数千ノ蝶
千景「菜紬菜はいるか」
菜紬菜「いるよー」
千景は菜紬菜の部屋の戸を開ける。
菜紬菜「どーしたんですかー?」(ニコ)
相変わらずの笑顔に早くも苛立ちを覚えた千景。そのまま菜紬菜の部屋の中へ入り、菜紬菜の前に座った。
千景「貴様が言ったように、氷堂の着物姿は美しかった」
薄い笑みを浮かべながら、着物姿の夢睡――氷柱を見た感想を述べる。
菜紬菜「ですよね」(ニコ)
どの口が言ってるのかやら。菜紬菜は1度も着物を着た氷柱を見た試しがない。
千景「氷堂から伝言を預かって来た」
菜紬菜「なんですか?」
興味深そうに聞く。
千景「呪いますよ、だそうだ」
菜紬菜「呪いますよ、かぁ。じゃあ僕の伝言も言ってくれませんか?」(ニコ)
千景「無論だ。自分で言え」
菜紬菜「えー。だって僕、伊儀橋さんにここから出るなと金縛り受けてるんですよー」(ニコ)
千景「己が悪いのだろう?俺に言うな」
菜紬菜「それは、今日の朝、広間で伊儀橋さんの話を聞いた時のことでしたー」
千景「俺はそんな無駄話になど耳を貸せない」
それでも、と菜紬菜は言い続けた。
伊儀橋さんは影狼組の隊士を全て集めてこう言いました。「氷柱は俺が殺した」と。氷柱を知っている隊士たちは驚き桃の木山椒の木ぃーで、伊儀橋さんに襲い掛かります。僕は伊儀橋さんの職を辞してもらえばいいじゃないの?って提案したんですよ。伊儀橋さんを殺すのが可愛そうだからーって。そしたら伊儀橋さん、怒って僕を部屋に閉じ込め、さらに金縛りをかけたんです。せっかく助けよーと思ったのに。
――ならば、なぜ口が動く?金縛りを受けているのならば、動けないのではないか?
だって僕、伊儀橋さんより強い鬼ですよ?口くらいは動かせますよ。それに、伊儀橋さんを殺そうと思えばすぐにだって殺せますし。
――その話に限っては馬が合うな。俺もあ奴を生かしておくわけにはいくまい、と思っている。
多様な狼籍働いてるもんねー。
と、ここで菜紬菜の部屋の戸が開く。ズドン!、と荒々しく戸を開けたのは一郎丸だった。
一郎丸「てめえ、今何の話をしていた」
鬼如く怖い形相で菜紬菜を睨む。
一郎丸「それから、千景はなぜここにいるんだ」
千景「俺が影狼を行き来してはいけない、と言う理由でもあるのか?ゴミどもの目には見えぬよう、術をかけてここへきているのだぞ?」
ゴミども、とは隊士たちのことだろう。
一郎丸「ゴミどもとは何だ!ちゃんとした名前で呼びやがれ」
千景「ふん」
菜紬菜「伊儀橋さん、僕に何の用です?」
少し不機嫌そうな顔をしながら言った。
一郎丸「ちっとは反省してるかと思って来てみたが、間違いだったみてェだな」
菜紬菜「だって、伊儀橋さんが嘘を吐くからいけないんじゃぁないんですか」
一郎丸「氷柱は死んだ、ということにしとかなかったら、他にどうすりゃァよかったんだ」
菜紬菜「そんなの知りませんよ。僕に聞かないでください」
一郎丸「だったら最初っから黙ってろ」
一郎丸はまた荒々しく戸を閉めると、どこかへ行った。
千景「本当は何をしたのだ?貴様」
