第18話 姫乃森中学校の先生たち

 今日は、なにかとドタバタした一日だった。

 中野先生に提出物があったので、私は昼休みに職員室へ行った。

 いつもは給食だが、今日は弁当の日。

 先生達も、各々が弁当を持って出勤していた。


「失礼しまーす」


 ノックをして職員室に入り、中野先生の席に向かった。


「先生、プリントまとめてきました」

「ありがとう、夏希さん」


 まとめると言っても三枚だけど、端を揃えて中野先生に手渡した。


「では、失礼しま……」

「いただきま~す!」


 職員室から出ようとしたら、川村先生の大きな声が聞こえた。

 どうやら、カップラーメンを食べようとしていたようだ。

 どんなラーメンか気になって、こっそりと近づいて覗き込んだ。

 しかし、蓋がもう剥がされていて、何のラーメンか分からない。


「混ぜて混ぜてー。胡椒をかけてー」


 川村先生は、よく分からない歌を口ずさみながら、ラーメンを箸でぐるぐるかき混ぜていた。


「ふーっ、ふーっ……ずずずっ……ん? んんっ!?」


 麺をすすった川村先生が、妙な声を出した。


「かってぇー! なんだ、これ!」


 顔をしかめた川村先生が、慌ててゴミ箱からラーメンの蓋を拾った。


「うわー、これ、三分じゃなくて五分じゃん!」


 どうやら、お湯を入れてから待つ時間を間違えたようだ。

 この様子だと、作り方の説明をよく読んでいなかったんだろう。

 お気の毒さま……。


 そんなことを思いながら、ふと窓の外を見た。

 そのとき、職員用の駐車場で何かが動いているのを見つけた。

 よく見ると、大きなカモシカが、川村先生の車のサイドミラーを美味しそうにペロペロと舐めている!

