第6話 交換条件


「父様、その傷は――」


 ドアをコンコンと叩く音で私の声が途切れた。

 母様が返事をする前に、ドアが勢い良く開く。


「かーさま!!」


 栗色の髪を揺らして、小さな女の子が部屋に入ってきた。

 そのまま母様の脚に抱き付く。

 母様はその女の子を抱っこした。


 母様と同じ栗色の髪。

 もしかして……


「セリカなの!?」


 私は驚いた声で訊いた。


「そうよ。あなたの妹のセリカよ。三歳になったわ」


 こんなに大きくなっているなんて。

 目がクリクリしていて、栗色の髪はサラサラしている。

 母様、ずるい。私もセリカを抱っこしたい。


「セリカ、ご挨拶なさい。前にお話しした、あなたのお姉様よ」

「お姉ちゃま?」


 噛んでる。

 とても可愛い。


 セリカは母様から降りて、私の前に来た。すると、セリカは自分のスカートの裾を摘まんで、私に挨拶をする。


「わたしはセリカ・グロウリアです。お姉ちゃま、よろしくお願いします」


 お姉様は噛んじゃったけど、完璧な挨拶ができてる。

 私の妹って天才なの?


 私もセリカに挨拶をする。


「私はアリステリアです。セリカのお姉様よ。アリス姉様って呼んで?」

「分かった。アリスちゃん!」

「ん? アリスお姉様って言ってみて?」

「アリスちゃん!!」

「どうしてアリスちゃんなのよ。お姉ちゃまでも良いから呼んでみて」

「アリスちゃん!!」


 私たちの様子を見て、父様と母様が幸せそうに笑う。


 笑顔の父様たちを見て、気持ちが和んだ。このまま嫌な現実から目を背けたいと思った。


 開きっぱなしのドアをコンコンと叩かれる。


 ドアの方を見ると、眼鏡をかけた中年の男性がいた。黒い服を着ていて、優しい笑みを浮かべている。


 母様がこの男性に謝る。


「ごめんなさい。ジェラルドさん」

「滅相もございません。私こそ、家族団欒の時間をお邪魔して、申し訳ございません」


 この男性はジェラルドさんという名前らしい。とても畏まる人だなと思った。


「ジェラルドさん、どうされました?」

「はい。ペレアス様がアリス様をお呼びでございます」


 知らない人が私を呼んでいるらしい。

 私は首を傾げる。


「ペレアスって?」

「俺の弟だ」


 父様が答えた。


「弟?」

「弟の名はペレアス・フォン・レヴァーデン・カルシュタイン。今のカルシュタイン侯爵だ」


 父様の弟がカルシュタイン侯爵……

 じゃあ、私はカルシュタイン侯爵の姪?


「でも、どうして私を呼んでいるの?」

「アリスに話したいことがあるそうだ」

「私に? 父様は何か知っているの?」

「知っているが、俺からは言えない。ペレアスに会ってこい。それで分かる」


 父様は教える気がないみたいだから、カルシュタイン侯爵に会うしかない。

 私は仕方なく答える。


「…… 分かった。カルシュタイン侯爵に会ってくる」


 私はジェラルドさんの案内でカルシュタイン侯爵の元に向かった。



 思ったよりも歩かされる。

 私一人だけだと、迷子になりそうだ。改めてこの屋敷が広いと実感する。


 すると、ジェラルドさんが部屋の前で止まった。


「アリス様、こちらでございます」

「ここ?」


 ドアの向こうにカルシュタイン侯爵がいる。

 そう思うと、緊張した。

 父様の弟って聞いたけど、あんまり良い印象を持っていない。

 だって、友だちヨハンの敵かもしれない。


 ドアをコンコンと叩く。


「入っておいで」


 透き通るような声が返ってきた。


 ドアを開けて部屋に入る。


 部屋の真ん中には高そうな机があって、机を挟んで向かい合うように革製の椅子が二脚置いてある。

 部屋の奥には大きな机があった。その机に男性が腰を掛けていた。


 父様と同じ黒髪で、柔和な顔立ちをしている。


「君がアリスだね。初めまして、僕はペレアス。君の叔父だ。よろしくね。立ってないで、そこに座って」


 カルシュタイン侯爵に促されて、私は椅子に座った。カルシュタイン侯爵も私の前の椅子に座る。


「大変なことがあったね。まさかラルヴァの群勢がエルガルを襲うとは思わなかったよ。…… 実は前から兄には戻ってきて欲しいと思っていたんだ。だけど、こんなことになって…… アリス、大丈夫かい?」


 私はカルシュタイン侯爵を信用して良いのか分からなかった。

 カルシュタイン侯爵は私を心配しているようにも見える。


「私は大丈夫。どうして私を呼んだの?」

「理由かい? でも、その前に聞いてもらいたいことがあるんだ」

「…… 何?」


 カルシュタイン侯爵は一度咳払いをして話し始める。


「僕は妻を愛している」


 え!?

