第3話羽川の噂
朝、俺は誰かが廊下を走り回る音で目が覚める。それも一人や二人じゃない。何人もが廊下を往復する音だ。
布団をたたみ、押し入れに入れる。俺は寝るときは着物を着て寝ているから、起きた時に帯が緩んでいることがある。今日は緩んでいたので、締めなおして部屋を出た。
「流清さん!おはようございます!」
「「「おはようございます!!」」」
部屋から出てすぐに、雑巾を持った男たちに挨拶された。これもいつもの事で皆天堂寺、俺の家に修行に来た人たちだ。
「おはようございます」
今は六時だが、この人たちは五時に起きて掃除や修行をしている。昔はもっと早かったらしいが、理由があって変わったらしい。
雑巾がけを済ました廊下を直ぐに歩くのは、少し心が痛いがここを通らないとどこにも行けないから、毎日ここを通って食堂に向かっている。
丁度俺が起きるころに朝ごはんも出来るので、修行僧の皆も俺の後に続いて食堂に向かう。
朝は汁だけなんてことは一切なく、ちゃんと白米にみそ汁。きんぴらごぼうや魚など、しっかりとしたご飯が出てくる。
この寺には十二人が住んでおり、十二人の朝食、俺の弁当に皆の昼食、そして夜も全て母と国木さんが作っている。
国木さんは俺が生まれる前からここで修業している人で、この家二人だけの女性の一人だ。
「行ってきます」
諸々の準備を終わらせ、家を出るころには七時を過ぎている。
制服にはネクタイもついているから、着替えるのが少し面倒なのだ。
「行ってらっしゃい」
玄関で竹箒を手に持ち、掃除をしているハンサムな男の人が、俺にそう言った。
髪を後ろで結んで、ちょっとした尻尾みたいなものを作っている。
この人は朝陽さん。この人も俺が生まれる前からここに居る人で、もう修行僧じゃないからなのか、坊主ではない。親父はハゲてるから髪が無いが……。
毎日この時間に掃除してるので、小学校のころからこのやり取りが続いている。
学校に着くのが二十分ぐらいで、ホームルームが三十分に始まる。
いつものように席に座っていると、三十分ギリギリで拓斗が入ってきた。
「よーし全員いるな。それじゃあ今日も良い授業を受けてくれー」
担任の先生がそう言って教室から出て行った。
この人もいつも二分位で話を終わらせて、直ぐに出て行ってしまう。有り難いんだが、あと十分近く暇な時間が出来てしまう……。
「なあ流清!今日暇か?」
拓斗が俺の前に立ちそう言ってきた。
この場合、「暇」という一単語を伝えてしまうと、何処に連れまわされるか分かったもんじゃない。
だが放課後の予定はない。こいつもそれを知って聞いてきてるんだろう。嘘をつくのも一つの手だが、こいつを一人にするのも面倒なことになりかねない。
「……ああ、特に予定はないけど」
「じゃあ放課後な!」
予定も何も言わず、そう言って拓斗は席に着いた。いつもの事なんだが予定だけは伝えておいて欲しいものだ。
「——では今日はここまで。毎回先生の授業が四時間目の時には言っているが、飯は手を洗ってから食えよー」
保健体育の先生が、授業を終えそう言って教室を後にした。
昼休みになり購買部や食堂にクラスの半分が走る中、俺は鞄から弁当を取り出した。
「よいしょっと」
俺がお箸を入れ物から取り出しているときに、拓斗が前の席を動かして、俺の机とくっつけた。
拓斗が弁当の箱を開けるころには、俺はもう二口目を口に運んでいた。
「やっぱ流清の母ちゃんの弁当は綺麗だよなー。彩っていうの?修行に来てる人の飯も作ってんのに流石だよな。なのにうちの母ちゃんは……」
俺の弁当と自分の弁当を見比べて、拓斗は肩を落とした。
揚げ物とご飯。申し訳程度にレタス一枚と梅干が入った弁当。THE男子高校生の弁当だ。
「お前なあ、野菜は嫌いだから入れないでって頼んでんのは自分だろ?文句があるなら自分で起きて作ればいいだろ」
俺も弁当は自分で作っている訳じゃないが、嫌いなものが入っていたりしても、文句を言ったことは無い。
俺は偉いだろ?と言いたいわけでは無い。ただ、外だろうがどこだろうが、文句を言えば必ず。絶対に母の耳に入るからだ。文句を言ったことが知れたら、何をされるか分からないからな……。
「でもよお……」
分かってはいるが起きられない。そう言いたげな顔で、拓斗は梅干を口に運んだ。
「すっぱ!」
文句は言うがしっかり食べるから、本気で言っている訳じゃないというのは分かる。分かるんだが、毎日聞かされると流石にイライラするときはある。
半分ぐらい弁当を食べた時に、教室に飛鳥が入ってきた。
飛鳥は一組だからいつも三組に来て一緒に食べている。
「あーー!!もう半分ぐらい無いじゃん!!」
俺たちが早めに食べていたことに気が付き、急いで机をくっつけて弁当を食べ始めた。
飛鳥は毎日購買部で弁当を買っているので、昼休みは弁当を食べるだけの時間しかない。
「飛鳥も来たから言うけどさ、今日羽川に行こうぜ」
口に詰め込んだものを飲み込んでから、拓斗はそう言った。
朝聞いてきたのはそう言う意味だったか……。分かってはいたが、思っていた以上に面倒なことになった。
「え!?羽川って今噂になってるあの羽川?」
何日か前から学校で噂が広まり始めた。それが羽川についての話だ。
元々、羽川で遊んでいた中学生が行方不明になり、その数日後に遺体で発見されたという話がニュースや新聞で取り上げられていたんだが、その事件にはおかしな点が多かったのだ。
先ず羽川は、小学生が遊んでも溺れない位浅い、大きな岩も少ないから、怪我も全くと言っていいほどしない。
だが発見された遺体は、水死体の特徴があった。しかも警察がくまなく捜索した後なのに、川の真ん中で見つかったそうだ。
ここで他殺という線が浮上したが、現在も解決には至っていない。
「何々?羽川の話?」
近くに居たクラスメイトが入ってきて、どんどん話が広がっている。
飛鳥と拓斗も夢中で話しているようだ。
人が殺したんじゃ説明がつかないと、河童のせいだ、幽霊だと、色々なものが出てくる。
確かにおかしな所は多い。だからこそ噂になるのだが、噂が広がるのはあまりいいことではないな。
「見に行くだけだぞ、奥まではいかないからな」
俺がそう言うと、拓斗は顔を明るくして喜んだ。
いつも俺が一度は拒否するからだろう。
「じゃあ放課後直ぐな!」
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