第31話 後ろへ続くものたち
ナナ・ウォレスとリンクスは自己紹介がてら何事か話し込んでいる。時おりクスクスと笑い声が聴こえ、その背後でルディはビリーの肩に手を回しながらコソッと耳打ちした。
「なぁ、ビリー。ところで……おれの火打ち指輪持ってない?」
「持ってないっスよ」
「あっちゃ~」
ルディは自分の額をピシャリと叩いてしゃがみ込んだ。
「もしかして……無くしたんスか?」
落ち込む過程でしゃがみ込んだまま、ビリーを見上げた。
「あぁ~……父さんの荷物ん中」
その一言でメドベキアの町から出立する際のイタズラの事だと察したビリーは、ルディと同じように額をピシャリ。そして言った。
「ど、どうするんスか? これから行く感じだったじゃないっスか?」
「えぇ? だってアレないと戦えないじゃーん」
「じゃーんじゃないっスよ。まったく」
「いたぞぉ! コイツらだ! 逃がすな!」
声のする方へと一様に見ると、顔色の悪い兵士が一人こちらを見て叫んでいた。
再会したことに安堵してしまっていた子供たちは、先程まで牢を吹き飛ばし、屋敷の壁を破壊するほど大暴れしていた事すら忘れてしまっていたのだ。
「やっべぇ! 見つかった!」
「ふふん。兵士の一人くらい、なんてことないっスよ」
ビリーは三人の前に歩み出て短槍を振り回した。
いつもなら真っ先に逃げようと言うのはビリーだ。それが今は皆の前に歩み出て行き格好をつけている。ルディはその様子を見て察した。
〈はっっはぁぁん。この子、ナナって言ったか? この子の前だからええカッコしようとしてるわけだな〉
ルディはイタズラ心からにんまりとほくそ笑んだ。
兵士が剣を抜くと、ビリーは先手を取るために槍を手に走った。
ビリーの突進からの突きを兵士の剣が受け止め、地面に向かって弾く。
槍が地面を抉ると、兵士は返す剣でビリーに向かって剣を振るった。
ビリーがしゃがんで避け、さらに下方からの鋭い突きを立て続けに繰り出した。
受けきれない槍が兵士のスネを貫いた。たまらず膝を着くと、兵士の隙をついて剣を叩き落とした。
「うぅ……くっ! き、貴様ら……」
奪った剣を放り投げ、ビリーは無力化した兵士の前で踵を返し、仁王立ちして見せた。
「ふっふぅん! どーんなもんだい!これでも修羅場はくぐってきてるんスよ! ハッハッハッハ!」
ルディ達は拍手で称えていたが、それがピタリと止まる。三人の表情が固まった。
そんな事には気づかないビリーは未だに威張って様々なポーズを決めて見せている。
「ヨッ! ホッ! ハッ! フン!」
ふと、三人の異変に気付いたビリーのこめかみを冷や汗が垂れた。
モジモジしだしたビリーは身振り手振りでルディ達に訴えた。
”もしかして……後ろにいる?”