菜紬菜「氷柱ちゃんは百華絢爛に身売りされたんじゃないんですか、って叫んだ」(ニコ)
千景「自業自得だろう、それは」
「もしかして、あなたが新しく入ったっていう…?」
夢睡「夢睡です」(ニコ)
美鈴「そっかぁー。私は美鈴。よろしくねっ」(ニコ)
夢睡「うん。よろしく」(ニコ)
千景が座敷を出た後、悲鳴が聞こえた。夢睡は嫌な予感を覚え、あえてその場へは行かなかったが、千景が何かやらかしたということはわかる。
後から聞くと、千景は2人の人間を殺したらしい。怖くはならなかったが、千景をさらに嫌いになった。
自室に戻って帯を解き、寝巻に着替えた。それから寝る。
朝になった。夢睡は目が覚め、寝巻から町娘の姿になると、姿見鏡の前に座った。
初めて着物を着た時は驚いた。こんなに似合っていない、と夢睡の役を演じきれるかな?と思ったからである。
ふと、夢睡は自分の唇を触った。昨日、千景の唇が自分の唇に触れた、と思う程、怒りがこみ上げ、苛つく。これならまだ新助の方がマシだった、とも思うが、頭を横にブンブンと振った。別に新助のことが好きなわけではない。ただマシなだけだ、と自分に言い聞かせた。
――そんなことを思っていた時だった。部屋の戸の向こう側から声が聞こえた。
「夢睡様、お目覚めでしょうか」
はい、と答える。
「では、失礼します」
入ってきたのは下女(下働きしている女のことを示す)だった。
琳桜「私は琳桜(りんおう)と申す者です。夢睡様のお世話役になりました。よろしくお願いします」
そう言って琳桜は畳におでこを擦り付ける。夢睡も習って、
夢睡「こちらこそ、よろしくお願いします」
おでこを畳に付けた。
やがて、顔を上げた2人。
琳桜「お食事をご用意しました。お食べになりますか?」
夢睡「はい。食べます」(ニコ)
琳桜はご飯が盛られたお膳を夢睡の目の前に置く。
夢睡「ありがとうございます」(ニコ)
そのまま立ち去ろうとしてしまう琳桜に、夢睡は声をかけた。
夢睡「一緒にご飯を食べませんか?」(ニコ)
琳桜「え?」
琳桜は振り向く。そこにはニコニコと笑顔を作っている夢睡がいた。
琳桜「よろしいのですか?」
夢睡「はい。琳桜さんのこと、もっと知りたいですし。それに、ご飯は1人で食べるより、2人。それ以上の方が美味しいですからね」(ニコ)
琳桜「ありがとうございます!では、こちらにまた戻ってきますね」
そう言って、琳桜は平伏しながら戸を閉めた。
夢睡は手順を踏む。いつもなら、こんな面倒なことはしないが、九尾弧を殺すために仕方がない、と踏む。
夢睡は考えた。いろいろな人と深い関わりを持てば、そのうち九尾弧の話も吹き込んでくるだろう、と。
――戸が開いた。
琳桜「失礼します」
夢睡「さぁ、私の隣にどうぞ。一緒に食べましょ」(ニコ)
夢睡の顔が綻びると、琳桜の顔も綻びる。琳桜は自分のお膳を持って、夢睡の隣へ座った。
いただきます、と声を合わせて言い、ご飯を頬張る。
――やがて、2人は食べ終えた。
