第49話 もう一人のナナ・ウォレス
ジャックが大地を踏みしめ、大きく飛んで距離を稼ぐ。そのすぐ後ろの空間が歪み、空気すらも閉じ込めるように青く丸い球体が出来上がる。
ジャックは宙に浮かぶゲートの傍にもう一度飛び上がり、自分を狙う空間の歪みがゲートに当たるように身体を捻った。滞空時間を稼いだおかげか、その場の空間が歪み始める。カインは振り落とされそうになりながらもしがみついた。モンスターを生み出す空中にある深い闇のゲートはパキンとガラスが割れるような音と共に消えた。
「よし! これで四つ! あと四つだ!」
急がなければ、ゲートを潰す前にミカエルがチカラの使いすぎで、のぼせ上がってしまうだろう。加減が出来ないミカエルはチカラの使いすぎで死んでしまうかもしれないとジャックは急かされるように思った。
今もミカエルはうわーんっ、と泣きながらチカラをがむしゃらに使っている。チカラの制御が出来なければこのまま脳がダメージを受け続けて死んでしまうだろう。それは教皇庁から胸糞悪い人体実験の報告で受けている。
〈ああ、すまないミカエル。もう少しの辛抱だ〉
ジャックが着地する空間が歪みを生じ始める。
「父さん! 下! 避けて!」
カインがチカラを使ってミカエルが狙う場所を把握して言った。ジャックは慌てて身体を捻った。
えぐり取られた地面が玉になって、転がる。
「グエッ!」
身体を捻った為に足が空をきった。背にいるカインが地面に叩きつけられないように自らを盾にしてジャックが呻いた。すぐに起き上がり駆けた。見据える先にあるゲートを盾にするようにジャックは高速で跳ね回る。
続けざまにミカエルの青い結晶玉がゲートを抉りとっていく。
〈五……六……よし、七だ! ラスト!〉
最後のゲートにジャックが飛ぶと、ミカエルとゲートに気を取られていたジャック目掛けて、クラーケンの触手が唸るような音を立てて直撃した。
ミカエルのチカラが、クラーケンの触手の一部を抉りとり、結晶玉に包みこんで落下した。
ミカエルが泣き疲れてヒックヒックと泣きじゃくっていた。
ニーナは泣き止んだミカエルをリースの元に降ろしてやった。
リースが抱きとめ、体温を測るように手を額に当てた。のぼせ上がってしまった真っ赤な顔が痛々しい。あやし始めると大粒の涙を浮かべたまま目を瞑って眠たそうに目を擦り始めると、リースは小さな声で子守唄を歌い始めた。
地面に叩きつけられていたジャックは折れた腕を振るって再生させて起き上がった。
「ぶ、無事か? カイン」
白と黒のホコリまみれになったカインが応える
「だ、大丈夫……それよりゲートは?」
「ダメだ、最後の一個が閉じれなかった」
ジャックが常人離れした視力で戦場の後方に位置するミカエルを見ると、ミカエルはリースの胸に顔を押し付けて眠っていた。
〈再度チカラを使わせるのはいくらなんでも危険すぎるだろう〉
カインはミカエルのチカラに頼らざるを得なかった自分に歯噛みしながらクラーケンを睨みつけた。
〈ごめんな、ミカエル。だが、ここからどうすればいい? 方法はある。だが、それをやればナナが死んでしまうし、ビリーも心を痛めるだろう。なんとかそれは避けたいが……〉
マリアとビリーが走ってくるのが見える。どうやらマリア達が戦っていた戦闘の最前線辺りに落ちたらしい。その証拠にナナの魔術で貫かれ、本体は地に伏したまま触手だけが暴れ回っている。
マリアが息を切らせて言った。
「二人とも、怪我はない?」
「ああ、僕は大丈夫。父さん?」
「俺も大丈夫だ。もう治った」
狼男の再生力で、折れていた腕を確かめるように握ったり開いたりしながらジャックはゲートを見つめた。次にクラーケンを見た。
「あのゲートはなんのゲートだ?」
