第37話 窮地にあるもの
アンバーは廃屋の屋根に登って矢を射った。眼下に広がる戦場は数と死者の不死性に劣勢となっていた駐屯兵たちが、弱点の分かったアンデッド達に猛攻を仕掛けていた。ゾンビの頭を槍が突き刺し、スケルトンの骨の身体を戦斧が砕いていく。
ゴーストの一体が身体の一部である布を翻し、兵士の一人を背後から掴んで夜空に浮かび上がっていく。
「は、離せっ! 離せぇっ!」
兵士は抵抗するが、実体のないゴーストを掴むことが出来ないでいる。ようやく掴めたのは唯一ある布地、皮肉にも十字軍の旗だった。見下ろした高さに驚き抵抗をやめて命乞いを始めた。
「お、降ろしてくれ。頼む。やめてくれ……」
ゴーストが掴んでいた背中を離すと、兵士は声にならない叫び声をあげた。
戦っている兵士達の中心の地面に叩きつけられた兵士は、レンガ造りの地面に真っ赤な血の花を咲かせた。
アンバーは思わず目を背けた。
手脚がありえない方向に曲がり、痙攣していて折れた首から血を吐き出している。仲間の成れの果ての姿、その恐怖が伝染していく。
「く、来るな! 来るなぁっ!」
また一人の兵士がゴーストに捕まって空へと浮かび上がり地面に叩きつけられた。
アンバーは廃屋にある布切れを見つけると矢に巻き付け、ルディの火打ち指輪を何度も打ち合わせた。
だめだ。火がつかない。アンバーは辺りを見回した。この一段下がった場所にある貧民街に明るさはほとんどない。灯りをつける油もタダでは無いのだ。
〈火、火を……どこかに火はないの? お願い! 神様!〉
アンバーは頭上の灯りに気付いて一段上の教会を見上げた。突き出した出っ張りから見下ろすように教会が見える。その明るさは、貧民街からは一際輝く星のように見える。ほんの少し上には、街中の灯りが広がる。街灯が通りを照らし、夜市が眩いばかりの灯りを放っている。教会のステンドグラスから照らす灯りを見つけた。
廃屋の上から飛び降り、アンバーはポーチから飴玉を取り出した。チカラの反動で空腹になるために飴玉を口の中に放り込む。発動条件となる足踏みを始め、チカラの火を眼に灯す。ゴミだらけの貧民街を猛スピードで駆け抜けた。
教会の木扉を体当たりで押し開けて、誰もいない空間へと飛び込んだ。真っ先に見えたロウソクの火を手作りの松明につけて外へと飛び出す。
チカラを使おうと足を動かすが、すぐに思いとどまった。
〈だめだ。チカラで走れば火が消えてしまう〉
アンバーはチカラを使わずに走った。
だが、すぐに息がきれてしまう。元々、体力はないし走るのも好きじゃない。
〈私のは“走る”チカラ。何とも皮肉だわ。使っている間は息はきれないけど、疲れも残るしお腹も減る。チカラに目覚めた時は、どうせなら一人で本の世界にどっぷり浸かれるチカラがよかった。でも、……でも今は違う。みんなを助けられる。シスター・リースも助けられた。このチカラでよかった〉
アンバーは先程来た時とは違い、教会の裏手にある階段を火を絶やさないよう手で覆って登る。貧民街からは見上げるような高さにある場所に薪と藁の荷車を見つけた。
〈よかった。本当にあった! メドベキアの教会にもあった、この教会を貫くような大きな暖炉の為に常に常備されているのだ〉
アンバーはその藁の荷車に、松明の火を近付けて燃え移らせた。その火の中にカインとマリアの顔が浮かび、目を瞑り、また開いて火を見つめた。
〈今は何も考えない。やるべき事をやるの。何もかも火にくべてしまうの〉
キッとアンバーが睨みつけた視線の先。貧民街で戦う駐屯兵団の上を、グルグルと三体のゴーストがまるでカゴメの歌で遊ぶかのようにおどけたそぶりで飛び交っている。そして歌が止まったかのように急降下して兵士をまた一人上空高く引き上げて叩き落とした。
荷車の火が大きくなると、アンバーは飴玉を口に放り込み、火照った頬を挟むように強く叩いた。
思わず耳がキーンとする。
〈さあ、腹を括りなさいアンバー!〉
アンバーは燃え上がる荷車に薪を放り込み、チカラを解放した。薄紫色の瞳に火が灯る。この小高い丘からは真っ直ぐ貧民街へと向かう道がある。
アンバーの両足裏が燃えるように熱く感じる。荷車を掴む手に力を込める。
力強くステップを踏んで一気にトップギアに入れる。
荷車に積んだ薪の一つがその場に転がり落ちた。
アンバーと荷車は階段から飛び出し
、貧民街へと向かう苔むした下り坂を猛スピードで降る。
道が悪く、荷車が少し大きめの石を踏むだけで車輪が跳ね上がり、先頭で荷車を引くアンバーが持ち上げられ、薪と火のついた藁が点々とこぼれ落ちていく。
またゴーストの一体が兵士に掴みかかる。指揮をとっていた白いものが混じる髭の兵士が、向かってくるゴーストに戦斧を振り下ろした。
穴だらけのゴーストの薄汚れた白い布が真っ二つに斬れるが、それぞれが意志を持っているかのように同時に襲いかかる。
「うわわわっあぁぁぁ!!」
そこへアンバーと荷車が突っ込んだ。勢い余って地面に叩きつけられたアンバーが転がり、廃屋の壁に激突した。
二つになった白い布のゴーストに荷車の火が燃え移ると一気に燃え上がった。
「ギョロロロロロロロ!」
ゴーストがくぐもった断末魔をあげ、それもすぐに火に飲まれて消えていった。最後に残った布切れが燃え尽きると完全に沈黙した。
「や、やった……やったぞ!」
髭の老兵士は言ってハッとする。
「この希望の火を絶やすな! 弓兵! すぐに火矢を放て!」
髭の兵士は指示を出すと倒れているアンバーに走り寄った。
小さい。華奢な、まだほんの十歳かそこらのただの女の子に見える。我が孫と歳はさほど変わらないだろう。こんな子が助けてくれたのかと、グッと歯を噛み締めた。
煤と灰に塗れて気を失っているアンバーを抱き上げた。
残ったゴーストの二体は射かけられる火矢に焼かれて落下した。自分たちが地面に叩きつけた兵士達のように。
「終わったのか……」
髭の兵士はアンバーをまるで称えるように高々と持ち上げると勝鬨をあげた。
アンバーは男たちのあげる雄叫びの中夢を見ていた。カインとマリアと自分の夢だ。夢の中、カインとマリアが手を繋ぎカゴメの歌を歌った。二人の間で自分が両手で目元を隠ししゃがみこんでいる。
やがて歌が止んだ。
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