオは涙を拭い、ニーナの差し出した手を握って挙げ、賛成だと意志を示した。


 ルディはニーナに負けじと言った。


「フン! おれだって一人でもやるつもりだったっつーの!」


 ビリーは賛成だと手を挙げた。


 ミカエルは嫌な夢でも見ていたのかビクッと身体を震わせて起きると、一瞬不機嫌そうな顔をした。リースが笑顔を向けて声をかけた。


「ミカエル、みんなが手を挙げていますよ? あなたはどうしますか?」


 ミカエルは不思議そうな顔でみんなを見回すと、そういう遊びなんだと嬉しそうに両手を挙げた。


 みんながミカエルのあどけない仕草に笑顔がこぼれる。


 様子を見て、自らの半身を抱いて様子を見ていたナナ・ウォレスとリンクスが言った。


「ウチらもやる。協力させて? このまま終われないよ」


 カインはみんなの顔を一人一人じっくり見て言った。覚悟がなければ足でまといにしかならないのだ。それだけ危険なのだ。


「みんなが、やりたいならそうしよう。だけど……みんなのチカラを父さんに向けて使わなくちゃならないことだけは覚えておくんだ。戦いが始まってから、躊躇すれば父さんに殺されることになるんだからな。そうなれば父さんは……」


 その先はカインにも言えなかった。正気を取り戻したとしても、ジャックにも、みんなにも、あまりにも辛い現実となる事を。


「覚悟を決めるんだ。父さんを助けるためにも全力で攻撃を加えて動きを止める。これを突き刺す役目、一番危険な仕事は僕がやる」


 みんなが頷いた刹那、エイリーンの大斧が金属音を奏でながら飛んできて地面に突き刺さった。


 黒い狼男となったジャックの腕にライオネルが首を掴まれ、顔を真っ赤にして抵抗している。反対の腕にはエイリーンの腕が掴まれ、その片腕は紫色に腫れ上がり真逆を向いている。


 ジャックは次なる獲物を品定めするかのように、その怒りに染まった真紅の瞳で静かに見つめていた。覗いている牙が獲物を求めて伸びていく。


 カインは舌打ち一つ、駆け出した。


「やるぞ!」


 子供たちは散開し、ジャックを囲うように展開する。


 マリアは真正面から突進し斬りかかった。振り下ろした剣がジャックの爪に阻まれて止まる。新たな獲物を見つけ、興味を失ったかのようにライオネルとエイリーンを放り投げた。


 自由になったもう一方の爪が、マリアの鼻先を紙一重で通り過ぎていく。


 ジャックの振り抜く爪の勢いを利用するように、マリアは剣をその場に置き、力の流れに沿うように斬りあげる。


 黒狼の目がパックリと裂けて血が濁流となって流れ落ちる。そのまま回転して更にもう一斬り。


 狼男は腕を切り落とされても、腹を抉られても再生する。その不死にも思われる“超再生”にも弱点はある。“血”だ。再生できるのは傷や怪我のみで、再生には大量の血が必要となる。


 その要となるのが心臓。ジャックは戦闘の際に心臓を強く脈動させて筋力を爆発的に高めている。その結果、常人離れした膂力を可能にしている。それは黒狼となった今でも変わらない。


 この事実は家族全員が知っている。メドベキアでの戦闘後に、皆を集めて言っていたのだ。何故そんな話しをするのか疑問に思っていたが、この時のためだったのだと理解した。自分を殺せるようにだ。マリアは気に入らない答えを振り払うように剣を振った。


「今、助けるからね。父さん」



 片目を潰された黒狼のジャックの死角を見逃さず、シャオの精密狙撃が脚を貫いた。まるで自分の脚を撃ち抜いたかのように顔を渋めた。


「父さん、お願いです。元に戻って、私ね、私……父さんの事、大好きですから、いつものように頭を撫でてください。私、もっと薬のこと勉強して、父さんを人間に戻せるお医者さまになります。だから……だから……」


 シャオは目の端に貯まる涙を拭い、慣れた手つきで猟銃のボルトハンドルを弾いた。“見るチカラ”がジャックの身体の弱点を炙り出す。撃ち抜いたばかりの脚の骨が、再生を始めている。シャオはまったく寸分違わず同じ位置に弾丸を撃った。



 ルディはチカラを解き放ち、火の玉を投げつけた。


 骨を弾丸で撃ち抜かれて曲がった脚のまま、ジャックは向かい来るその真っ赤に燃える火の玉に喰らいつき、髭を燃やしながらルディを睨みつける。牙を見せつけるように剥き、恐怖にルディの足が止まった。振り下ろされるマリアの剣を弾き、狙いをつけたかのようにルディに向かって飛びかかる。


 空中を滑空し回転しながら襲いかかる二本の剣に、思わず足を止められたジャックは、鬱陶しいそうに爪で弾いて相手取る。ニーナは大粒の汗をかきながら連戦による疲れを顔に滲ませ剣を操っていた。


