夢の収集方法
夢の収集には困難を極めた。まずどこから夢が生成されてどこに向かうのかを調べる必要があった。
最も夢物質濃度が高い部分は脳だった。これは獏である私に判断を求められたがあまり難しい課題ではなかった。いつも頭部に漂う夢を食べていた自分にとってこれは自明と言って差し支えがなかった。そして夢物質の研究者でもあった自分は夢物質の研究を進めた。
研究員はそこまで多くなく、まだ夢についての研究はメジャーなものではなかったことからここから先の研究は困難を極めた。研究に没頭していた期間は獏の仕事を非常勤で行うことにした。研究が思うように進まないことはとてもつらかったが、研究自体は嫌いではなかったことが幸いした。また、悪夢を食べることを生業にしている自分にとってそれを続けられることが嬉しかった。悪夢がおいしくて良かったと心から思った。
調べていくうちに夢物質が血中に溶け込むことが分かってきた。通常、薬物は肝臓等で代謝されるが、夢物質は例外でそのまま体内を循環する。しかし夢物質には揮発性があるため呼気や皮膚から失われ、体内での総量は時間とともに減少する。夢物質が血中に存在するのであれば採血をして血液検査の要領で夢物質の有無や夢物質の中での分類、夢濃度の測定などを行うことはできないだろうか。しかしこれには試薬が必要だろう。まずは夢物質の構造や形態について調べる必要がありそうだ。また、夢物質を採取することができても大抵は夢の情報は穴だらけでそのままでは復元が不可能な場合が多いと考えられることから、夢物質を培養して抜け落ちた情報を補完する手法が必要だろう。
ここで一旦頭の整理をしよう。夢物質とは揮発性があり人間の身体のうち主に脳で生合成され、その後血中に溶けだすことがわかっている。調べるべきことは膨大な量あるがまず私は夢の生成から考えることにした。
睡眠には複数の形態がある。大まかにレム睡眠、ノンレム睡眠の二つに分けることができるが、ノンレム睡眠の中でも二種類あり、深い眠りと浅い眠りだ。眠りを深い順に並べると深い眠り、浅い眠り、レム睡眠、覚醒状態となる。このうち、レム睡眠のみ特別で、身体が睡眠中でありながら脳が覚醒、興奮状態になる。
そして夢は脳の一部分である大脳皮質や辺縁系からの影響を受けているとされている。また、辺縁系の中でも記憶に関与する部分が重点的に関わっているようだ。睡眠という感覚遮断の状況下でレム睡眠中は覚醒状態とほぼ同じくらい活性化し過去の記憶映像に基づいて夢が作られる。
記憶に関係するものとしてセロトニン受容体があり、セロトニンが夢に関与しているのではないだろうかと私は考えたが、セロトニンは睡眠中は活性化せず、起きているときのみに働くことからこの仮説は不適切となった。
しかしこの情報から得られたことがある。それは睡眠中にセロトニンが全く働かないなら別のものが働いて脳のみの覚醒状態を成り立たせているということだ。
ここで私は覚醒と睡眠に関わる物質であるオレキシンに目をつけた。オレキシンは視床下部から分泌される神経伝達物質で、大脳皮質に投射される。つまり大脳皮質で仕事をするということだ。これは先に述べた大脳皮質や辺縁系からの影響を受けていることと合致する。
次はオレキシンによる脳の覚醒と睡眠の関係について、簡単に言うとオレキシンの伝達が亢進されると覚醒し、伝達に障害が生じると過眠になる。これを病理的に説明するとオレキシンが増えると不眠症に陥りやすくなり、減ると過眠症、ナルコレプシーとも呼ばれるものになる。通常時、オレキシンは起床時間が近づくにつれて増え、覚醒状態に向かう。これもスイッチのオンオフのようにはいかないのである一定の閾値があり、なめらかに変化していく。
そして睡眠薬の話になるが、スボレキサントやレンボレキサントなどのオレキシン受容体拮抗薬を用いると悪夢を見るという報告がある。不眠の原因とされるオレキシンが多く伝達されている状態から薬を飲むことでオレキシンの伝達を抑え、入眠を促している。
しかしこれは私の推測だがオレキシンは身体の覚醒にのみ関与しており、脳の興奮などは抑えることができないことから身体は睡眠状態にあるにも関わらず脳は興奮状態が続き、脳が作り出す夢を見ることが多くなっているのではないだろうか。また、夢はその人自身の経験や記憶をもとにして作り出されているため、不眠に陥るような精神状態ならばその人にとって嫌な経験や記憶があることも考えられる。それが夢に反映されているのである。
こうなるとその悪夢を食べる存在であるところの獏とは誰かの悪夢を食べることで脳に残る嫌な記憶や経験も一緒に食べてしまっていないか不安になることがある。獏にとって夢を食べるということはその人の中からその夢の情報を消し去ることだ。私にとって他人の自我に関与することは抵抗がある。しかし夢は脳が記憶や経験をもとに新たに作り出されるものであり、それ自体ではないということ、食べるのは夢のみで獏の手を持ってしてもそれや自我には到達し得ないことを経験上知っていたが、私はそれでも夢と記憶や経験など自我に関わるものの区別がわからなくなっていた。
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