ごちそうさまでした、と声を合わせて言うと、立とうとする夢睡の肩を琳桜が止めた。
琳桜「あなたは私と一緒にいなければなりません。どこかへ行くならば、私がお供をしなければなりません。よろしいですか?」
夢睡「はい」(影狼組に行けないんじゃ…)(ニコ)
まあいっか、と途中で考えるのをやめた夢睡。
夢睡「これを下げに一緒に行ってもらえますか?」(ニコ)
これ、とはお膳のことだ。
琳桜「私には敬語を使わなくていいのですよ。それからこれは私が持って行きますので」
夢睡「いいんですよ。私の方が偉い、わけじゃないんですからね。それに、自分で食べたものは自分で片付けろ、と言われましたもので」(ニコ)
琳桜「それなら…私の後についてきてください」
はい、と夢睡は立ち上がる。そして、琳桜も立ち上がった。
それから2人は女将の和須子に許可を得て、百華絢爛の町を見て歩くことにした。
藤原屋の店を出た時、夢睡は声をかけられる。
「あなた、見たことない顔だけど」
と、その人は夢睡の肩を掴んだ。
片手に槍を持って、襷をかけた着物を着ている、かっこいい女の人だった。
「もしかして、あなたが新しく入ったっていう…?」
夢睡「夢睡です」(ニコ)
美鈴「そっかぁー。私は美鈴。よろしくねっ」(ニコ)
夢睡「うん。よろしく」(ニコ)
夢睡は誰とでも仲良くできる性格なのだ。
美鈴「今からどこに行くの?」
夢睡「百華絢爛の街並みを拝見しに行くんだ」(ニコ)
美鈴「私も一緒に行きたい」(ニコ)
夢睡「いいよ」(ニコ)
やったーと喜ぶ美鈴。そんな美鈴に、水を差すかのように琳桜が言った。
琳桜「美鈴様はここで用心棒をしてなければなりませんよ」
美鈴「いーじゃんかぁ。んじゃ、琳ちゃんが用心棒してて」(ニコ)
琳桜「いや、でも」
美鈴「大丈夫。夢睡ちゃんは私が守るから」(ニコ)
じゃあよろしくー、と言いながら美鈴は琳桜に持っていた槍を渡し、夢睡の手を牽いて走り出した。
夢睡「あの、大丈夫かな?琳桜さん」(ニコ)
美鈴「大丈夫大丈夫。琳ちゃん、いつもあんなだから~。それに、夢睡ちゃんの剣術の腕、見せてほしかったし」(ニコ)
夢睡「剣術…?」(何やら嫌な予感が…)
という理由から、美鈴と夢睡は空蝉に来て、どこかの道場にいる。
美鈴「着替えた?」(ニコ)
夢睡「着替えたよ」(ニコ)
夢睡は町娘の格好から男装、いわゆる袴を着た。これはここの道場主に借りたものだ。
美鈴「ここで私、鍛えられたのよねぇ~」(ニコ)
夢睡「美鈴ちゃんが?」(ニコ)
美鈴「そうそう。んでね――」
――と、長い話が終わったところで、夢睡の相手をするここの道場――玄武館の道場主の息子、
試合をする2人は竹刀を握る。2人は無防備だった。
道三郎「よろしくお願いします」
夢睡「よろしくお願いします…なんですけど、決まりとかは…」(ニコ)
美鈴「なしっ。とにかく打ち込んじゃって!どちらかが気絶したら、試合終了」
夢睡「わかった…」(いや、私鬼だよ。この人がどれくらい強いかはわからないけど、たぶん…っていうか、美鈴ちゃんも鬼だよねっ?)
