第25話
わたしの脱走の根底は、あくまで衝動的なものでしたが、それを行うにあたっては、きわめて計画的だったと言わざるを得ません。
最大、なおかつ唯一の障害は、右手の発信機でした。これを壊さないかぎり、どこへ逃げても、わたしはどこまでも追跡されることでしょう。この戦争において、わたしたちセキレイのパイロットの戦力は、貴重なものなのです。重要な機密なのです。逃げ出したわたしが万が一『敵』の手に渡ったら、それは重大機密が敵に漏れたということになります。所在不明は困りますが、死亡は困らない。あの当時、まだ戦況がそれほど悪化していなかった軍において、わたしたちセキレイのパイロットの扱いは、たぶんその程度でした。
わたしたちセキレイのパイロットに『心』はありませんが、一応は人間ですから、痛覚はあります。その後わたしが起こした行動に際し、その痛覚の存在は非常に厄介でした。
右手の発信機の、破壊。
それは脱走の過程において、もっとも重大でした。
発信機は腕時計のように右手にはまっていて、自力で外すことはできません。成長の途中で何度か交換されましたが、それはかならず軍の医療技官が、特殊な機材を用いて行っていました。素人のわたしがどうこうできる代物ではないのです。
機器の切断は、何度も目論みました。こっそり手に入れた刃物で、何度もコードを切断しようとしました。でも、できませんでした。わたしはそのたびに左手をすべらせ、右手にはいくつもの傷ができました。メディカルチェックの際に技官がそれに気づかなかったのは、ひとえに彼の職務怠慢の恩恵だったのだと思います。
わたしは考えました。考え続けました。どうやったら発信機を破壊できるのか。発信機を破壊して、どうやったら軍から、戦争から、セキレイから、逃げることができるのか。
簡単なことでした。
右腕を切断すればよかったのです。
セキレイでも
けっして緻密とは言い難い計画。無謀ともいえる発信機の破壊、逃走経路。そして次の出撃の時に、わたしは計画を実行しました。
わたしたちは互いの誤射を防ぐために、徹底的に訓練されていました。だからわたしたちがパイロットとして配属された六年間、そんな事故は一度も起きたことはなかったのです。
わたしは『敵』と味方の斜線上に飛び出しました。
わたしが被害者の第一号になりました。
真っ青な空でした。
空はどんどん遠くなり、おそろしい勢いで落下していくのが分かりました。全身にとてつもない重力を感じました。機体が軋み、何十種類もの警報がコックピットを埋め尽くしました。
眼下に広がる雲を突き抜け、大気圏に突入しました。地面がどんどん近くなり、山が、森が、街が、信じられない速度で迫っていくのを、わたしはコックピットの中でぼんやりと感じていました。
これからの逃走計画で、頭がいっぱいでした。
でももし着陸に失敗したら死ぬ。それはそれで、まあいいや、とも思えました。
どうやって着陸したのか、わたしは今もってよく思い出すことはできません。きっと着陸というよりは、ほとんど不恰好な墜落と呼べるようなものだったのでしょうが――まあ、そんなことは、どうだっていいではありませんか。
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