夢の収集方法3
夢物質の発生と揮発についてはわかってきたものの肝心のそれを収集する術についていざ直面してみるとどこから手を付けたらいいのかすらわからなかった。既に頭皮から揮発していく夢物質を小瓶に詰めるということはしてきたがこの手法は完全に原始的なものにほかならず、純粋で高濃度な夢物質を収集することは現在のままでは不可能だ。また、夢の内容の補完をするためにもこの収集技術の向上は必須であった。
そこで、わたしはまず夢物質の神経伝達について調べていくことにした。先行研究が殆どない夢という分野での研究は思うように進まず、焦りと不安感がつのるのみであった。この日は研究室に他の研究者がいなかったのでひとりごとが増えた。調べる手を動かしながら愚痴をこぼす。「いや〜、無理だってこれは。」
この研究において、緊急性が求められていないことが何よりの救いだった。のびのび研究することができる。感染症に詳しくなっていたとしたら2019年頃から流行りはじめた世界的パンデミックを引き起こしたウイルスについて研究させられていたのかもしれないと考えるとゾッとした。まだマシな方だ、そう心の中で言い聞かせて自分を落ち着かせた。
夢物質は細胞の破裂により脳から分泌されることが既にわかっている。ということは人間の頭部に多く夢物質が存在しているという獏自身である私の直感も正しい。とりあえず、頭部から分泌される代謝物から検出することを考えた。まずは汗、唾液、涙液だ。代謝物のうち、液体でないものは除外した。なぜなら夢物質は揮発してしまうからだ。ここではわたしは重大なことに気づき、思わず声を上げた。
「夢物質を検出する方法がまだわかっていない!」
ああ、私はなんて馬鹿なんだ。イライラしてきた。夢物質の検出にあたって試薬を作ることが理想だが、とりあえず今は夢物質の濃度さえわかれば良い。幸い血液に関する研究や技術は向上しており、夢物質以外の大体の物質は数値として出すことができた。また、血中から揮発するものはアルコール等の摂取がなければ基本的にない。気体となるものも確かにあるが、ガス化され肺から呼気を通して排出される。
ここまでわかっていればあとは時間の問題だった。夢物質は揮発速度が異常に早いことがわかっており、一般的に揮発物というのは温度が上がるにつれて揮発もさらに速く進む。また、揮発した物質を取り出す方法は簡単で、圧縮と冷却を行うことにより再度液化させることができる。これで一定量の血液から得られる液化された量を測定することで血中夢濃度を計算で割り出すことができる。
計算内容としては採取した血液の体積あたりの液化された物質の体積とする。
また、この際血液中に含まれる水分も蒸発するはずだが、体組成計をもとに体水分量を測定し、その結果から含まれた水の体積を除外する。こうすることで純粋な夢物質のみの体積を割り出せると考えた。
また、夢物質は水分と違い人間の体温ほど、おおよそ35°Cから37°Cで揮発する。このことから、血中の水を含めて蒸発、揮発させた上で液化させ、さらに35°Cまで温度を上げて維持し、再度揮発物を集めて圧縮と冷却をして夢物質を精製していく手法も合わせて行う。二つの異なる手法を用いたデータの取得により、結果が正確であり信頼できることを保証した。
ここからは少し平均値というものにも目を向けることにした。治験といえばいいのだろうか、とりあえず十人くらい自分を含めて集め、期間は一週間に設定した。一週間もあれば夢を見た日やそうでない日が必ずしもどこかであるはずで、見た日は血中夢濃度が高く、見ない日は逆に低く出ることは既に結論として出ている。夢物質は夢細胞の破壊によって揮発を始めるのである。個人差は必ずあるはずだから、数を集めることで濃度の範囲と平均値、中央値などを求めたい。
この研究がもっと人に有効なものであるということが証明されればな、と思った。私は本当はもっと治験者の数を増やしたかった。具体的に百人くらいだろうか。しかしそれは実現不可能だった。要は科研費が足りなかったのである。治験にはその治験に参加した人への謝礼と器具を使うためのお金、そして治験に参加する人数が増えればそれだけ解析する人も必要になり、その分の人件費も払う必要があった。夢についての文化を更に流行らせることでもっと人の目を集められないものかと考えるべきときが来たなと感じた。ついこの間までのびのび研究できると喜んでいた自分がいたことを思い出して己の軽薄さに恥じた。"やることリスト"にそれを追加し、現在最も重要である治験に向けて頭を切り替えた。
治験を行うにあたり夢を見ることが重要になってくる。インプットは多いほうがいいと考え、本治験参加者には本や電子機器、絵画やその人自身の創作に関わる道具に至るまで必要なものは持ち込んで良いと伝えた。