ルディ達は高速で何度も首を縦に振った。それが妙にシンクロしていてビリーはおっかなびっくり後ろを振り返る。
へ、兵士が一〇……に、二〇? 一対一でも、ギリギリの勝利だったのにも関わらずだ。その数では敗色濃厚、いや、それ以前の問題だった。
ビリーは両手を頬に当てて息を大きく吸った。
「ひょええぇぇえっ!!」
逃げようとするビリーのはるか先をルディ達は走っていた。
「ちょぉぉおお! 待ってぇぇえええ! これ二回めぇぇぇぇえ」
***
グレゴリー・マイヤーは青白く燃え盛る魔法陣のそばに立っている。見下ろす先には少女が一人。魔法陣の中央でただただ古びた書物に書かれている祈りを捧げている。この世の悪の王へ。本意からではない。今すぐにでもこの本に火をつけ燃やすべきだ。だがグレゴリー・マイヤーはその様子を長年の不摂生からなるニキビだらけの頬を緩ませて笑みを浮かべていた。
グレゴリー・マイヤー伯爵家の屋敷の地下に広がる洞窟に刺す光が、部屋の隅に位置する井戸の水に生え渡っていた。
禍々しい祭壇には生贄が数人手足を縛り付けられ、それぞれが目を抜き取られている。今では腹を切り裂かれてその奥にあるはずの臓腑はなく、代わりに広がる黒い円がゆっくりと渦を巻いている。
魔法陣の中央にいる少女は涙を流し、泣き腫らした真っ赤な目で恨みがましくグレゴリーを睨みつける。
意に介さないグレゴリーから目を逸らし、生贄の子供たちの哀れな異形を見つめた。その数六人。
グレゴリーは地下へと伸びる階段を駆け下りてくる二人の兵士の一人に報告を受け、カッと顔を朱に染めると持っていた赤い刃のナイフを腹に突き刺した。
兵士は膝をついて自分の切り裂かれた腹を、顔に絶望を浮かべて見つめた。兵士は糸が切れた人形のように地面に倒れ動かなくなった。
表情一つ変えないもう一人の兵士に向かってグレゴリーは言った。
「子供を連れてこい。あと一人で完成なんだ。手足はなくて構わん。連れてこい。今すぐだ」
兵士は「分かりました」とだけ答えて急ぎ、降りてきた階段を駆け上がって行った。
「何してる? 祈りを続けろ。お前のお友達を薪の代わりに火にくべてやってもいいんだぞ」
魔法陣の中で少女は祈りを捧げ始める。声は怒りにうち震え、苦痛の涙に濡れながら呪言を唱えた。
***
駐屯兵団団長、騎士ジェイムズは第一、第二、第三駐屯兵達を従えてグレゴリー・マイヤーの屋敷へと急いだ。
皆一様に甲冑を着込んでいて、走る振動が伝わる度にカチャカチャと耳障りな音を立てる。それが四〇人規模で大行進をしている。
その頭上で、建物の上を飛ぶように移動していたジャックが叫ぶように言った。
「おいおい……マジかよ。……おい! ジェイムズさんよ! また異次元ゲートからモンスターが溢れ出て来やがったぞ! 港側と貧民街の方角だ!」
ジェイムズは兵士達に向かって声を太く、全体に通るよう指揮を飛ばした。
「第一はダグラスに従い、港のある東へ向かえ! 第二はスラムの敵を殲滅しろ! ライオネル隊長お願いします」
「元……だ。任せておけ」
髭を蓄えた兵士は腕を振り上げ、着いてこいと言わんばかりに先陣を切り、貧民街の最下層にあるスラムへと向かった。
ジェイムズはいつもそばに置いているそばかすだらけの、まだ若い騎士に向かって言った。
「第一はお前が指揮するんだ。ダグラス・マイル……出来るな?」
若い騎士ダグラスは一瞬戸惑いながらも使命感を帯びた目付きで答えた。
「やれます!」
ダグラスは腕を大きく振って言った。
「だ、第一ぃっ! わ、私についてこい!」
集団は三つに別れて進む。それぞれがまとまって移動している。それだけで兵士の練度が見て取れた。ジャックは舌を巻いた。
ジェイムズはジャックに向かって言った。
「ジャック! 私と屋敷に行ってくれるか?」
街全体の様子を建物の上から観察していたジャックは、ジェイムズの前に降り立つとニヤリと笑い、兵士達と共に走ってついてきていたニーナ、シャオ、リース、カイン、マリアそれに背におぶわれているミカエルを見て言った。
「……あんたも気苦労が絶えないようだ。後身の育成かい?」
ジェイムズはふっと笑みを浮かべて答えた。
「ああ、ダグラスは……あの子が赤ん坊の頃から知ってるんだ。……商人にでもなった方が幸せなのだがな」
ジャックがふふっと笑うとジェイムズも同じように笑った。
「さあ、その屋敷とやらに行こうか。たまたまなんだが俺もそっちに用があってね」
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