数千ノ蝶

千景「菜紬菜はいるか」

菜紬菜「いるよー」


 千景は菜紬菜の部屋の戸を開ける。


菜紬菜「どーしたんですかー?」(ニコ)


 相変わらずの笑顔に早くも苛立ちを覚えた千景。そのまま菜紬菜の部屋の中へ入り、菜紬菜の前に座った。


千景「貴様が言ったように、氷堂の着物姿は美しかった」


 薄い笑みを浮かべながら、着物姿の夢睡――氷柱を見た感想を述べる。


菜紬菜「ですよね」(ニコ)


 どの口が言ってるのかやら。菜紬菜は1度も着物を着た氷柱を見た試しがない。


千景「氷堂から伝言を預かって来た」

菜紬菜「なんですか?」


 興味深そうに聞く。


千景「呪いますよ、だそうだ」

菜紬菜「呪いますよ、かぁ。じゃあ僕の伝言も言ってくれませんか?」(ニコ)

千景「無論だ。自分で言え」

菜紬菜「えー。だって僕、伊儀橋さんにここから出るなと金縛り受けてるんですよー」(ニコ)

千景「己が悪いのだろう?俺に言うな」

菜紬菜「それは、今日の朝、広間で伊儀橋さんの話を聞いた時のことでしたー」

千景「俺はそんな無駄話になど耳を貸せない」


 それでも、と菜紬菜は言い続けた。


 伊儀橋さんは影狼組の隊士を全て集めてこう言いました。「氷柱は俺が殺した」と。氷柱を知っている隊士たちは驚き桃の木山椒の木ぃーで、伊儀橋さんに襲い掛かります。僕は伊儀橋さんの職を辞してもらえばいいじゃないの?って提案したんですよ。伊儀橋さんを殺すのが可愛そうだからーって。そしたら伊儀橋さん、怒って僕を部屋に閉じ込め、さらに金縛りをかけたんです。せっかく助けよーと思ったのに。

――ならば、なぜ口が動く?金縛りを受けているのならば、動けないのではないか?

 だって僕、伊儀橋さんより強い鬼ですよ?口くらいは動かせますよ。それに、伊儀橋さんを殺そうと思えばすぐにだって殺せますし。

――その話に限っては馬が合うな。俺もあ奴を生かしておくわけにはいくまい、と思っている。

 多様な狼籍働いてるもんねー。


 と、ここで菜紬菜の部屋の戸が開く。ズドン!、と荒々しく戸を開けたのは一郎丸だった。


一郎丸「てめえ、今何の話をしていた」


 鬼如く怖い形相で菜紬菜を睨む。


一郎丸「それから、千景はなぜここにいるんだ」

千景「俺が影狼を行き来してはいけない、と言う理由でもあるのか?ゴミどもの目には見えぬよう、術をかけてここへきているのだぞ?」


 ゴミども、とは隊士たちのことだろう。


一郎丸「ゴミどもとは何だ!ちゃんとした名前で呼びやがれ」

千景「ふん」

菜紬菜「伊儀橋さん、僕に何の用です?」


 少し不機嫌そうな顔をしながら言った。


一郎丸「ちっとは反省してるかと思って来てみたが、間違いだったみてェだな」

菜紬菜「だって、伊儀橋さんが嘘を吐くからいけないんじゃぁないんですか」

一郎丸「氷柱は死んだ、ということにしとかなかったら、他にどうすりゃァよかったんだ」

菜紬菜「そんなの知りませんよ。僕に聞かないでください」

一郎丸「だったら最初っから黙ってろ」


 一郎丸はまた荒々しく戸を閉めると、どこかへ行った。


千景「本当は何をしたのだ?貴様」

菜紬菜「氷柱ちゃんは百華絢爛に身売りされたんじゃないんですか、って叫んだ」(ニコ)

千景「自業自得だろう、それは」



「もしかして、あなたが新しく入ったっていう…?」

夢睡「夢睡です」(ニコ)

美鈴「そっかぁー。私は美鈴。よろしくねっ」(ニコ)

