第32話 若き騎士ダグラス・マイル
十人規模の第一隊はダグラスを筆頭に港へと出現したゲートの元へと向かっていた。
カインは先頭を走るダグラスの背中を見つめながら思っていた。その幼さの残るそばかすだらけの顔は、カインと歳が近く見える。実際、年齢は一つしか変わらない。
後ろを追従する鍛え上げられた肉体の兵士たちに比べれば、弱々しくすら見える。ジャックはこう言っていた。
「港側はお前たちに任せる。二人が連携を取れればどんな困難も打ち砕けるだろう。だが、無理はするな。いいな? いざとなったら逃げるんだぞ」
次に、ジャックは木の小箱を渡してこっそりカインに耳打ちした。
「あと、……あの若い隊長さんをそれとなくサポートしてやってくれな」
ダグラスは港のレンガ造りの舗装路にたどり着くと、件の異次元ゲートを見据えた。港の桟橋より手前に浮いている黒く底のない井戸のような穴が空いている。
モンスターはどこだろう? 出現しているはずだが……いや、今はあのゲートを見張るのが先決だ、とダグラスは思った。
ダグラスは後ろを振り返った。
後ろにはダグラスより年上で、経験豊富な兵士がたくさん並んでいる。その視線が一点に集まっていて、見えない疑心の圧力を感じていた。
自然とダグラスは戸惑い、狼狽えた。不安が一気に背筋を駆け抜けて金縛りにあったかのように言葉に詰まった。
「わ、我々第一隊は、こ、この港を守るぞ!」
ダグラスは息を飲み一歩下がった。脂汗をかいて無理をしているのが見て取れる。
カインとマリアは隊とは離れて異次元ゲートの様子を見守っていた。ついでにダグラスの力の抜ける激励もだ。
「あれじゃ、まとまらないんじゃないか?」
「でも、兵士さんたち言うこと聞いてるよ?」
「うーん……だけど、戦闘が始まってからバラバラになるかもな」
「どうして?」
カインは答えなかった。自分だったら従わないと思ったから。なんて言えば、マリアの事だ。怒りん坊の虫が騒ぐだけなのだ。
カインは鼻をフンと鳴らし桟橋を歩きながら考えを巡らせる。マリアはその後をムスッとした顔でついてくる。
それに、ゲートが静かすぎる。モンスターがどこかに潜んでいる可能性が高い。いったいどんなモンスターがここにいるのかなんて検討もつかないし、警戒心を解くわけにもいかない。
そんな折に変化があった。異次元ゲートからモンスターが出てきたのだ。
緑色の肌をした人型のそれは、その体躯の上にあるのは人間の顔ではなく、魚と人間のハイブリッドのようにも見える。牙が並ぶ口は大きく、目は魚のように大きな丸い目玉がギョロギョロと獲物を探している。
――半魚人だ。見たことも無いそれをカインは認識した。ジャックの絵本に出てくるのだ。海底に住む魚人間。
半魚人たちは漁師が使う銛を携えている。槍のようにも見えるが尖った刃とは別に、まるで釣り針のように先端が曲がっている部分もある。
そのうちの一体が飛び上がると、集団の先頭にいるダグラス目掛けて銛を投げた。
ダグラスは咄嗟に盾で頭を守るように腕を上げた。銛は盾の丸みに沿うように軌道を変えたが、その場にピタリと止まって空中で制止していた。ダグラスがキョトンとした顔で見ると、銛の柄の部分に結えられたロープに引かれて釣り針部分がダグラスに襲いかかる。
そばに居た兵士がダグラスを庇うように盾を出してそれを弾いた。すんでのところでダグラスの脇腹は守られたが、もぎ取られた鎧の一部がその威力を物語る。
全員がそちらに集中する中、マリアの足を何かが掴んで海に引きずり込んだ。
マリアの悲鳴は海の中で泡となってかき消されていく。
何が起きたか分からず手脚をばたつかせて必死でもがいた。左足を中心に水底に引っ張られているんだと気づいてその先を見るとギョッとして身震いした。