 私は言葉を失い、その光景を呆然と眺めていた。

 すると、中野先生が私を見て声をかけてきた。


「夏希さん、どうしたの?」

「あの……川村先生の車をカモシカが舐めてます」

「えっ……?」


 中野先生はびっくりして、窓の外を見た。


「えっとー……シカ?」

「そうですね。あれはカモシカですね」

「初めて見たわ! あれがカモシカなのね。よく見ると可愛いわね」


 中野先生は都会出身だから、動物を見慣れていないようだ。


「でも、あれ成獣ですねー。基本、おとなしいですけど、驚かさないように温かく見守りましょう」

「あっ、そうなのね。夏希さんは驚かないのね」

「ええ、見慣れてますから。うちの庭にも出ますし、子どものカモシカと遊んだこともあります」


 中野先生は、目を丸くして私を見つめた。


「すごいわね! たくましいのねえ」


 私はふと我に返り、川村先生に声をかけた。


「あのー、お食事中失礼します」

「どうした、なっちゃんー」


 川村先生は、不味そうにラーメンをすすりながら答えた。


「あのー、大変申し上げにくいんですが……。先生の車なんですけど……カモシカにサイドミラー舐められてますよ」

「ははは、そんなわけ……」


 川村先生はそう言いながら、自分の車を見た。


「うわあぁぁぁ! 何じゃありゃぁぁ!」


 大声をあげた川村先生は、ラーメンを放置して外に出ようとしていた。

 慌てて私は川村先生を止めた。


「下手に手を出すと驚いてしまって、先生の車がどうなってしまうか分かりませんよ!」

「じゃあ、どうしろっていうんだ!? 俺の愛車がー! 洗車したばっかりなのに!」

「更にきれいになって良かったじゃないですかー。まぁ、そのうちいなくなりますよ。温かく見守ってましょう」

「温かくって、お前……」


 そんな私と川村先生のやり取りをよそに、内藤先生はニヤニヤしながら、カモシカが川村先生の車を舐める様子を携帯で撮影していた。


「内藤先生! そんなことしている場合じゃないよ! なに写真撮ってんだよ!」

「……あっ」

「えっ……?」


 内藤先生の視線の先を追うと、カモシカが舐めていたサイドミラーが見当たらない。

 そして、カモシカもいなくなっていた。


「川村先生、サイドミラーひとつ無いですよ?」


 私が呟くと、川村先生は「なにぃ!」と言って、自分の車に走っていった。

 職員室の窓を開けて、私は「先生、大丈夫ですかー」と叫んだ。

 すると、川村先生が何かを拾って、こっちにやってきた。


「これ……」


 カモシカにへし折られてしまったサイドミラーを手にしている。

 川村先生は言葉を失い、それ以上の台詞が出てこない。

 内藤先生は、


「あー、これはやられましたねー。車屋に電話したほうがいいですよー」


 と、川村先生の肩を叩きながら言う。

 川村先生は、しょんぼりしながら、携帯を取り出して電話をかけようとした。

 私はすかさず声をかける。


「あっ、川村先生。ここ、圏外です。学校の電話使うしかないですよ」

「田舎って、怖いなあ……」


 電話機に手を伸ばした川村先生にお辞儀をして、教室に帰った。

 かわいそうに……と思いながら。



 次の時間は数学だ。

 数学は内藤先生の担当だ。

 いつもどおり、のどかな授業が進む。

 お相撲さん並の体型の内藤先生は、いつもと変わらないパッツンパッツンのジャージ姿だ。

 私達はもう見慣れているので、黙々と授業に集中していた。


「それで、このXにYを移乗して……あっ」


 ポキッと音がして、内藤先生が持っていたチョークが折れた。

 力が強いから、いつもチョークを折ってしまうのだ。


「またやっちゃった……よいしょっと」


 落ちたチョークを拾おうと、内藤先生がしゃがんだ。

 その瞬間……。


 ビリッ……。


 私の耳に、何かが破けたような音が聞こえた。


「ねえ、いま、何か破ける音しなかった?」

「えー? 何も聞こえなかったよ」


 ふーは聞こえなかったらしい。

 それを聞いていた千秋も、分からないというふうに首を横に振っている。


「どうしたのー?」


 私達が喋っているので、内藤先生が尋ねてきた。


「いやー……何かビリッて破ける音が聞こえたので……」

「えー? 何も聞こえなかったけどなー。授業進めるよー」

「すみません。でも、確かに……」


 内藤先生は、再び黒板に向かって、公式を書き始める。

 すると、内藤先生のお尻の部分が、縦にパックリと裂けていた。

 その瞬間、生徒三人は同時に吹き出した。

 笑いを堪えるのが大変だ。

 お尻の裂けたところから、真っ赤なパンツが見えている。


「三人とも、笑っちゃって、どうしたの?」


 内藤先生は全く気づいていなくて、不思議そうに聞いてきた。


「いや、あの、えーっと」


 千秋は、どう言っていいか分からずに、口ごもっている。

 ふーは、お腹を押さえて笑っていて、テーブルに伏せていた。


「先生、今日は赤色のパンツ穿いていますか?」


 私が直球で言うと、千秋とふーが慌てて止めようとした。


「ちょっと、なっつ! あんたには配慮ってもんがないの!?」

「そうだよ! そんなストレートに言っちゃダメだよ!」

「え、なにが?」


 私がきょとんとしていると、内藤先生が慌ててお尻を押さえた。


「うわっ! ズボンが裂けている! どうしよう……。まず、みんなは自習してて!」


 内藤先生は、お尻を押さえながら走って教室を出ていった。

 まるで、トイレを我慢しているみたいだ。

 教室には、残された私達の笑い声が盛大に響いていた。



 今日最後の授業は、中野先生が担当する国語だ。


「きりーつ、れいー、ちゃくせーき」


 私が号令をかけ、席につく。

 中野先生も教壇で椅子に座り、授業が始まるかに思えた。


「はぁ……」


 中野先生は、座った瞬間、大きな溜め息をついた。

 心なしか、元気がないように見える。


「先生、どうしたんですか? 溜め息なんてついて」


 千秋が聞くと、中野先生は重い口を開いた。


「それがねー。最近、体重が全然減らなくて……」


 何かと思えば……また始まったか。

 私達は心の中で、盛大にズッコケた。

 中野先生は、こういう無駄話で授業をつぶしてしまうことが多々ある。


「先生、この間の運動器具はどうなったんですか?」

 