夢睡「うん。よろしく」(ニコ)


 千景が座敷を出た後、悲鳴が聞こえた。夢睡は嫌な予感を覚え、あえてその場へは行かなかったが、千景が何かやらかしたということはわかる。

 後から聞くと、千景は2人の人間を殺したらしい。怖くはならなかったが、千景をさらに嫌いになった。

 自室に戻って帯を解き、寝巻に着替えた。それから寝る。


 朝になった。夢睡は目が覚め、寝巻から町娘の姿になると、姿見鏡の前に座った。

 初めて着物を着た時は驚いた。こんなに似合っていない、と夢睡の役を演じきれるかな?と思ったからである。

 ふと、夢睡は自分の唇を触った。昨日、千景の唇が自分の唇に触れた、と思う程、怒りがこみ上げ、苛つく。これならまだ新助の方がマシだった、とも思うが、頭を横にブンブンと振った。別に新助のことが好きなわけではない。ただマシなだけだ、と自分に言い聞かせた。

――そんなことを思っていた時だった。部屋の戸の向こう側から声が聞こえた。


「夢睡様、お目覚めでしょうか」


 はい、と答える。


「では、失礼します」


 入ってきたのは下女(下働きしている女のことを示す)だった。


琳桜「私は琳桜(りんおう)と申す者です。夢睡様のお世話役になりました。よろしくお願いします」


 そう言って琳桜は畳におでこを擦り付ける。夢睡も習って、


夢睡「こちらこそ、よろしくお願いします」


おでこを畳に付けた。

 やがて、顔を上げた2人。


琳桜「お食事をご用意しました。お食べになりますか?」

夢睡「はい。食べます」(ニコ)


 琳桜はご飯が盛られたお膳を夢睡の目の前に置く。


夢睡「ありがとうございます」(ニコ)


 そのまま立ち去ろうとしてしまう琳桜に、夢睡は声をかけた。


夢睡「一緒にご飯を食べませんか?」(ニコ)

琳桜「え?」


 琳桜は振り向く。そこにはニコニコと笑顔を作っている夢睡がいた。


琳桜「よろしいのですか?」

夢睡「はい。琳桜さんのこと、もっと知りたいですし。それに、ご飯は1人で食べるより、2人。それ以上の方が美味しいですからね」(ニコ)

琳桜「ありがとうございます!では、こちらにまた戻ってきますね」


 そう言って、琳桜は平伏しながら戸を閉めた。

 夢睡は手順を踏む。いつもなら、こんな面倒なことはしないが、九尾弧を殺すために仕方がない、と踏む。

 夢睡は考えた。いろいろな人と深い関わりを持てば、そのうち九尾弧の話も吹き込んでくるだろう、と。


――戸が開いた。


琳桜「失礼します」

夢睡「さぁ、私の隣にどうぞ。一緒に食べましょ」(ニコ)


 夢睡の顔が綻びると、琳桜の顔も綻びる。琳桜は自分のお膳を持って、夢睡の隣へ座った。

 いただきます、と声を合わせて言い、ご飯を頬張る。

――やがて、2人は食べ終えた。

 ごちそうさまでした、と声を合わせて言うと、立とうとする夢睡の肩を琳桜が止めた。


琳桜「あなたは私と一緒にいなければなりません。どこかへ行くならば、私がお供をしなければなりません。よろしいですか?」

夢睡「はい」(影狼組に行けないんじゃ…)(ニコ)


 まあいっか、と途中で考えるのをやめた夢睡。


夢睡「これを下げに一緒に行ってもらえますか?」(ニコ)


 これ、とはお膳のことだ。


琳桜「私には敬語を使わなくていいのですよ。それからこれは私が持って行きますので」

夢睡「いいんですよ。私の方が偉い、わけじゃないんですからね。それに、自分で食べたものは自分で片付けろ、と言われましたもので」(ニコ)