 驚いた顔でカルシュタイン侯爵を見つめるけど、無視をされる。

 そして、そのまま話が続く。


「僕の妻の名前はオトゥリア。名前だけでも彼女の美しさが分かるだろ? 彼女は賢く、優しい。全く落ち度のない妻だ。彼女と結婚できて、幸せに思う」


 カルシュタイン侯爵に会ったら分かるって、父様は言っていたけど、何も分からないよ。奥さんの自慢をするだけ。

 この変人がカルシュタイン侯爵なの?


 突然、カルシュタイン侯爵は暗い顔になる。


「…… だけど、オトゥリアは不妊症だった。子どもができない体なんだ。もちろん、僕は子どもができなくてもオトゥリアのことを愛している。だけど、僕はカルシュタインの当主になってしまった。当主になった途端、カルシュタインの親類が僕に新しい妻を迎えろと言い出した」

「どうして? オトゥリアさんが可哀想!」


 思わず口を挟んでしまった。

 だって、子どもができないことに親類の人が口を出すなんておかしい。子どもができるのは奇跡みたいなことなのに。


「アリス、君は兄とマーガレットさんから聞いた通りの優しい子だ。妻のために怒ってくれてありがとう」

「だって、おかしいから」

「そうだね。だけど、親類たちが口を出したのも理由があるんだ。このレヴァーデン領には沢山の領民がいて、聖ソフィアの大切な経済圏の一つだ。それに、カルシュタイン侯爵家は貴族界でも大きな力を持つ。その侯爵家の当主に跡取りがいなければ、どうなると思う?」


 貴族のことは分からないから、全然想像ができなかった。

 分からないの意味で首を横に振る。


「当主の座を狙った戦いが起きるかもしれない。そうなると、沢山の人が死ぬ」

「そんなことのために?」

「そんなことが貴族には大切なんだよ。カルシュタイン侯爵の座はそれぐらいの価値があるからさ。だけど、僕は他の妻を欲しいとは思わない。オトゥリアだけが良い!」

「う、うん」

「だから、アリス! 僕の養女になって欲しい」

「…… 養女?」


 私には父様と母様がいる。

 養女になるってことはカルシュタイン侯爵の娘になれってこと?


「そんなの嫌よ!! 私には大好きな父様と母様がいるもの!!」

「もちろん分かっている。だから、これは交換条件だ!」

「交換条件? 一体何の?」

「邪法って知ってるかい?」


 どうして今その言葉が?

 心臓が嫌な鼓動を立てる。

 まさか……


「どうして急にその言葉が出てくるの?」

「その言い様だと、邪法の知識はあるんだね。…… 落ち着いて聞いて欲しい。君の父は邪法の傷を受けた。知っているかもしれないけど、邪法の傷はどんな魔術や魔法でも直せない。それに、邪法の傷がある者は死を待つのみだ。だから、君の父は――」


 この先を言わなくても分かっている。

 レオーネのことがあったから、経験もしている。だけど、私はその現実を受け入れることができない。


「黙れ!! 父様は死なない!!」


 だけど、カルシュタイン侯爵は残酷な現実を告げる。


「死ぬよ。今のままだと。しかも、早い内に」

「言わないで!!」


 私は金切声を上げて、否定した。

 平然と現実を告げてくるカルシュタイン侯爵を私は睨んだ。


 私の睨みを真っ向に受けながら、カルシュタイン侯爵は私が理解できるようにゆっくりと伝える。


「対処療法で寿命を延ばすことができる」

「え?」


 寿命を延ばす。

 死なないってこと?


「邪法の治療研究をしている場所があるんだ。邪法を受けた人が少ないから成果も少ないけど、治療のお陰で長く生きた人もいる。今のままだと兄は直ぐに死ぬ可能性が高い。だけど、そこに行けば、何とかなるかもしれない」

「本当!? そこは何処にあるの?」

「ヴァリオンだよ」


 ヴァリオンは王都だ。

 王都に行けば、父様が助かるかもしれない。


「ヴァリオンなら、レヴァーデンから半月で行ける。会おうと思えば会える距離だよ」

「ヴァリオンに……」


 カルシュタイン侯爵が私の目を見据えて言う。


「アリス、三日間だけ時間をあげよう。その間に結論を出して欲しい。僕は兄を助けたいと思っている。だけど、それを実現するためにはアリスが僕の娘になることが必要だ。僕の養女になるか、ならないか。良い答えを待っているよ」


 父様にはずっと生きていて欲しい。そんなの当たり前だ。

 私が騎士になる姿を見て欲しい。

 だけど、私はカルシュタイン侯爵の養女に……


 ――私はどうしたら良いの?























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