先程ゲートから出現したのと同じモンスターが自分の足を掴んでいる。更にその周りにはマリアを取り囲むように半魚人たちが参列しているのだ。
ジャックの絵本に出てくるモンスターと同じだ。ひどく醜悪なその顔の耳元まで裂けた口は、まるで溺れ死ぬのを楽しむように笑っているようにも見える。
マリアは剣を抜き放ち、足を掴んでいる手に突き刺すと、半魚人はたまらず腕を離した。
追撃の剣を振るったが、まるで波打つように剣が勝手に踊る。
〈海中じゃまともに剣が振れないんだ。まずいよ! このままじゃ……。誰か助けて! カイン!〉
急激に潜航したマリアは耳を押さえた。
〈い、痛い!〉
まるで耳の奥で何かが爆発しそうだと思った。マリアの口から残り少ない酸素が漏れ出す。マリアは自分の首を押さえて悶えた。
腕を突き刺された半魚人は裂けている口をさらに持ち上げて笑った。耳障りな野太い声がゲッゲッゲッと海の中に鳴り響いた。
マリアの瞳から光が消え失せ意識が薄れていく。
『止まれ!』
消え入りそうな意識の端っこで馴染みのある声が海面を撫で、声がくぐもっていて聴こえない。半魚人たちは海中で凍りついたようにその場から動かずに沈んでいった。
何かが頭上で波音を立てるが、ズクズクと痛む耳と遠のく意識がそれを遮る。
マリアの腕を何かが掴み、身体がフワリと水面へと上がっていく。
「引き上げろ!」
海中へと飛び込み、マリアの腕を掴んでいたカインが海面で叫ぶ。兵士が駆けつけマリアの腰に腕を回して桟橋の上へと二人を引き上げた。
鼻血を垂らしたカインが心配そうにマリアの顔を覗く。
「退くんだ! 心肺蘇生する! 君は合図に合わせて口から息を吹き込め!」
兵士はマリアの皮鎧の上から盛り上がっている小山の間にある心臓をリズムよく押した。
カインは顔を赤らめて躊躇っていた。
「なにしてる? 早くしろ! 死んじまうぞ!」
意を決したカインは耳まで真っ赤に染めて、唇をこれでもかと突き出しマリアの口元に唇を近づけていく。
赤く形のいい唇に集中する。マリアが目を瞑っているのが幸いだ。
思わずカインも目を瞑る。〈は、初めての……〉
その顔にマリアの口から噴水のように海水が吹き上げられた。
「ブハッ! な、なにっ!?」
目を瞑っていたカインには何が起きたのか分からない。
マリアはひどく咳き込んで涙を浮かべていた。
理解したカインは、なぜか酷く残念な気持ちのまま咳き込むマリアの背中を摩った。
涙目のマリアは助け起こしてくれた兵士に礼を言う。
「あ、ありがとう……助かったわ。私もう少しで……」
「いや、そこの兄ちゃんのおかげだ」
マリアはカインの肩に手を置いて礼を言った。心肺蘇生をしてくれていた兵士は遠慮がちに言った。
「君たちは……魔女の……いや、すまない。なんでもない」
兵士は複雑な笑みを浮かべて半魚人と剣を交える兵士の元に走って向かった。
ダグラスが激を飛ばす。
「う、海に近づくな! 引きずり込まれるぞ!」
心底味わったマリアは大きく海面から距離をとった。
カインはハンカチで鼻を拭うと、叫びながら拳銃を撃ちまくった。
「チックショォオォォォオ!」
マリアは息を整えようとしている。その見据える先の水面から手が伸び、緑色の身体を持ち上げていく。
半魚人の腕からは血が垂れ、先程とは違い苦痛を浮かべていた。マリアを見つけると半魚人は怒りをぶちまけるように銛を突いた。
マリアの剣がそれを次々に受け止め、受け流した勢いのまま銛を滑るように一気に距離を詰めて半魚人に体当たりをした。
よろけた半魚人の首をマリアの剣が一閃。
半魚人の首が胴体から離れるとマリアは熱くなった息を吐いた。
今度、誰かに泳ぎを教えて貰わなきゃ。
マリアは剣についた血を振って払い、レンガ造りの地面に血の線を描いた。
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