琳桜「それなら…私の後についてきてください」


 はい、と夢睡は立ち上がる。そして、琳桜も立ち上がった。



 それから2人は女将の和須子に許可を得て、百華絢爛の町を見て歩くことにした。

 藤原屋の店を出た時、夢睡は声をかけられる。


「あなた、見たことない顔だけど」


 と、その人は夢睡の肩を掴んだ。

 片手に槍を持って、襷をかけた着物を着ている、かっこいい女の人だった。


「もしかして、あなたが新しく入ったっていう…?」

夢睡「夢睡です」(ニコ)

美鈴「そっかぁー。私は美鈴。よろしくねっ」(ニコ)

夢睡「うん。よろしく」(ニコ)


 夢睡は誰とでも仲良くできる性格なのだ。


美鈴「今からどこに行くの?」

夢睡「百華絢爛の街並みを拝見しに行くんだ」(ニコ)

美鈴「私も一緒に行きたい」(ニコ)

夢睡「いいよ」(ニコ)


 やったーと喜ぶ美鈴。そんな美鈴に、水を差すかのように琳桜が言った。


琳桜「美鈴様はここで用心棒をしてなければなりませんよ」

美鈴「いーじゃんかぁ。んじゃ、琳ちゃんが用心棒してて」(ニコ)

琳桜「いや、でも」

美鈴「大丈夫。夢睡ちゃんは私が守るから」(ニコ)


 じゃあよろしくー、と言いながら美鈴は琳桜に持っていた槍を渡し、夢睡の手を牽いて走り出した。


夢睡「あの、大丈夫かな?琳桜さん」(ニコ)

美鈴「大丈夫大丈夫。琳ちゃん、いつもあんなだから~。それに、夢睡ちゃんの剣術の腕、見せてほしかったし」(ニコ)

夢睡「剣術…?」(何やら嫌な予感が…)


 という理由から、美鈴と夢睡は空蝉に来て、どこかの道場にいる。


美鈴「着替えた?」(ニコ)

夢睡「着替えたよ」(ニコ)


 夢睡は町娘の格好から男装、いわゆる袴を着た。これはここの道場主に借りたものだ。


美鈴「ここで私、鍛えられたのよねぇ~」(ニコ)

夢睡「美鈴ちゃんが?」(ニコ)

美鈴「そうそう。んでね――」


――と、長い話が終わったところで、夢睡の相手をするここの道場――玄武館の道場主の息子、千葉道三郎ちばみちさぶろうという名の若き少年だ。

 試合をする2人は竹刀を握る。2人は無防備だった。


道三郎「よろしくお願いします」

夢睡「よろしくお願いします…なんですけど、決まりとかは…」(ニコ)

美鈴「なしっ。とにかく打ち込んじゃって!どちらかが気絶したら、試合終了」

夢睡「わかった…」(いや、私鬼だよ。この人がどれくらい強いかはわからないけど、たぶん…っていうか、美鈴ちゃんも鬼だよねっ?)

美鈴「はい!試合開始!」

夢睡(不意を突かれた感じなんですけどー…)


 いきなり試合を開始させる美鈴に苦笑いを浮かべながら、夢睡は道三郎をキリッと見る。夢睡は正眼に構え、その場は張りつめられた。

 道三郎は鶺鴒の剣を使う。さすがは幕末江戸三大道場の1つだ。っていうか、今戊辰戦争の最中なのにも関わらず、こんなのんびりと――と夢睡は考えるが、今はこっちに集中、と道三郎の剣――ではなく顔を見る。

 夢睡――氷柱は面倒臭がり屋、なのはご存じの通りだと思う。

 夢睡は地を蹴る。道三郎はそれに動揺した様子もなく、竹刀を構え、夢睡に立ち向かって行った――刹那、夢睡が道三郎の放った剣をスレッスレでかわし、その体勢でよくかわしたな!と思わせるようなエビ反りの体勢のまま、手を地に付け、バク転する。

 足が地に着いた途端、夢睡は目にも追えない程の速さで道三郎の鳩尾を狙い、突きを食らわした。

 道三郎はフラッと体が倒れそうになったが、間を取り体勢を整えた。


道三郎「お強いですね。それに、どこの流派だかが、見当もつきません」

夢睡「私も実はわからないんです。教えてもらったことすら覚えてなくて…あはは」(ニコ)