 ふーが手を挙げて聞くと、中野先生は溜め息交じりに言う。


「あー、あれね……。三日も持たなかったわ……。足が疲れちゃってね」


 この間の授業で、中野先生は通販で買ったという、足踏みする器具のことを自慢気に話していたのだ。

 色々買っているみたいだけど、だいたい三日坊主で終わる。


「どうしたらいいのかしらねえ。みんなはどう思う?」


 どう思うも何も、思春期の私達に聞かれても困る。

 呆れている私と千秋をよそに、ふーだけはノリノリで質問を繰り返していた。


「他にどんなダイエットしてるんですか? 参考までに聞かせてください」


 ふーは、ダイエットに興味があるらしい。


「あとはねー。食事を減らしたり、ヘルシーなものを食べたりしてるわね。今日もゼリーしか食べてないの。だから、さっきお菓子食べちゃった」


 だから減らないのじゃないかと、私は思った。

 時計の針を見ると、開始から十五分が過ぎていた。

 私達は、授業が始まる気配は無いなと思い、広げていた教科書とノートを閉じて、中野先生の話に耳を傾けた。


「食事だけですか? 運動はしないんですか?」

「えーっと、あとは休みの日にジムへ通ったり、インターネットで痩せるダンスを見つけてやってみたりしているのよ」


 ダンスをしている中野先生……。

 あの美貌を保つのも大変なんだなあ。

 中野先生はアラフォーの美人で、スタイルも抜群だ。

 ダイエットなんて、する必要がないように思える。


「あなた達もアラフォーになれば分かるのよ。減らそうと思っても、そのときには既に遅いのよねー」


 中野先生は、延々とダイエットの苦労話を続けていく。

 ふと時計を見ると、授業が終わる五分前になっていた。

 私達は教科書とノートをしまい、帰る準備を始めた。

 その間も、中野先生は淡々とダイエットについて喋っていた。


 キーン……コーン……カーン……コーン……。


 チャイムが鳴り、中野先生はハッとしたように顔を上げた。


「あら、もうこんな時間! 時間が経つのは早いわねえ。今日はこれで授業を終わりにしまーす。日直さん、号令お願いします」


 号令をかけるも、私は授業なんてやってたっけと思った。

 中野先生はスッキリしたのか、上機嫌で職員室へ戻っていった。


「さっきの授業、何だったけ?」


 私が呟くと、千秋が、


「国語でしょ?」


 と、冷静に答えた。


「そうだっけ? ダイエットの授業じゃないの?」


 ふーは真顔で言っていた。

 ダイエットの授業って何だよ。

 私は呆れながら、掃除に向かった。



 放課後の掃除は、分担して行う。

 自分の持ち場が終わると、私は職員室に報告しに行く。


「失礼します。中野先生、音楽室の掃除終わりました」

「はい、お疲れ様」


 すると、校庭からパーン、パーンと運動会のスターターのような音が聞こえた。


「この音、なんですか?」

「あー、これね。なんか、有線放送が流れて、この周辺に熊が出たらしいのよ。それで、校長先生が追い払うためにスターターを使っているの」

「えー、怖い。どうしよう」


 そこに、隣の小学校の校長先生がやってきた。


「お疲れさまですー。あ、なっちゃん、今日も頑張ってるねえ」

「お疲れ様でーす」

「ところで、スターターの音が聞こえたんですけど、どうされましたか?」


 中野先生が、事情を説明する。


「あー、あの有線の件ですか。あれは、ここじゃなくて、隣の学区ですよ」

「そうなんですか! 校長先生ー! 小学校の校長がお見えですー!」


 中野先生は、窓を開けて校庭に向かって叫んだ。

 校長先生が気づいて、周りを警戒しながら戻ってきた。


「あー、お疲れさまですー。どうされましたか?」

「校長先生、熊はここじゃないそうです。隣の学区だそうですよ」

「ええっ、そうなんですか! 私はてっきりここだと思って……ご迷惑をおかけしました」


 校長先生は、ほっとしたようにスターターを片付けにいった。

 こうして、生徒達の安全は守られたのであった。


「中野先生、校長先生は一人で行ったんですよね。怖かったでしょうね」


 私が言うと、中野先生はくすくす笑った。


「それがね。放送を聞いてすぐに、スターターを持ってパンパン鳴らし始めたの。私、行ってきます、とか言ってね。すごく勇敢で頼もしかったのよ」

「そうなんですか。さすが校長先生ですね」


 いつも草刈り、草取り、花壇の掃除と、のんびりしている印象だったけれども、やるときにはやるんだなと、私は感心した。

 姫乃森中学校は、こんな愉快な先生達に守られている。

 だから、生徒達は楽しく一日を過ごせるのだ。

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