普通の学校生活 その五

 その後ももう、とにかく大変だった。

 虫騒ぎのあと、今度はタクト君が消しゴムを使えないことが判明した。

 私が消しゴムを使ったのを見たタクト君が、そわそわしだしたので、ずっと貸してって言い出せなかったのかもしれないと思って、貸してあげた。

 すると、私の右耳に「ビリィ」という切ない音が聞こえてきた。

 タクト君がプリントを盛大に破いていたのだ。消しゴムで消そうとして、力加減を失敗したらしい。まるで、一年生になったばかりの麻也みたいだ。

 その後も何度も「ぐしゃあ」と「ビリィ」が聞こえてきた。

 うん。今まで消しゴム使ったことないのかな?

 って、そんなことある?! さすがに中学校まで一度も消しゴム使ったことないわけないでしょ!

 頭を抱えつつどうにか英語の授業を終えた後、休み時間になると同時に、クラスのみんな(特に松乃ちゃん)がタクト君のところに殺到した。

 タクト君は、虫のときと同じくらいのオーバーリアクションで逃げ出して、またしても私の左肩にしがみついた。

 みんなの質問のほとんどにタクト君は答えず、ひたすらおどおどして私の肩に隠れていた。まあ、大きすぎて隠れるわけないんだけど。

 みんなからの質問は「どこから来たの?」とか「迷子になってたんでしょ?」とか「虫怖いの?」とかだったんだけど、一つとして答えなかった。

 そんな様子を見て、みんなはタクト君に質問攻めをしてはいけないと判断し、それ以降近寄らなくなった。

 最大の問題は、みんなが「タクト君のことはたつ姫が担当」という扱いになってしまったことだ。

 ことあるごとに私の左肩にしがみついたり、私の横で「捨てられた子犬顔」をして頼ってきたりするもんだから、給食の時間には担任の先生までも「たつ姫はタクト係な」なんて言い出した。


 まあ、朝、彼を突き飛ばして置き去りにしたことに罪悪感を感じているので、拒絶もできないし、仕方ないんだけど。

 放っておけないし。


 あと、困ったのは頼希だ。

 とにかくにらんでくる。明らかに機嫌が悪い。

 どうして。


 給食の時間も、タクト君は「食べ物を初めて見た人」みたいなリアクションで、一口食べさせるのにものすごい苦労をした。

 無理に食べさせるような学校ではないけれど、さすがに何も食べないと倒れるんじゃないかって心配になるよね。

 ちなみにうちの給食は、小学校の校舎内にある給食室で、給食の先生が作ってくれた出来立ての手作り。食材も地元のものがたくさん使われてて、とてもおいしい。

 今日のメニューは、白身魚のフライと、星形の小さなチーズが乗ったサラダ、野菜スープとわかめご飯と、いつもの牛乳。

 私の後ろを、カモのひなみたいに着いてきていたタクト君は、一皿一皿、自分が持っているお盆に料理が乗せられる度に、目をまん丸にしたし、顔色はどんどん青ざめていった。

 あまりの様子に、先生が「アレルギーがあるのか?」と心配したくらいだ。

「アレルギー、大丈夫?」

「だいじょうぶ……なはず」

 給食の時間なので、隣同士を向かい合わせに並べなおした席に着いて、真っ青な顔で給食を見つめるタクト君を正面から見ていると、私も心配になってくる。質問したらよけい不安になるような答えが返ってきた。

 そんなタクト君の様子は、不登校で苦しんでいた時期の麻也を思い出させた。


 転校してから半年は、麻也は給食が食べられなかった。四時間目になると気持ち悪くなって、給食を食べようとすると目が回って、お腹が痛くなって、早退してしまっていた。

 給食が苦手、という人がいることを、私はよく知っている。


「タクト君、もしかして、給食苦手?」

 身を乗り出して小声で聞いてみると、タクト君は真っ青な顔のまま、小声で返してきた。

「きゅうしょくって、食べたことない」

「あー……」

 通信制の学校だったっけ。小学校や幼稚園も、私立だと給食がなくてお弁当ってとこもあるよね。

「あの。これ、魚……なんだよね?」

 タクト君は白身魚フライを指さした。魚が嫌いなのかな? 麻也みたいだなあ。

「そう、白身魚。魚嫌い?」

「……ほ、ほんものの?」

 ん?

「う、うん、そりゃそうでしょ」

 本物じゃない魚? どういうこと? 私の頭の中に浮かんだのは、食品サンプルだった。

「本物じゃなきゃ食べられないでしょ。給食の先生がちゃんと手作りしてくれたものだから、変な心配しなくても大丈夫だよ」

 私がソースをかけて食べてみせると、タクト君も恐る恐るソースをかけて、震える手でお箸をつかんだ。

 そんなに怯えなくても……。

 気付けば、お箸でフライをつかむタクト君を、同じく机をくっつけている他の四人も、心配そうに見つめている。その向こうでは、担任の先生もハラハラしながら見ている。

 フライが、きつく目を閉じたタクト君の口に入った。


 ――もぐもぐ。

 ――もぐもぐもぐ。

 

 ぱちりとタクト君の目が開く。

 ほっぺがピンク色になった。

 お箸がもう一度フライに伸びる。


 ぱくり。もぐもぐ。

 ぱくり。もぐもぐもぐ。


「お、おいしい?」

 私が聞くと、もうクラス中のみんなが息をのんで見守る中、タクト君はこくんと頷いた。


「おいしい……」


 教室中が、ほっと息をついた。

 そして、みんなが一斉にタクト君に声をかけた。

「よかった!」

「よかったな~! サラダも食べてみろよ!」

「スープもおいしいよ!」

「わかめご飯も食べて食べて!」

 タクト君はビクッとしてから、みんなが言うものを一つ一つ食べて、結局見事に完食した。


 そして、今までにないくらい一体感に包まれた給食の時間を終えた、その後のお昼休み。

 私の平穏な学校生活が、校長先生によって一撃粉砕されたのだった。

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