道三郎「あなたは天才ですか」

夢睡「天才じゃないです」


 道三郎は息を整え、夢睡の行動を捉える。


夢睡「かかってきてください」(ニコ)

道三郎「女だからと手加減していたが、手加減する理由がないようだっ」


 道三郎は夢睡に向かって突撃!下段で向かってきた道三郎は夢睡に横薙ぎを食らわす――が、竹刀で受け止められた。接近戦が始まる。

 道三郎が夢睡に突きを食らわす。私は鬼です!半妖ですが。(波動は隠しています。隠している方法は問わないでください)と夢睡は心の中で言う。

 夢睡は道三郎の攻撃をほぼ避け、受け止めながら、後方へと下がった。そして、抜き打ちに地を蹴り横に薙ぐ。道三郎は気を失った。


美鈴「はい!そこまで!」


 と言ってから、美鈴は夢睡に近づいてきた。


美鈴「わかってたよ!夢睡ちゃんが絶対に勝つって」(ニコ)

夢睡「大丈夫かな?それより」(ニコ)


 夢睡は倒れている道三郎のことを見た。道三郎は地面にベッタリと倒れている。


美鈴「あー、全然大丈夫っ。ねぇ、夢睡ちゃん。ちょっとこっちに来て」(ニコ)

夢睡「うん」(ニコ)


 夢睡は美鈴に手を牽かれて、道場の門先まで行った。



 一方のその頃、琳桜は和須子と話していた。


和須子「あらまぁ、そんなことが」

琳桜「すみません」

和須子「いいえ、大丈夫。美鈴ちゃんなら夢睡ちゃんのことを守れるだろうし、夢睡ちゃんも剣術が得意みたいだから」

琳桜「では、私はお2人が帰ってくるまで、ここで用心棒をしています」

和須子「わかったわ」


 和須子は藤原屋へ入って行った。

 鈴美は藤原屋の用心棒だった。店内で喧嘩や乱闘騒ぎが起こった時、すぐさま駆けつけ、問題を解決する役割を持つ。また、お酒やお膳などを頼んでおいて、お金を支払わず、帰ろうとする客に一括浴びせるなど、用心棒は命懸けの仕事なのだ。

 琳桜は人間、美鈴は鬼。どこの鬼だかはまだわからないが、鬼ならばそれなりに強いだろう。たとえ、女であろうと。


 しばらく経って、琳桜に話しかけて来る者がいた。


琳桜「柏花魁様。何か御用でしょうか」

かしわ「ちょっと来てくれるかしら。ここはわたくしの偉大なる式神で、対応してあげましょう」

琳桜「わかりました」


 柏は手指でパチンと音を鳴らすと、人型をした式神が現れ、琳桜が立っていた位置に立つ。琳桜は槍を壁に掛け、柏に腕を引っ張られながら、その場を後にした。


 連れていかれた先は、柏の自室だった。さすがは花魁の部屋。夢睡よりも広い、6畳の部屋だ。


柏「お座りなさい」

琳桜「失礼します」


 柏と琳桜は向かい合わせに座った。


柏「用とは他に何もない、あの夢睡、という女のことですわ。あるお方が言ってらしたの。あの女は間者だと」


 柏は目を細めて言った。


琳桜「間者、ですか」

柏「でも、まだ泳がせておくそうよ。そこであなたの出番。あなたが夢睡の情報を聞き取ってくる役を、つまりわたくしたちの間者となってほしいのよ」

琳桜「私がですか」

柏「引き受けてくれるわよね」


 柏は威圧感と共に殺気を放つ。ここで断れば、必ず殺されるだろう。


琳桜「わかりました」

柏「ありがとう。私も陰で見張ってますわ。少しでも怪しい動きをしたら、私の元へいらっしゃい」

琳桜「はい」

柏「あなたにもう用はないわ。帰ってよろしくってよ」

琳桜「失礼しました」


 琳桜は藤原屋の廊下を歩きながら、柏が言っていた夢睡は間者だ、と言う言葉を頭の中で繰り返す。夢睡様が間者なんて、信じたくない。琳桜は信じきれぬまま、藤原屋の外へ行った。