美鈴「はい!試合開始!」
夢睡(不意を突かれた感じなんですけどー…)
いきなり試合を開始させる美鈴に苦笑いを浮かべながら、夢睡は道三郎をキリッと見る。夢睡は正眼に構え、その場は張りつめられた。
道三郎は鶺鴒の剣を使う。さすがは幕末江戸三大道場の1つだ。っていうか、今戊辰戦争の最中なのにも関わらず、こんなのんびりと――と夢睡は考えるが、今はこっちに集中、と道三郎の剣――ではなく顔を見る。
夢睡――氷柱は面倒臭がり屋、なのはご存じの通りだと思う。
夢睡は地を蹴る。道三郎はそれに動揺した様子もなく、竹刀を構え、夢睡に立ち向かって行った――刹那、夢睡が道三郎の放った剣をスレッスレでかわし、その体勢でよくかわしたな!と思わせるようなエビ反りの体勢のまま、手を地に付け、バク転する。
足が地に着いた途端、夢睡は目にも追えない程の速さで道三郎の鳩尾を狙い、突きを食らわした。
道三郎はフラッと体が倒れそうになったが、間を取り体勢を整えた。
道三郎「お強いですね。それに、どこの流派だかが、見当もつきません」
夢睡「私も実はわからないんです。教えてもらったことすら覚えてなくて…あはは」(ニコ)
道三郎「あなたは天才ですか」
夢睡「天才じゃないです」
道三郎は息を整え、夢睡の行動を捉える。
夢睡「かかってきてください」(ニコ)
道三郎「女だからと手加減していたが、手加減する理由がないようだっ」
道三郎は夢睡に向かって突撃!下段で向かってきた道三郎は夢睡に横薙ぎを食らわす――が、竹刀で受け止められた。接近戦が始まる。
道三郎が夢睡に突きを食らわす。私は鬼です!半妖ですが。(波動は隠しています。隠している方法は問わないでください)と夢睡は心の中で言う。
夢睡は道三郎の攻撃をほぼ避け、受け止めながら、後方へと下がった。そして、抜き打ちに地を蹴り横に薙ぐ。道三郎は気を失った。
美鈴「はい!そこまで!」
と言ってから、美鈴は夢睡に近づいてきた。
美鈴「わかってたよ!夢睡ちゃんが絶対に勝つって」(ニコ)
夢睡「大丈夫かな?それより」(ニコ)
夢睡は倒れている道三郎のことを見た。道三郎は地面にベッタリと倒れている。
美鈴「あー、全然大丈夫っ。ねぇ、夢睡ちゃん。ちょっとこっちに来て」(ニコ)
夢睡「うん」(ニコ)
夢睡は美鈴に手を牽かれて、道場の門先まで行った。
一方のその頃、琳桜は和須子と話していた。
和須子「あらまぁ、そんなことが」
琳桜「すみません」
和須子「いいえ、大丈夫。美鈴ちゃんなら夢睡ちゃんのことを守れるだろうし、夢睡ちゃんも剣術が得意みたいだから」
琳桜「では、私はお2人が帰ってくるまで、ここで用心棒をしています」
和須子「わかったわ」
和須子は藤原屋へ入って行った。
鈴美は藤原屋の用心棒だった。店内で喧嘩や乱闘騒ぎが起こった時、すぐさま駆けつけ、問題を解決する役割を持つ。また、お酒やお膳などを頼んでおいて、お金を支払わず、帰ろうとする客に一括浴びせるなど、用心棒は命懸けの仕事なのだ。
琳桜は人間、美鈴は鬼。どこの鬼だかはまだわからないが、鬼ならばそれなりに強いだろう。たとえ、女であろうと。
しばらく経って、琳桜に話しかけて来る者がいた。
琳桜「柏花魁様。何か御用でしょうか」
琳桜「わかりました」
柏は手指でパチンと音を鳴らすと、人型をした式神が現れ、琳桜が立っていた位置に立つ。琳桜は槍を壁に掛け、柏に腕を引っ張られながら、その場を後にした。
連れていかれた先は、柏の自室だった。さすがは花魁の部屋。夢睡よりも広い、6畳の部屋だ。
柏「お座りなさい」
