【ZAW】海底の国と雨の雫 (ねこやなぎ会#1旅行)

 青が揺らめく海の中、光る珊瑚や均等に並ぶ光の球が美しく道を照らしている。

 砂で固められた家々は同じ形のものはなく、それぞれを鮮やかな貝などで彩られてとても美しい。

 まるでお伽話の世界だ。こんな光景が見られるなんて。

 男は、その国の美しさを前に、ただ言葉を飲んで見つめるだけだった──



「海の中に城? あれってほんとだったの」

 書き物をしていた青年、ディランは腰掛けた椅子から半身振り向く。

「ええ、とっても綺麗なの。一度ニクセリーヌには行ってみたいって言っていたでしょう。そろそろ休めって怒られてしまったことだし、たまには息抜きもいいと思うの」

 手を合わせて微笑む最愛の妻ティリスに、彼もつられて笑みをこぼす。

「そうだね、いきたいな。あ……でも、海の中にあるんじゃ僕たちは入れないよ?」

「ふふ、それは心配しなくていいの。それじゃ、決まりね。楽しみ!」

 それはどう言う意味かと聞き返しそうになった青年は、彼女の嬉しそうな笑顔を見てティリスが楽しそうならまぁいいか、とその旅行への準備をし始める。

 かくして二人は海の底に広がる人魚たちの王国、ニクセリーヌへと訪れることとなったのであった。




 目の前を色とりどりの魚が横切っていく。

 たまに近くを通るこの国の住人たちも優雅に海を泳いでいて、海底を歩く道はほとんどは観光客達のものだ。

 靴に触れる白い砂の感触は柔らかいが、陸と同じように体を動かせば少しスピードは動くが普通に歩くことができる。

「ほんとに海の中で息ができるんだね。音も聞こえるし大規模な魔法だなぁ。どんな仕組みだろう」

「でしょ。……ふふ、こんなときにも魔法のはなし? 妬いちゃうなぁ」

 ディランに腕を絡ませたティリスは少し頬を膨らませて見せる。

「あはは、ティリスがいちばんだよ。ごめんごめん」

 ディランが彼女の頭を撫でるとティリスは少し赤面して、恥ずかしさを紛らわせるように目に留まったものを指さした。

「あれ、何かしら?」

 彼女が示したのは丸いガラスのようなものがぶら下がっている建物で、近づくとどうやらそこは食事処のようだった。

「ちょうど昼時だし入ってみようか。何があるのかな」

 真珠で作られた暖簾を潜るとカラカラと軽い音がして、店員が歓迎の声を上げた。

 促されるまま席についた二人はメニュー表を見ると首を傾げる。

「雨の雫スープ?」

 雨が降らない海の中でそんな料理名をつけるなんて、いったいどんな味がするのだろうか。

 スープとその他の料理を頼んだ彼らは談笑しながら料理が出てくるのを待っている。

 やがて貝殻でできた鈴が鳴り、器用に料理をたくさん持った男がテーブルにやってきた。

「はい! お待たせしました。雨の雫スープです!」

 出されたそれは見た目からして爽やかで、薄い水色のそれを掬うとクリーム色の可愛らしい雫型の食材が顔を出す。

 ティリスは一口啜ると、感嘆の声を上げ、ディランもそのスープを口に運んだ。

「おいしい。これは海藻なのかな」

 そんなディランの疑問に、答えるものがあった。

「もともとは陸の植物だったようでな。長年かけて海に順応して、俺らも食うようになったんだ。そしたら他の国から来た君らみたいな観光客が雨の雫みたいな形だなって。それでこう言う料理名になったんだとよ」

