第24話 孤軍奮闘

 シャオはリースの背中に生えてきたばかりの大きな目玉を覆い隠すように包帯を巻きながら、街の入口に面する跳ね橋が上がっていくのを見ていた。


「そ、そんな……待って! 待ってください! 怪我人がいるんです!」


 叫ぶシャオとは違い、ニーナはキラーサーベルを掃討した方角にある奇妙なものに目を奪われていた。


 先程まで何もなかった街道に暗い穴が出現したのだ。それが浮いているようにも見える。大きさは成人男性の身長ほどはあるだろうか?


〈――あれはいったい?〉


 暗い穴の先はよく見えない。街道の続きがあるはずの場所にはなにもない。


 その仄暗い穴の中に何かが見える。


 深海のように暗い“歪み”の奥から緑色の手が突き出てきた。


 尖った爪が何も無い空間で何かを掴もうと閉じたり開いたりしている。


 シャオとリースもその異常な様子に目を瞬かせている。ニーナたちはその様子を呆然と見ているしかなかった。


 続いて小さな頭が出てくる。大きな黄色く濁ったような目に、蛇のような縦に亀裂の入ったような瞳がこちらを覗いている。


 様子を伺うように辺りを見回しながら出てくるとキョロキョロと後ろを気にしながら何事か呟いている。言語は聞き覚えがなく、どこか空虚で意味を持っていないようにも思える。その主は緑の肌に小柄な子供ほどの身長しかない。服は腰に巻いている布切れだけだ。木の棍棒を持って歪みから出てくると、ニーナたちを見つけてニヤリと笑った。耳元まで裂けるような口から発疹だらけの妙に赤い舌を出して舌なめずりをした。


 ニーナの背筋を怖気が走り、身構える。その姿に何故か見覚えがあった。どこで見たのかを思い出せない。だが、極めて不快なもの。


 ニーナとシャオの前に負傷しているリースが立ち塞がるように腕を開いた。


「させません! 絶対に!」


 リースの爪が鋭く伸びた。自分の意志に応える武器に驚きながらも、リースは身構える。脚が恐怖に震える。その背に巻かれた包帯の隙間からはまだ赤黒い血がこぼれ落ちている。背中に生えたばかりの目玉が血の涙を流しているように見える。


 ニーナは思う。


〈そうだ。思い出した。父さんの絵本に出てきた、人を攫う卑しい小鬼“ゴブリン”だ〉


 リースの桃色の瞳に意志の光が宿る。


 振り下ろされる棍棒に思わず腕を交差させて顔を背けた。鈍い音がした。


〈痛い! 腕が折れてしまっただろうか?〉


 リースがそっと目を開けると、振り下ろされた棍棒が腕に当たっているが大して痛くはない。リースが恐怖から腕を振るうと鋭い爪はゴブリンを撫で切り、宙を飛んだゴブリンは逆さまに地面に突き刺さっている馬小屋に叩きつけられた。頭がクルミのようにパックリと割れて緑色の血を垂れ流す。


 初めて暴力を振るったリースは、自分の腕をさすった。骨が折れているどころか、まるで自分の腕ではないかのように力がみなぎっている。絶命しているゴブリンの死体を見て自責の念に駆られた。神の許しを乞うように手を合わせ祈りを唱えた。


 だが、神への祈りを吸血鬼の血が拒むように胸が締め付けられ、背中の怪我と相まって痛む。リースはその場に膝をついた。


「シスター・リース!」


 ニーナとシャオが駆け寄る。


「ダメ! あたしがやるから、シスター・リースは休んでて!」


 暗い“歪み”からは、巣穴から蟻が這い出してくるようにゴブリンがゾロゾロと出て来ている。


 ニーナは小屋の柵の杭を引き寄せ、背中に舞うように並べた。退路はないし、背後には守るべきものがいる。それが重圧となってニーナの額に汗を浮かべる。複数の下卑た悪意の前に立ち塞がるように一人で対峙した。