 外には用心棒の代わりをしている柏の式神と、何やら立ち話をしている――千景がいた。

 琳桜は式神に私が代わります、と言う。式神はその場で消えた。


琳桜「何の御用でしょうか。七扇様」


 千景は常連客と言っても過言ではない。ずっと藤原屋にて情報を集めて来た故に、千景の名は藤原屋の皆が知っていた。


千景「夢睡はいるか?」

琳桜「夢睡様でしたら、お出かけになられています」

千景「ちっ」


 千景は舌打ちをしてから、


千景「どこ行ったかわかるか?」


夢睡の居場所を尋ねる。


琳桜「絢爛の町を拝見する、ということでしたのでこの迷界にいるかと思われますが…」

千景「変だな。ここの迷界には夢睡の気配がない」

琳桜「でしたら、道場かもしれません」

千景「道場、だと?」

琳桜「はい。美鈴様とご一緒に行かれましたので。美鈴様は剣術バカ、槍術バカ、と言ってもよろしいのではないか、と言う程、武術がお好きですから」

千景「美鈴か。ということは、玄武館だな」

琳桜「はい」

千景「礼を言う。名は何だ」

琳桜「琳桜と申す者で、夢睡様のお世話役です」

千景「夢睡のか。よろしく頼む」


 千景は人ごみに紛れてどこかへ消えた。


 先刻、千景は一郎丸に頼まれて夢睡を捜していた。

 頼み事とは、夢睡を連れて来い、とのこと。だから千景は夢睡を捜していたのだ。



 道場の門先まで来て、辺りに人がいないことを確認してから美鈴は言った。


美鈴「夢睡ちゃんって、鬼だよね」


 耳元で囁く美鈴。夢睡は驚いたが、我に返り、


夢睡「鬼?何のこと?」(ニコ)


とぼけるふりをする。


美鈴「私も鬼。知ってたでしょ?」

夢睡「美鈴ちゃん、鬼なの?」(ニコ)

美鈴「とぼけないでよ。私はあなたの味方。大方、伊儀橋さんとか影狼組に命令されたんでしょうね」

夢睡「…知ってるの?」(ニコ)

美鈴「ほら、鬼じゃない。隠しても無駄よ、同じ鬼同士なんだから」(ニコ)


 美鈴は夢睡にニコっと笑いかけた。


美鈴「私、伊儀橋さんと蘭さんと七扇さんとは顔見知りで、影狼組が結成する前まで、会ってたりしてたの」(ニコ)

夢睡「へぇ」(ニコ)

美鈴「夢睡ちゃんと影狼組の繋がりって何?」(ニコ)

夢睡(教えちゃったらまずいよね…どーしよ…)


 と、心の中で困っていると、美鈴と夢睡を囲むように大量の蝶が現れた。紫色に金色の粉を舞い散らしながら、羽ばたく蝶。その先には――千景の姿があった。


夢睡「副長!」

美鈴「副長…?」

夢睡「あっ」


 夢睡は慌てて口を閉ざす。


千景「名で呼べ」

夢睡「断ります」


 数千の蝶の中から現れたのは千景だった。


夢睡「副長、これは一体…」


 夢睡は数千の美しい蝶に見惚れる。キラキラと輝いている鱗粉もさらに美しい。


千景「これは俺が作り出した蝶だ」

夢睡「術、ですか?」

千景「何だ?興味を持ったのか?」


 千景はニヤリと笑う。


夢睡「いやぁ、こんな鬼がこんなに美しい術を使うなんて、思いもしなかったもので」(ニコ)