 説明した年老いた男は同じくらいの歳の女性と一緒に隣のテーブルに座っていて、彼らも食事に来ているようだった。

「へぇ、なるほど。このお店には通って長いんですか?」

「まぁな。君らがまだ乳飲み子だったぐらいから俺はここで飯を食ってる。こいつと一緒にな」

「もう、あなたったら。私たちは幼馴染でね、この国に生まれてずっと一緒に過ごしてきたの。プロポーズの時もこのお店で……やだ、わたし何言ってるのかしら」

 手を頬に当てて恥ずかしそうに夫人が口をつぐみ、そして笑った。

「お嬢さん、あなた達はどこからきたの?」

「ディクライットから。ニクセリーヌの西南にある国です」

「あら、やっぱり。あっちのほうからのお客さんは結構多いの。みんな楽しんで帰っていくわ」

「私たちもいい思い出になりそうです」

 その後、彼らは食事を楽しんだ後も少し談笑を続け、そして別れることとなったのだった。





 街の端で訪れた雑貨屋。

 雑多に様々な茶器や置物、装飾品などが置いてある少し狭いその店を注意深く進みながらティリスが声を上げた。

「みて、この彫り物。デュラムに似てる。こっちにも馬がいるのかしら」

 ティリスはディランの愛馬の名を上げて微笑む。

 砂を固めて器用に彫って作られたそれは置物か子供のおもちゃか、どちらにせよ愛らしいものだ。

「本当だね。馬みたいな形の魔物がいたりして」

「え、仲良くなれないのは残念……」

「あはは、冗談だよ。あ、ティリス。これ」

 ディランが見つけたのはペンダントだった。

 雫型のそれは上部に金具がついた青い色のガラスで、金具から下部にかけて細々と貝などで装飾が施されている。

「綺麗~昼間言っていた雨の雫みたい」

 キラキラと目を輝かせる彼女にディランは微笑む。

「お土産にしよっか」

「えっでも……」

「いいから。僕が買いたいの」

 彼はこういう時は絶対に引かないのを彼女は経験から知っていて、購入したそれを彼女の首につけると男は満足げに似合っているよと笑う。

「君の髪色と同じだから。絶対似合うと思ったんだ」

「ディランはすぐそうやって。私はね、この色、ディランの目の色に似ていてとっても綺麗だなと思ったの。だから、とっても嬉しい」

 頬を赤らめて笑う彼女の髪を彼が撫で、そして額に軽くキスをすると口を開いた。

「さ、行こう。まだ見たいところがたくさんあるんでしょ?」

 ティリスは差し出された手を取って、二人は歩き出す。

 海の底の街は、まだ太陽の光で明るく輝いていた。




 ニクセリーヌでの滞在はあっという間だった。

 ティリスが以前来た時に通った場所や、城の知り合いに挨拶などをしていたら、いつの間にか最終日の夜になってしまっていたのだ。

 彼らは宿泊している宿のベランダに座ると夜のニクセリーヌの街を見上げる。

 夜の海の底もとても美しい。昼間は幾分か差し込んでいた光は今は全く届かず、街の明かりが一層際立って輝いている。

 大きな光は城のもので、そこから放射状に延びる街の道しるべは、まるで芸術作品のようだ。

 ティリスが少し力を抜いて彼の肩に頭を預ける。

「あの夫婦、素敵だったわね」

 お土産の雫型のペンダントにティリスのきれいな瞳が映り込む。

「そうだね。お互いを大事に思ってた」

 と、ティリスが水面の様子に気がついてディランに声をかける。

 雨粒がぶつかって波紋が広がり、海に溶け込んでゆく様は水面の内側から見るととても幻想的だ。

「今、陸に戻ったら濡れちゃうね」

 そう言って笑うディランにティリスも微笑んだ。

「こっちからだとほんとに雫の形はわからないのね。綺麗……あの夫婦もこれ、見てるかしら」

「見てるといいね」

 彼らの短い旅行はもうすぐ終わる。でも、あとちょっとだけ、この美しい雨の雫が降りやむまでくらいなら少し延長してもいい。

 そんなことを考えながら二人はお互いの手をすこしだけ強く握りしめたのだった。

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