「ルディ! 本気でやっていい! 父さんはそんなものじゃ怯みもしないぞ!」


 カインが吠えると、ルディは距離をとりながら火の玉に手を添え、チカラを薪のようにくべていく。火の玉は青く燃え上がり、辺りを青く照らした。


「フン! カインがやれって言ったって、後で父さんに言いつけてやるからな!」


 ルディは大きく足を振り上げた。全身のバネを使って青い火の玉を、空飛ぶ剣とじゃれ合うように斬り結ぶジャック目掛けて押し出すように投げ放った。


 爆発音が轟き、戦闘で降り積もってしまった粉塵が一気に吹き荒ぶ。


 半身が焼けただれ、目が飛び出ている。皮膚を失った左手が目玉を元の位置に押し上げるとシュウシュウと蒸気を吹き上げて元に戻っていく。


 ダメージの残る身体で、ルディへと向かって獣同然に吠えた。


「ガルルァァアア!」


「う、うわぁっ! おれが悪いんじゃない!」


 頭を抱えてしゃがみ込んだルディの前にビリーが飛び出すと、短槍を突き出した。今にも飛びかかって咬みつきそうなジャックは、ビリーの突き出す雷を帯びて光る短槍を見て嫌がるように目標を変えた。


 トントンとその場で跳ねていたアンバーが飴玉を口の中に放り込み、ニコッと笑って手を振りながら注意を引く。ジャックと視線がぶつかり、弓に矢を引っかけ不敵に笑った。


「父さん、私と追いかけっこしよっか」


 アンバーが踊るようにステップを踏み始めると、ジャックが爪で地面を抉りながら突進。砂煙を巻き上げながらアンバーの喉元へと爪を振り上げる。


〈まだ……まだ……まだ……今!〉


 アンバーの紫色の瞳がチカラの影響で火を灯す。その場に残光を残してアンバーがすぐ脇をすり抜けていく。


 ジャックは目の前から突如消えた目標を探そうと辺りを伺った。


 背後から迫る風きり音をすんでのところで避けると、矢を放った主に向かって牙を剥き出した。


 アンバーはステップを踏み続け、左右へと一瞬で移動して注意を引いた。


「こっちだよぉ! 父さん。父さんは、いつもみんなで追いかけっこすると、足の遅い私を気遣って最後に狙ってくれてたよね。見て、私ね、こんなに早く走れるようになったんだよ」


 ジャックが爪を真っ直ぐに突き出して突進すると、アンバーのいた場所に爪が突き刺さった。すでにそこにアンバーはいない。絶命している兵士の鎧を貫き、その先にある岩に爪が食いこんだ。


 その隙を縫い転がるようにビリーが飛び出した。短槍を身体の一部のように使いこなす。


〈身体の軸を動かさず、短槍の重みを利用して叩き込む〉


 幾度も練習した動きがビリーの迷いを打ち消すように身体をつき動かした。


 回転する斬撃の一瞬に電撃を這わせて威力を上げ、その一撃で突き刺さっていた腕が宙を飛んだ。


「ごめんなさいっスよ! 父さん! また荷物持ちも、キノコ取りも、何でも手伝うから!」


 ジャックは失った腕を振った。無くなった腕を不思議そうに見つめ、力を込めて再生を促し生やした。


 ジャックは大きく息を吸い込み始めた。肺が膨張し、胸が大きく膨らんでいく。


 ビリーはジャックの胸が風船のように破裂するんじゃないかと少し心配になっていた。そんな心配も他所に、それは一気に放たれた。


『ガオオオオオオオンンン!!』


 耳をつんざくような雄叫びに、ビリーの動きが止まった。耳から血が零れ、鼓膜が破れてバランスを崩した。


 雄叫びは戦場全体から、街全体へと波及していった。


 ジャックはひざをついたまま立てないビリーの肩口に咬み付いた。


「うわああああっ!」


 ボキボキと肩が折れて血が押し出されるように噴き出した。


 マリアが飛び上がり斬りかかると、ジャックは跳ねるように距離をとった。


「シスター・リース! ミカエルにビリーを守らせて! マリアは治療してくれ!」


 カインは拳銃を構えてジャックの前に飛び出した。血走っている瞳にチカラの光が灯る。


『止まれ!』


 ジャックが動物的な直感で、見えない何かに怒りの咆哮を放つと、何かが破裂するような音を立てた。


「なっ……なにっ!?」


〈そうだ。なぜか父さんには僕のチカラが通じにくいんだ。何故なのかは分からないが、そうなのだ。表層意識をなぞるぐらいなら、出来るが、命令は受け付けない。おそらくだが、意志を無理やり押さえつけているのかもしれない。……もしくは話そうとしない過去に、なにか“特殊”な訓練を受けているかだ〉


 カインは驚愕しながらも牽制するように拳銃を撃った。弾丸は二発避けられ、一発が肩を貫いた。


 ジャックは怒りの矛先を変え、降参するように両手を掲げているひときわ小さな少女ニーナへと向けた。


「来たわねっ!」


 突進して来るジャックにニーナが腕を振り下ろすと、上空に浮かぶ十本の槍が狂った雨のように降りかかった。


 ジャックは逃れようと飛び退るが、ニーナのチカラが空中で曲げて逃すまいと駆り立てる。


 降りかかる槍を全て避け切ったジャックは、いつの間にか四方八方を囲まれているのに気がついた。


 ニーナがチカラの使い過ぎで吹き出す汗を散らしながら、ダメ押しとばかりに横からさらに槍を飛ばした。縦に刺さった槍の隙間を真横に通していく。


 槍同士がお互いと絡まり合うように交差し、まるで即席の檻のようにジャックを取り囲んだ。


「ギ……ギ……」


 黒ずんだ体毛の小首を傾げ、ジャックは嘲笑うように自身を囲む槍を爪で切り裂いた。


 切り裂いた囲いの外からルディの火球が地を這うように飛び、黒狼の下から爆炎をお見舞する。


 視界を奪われた黒狼が怒りの咆哮を轟かせる。


 カインは様子の変わってきた夜空を睨み上げ、拳銃の弾をありったけ撃ち放ち走った。


〈もう……少し〉

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