 ***



 カインは背中にミカエルをおぶさり、革鎧に身を包んだマリアと並走する。足は大通りへと向かう方向に走っていた。


 現在、トラキアの街の正面に位置する跳ね橋で“魔女”と間違われているニーナたちを救出するべく向かっているところだ。駐留軍とはいえ、十字軍のいるこの街で一番警戒すべきは“チカラ”の露見だったのだ。もっと強く、あの子たちに注意すべきだっただろうかと自問自答している。


 吸血鬼との死闘の末にメドベキアの住人は全員が“チカラ”の存在と自分たちを認めてくれたことに気が緩んでいたのだ。未だに“チカラ”は異端で未知のものなのだ。使っている自分たちですら正直何なのかは分かっていないというのに。だが、時すでに遅い。


 カインはレンガ造りの住宅が並ぶ、通りの一角にある不自然な空間の“歪み”を見て立ち止まる。


「どうしたの? 急がないと!」


 マリアは先を促そうとカインの袖を引っ張るが、カインはその手を握り言った。


「待て、ちょっと待ってくれ」


 カインは見た。


 その“歪み”から動く死体“ゾンビ”が歩み出てくるのを。


 ゾンビは近くにいた母娘連れに両腕を伸ばして襲いかかろうとした。


 カインは拳銃を抜き放ち、ゾンビの頭に向け撃った。まばらな人通りの中、破裂音が響いてゾンビの頭が弾けるように飛び散った。


 次々に“歪み”からゾンビが躍り出てくる。ひどい既視感にカインは顔を渋めた。


 マリアは剣を抜き、斬り払う。ゾンビが腐った異臭を放つ内蔵を零しながら、石畳に倒れ込んだ。


 それだけでは死なないと分かっているマリアは、倒れているゾンビの頭に剣を突き刺した。


「どうしてここに?」


 その問いは当然だった。メドベキアの町での戦闘時、吸血鬼と戦った折に何度もゾンビに襲われているのだ。だが、メドベキアの町中へは入っては来られなかった。見張りがいたし、この街にも門番がいる。モンスターが入ってくるなんてことはありえない。


 カインはマリアの問いには答えなかった。分からないのだ。そんな中、助けたはずの母娘はカインに怯えるような目を向けた。


 カインはその目から逃げるようにマリアの手を取って走り出した。


 “同じ”だ。これまで何度も見てきた、“自分と違う者への畏怖の目”だ。


 逃避行はすぐに終わることになった。


 “歪み”は街中のあらゆる場所に存在していたのだ。そこから湧き出るゾンビ、そして、全身の骨をカタカタと鳴らし、刃こぼれだらけの剣を握った“スケルトン”が同様に人を襲っている。


 スケルトンが振り下ろす剣を駐留している十字軍兵士の剣が受け止める。突然の事に浮き足立っている兵士たちはまばらだが、人々を助けようと動き出していた。


 兵士は空虚な肋骨が見えているだけの腹のあるべき場所を蹴りつけた。


 血肉のない身体は軽く吹っ飛び、地面に叩きつけられると、骨がバラバラに散らばった。だが、頭上から糸で釣っているかのように骨があるべき場所へと戻っていく。


 十字軍兵士は呆気にとられてその様子を見ていた。


 元に戻ったスケルトンは何事もなかったかのように再度斬りかかり、兵士は狐に摘まれたかのように面食らいながらも斬り結んだ。


「くそ! こいつら死なないぞ!」


 もう一人の兵士はゾンビの心臓のある場所に剣を突き立てている。


「こっちもだ! どうすりゃいい!?」


 兵士たちは慌てふためいている。


 カインは見かねて言った。


「ゾンビは頭を潰すんだ! スケルトンは呪詛のかかっている骨が身体のどこかにある! それを砕くんだ!」


 カインはそう言ってゾンビの頭を次々に撃っていく。すると、ゾンビは元の死体に戻っていった。


 その様子を見ていた兵士達は戸惑いながらもカインの言う場所を狙い始めた。


 カインは大通りの戦闘の中、大仰な歯車に引き上げられる太い鎖の音の先を見た。入口にあった跳ね橋が引き上げられていく。通りとを交互に見て呟くように言った。


「どうやらここからは出られないらしい」

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