琳桜「失礼します」
柏と琳桜は向かい合わせに座った。
柏「用とは他に何もない、あの夢睡、という女のことですわ。あるお方が言ってらしたの。あの女は間者だと」
柏は目を細めて言った。
琳桜「間者、ですか」
柏「でも、まだ泳がせておくそうよ。そこであなたの出番。あなたが夢睡の情報を聞き取ってくる役を、つまり
琳桜「私がですか」
柏「引き受けてくれるわよね」
柏は威圧感と共に殺気を放つ。ここで断れば、必ず殺されるだろう。
琳桜「わかりました」
柏「ありがとう。私も陰で見張ってますわ。少しでも怪しい動きをしたら、私の元へいらっしゃい」
琳桜「はい」
柏「あなたにもう用はないわ。帰ってよろしくってよ」
琳桜「失礼しました」
琳桜は藤原屋の廊下を歩きながら、柏が言っていた夢睡は間者だ、と言う言葉を頭の中で繰り返す。夢睡様が間者なんて、信じたくない。琳桜は信じきれぬまま、藤原屋の外へ行った。
外には用心棒の代わりをしている柏の式神と、何やら立ち話をしている――千景がいた。
琳桜は式神に私が代わります、と言う。式神はその場で消えた。
琳桜「何の御用でしょうか。七扇様」
千景は常連客と言っても過言ではない。ずっと藤原屋にて情報を集めて来た故に、千景の名は藤原屋の皆が知っていた。
千景「夢睡はいるか?」
琳桜「夢睡様でしたら、お出かけになられています」
千景「ちっ」
千景は舌打ちをしてから、
千景「どこ行ったかわかるか?」
夢睡の居場所を尋ねる。
琳桜「絢爛の町を拝見する、ということでしたのでこの迷界にいるかと思われますが…」
千景「変だな。ここの迷界には夢睡の気配がない」
琳桜「でしたら、道場かもしれません」
千景「道場、だと?」
琳桜「はい。美鈴様とご一緒に行かれましたので。美鈴様は剣術バカ、槍術バカ、と言ってもよろしいのではないか、と言う程、武術がお好きですから」
千景「美鈴か。ということは、玄武館だな」
琳桜「はい」
千景「礼を言う。名は何だ」
琳桜「琳桜と申す者で、夢睡様のお世話役です」
千景「夢睡のか。よろしく頼む」
千景は人ごみに紛れてどこかへ消えた。
先刻、千景は一郎丸に頼まれて夢睡を捜していた。
頼み事とは、夢睡を連れて来い、とのこと。だから千景は夢睡を捜していたのだ。
道場の門先まで来て、辺りに人がいないことを確認してから美鈴は言った。
美鈴「夢睡ちゃんって、鬼だよね」
耳元で囁く美鈴。夢睡は驚いたが、我に返り、
夢睡「鬼?何のこと?」(ニコ)
とぼけるふりをする。
美鈴「私も鬼。知ってたでしょ?」
夢睡「美鈴ちゃん、鬼なの?」(ニコ)
美鈴「とぼけないでよ。私はあなたの味方。大方、伊儀橋さんとか影狼組に命令されたんでしょうね」
夢睡「…知ってるの?」(ニコ)
美鈴「ほら、鬼じゃない。隠しても無駄よ、同じ鬼同士なんだから」(ニコ)
美鈴は夢睡にニコっと笑いかけた。
美鈴「私、伊儀橋さんと蘭さんと七扇さんとは顔見知りで、影狼組が結成する前まで、会ってたりしてたの」(ニコ)
夢睡「へぇ」(ニコ)
美鈴「夢睡ちゃんと影狼組の繋がりって何?」(ニコ)
夢睡(教えちゃったらまずいよね…どーしよ…)
と、心の中で困っていると、美鈴と夢睡を囲むように大量の蝶が現れた。紫色に金色の粉を舞い散らしながら、羽ばたく蝶。その先には――千景の姿があった。
夢睡「副長!」
美鈴「副長…?」
夢睡「あっ」
夢睡は慌てて口を閉ざす。
千景「名で呼べ」
夢睡「断ります」
数千の蝶の中から現れたのは千景だった。
夢睡「副長、これは一体…」