 意味ありげな口調の笑顔。千景は目を細めて言った。


千景「こんな鬼、とは何だ」


 不機嫌そうな顔をしている。


夢睡「何でもありません」


 夢睡はプイ、と顔を逸らした。


千景「ふん。それより、伊儀橋が呼んでいたぞ」

夢睡「そうなんですか」

千景「お前を連れて今から…」

美鈴「私も行きたい!」


 千景が行先を言う前に、美鈴が2人の間に割り込んでいった。


美鈴「影狼組の屯所でしょ?」(ニコ)


 図星だったが千景は動揺した様子もなく、涼しい顔で言った。


千景「貴様は連れて行く必要がない」

美鈴「なくてもいいの!影狼組の屯所の内蔵を見てみたいだけなんだから」(ニコ)

千景「無理だ。伊儀橋にでも言え。俺は聞き受けない」

美鈴「私が彪禰小路家の長女だから?バカ兄貴がいるから?」


 彪禰小路――鬼族四神家の1つ、北に住む鬼族の大将の家系か!と夢睡は美鈴を今1度見る。バカ兄貴、ということはお兄さんがいるということ。そのお兄さんが大将かな?と夢睡は予測した。


千景「無論だ。お前を入れたら、俺が…」

美鈴「無論、で逃げるんじゃない!」

千景「ちっ。しつこい鬼だ」


 クルッと踵を返す千景。


千景「いいか。伊儀橋をここに連れてくる。それまでここにいろ」

美鈴「ありがとー」(ニコ)


 根負けした千景が歩いて行く。数千の蝶と共に、千景は消えた。


夢睡「美鈴ちゃん。私、本当のことを言うと…」


 夢睡は美鈴に向き直す。


夢睡「鬼。そして、影狼組1番隊所属隊士、なんだ」

美鈴「どこの鬼?と、本当のお名前は?私は彪禰小路あやねこうじ鈴美すずみ。今の下の名前の漢字を反対にしただけなの」(ニコ)

夢睡「私は氷堂氷柱」


 夢睡は伊藤姓、ではなく氷堂姓を名乗った。鬼ということがバレていれば、偽りの名を名乗っても意味はないだろう。


美鈴「氷堂!?って、鬼族四神家だよねっ?」

夢睡「うん」

美鈴「氷柱ちゃんっていう子、いたっけなぁ…」


 夢睡はギクリとする。まさか自分は未来人だ、なんて口が裂けても言えない。


美鈴「ま、いっか。それより、あなたの術を知りたい。それと、どうして波動を感じないのかと、どうして九尾弧を追っているのかと…」

夢睡「ちょっと待って。何で九尾弧を追ってるって…」


 夢睡はその先を言えなかった。

 夢睡が引き受けたのは密偵役。密偵は他の人に知られたらまずいことなのだ。いわばスパイ。


美鈴「違った?」

夢睡「いや、その…」

美鈴「じゃあ、お仕事関係の話はここじゃなくて、あっちに行ってからにしましょ」(ニコ)


 あっち、とは影狼組の屯所のことだろう。もう行ける前提で話している。


夢睡「そうだね」


 美鈴は彪禰小路家の長女な故に、いろいろな鬼とつながりがあるのだな、と夢睡は思った。

 夢睡はこの時代に来るまで、鬼と左程あったことがなかった。会った記憶がなかった。(1部記憶を除く)だが、鬼がいる、との情報は耳にしたことはある。ただそれだけだ。


美鈴「私の術は神通力全てを使える、極意神通ごくいじんつう術なの」(ニコ)

夢睡「神通力…5つの術が使えるってこと?」

美鈴「そう」(ニコ)


 一郎丸も使えるが、確か神足通と天眼通、そして他心通の3つしか使えないと言っていた。

 美鈴が言っている神通力の全ての術が使える、ということは、神足通と天眼通、他心通、天耳通てんにつう宿命通しゅくみょうつうが使えるということだろう。


夢睡「だから…」

美鈴「千葉君とお手合わせしてる時、こっそり覗いちゃったのよ。そしたら、私鬼だよって心の中で呟いててね。すぐにわかっちゃったの」

夢睡「そういえば、千葉君は…」


 道三郎は夢睡とお手合わせ――試合をして負け、気絶しているのにも関わらず、ほったらかしにされているのだ。


美鈴「千葉君は大丈夫っ。男の子だもの」(ニコ)

