迷子を探す その一
「たつ姫、タクトはどうした?」
二時間目が始まって、先生がそう言った。
「さっき、トイレに行くって」
私はそう答えるしかなかった。
一時間目が終わって、タクト君は、私は別に何も聞いてないのに、弱々しい声で「トイレに……」とだけ呟いて教室から出て行ったのだ。
「誰か、見てきてくれ」
先生がそう言うと、何も言わずに頼希が立って教室を出て行った。
今朝のことで少し責任を感じているのかもしれない。
けど、頼希はしばらく戻ってこなかった。
さすがに先生もおかしいと思ったころ、真っ青な顔の頼希が、一人で教室に戻ってきた。
「トイレ、全部見ましたけど、誰もいませんでした」
教室がざわざわと騒がしくなる。
先生がみんなに静かにしているように言って、いったん職員室へと戻っていった。
「どうしたんだろう、タクト君」
「朝、頼希君、何か言ったの?」
「女子トイレに間違って入ってるとか?」
「いやさすがにそれはないでしょ」
クラスのみんなが話している。
松乃ちゃんが、席を立って私の横に来た。
「大丈夫? たつ姫ちゃん」
「う、うん」
答えてみたものの、何が起こっているのか理解が追い付いていない。
「タクト君、どうしたんだろう? 今日学校来るまでに、何かあった?」
私は、松乃ちゃんに、小さな声で九内竜司のことを話した。
「様子がおかしかったとしたら、その時くらい」
「同じ苗字だね……でも、現職の市長だって知らなかった感じなんでしょ?」
「うん」
「親戚なのかな?」
松乃ちゃんが、探偵みたいに顎に手を当ててそう言ったとき、ガラリと教室のドアが開いて、先生が戻ってきた。
「はいはい、落ち着けお前たち。タクトのことは校長先生が対応してくれるから、お前たちはひとまず授業な~」
私は、机のくっついた空席を見て、胸がざわざわして落ち着かないまま授業を受けた。
昨日、タクト君が隣でいちいち「こんなもの初めて見た」顔をしていたときよりも、全然授業内容が頭に入らなかった。
休み時間になっても、三時間目が終わっても、給食を食べ終わっても、タクト君についての続報は聞こえてこなかった。
私はどうしたらいいんだろう。
後ろのロッカーをちらりと見る。一番端の、空いていたロッカーには、お父さんと麻也から借りたリュックと水筒が置いたままだ。
自転車乗り場には、マウンテンバイクも残っているのだろうか。
「松乃ちゃん、私ちょっとタクト君の自転車があるか、見に行ってくる」
お昼休み、松乃ちゃんが私の席に駆け寄ってきたので、そう言うと、松乃ちゃんも一緒に行くと言ってくれた。
二人で玄関で靴を履こうとしていると、校長先生が歩いてきた。
「たつ姫さん、ちょうどよかった」
校長先生は、ちょっと慌てた様子だった。
「はい」
タクト君が見つかったのかな? 私は息を呑んだ。
「タクトさんの自転車があるか、一緒に確認してくれるかしら?」
「あ、はい。今、私も見に行こうかと思ってたところで」
「あら、そうなの」
校長先生はそう言うと、廊下にいる他の生徒たちをちらりと見た。
「じゃあ、行きましょうか。さあ、急いで」
急かされるままに靴を履き替えて玄関から出ると、校長先生はそっと近寄ってきて声を潜めた。
「実は、たつ姫さんのお父様にも連絡させていただいたの。そしたら、探してみてくれたらしいんだけど、マウンテンバイクをこいで銀竜神社の方に行く子供を見たってお客様がいらしたとかで、今、お父様からお電話いただいたの」
「銀竜神社?」
タクト君と私が初めて会ったのは、銀竜神社の大鳥居だ。
それに、今朝、九内竜司に会ったのも、あの辺りだ。
「それで、ひとまずタクトさんが自転車に乗って出て行ったかどうかを確認しようと思うの。たつ姫さんなら、タクトさんの自転車がどれかわかるかと思って」
「わかります」
話しているうちに、駐輪場に着いた。
やっぱり、タクト君のマウンテンバイクはなかった。
「タクト君のマウンテンバイクがありません」
「やっぱり! じゃあ、ちょっと先生、見に行ってきますね」
校長先生は、自分の自転車の鍵を持っていたようで、そのまま自分の自転車を取りに行こうとした。
「ま、待ってください! 私に行かせてください!」
気付いたら、考えるより先に、そう叫んでた。
「た、たつ姫ちゃん……」
松乃ちゃんが心配そうな顔で私を見た。
松乃ちゃん、今日心配ばっかさせてる……ごめんね。
「たつ姫さん、でも」
「先生。タクト君のこと、教えてもらえませんか?」
「タクトさんのことですか?」
校長先生は、当然だけど、悩ましい顔になった。
「あ! 私、たつ姫ちゃんの鞄とってくるね! 水筒と貴重品持ってきたほうがいいでしょ!」
松乃ちゃんが、慌てた様子でそう言って、私が何かを言う前にウインクをして校舎の中に走って行ってしまった。
もしかして、タクト君の話をしやすいように、席を外してくれたのかな?
「あの、先生。今朝、神社の近くの交差点で、市長が街頭演説の準備をしていたんです」
「まあ、市長が?」
「それで、市長の顔を見たら、タクト君とても怖い顔になったんです。市長の名前、九内竜司ですよね? タクト君と同じ、苗字」
「……」
あれ? 校長先生の表情が……消えた?
いつもの優しいおばあちゃんみたいな雰囲気が、少しずつ、霧が晴れるみたいに消えていく。なんだか、怖い。
――あの人は、信用できない――
タクト君の声が頭の中で響いた。
手が、震える。
「タクト君の親戚か何かなのかと思ったんです。けど、タクト君は教えてくれなかったし、九内竜司が市長だってことも知らなかったみたいでした」
「そう……」
校長先生はそうとだけ言って、私から目をそらした。
「タクト君、今朝、自分がここにいるだけでみんなに迷惑をかけるって言ったんです。昨日は、普通に笑ったり、麻也とも楽しそうに話したりしてたのに。今朝、市長に会ってから、ずっと様子がおかしいんです。絶対に無関係じゃない」
校長先生は何も答えてくれない。けれど、私の疑問は、感情は止めることができなかった。
「タクト君、どういう事情があって、一人で学校に来たんですか? 親が顔も出さない体験入学なんて、見たことない。一体、タクト君に何が――」
「たつ姫さん」
静かな校長先生の声が、私の言葉を制止した。
ごくりと唾をのんで、校長先生の顔を見ると、校長先生は、いつもの優しい笑顔に戻っていた。
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