言っている傍から半魚人がゲートから顔を覗かせ出てきていた。カインはその不気味な曇った目と目が合った。
「ダイナマイトでもあれば、あの穴に突っ込んでやるのにな」
〈ダイナマイト……〉
ビリーはルディを見て指さした。
「いるよ? ダイナマイト」
ルディはスケルトンの残りに向かって火の玉を投げつけていた。
「ルディのチカラであの奥を吹っ飛ばしても気休めにしかならないんじゃないか?」
「ナナっス! 彼女なら、閉じられるかもしれないんじゃ――」
「――それだけはダメだ」
カインが食い気味に言うと、ビリーはムッとした。
「どうして頭から否定するんスか?」
「……ッ!」
カインは思わず食ってかかりそうになった。クラーケン本体にはナナの半身がある。クラーケンを倒せばその半身ごと殺す事になるのだと説明したかったが、ナナはそれをビリーに伝えたくはないのだと踏みとどまる。
「仕方ないな……、まずはクラーケンを倒そう。ここまではモンスターの物量に押されていたが、ナナの魔術で弱ったクラーケン本体と触手、それにゲートが一つだ。なんとかなるだろう」
「……了解っス」
ビリーがクラーケンへと向かっていくと、カインはその後から無言で拳銃を構えながら走っていった。
「やれやれ……先が思いやられる」
ジャックは独りごちて後を追った。
***
ナナ・ウォレスは膝をついて、責任感から身体を震えにつかれながらも、息荒く立ち上がった。
ウチが……やらなきゃ。
シャオの構える猟銃から弾丸が放たれると、半魚人の一体が倒れた。
ナナが杖を手に飛び上がるのを感じ、慌てて制した。
「待っ……待ってください! ダメです! そんな身体じゃ……」
慌てて制するのもむなしく、ナナは飛び去ってしまった。シャオは不安に駆られ、ジャックの元へと走った。
肩越しに振り返り、その場に残してきたリースとミカエルを想う。それを察しているリースは笑顔で一つ頷き、送り出してやった。
子供たちの小さな背中が頼もしく想える。チカラを使い、人を傷つけるわけではなく、助ける事に使う子供たちをリースは心の底から誇らしく思う。
***
ジャックは飛び上がり、斧と剣を合わせたような武器『ククリ』をクラーケンの頭部目掛けて振り下ろした。
全体重を乗せた一撃はククリを根元深くまで沈め、柄を逆手に持ち替えたジャックはその身体の上を走り抜けた。
引き裂かれる頭部にクラーケンは吠え、触手をジャックに集中させた。
無数の触手に狙われたジャックは意を決したようにククリを振りあげ、足を大きく開き、足の爪をその場に打ち込むように食い込ませた。息を大きく吸い、全身の血を爆発的に巡らせる。太ももが筋肉で膨れ上がり、柄を握る腕が太くなっていく。
構えたジャックは雄叫びを上げてククリを高速で振るい、迫る触手を次々に切り落としていく。
「グルルォォオオオ!」
その背後で切り裂かれたばかりの頭部がゆっくりと裂けると口と繋がり、牙が生えた歪な大口を開けた。
「父さん! 後ろ!」
カインは弾丸を撃ち放ち、チカラを強く念じた。
『止まれ!』
クラーケンの思考が膨大な量の命令で動きを止め、ジャックは飛び上がりながら触手を一刀両断して叫ぶ。
「ビリー!」
ビリーは待ってましたとばかりにその頭部を駆け上がっていき、三角頭の天辺に短槍を突き刺した。
「行くっスよぉぉ!」
ビリーの両手からピリッと一瞬光が空へと向かって走り、その道を沿うように膨大な電撃を帯びた短槍目掛けて一直線に走った。
轟くような音に弾かれるようにビリーの身体が浮き上がり、異物を排除するかのように吹き飛ばされた。ジャックがビリーを受け止めようと落下地点へと走る。
クラーケンの身体が電撃に焼かれてビクビクと痙攣したかと思うと、小さな触手は焼けただれて身をよじり、また大きな触手は餅のように膨れて弾けた。
