第5話
それからほとんど、ほぼ毎日、時間が許すかぎり、イーサンはわたしの手を引いて、ヒナタへと会いに行きました。
ヒナタがどんな生活をしていたのか、当時のわたしにはよく分かりませんでした。後々再会した時に聞いた話では、彼女は東京から母親とともに疎開してきて、近所の学校に編入したばかりなのだと言っていました。
「わたしね、友だちがいないの」
ヒナタはそう言って、わたしたちのことを交互に見つめました。
『友だち』という概念は知っています。わたしにも『友だち』はいません。『友だち』と『知り合い』の具体的な境界がどこにあるのか、わたしには分かりませんでしたが、少なくともわたしとヒナタはまだ『友だち』と呼べる間柄ではありませんでした。
「ねえ、イーサンとアレクサは、いつも一緒にいるの?」
「うん」
イーサンが返事をします。ヒナタはそれを聞いて、
「いいなあ。……わたしも、そんな友だちが欲しい」
わたしとイーサンも、『友だち』ではありませんでした。わたしとイーサンは、認識番号がとなり合わせの兵器でした。同じ工場の同じラインで生産された、殺戮兵器『
たぶんわたしがヒナタのことを理解できないのと同じように、ヒナタもまた、わたしのことを得体のしれない怪物か何かのように思っていたのでしょう。
でもヒナタはわたしとは違って、『心』ある優しい女の子でした。イーサンを通じてフェンスの向こうから、毎回ぎこちなく話しかけてくれます。わたしの中には、ふつうの女の子としての模範解答は存在していません。彼女が語る『学校』だとか『習いごと』というものも、概念でしか知りませんでしたが、それでもヒナタがそれを話してくれるたび、わたしも想像を膨らませました。『心』がなかったはずのわたしが『想像する』だなんて行動を取るのは不可解だったでしょうが、他にしっくりと来る言葉が、いまいち見つからないのです。
ヒナタとは、ほとんど毎日会いました。
「今日、学校でこんなことがあったのよ」
「明日はお母さんとクッキーを焼くんだ」
「お父さんから手紙が来たからね、返事を書くの。ふたりのこと、書いていい?」
ほとんど毎日会って、わたしたちは親睦を深めました。学校、お母さん、お父さん。概念はすべて知っています。でもその血のつながりが、外の社会において、具体的にどんな作用をもたらすのか、わたしにはやっぱりよく分かりませんでした。イーサンはうんうんとうなずいていましたが、彼だってどこまで理解していたのか、正直、怪しいものです。
学校、お母さん、お父さん。たまにおじいちゃんとおばあちゃん、それから先生。話を聞くたびに、彼女を取り巻く社会と人間関係がおぼろげながらに分かってきました。
彼女の会話には『友だち』がほとんど登場しませんでした。たぶん彼女にとっての『友だち』とは、イーサンとわたしだったのでしょう。当時のわたしはそれすらも分からずに、ただイーサンに連れてこられたという理由で、彼女の語るふつうの女の子の暮らしに、耳を傾けました。
金網越しのつたない友情関係は、ずいぶん長く続きました。雪が降り積もろうと、雨で土砂降りになろうとも、ヒナタは必ずフェンスの向こうで、わたしたちを待っていました。訓練が長引いて、行けない日もありました。『調整』で具合が悪くて、寝込んでいた日もありました。具体的には聞きませんでしたが、たぶんヒナタは毎日、わたしたちを待っていたのだと思います。銀色のフェンスの向こう、有刺鉄線が阻むその先で。
「ねえ、イーサン。アレクサ。見て見て、きれいでしょう?」
降り積もっていた雪が溶けはじめた春先のその日、ヒナタはポケットから、ビーズのネックレスを取り出しました。
彼女はフェンスの隙間から、それをイーサンの手に受け渡して、
「へー、すごいな。これ、どうしたの?」
「作ったの。……お母さんが、材料を買ってくれて」
ヒナタがイーサンに対してとくべつな感情を抱いていることくらい、『心』のないわたしでさえ分かりました。イーサンがそれを理解していたのかどうかは不明です。でもイーサンはわたしと違い、『心』が残っていました。わたしが『処置』で失った『心』を、彼は持っていました。パイロットとしては優秀でも、パーツとしては不良品。いつか研究員の人がミハイロワ先生にそう耳打ちしていたのを、聞いたことがあります。
ヒナタはイーサンに何事かささやいて、そしてふたりはクスクス笑いました。『心』のないはずのわたしの胸の中に、何か言いようもない汚濁のようなものが、うっすらと沸き上がってきました。
でもヒナタは、そんなわたしには気づかずに、
「はい、アレクサ」
「……?」
彼女はポケットから、もう一個、同じようなネックレスを取り出して、
「これはあなたのよ」
「わたしの?」
「うん、そうよ。だいじにしてね」
ヒナタはフェンスの向こうから、わたしの両手に、そのネックレスを落としました。
プラスチックのビーズが糸でつなげられただけの、いかにも子どもらしく安っぽい首飾りでした。それでもまだ子どもだったわたしにとって、それはほんものの宝石のようなかがやきを持って、ないはずの『心』の扉を叩きました。
「……」
こんな時、なんと言うべきか。知識の上では知っています。
「ほら、アレクサ」
でもなかなか言葉が出ていなくて、わたしよりもずっと敏いイーサンは、わたしの背中をトントン押しました。
「……あり、がとう」
生まれてはじめてもらったプレゼントでした。
生まれてはじめて口にした、感謝の言葉でした。
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