【ZAW】諍愛
ある冬の早朝。その日は雪がちらついていて、空はそれを降らせるために一面灰色の雲で覆われている。
ここに来たのは前はいつだったか。雪かきの行き届いていないこの場所はそれゆえ誰もこない。
長い青髪の美しい女性は、ドレスの裾に雪がつくのも気にせず、土の魔法で椅子を作るとそこに腰をかけた。
剣聖ティリス、またこの国の騎士団長である彼女が愛する彼、ディランと再会してからというもの、目まぐるしく時間は動いていった。世界を巻き込む戦争は終焉を迎え、彼女たちは多くの犠牲を払って平和という日常を手に入れた。
彼女は長い間ここを訪れていなかった。ここは何か嫌なことがあったり辛いことがあったとき、一人になりたくなった彼女が来る逃げ場所だ。
彼女の長い睫毛が下を向くとその大きな瞼でも捉えきれなかった雫がぽたりと膝の上に垂れて染みを作る。
ここにきたのは紛れもなく一人になりたかったからだ。ひょんなことから彼と口論になってしまい、飛び出した末、不意に思い出したこの秘密の場所に逃げ込んでしまった。
先の戦争の遺物の処遇をどうするかに当たっての会議でティリス自身が調査に赴くという発言に夫である彼が猛烈に反対したことがきっかけだった。
その場は先遣隊が安全を確認したのちに魔法研究者でもあるディランその他を伴って彼女も向かうということで収まったが、彼は納得していなかった。
帰宅して次の日の朝に話を蒸し返され、そして口論にまで発展してしまったのだった。
いつもいつも過保護が過ぎると思う。自分は剣聖で騎士団長で、身を守る術においては彼に引けを取らない自信がある。しかし戦争が終わってから、彼は研究室に入って前線を退いたにも関わらず、少しでも自分に危険が及びそうなことになると血相を変えて止めようとするのだ。その度に勝手がわかっている誰かしらの仲裁が入ってお互い引き下がるが、今日はそれがなかった。
彼女のエメラルドのように輝く瞳がくぐもって白い雪を映す。
「……大丈夫なのにな」
今日はタイミングがいいのか悪いのか、珍しく仕事が休みの日だった。休みを全く取ろうとしない彼女を時たま周りが叱責し、無理やり休ませるのがいつものことなのである。最も、休みの日であっても彼女は城にいることの方が多いのだが。
代わりに彼は忙しい時期で、式典で必要な魔法具の作成期限が今日の午後までらしい。飛び出したティリスを彼が追ってくることがなかったのは、それが理由だろう。しかし、それがまた彼女にとって気分を落ち込ませる要因だった。彼が追いかけてきてくれれば謝ったのになどと自分本位な考えに気付いて、また涙が追ってくる。
彼が自分を危険な場所にいかせようとしないのは、一重に自分を心配しているからだというのは彼女も重々承知していた。けれど彼女の騎士団をまとめる立場からすれば、彼女がいることによって団員たちの動きが円滑になることも確かだ。
適材適所に人を配置することに対して彼女は自らの剣技と同じくらい秀でている。だからこそ、自分が行った方がいいと判断するときはその方が良いという考えを彼女は譲らない。
一方彼は普段冷静沈着であるのに、愛する彼女のこととなると過剰なまでにリスクを排除しようとする。彼の魔法技術はこの国では一番で、それ故に魔法研究の精鋭であるのだが、一つのことに集中すると周りが見えなくなるのは彼の長所であり短所だ。
それが一度ティリスの安全というところに向くと、彼女本人や自分の立場、周りの目等気にせずとにかくそれだけを大事にしようとするのだった。
その意見が相反するのは明らかで、はじめは周りもほとほと手を焼いていたが、最近はいつものことかと二人を丸め込むのもうまくなってきた。だからこそ仲裁役がいない今日のような日は収集のつかない喧嘩になってしまったのだった。
自分の言ったひどい言葉を頭の中で反芻しては彼を傷つけたことに涙が止まらなくなる。ドレスのシミが広がるのも気にとめない。上着を忘れたので寒いはずなのに、ここから動く気持ちにはなれなかった。
君が心配だからという彼の言葉を思い出して小さな言葉がため息のように漏れる。
「私、愛されすぎなのよ」
自意識過剰のような言葉だが、それは彼女にとっても彼にとっても事実そのものだった。その言葉に返すものがいる。
「愛してるさ」
驚きで振り向くと、そこには彼が立っていた。彼女の髪と同じ青い瞳が真っ直ぐ彼女を見つめていた。
「どうして……」
近づいてくる彼に思わず彼女が顔を背けると背後から暖かさに包まれる。彼の温かい腕を抱きしめる。
「僕から逃げられると思った?」
耳元で囁かれる愛する人の声。それは怒っているようにも慈しんでいるようにも聞こえた。
「ここ、教えてないもの」
「知ってたよ」
来るときはいつも一人になりたいみたいだから訪ねてこなかっただけだという彼に彼女は思わず笑ってしまった。なんでもお見通しだ。
「仕事はどうしたの? 魔法具が……」
「ああ、僕のとこは終わらせてあとは悠に任せてきた。文句言ってたけど。あとは君を探してた」
「そう……」
彼の頬に指を触れると暖かく、それで自らの手がかなり冷えていることに気付いて手を引っ込める。
「全く、しょうがないんだから……」
少し口を尖らせて文句を言いながら彼は自分のコートを脱ぐと彼女の肩にかけた。そして前に回ると手を差し出す。
「ほら、帰ろ」
差し出された彼の手をとって立ち上がると彼の優しさにまた涙が溢れた。
「どうして泣くの」
「……あなたが優しいから」
彼女が俯くと彼は呆れたように笑った。
左側にだけ笑窪が出るのは大人になっても変わらない。
「僕は君のことが大好きだ。この世界よりも誰よりも。だからこそ、君がどんなに強くたって心配で、少しでも君に危険が及ぶようなことは避けたいんだ。わかるかい?」
そう言葉をかける彼の声色はとても柔らかく、優しい。
「わかってるよ。でもね、わたしにも立場があるの……。私はね、この国の騎士団長なの。わかって?」
そう言って彼を見上げた彼女の美しい瞳はまだ涙で潤んでいて、彼はううんと納得できない声で唸る。
「……それじゃあこうしよう。君が危険だと僕が判断したら僕が必ずついていく。どう? どうしてもいかなきゃいけない時だってあるだろう。それには参加できるし、僕も目の届くところなら少しは安心だ。これで、おあいこにしよ」
「おあいこ……。そうね、でもあなたが来れない時もあるのよ?」
彼はまた呻く。そして頷いた。
「わかった。僕も少し考えて提案するよ」
「……ありがと。これで、おあいこね」
そう言って彼女が笑うと彼もつられて微笑む。
二人の繋がれた手はお互いの熱を分け合って同じ温度になっていて、ふりしきる雪で肩が白くなっていても寒くはなかった。
視線が合うと、自然と顔を寄せ、口付ける。
「帰ろ」
少し紅潮した頬をごまかすように、彼女が首を傾げて笑いかけ、そして歩き出した。
手を引かれた彼も追いかけるように白い雪の上に足跡をつけて行くのだった。
白い雪が彼らの足跡を消して行く。誰もいなくなった彼と彼女の秘密の場所は、また元の静けさを取り戻したのだった。
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