クラーケンが内側から焼かれるような痛みに喘ぐと、大きな口から白い煙を噴き出した。カインはその大口へと飛び込んで行った。
ジャックはビリーを抱きとめると叫んだ。
「カイン! 何やってる!」
カインの振り返った肩越しに、赤い瞳が煌めいた。その脳に送り込まれてくるイメージを垣間見たジャックは、クラーケンへと走る。
ジャックはこめかみに血管が浮き出るほど食いしばり、膨張した筋肉で疾走するとカインの後を追って口の中へと飛び込んだ。
***
すでにカインはクラーケンの食道を通り、内部へと侵入していた。そこは不思議と広く、まるで貝殻旅館の部屋のように丸い部屋だった。その部屋に漂う幻想的な光がフワフワと紫色の塵を散らしていた。
部屋の中央には大きな血管の束がたくさん天井と下から生えていて、まるで一本の大きな木のようにも見える。その中に見知った姿が見えた。
グッタリと木のような血管に囚われ、その身体のあちこちに血管が吸い付いて生気を吸われているように見える。
その少女はナナによく似ているどころかそっくりだった。外にいるナナより顔色が悪く、気を失っているように見える。このナナ・ウォレスは緑色の長い髪をしていて、所々黒い髪に染まっている。見知っているナナは対照的に黒髪に所々緑色が混じっている。
なるほど、ナナの言っていた、魂を分けるとはこういうことなのかとカインは思った。
カインは血管の大樹に飛びつくと、血管を鷲掴み、引きちぎった。
ジャックはカインに追いつくと、怒りに任せて言った。
「カイン! この大バカ野郎が!」
ジャックは血管に囚われている少女を見て、舌打ちした。その少女は死んでいるように見える。
「なぁ、カイン、気持ちは分かるが……」
「いやだ。僕は彼女を連れて帰る」
「カイン、わがままを言うんじゃない」
「わがまま? わがままだって? 人を助けるのがわがままだって言うのか!」
カインはチカラの反動で酷く血走った目を向け、ジャックを睨みつけた。
ジャックはその目を見据えて、落ち着かせようと肩に手を伸ばした。その手を払い除けてカインは言う。
「父さん! 人を助けるのが僕たちじゃないの?」
「カイン……人は死んでしまうんだ。この子をよく見ろ……見るんだ!」
「いやだ! 認めない! 認めないぞ! 僕は連れて帰る!」
「カイン! とにかくここから――」
『クックックック』
部屋中から声が聞こえ始め、ジャックは身構えた。
その体液の中から人の顔が生えてきて、次には胴体が生えてくる。まるで触手の一本のように身体が生えてきている。
太った顔と身体がグングンと大きくなり、部屋の半分を埋め尽くす程の大きさにまで成長した。
「な、なんだコイツ」
『俺様はグレゴリー様だ。この女でも助けにきやがったか? だが、残念だったな。こいつはもうほとんど魔力が残ってない。やがて息絶えるだろう』
触手人間のような身体から手が生えて指が生えた。それをカインに指さし言った。
血管の大樹が檻の役目をしていたものが花開くように少女を解放した。それをつまみ上げたグレゴリーは、その体格に似合わない大口をぱっかりと開けると少女を放り込んだ。
カインが飛び上がり、その少女を抱きとめ、反対側に着地した。ジャックがグレゴリーの身体深く斬りつけた。
食いこんだククリの上から見下ろすようにニヤリと笑った。グレゴリーの身体から黒い霧が噴き出した。
思わず大きく吸い込んだジャックは、地面に転がり身もだえた。
「父さん! クッ! なんだよコレ!」
「す、吸うな! カイン! これは魔術だ!」
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