夢睡「そう…かな?」

美鈴「うん。大丈夫よ」(ニコ)


 夢睡はふと思った。どうして名を変えたのだろうか、と。自分も名を変えて密偵役を演じているから、美鈴の本当の名は彪禰小路鈴美だ、と言われた時にスルーできた。が、別に名を変える必要がないのではないか、と後から思い始めたのだ。


夢睡「ねぇ、美鈴ちゃん」

美鈴「なぁに?」

夢睡「どうして名を変えたの?」

美鈴「それは後でのお・た・の・し・み」(ニコ)

夢睡「そっか」


 2人の間を風が通り抜ける。風が流れてきた方向を見ると、一郎丸と千景が立っていた。


一郎丸「来るなら来ていいが、条件付きだ」


 ざっと10mほど離れているところから言う。


美鈴「いいの!条件に付いては影狼組屯所に行ってからでいいよねっ!」

一郎丸「付いて来い」


 一郎丸と千景は歩き出す。美鈴と夢睡も2人の背を追って歩き出した。



 影狼組屯所に着く。


千景「健斗と氷堂は俺に任せろ」

一郎丸「わかった。おい、鈴美」

美鈴「美鈴って呼んで」

一郎丸「なぜだ」

美鈴「後で全部話すから」


 美鈴は夢睡に手を振ると、一郎丸と一緒に一郎丸の自室であろう場所へ向かった。


千景「健斗。いるんだろ?」


 2人がいなくなった後、威吹鬼の部屋の隣の部屋を見ながら、千景が言った。


健斗「いるよ」


 戸からひょっこりと顔を出した健斗。夢睡と目が合った。

 夢睡は袴を着て、髪を1つ結いしていた。夢睡の髪は肩にはかかる程度の長さだが、横兵庫などの髪型を作るにはまだ十分に伸びておらず、1つ結いや1つ三つ編みなどしか結えないのだ。


健斗「袴姿…あっちでも袴でやるのか?」


 袴姿だった夢睡に向かって言う。心底がっかりしていたのだ。健斗は夢睡――氷柱の着物姿が見れるだろうと思っていた。


夢睡「いや、違うよ」


 健斗は草履を履いて千景と夢睡の方へ行った。


健斗「だったら…」


 夢睡は手短にわけを話す――なるほど、と健斗が頷いた。

 続いて夢睡は健斗に聞いた。


夢睡「健斗君、今日巡察は?」

健斗「キャンセルした」


 予約をキャンセルしましたーのような口調で言う。


健斗「伊儀橋さんの命令で」


 何だろうね、と夢睡は千景の顔を覗くように見た。


千景「無駄話はよせ。今から連れて行かねばならぬ場所がある」


 連れて行かねばならぬ場所?と2人は首を傾げた。


千景「そうだ。伊儀橋からの命令だ。従わないわけにもいくまい」


 付いて来い、と言わんばかりに千景は歩いて行ってしまう。健斗と氷柱はいそいそと千景の後に続いた。


健斗「なァ、千景。もし、他の隊士に見つかったらやべェんじゃねえの?」


 千景?呼び捨てで呼んでるの?夢睡は千景の顔色を見る。絶対に怒ってるだろうな、と思った。


千景「心配無用だ」


 千景は右手の平を口元に近づけ、ふぅーと息を吹きかけた――刹那、辺りに蝶が、それも数千の蝶が羽ばたき始めた。


千景『夢幻蝶むげんちょう香鱗粉こうのりんぷん術』


 千景合わせて3人は、数千の蝶に囲まれた。


〈次回予告!〉


「よかろう。印をくれてやる」


「斬りますよ」


「死ね、蘭」


「君も斬られたいの?」


健斗が御神木に触れると、どこからか声が聞こえてきて――

氷柱はなぜモテるのか、不思議になってしまう!?

次回をお楽しみに!


読んでいただきありがとうございます。

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