夢睡は数千の美しい蝶に見惚れる。キラキラと輝いている鱗粉もさらに美しい。
千景「これは俺が作り出した蝶だ」
夢睡「術、ですか?」
千景「何だ?興味を持ったのか?」
千景はニヤリと笑う。
夢睡「いやぁ、こんな鬼がこんなに美しい術を使うなんて、思いもしなかったもので」(ニコ)
意味ありげな口調の笑顔。千景は目を細めて言った。
千景「こんな鬼、とは何だ」
不機嫌そうな顔をしている。
夢睡「何でもありません」
夢睡はプイ、と顔を逸らした。
千景「ふん。それより、伊儀橋が呼んでいたぞ」
夢睡「そうなんですか」
千景「お前を連れて今から…」
美鈴「私も行きたい!」
千景が行先を言う前に、美鈴が2人の間に割り込んでいった。
美鈴「影狼組の屯所でしょ?」(ニコ)
図星だったが千景は動揺した様子もなく、涼しい顔で言った。
千景「貴様は連れて行く必要がない」
美鈴「なくてもいいの!影狼組の屯所の内蔵を見てみたいだけなんだから」(ニコ)
千景「無理だ。伊儀橋にでも言え。俺は聞き受けない」
美鈴「私が彪禰小路家の長女だから?バカ兄貴がいるから?」
彪禰小路――鬼族四神家の1つ、北に住む鬼族の大将の家系か!と夢睡は美鈴を今1度見る。バカ兄貴、ということはお兄さんがいるということ。そのお兄さんが大将かな?と夢睡は予測した。
千景「無論だ。お前を入れたら、俺が…」
美鈴「無論、で逃げるんじゃない!」
千景「ちっ。しつこい鬼だ」
クルッと踵を返す千景。
千景「いいか。伊儀橋をここに連れてくる。それまでここにいろ」
美鈴「ありがとー」(ニコ)
根負けした千景が歩いて行く。数千の蝶と共に、千景は消えた。
夢睡「美鈴ちゃん。私、本当のことを言うと…」
夢睡は美鈴に向き直す。
夢睡「鬼。そして、影狼組1番隊所属隊士、なんだ」
美鈴「どこの鬼?と、本当のお名前は?私は
夢睡「私は氷堂氷柱」
夢睡は伊藤姓、ではなく氷堂姓を名乗った。鬼ということがバレていれば、偽りの名を名乗っても意味はないだろう。
美鈴「氷堂!?って、鬼族四神家だよねっ?」
夢睡「うん」
美鈴「氷柱ちゃんっていう子、いたっけなぁ…」
夢睡はギクリとする。まさか自分は未来人だ、なんて口が裂けても言えない。
美鈴「ま、いっか。それより、あなたの術を知りたい。それと、どうして波動を感じないのかと、どうして九尾弧を追っているのかと…」
夢睡「ちょっと待って。何で九尾弧を追ってるって…」
夢睡はその先を言えなかった。
夢睡が引き受けたのは密偵役。密偵は他の人に知られたらまずいことなのだ。いわばスパイ。
美鈴「違った?」
夢睡「いや、その…」
美鈴「じゃあ、お仕事関係の話はここじゃなくて、あっちに行ってからにしましょ」(ニコ)
あっち、とは影狼組の屯所のことだろう。もう行ける前提で話している。
夢睡「そうだね」
美鈴は彪禰小路家の長女な故に、いろいろな鬼とつながりがあるのだな、と夢睡は思った。
夢睡はこの時代に来るまで、鬼と左程あったことがなかった。会った記憶がなかった。(1部記憶を除く)だが、鬼がいる、との情報は耳にしたことはある。ただそれだけだ。
美鈴「私の術は神通力全てを使える、
夢睡「神通力…5つの術が使えるってこと?」
美鈴「そう」(ニコ)
一郎丸も使えるが、確か神足通と天眼通、そして他心通の3つしか使えないと言っていた。
美鈴が言っている神通力の全ての術が使える、ということは、神足通と天眼通、他心通、
夢睡「だから…」
美鈴「千葉君とお手合わせしてる時、こっそり覗いちゃったのよ。そしたら、私鬼だよって心の中で呟いててね。すぐにわかっちゃったの」