採血は一日二回、朝起きてすぐと夕食前で、その際体組成計を用いた体水分量の測定も合わせて行う。取った血液からの夢物質の分離は私自身で行った。十人分しかないのである、ほとんど負担にはならない。また、採血と体水分量の記録のために看護師を二人、一時的に雇用することにした。私は医療従事者ではないので医療行為はできない。
治験の日が来た。治験者には事前にマニュアルを渡してあり、毎日の日中の記録をつけることを義務とした。そして、参加者には事前にスマートバンドの装着をさせ、入眠と起床の時刻及び睡眠の深さの波を記録した。この睡眠の深さなどについては心拍や寝返り等の体の動きから大まかに把握することができるようだ。また、夢をどのくらい見たか、主観でいいので普段と比べてどう違うかの記録も依頼した。夢の内容に関しては任意で、書きたければ書いていいことにした。また、私は非常勤になったものの職業で獏をやっていることに変わりはないので、悪夢を見て食べてほしいと言われたときは血中濃度に影響がないよう、採血後に食べることを約束した。また、今回の治験でわかったことはいずれ論文になるがその際どのような活動をしていたのか、どのような夢を見たかなど個人情報に関わることについては公表しないことを契約した。
朝と夜のみ機材を用いて解析し、記録をまとめていく必要があるが、それ以外の時間は普段と変わらない。変わったことといえば活動場所が研究室から病院の一角に移ったくらいだ。今回の治験中は研究にのめり込みすぎないように心がけるが、結局はこれも研究の一環なので心がけるのみで終わった。いままで研究をずっとやってきたが、ここで初めて数値化されたデータに触れられたことで感動を覚えた。これから忙しくなるぞ、とやや嬉しくなったことで上がる口角を手で隠しながら解析を進めた。
治験の七日間は一瞬で終わった。治験中、五回ほど悪夢食の依頼があり、獏としてもかなり満足した。また、得られた結果について、夢物質の量の増減は大体は予想と一致していた。朝採血したものが一番多く、夕食前に少なくなる。しかし、完全になくなっている──夢物質が完全に血中から揮発した──事例はなかった。必ず微量の夢物質が残っていた。これは夢細胞の死滅スピードと関係があるのだろうか。これについては後で考えることにしよう。
ようやく血中夢濃度の平均値及び範囲を割り出すことができたのである。血中夢濃度と頭部から分泌される体液の夢濃度を照らし合わせてどの項目が一番多いのかを調べる準備が整った。
私はそれが涙液であると予想した。視神経は中枢神経系の一部としてみなすことができるからである。視神経は直接脳から制御を受ける。その上視覚を担っており知覚との関係性も深い。いや、しかしこれでは説明がつかない。視神経は涙液などとは別の神経系で動いているんだ。ダメだ、事実と矛盾してしまう。この結論では私の仮説は立証できない。
思い出した!
涙液は顔面神経によって涙腺を通して調整されている。生物の身体というのは様々な筋肉の部位に分けられ、それぞれに対して指示が伝えられ、そのように動く。そして、夢を見ているレム睡眠時は身体の筋肉は弛緩、つまり運動を停止し、眼球の運動のみが活発に行われることがわかっている。眼球が動くということは同時に涙液も必要になるため、目の運動を支える周囲の神経が動き、同時に血液循環も活発になることが考えられる。
脳神経は十二種類存在し、視神経や顔面神経はそれぞれ脳神経の一つとして分類されている。脳神経の大きな特徴は脳から直接出ている神経ということだ。また、眼球の運動にはまた別の脳神経が関わってきている。頭部のみで神経伝達と脳からの指示が完結しているため、脳が活性化し、脳内の血液循環が活発になることで夢物質の循環が脳内で起きやすいと考えておくのが妥当だろうか。それに涙はもともと血液であり、そこに血液を通じて循環する夢物質が混ざらないとは考えにくい。
私は仮説を研究用メモに残し、今日の研究に一段落を付けた。
ここまで考えたが、肝心の涙液を多く集めることは難しいように思えた。どうしたら一滴単位の微量の液体から夢物質の検出を可能にできるのか、しばらく考える日々が続くだろう。これまでのやり方で行くと、マイクロ単位、もしくはもっと細かいレベルでの体積を扱うことになるのは目に見えている。細密な検査が可能な機器があればいいんだが……。後でここの研究所かそのツテで使える機材がないか人に聞いて調べてみよう。あとは別の検出方法を考えるか、その二択だろう。
私が今まで逃げてきた夢物質検査用試薬の開発の必要性がだんだん押し寄せてきているように感じた。化学から少しづつ距離を置いてきた責任が今回ってきたと思うと気が重くなる。
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