夢睡「そういえば、千葉君は…」
道三郎は夢睡とお手合わせ――試合をして負け、気絶しているのにも関わらず、ほったらかしにされているのだ。
美鈴「千葉君は大丈夫っ。男の子だもの」(ニコ)
夢睡「そう…かな?」
美鈴「うん。大丈夫よ」(ニコ)
夢睡はふと思った。どうして名を変えたのだろうか、と。自分も名を変えて密偵役を演じているから、美鈴の本当の名は彪禰小路鈴美だ、と言われた時にスルーできた。が、別に名を変える必要がないのではないか、と後から思い始めたのだ。
夢睡「ねぇ、美鈴ちゃん」
美鈴「なぁに?」
夢睡「どうして名を変えたの?」
美鈴「それは後でのお・た・の・し・み」(ニコ)
夢睡「そっか」
2人の間を風が通り抜ける。風が流れてきた方向を見ると、一郎丸と千景が立っていた。
一郎丸「来るなら来ていいが、条件付きだ」
ざっと10mほど離れているところから言う。
美鈴「いいの!条件に付いては影狼組屯所に行ってからでいいよねっ!」
一郎丸「付いて来い」
一郎丸と千景は歩き出す。美鈴と夢睡も2人の背を追って歩き出した。
影狼組屯所に着く。
千景「健斗と氷堂は俺に任せろ」
一郎丸「わかった。おい、鈴美」
美鈴「美鈴って呼んで」
一郎丸「なぜだ」
美鈴「後で全部話すから」
美鈴は夢睡に手を振ると、一郎丸と一緒に一郎丸の自室であろう場所へ向かった。
千景「健斗。いるんだろ?」
2人がいなくなった後、威吹鬼の部屋の隣の部屋を見ながら、千景が言った。
健斗「いるよ」
戸からひょっこりと顔を出した健斗。夢睡と目が合った。
夢睡は袴を着て、髪を1つ結いしていた。夢睡の髪は肩にはかかる程度の長さだが、横兵庫などの髪型を作るにはまだ十分に伸びておらず、1つ結いや1つ三つ編みなどしか結えないのだ。
健斗「袴姿…あっちでも袴でやるのか?」
袴姿だった夢睡に向かって言う。心底がっかりしていたのだ。健斗は夢睡――氷柱の着物姿が見れるだろうと思っていた。
夢睡「いや、違うよ」
健斗は草履を履いて千景と夢睡の方へ行った。
健斗「だったら…」
夢睡は手短にわけを話す――なるほど、と健斗が頷いた。
続いて夢睡は健斗に聞いた。
夢睡「健斗君、今日巡察は?」
健斗「キャンセルした」
予約をキャンセルしましたーのような口調で言う。
健斗「伊儀橋さんの命令で」
何だろうね、と夢睡は千景の顔を覗くように見た。
千景「無駄話はよせ。今から連れて行かねばならぬ場所がある」
連れて行かねばならぬ場所?と2人は首を傾げた。
千景「そうだ。伊儀橋からの命令だ。従わないわけにもいくまい」
付いて来い、と言わんばかりに千景は歩いて行ってしまう。健斗と氷柱はいそいそと千景の後に続いた。
健斗「なァ、千景。もし、他の隊士に見つかったらやべェんじゃねえの?」
千景?呼び捨てで呼んでるの?夢睡は千景の顔色を見る。絶対に怒ってるだろうな、と思った。
千景「心配無用だ」
千景は右手の平を口元に近づけ、ふぅーと息を吹きかけた――刹那、辺りに蝶が、それも数千の蝶が羽ばたき始めた。
千景『
千景合わせて3人は、数千の蝶に囲まれた。
〈次回予告!〉
「よかろう。印をくれてやる」
「斬りますよ」
「死ね、蘭」
「君も斬られたいの?」
健斗が御神木に触れると、どこからか声が聞こえてきて――
氷柱はなぜモテるのか、不思議になってしまう!?
次回をお楽しみに!
読んでいただきありがとうございます。
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