初ノ座敷

空の月は行灯と化し、辺りは昼よりも賑わっていた。


夢睡「失礼します」


 夢睡は客人が待っているという座敷の戸を平伏しながら開け、名を名乗った。

 夢睡の姿は紫色の蝶が描かれた、全体的に紫と紺の着物で、帯は赤色、金色。髪型は夢睡が自分で結ったと言う、1つの三つ編みにしていた。それから、こんな髪型でも簪は差していた。

 夢睡は顔を上げる。座敷には1人の妖怪がいた。見た感じ鬼だろう。髪は金色こんじきに染まり、男着の着物は蓮の花が咲き誇る絵柄であった。


「こちらへ来い。そして、俺の酌をしろ」

夢睡「はい」(ニコ)


 夢睡はその男の隣へ行き、盃にお酒を注いだ。



 お酒も、もうすぐで空になるだろう。男は酔っている様子はなく、ましてや夢睡に触ることもなく黙ってお酒を飲み続けていた。


夢睡「お酒のお代りを貰って参ります」(ニコ)


 お酒が空になりそうなことをきっかけに、夢睡は立つ。それから、戸の方へ歩いて行こうとした――天地がひっくり返る。ドテン、と夢睡は転んだ。

 なぜ転んだのか。夢睡はわかった。ビキッ、ととんでもない怒りが拳に集まるが、我慢我慢と自分をなだめる。そう、夢睡はこの男の足に引っかかって転んだのだ。


「無様な」


 またもビキッ、と怒りがさらに重なった。男が夢睡を転ばせようと押しを伸ばし、それに気づかず夢睡はその足に引っかかり転ぶ。男の手の平で踊ってしまった。

 男は何もなかったような顔をして、転んだ夢睡の隣へ行き、


「大丈夫か?」


手を貸す。俯いていた夢睡は、男の顔を見た途端、笑みを作る。


夢睡「ありがとうございます」(ニコ)

「酒はもういらぬ」

夢睡「え?」


 男は夢睡の顔に自分の顔を近づけた。何を、と夢睡が思うのも束の間、彼は唇を――


「まだこの俺をわからぬか」


 唇を離した後、夢睡の顔をじっと見ながら言った。夢睡は笑顔を忘れて、不機嫌そうな顔をしていた。


「腰に刀を差しながら役を演じるのも大変だな、氷堂」


 男は、夢睡の体がビクッと揺れたのを見逃さなかった。


夢睡「何のことでしょうか?誰か私ではない人と、間違えているのではないでしょうか?」(ニコ)

「惚れた女の顔を間違えるバカはどこにいる?」


 男は口元で笑みを作る。


「俺の名を聞けばわかるだろう」


 夢睡はゴクンと唾を飲む。


千景ちかげ「七扇、千景だ」


 七扇千景…!副長!夢睡は思い出す。ここ、百華絢爛に影狼組副長――七扇千景が潜伏している、ということを。

 笑顔を忘れて、ハッとしたような顔をしている夢睡を見た千景。


千景「思い出したようだな。それにしても、今宵のお前の姿、美しいな。お前こそ、|我が嫁にふさわしい」

夢睡「褒められても嬉しくないので、冗談はよしてください」

千景「この俺が褒めているのだぞ?冗談なわけなかろう」

夢睡(っていうか、この鬼、何で私の腰に刀が差してあることがわかった?見えないはずじゃ…)


 夢睡の腰には刀――夢睡淳爽凪氷が差してあった。


千景「その刀は特別な者にしか見えぬようだな」

夢睡「触ることもできません」

千景「俺が見えているのだ。触ることもできる」


 千景は夢睡の腰の刀へと手を伸ばした――ギュッと刀の鞘を掴む。これには夢睡も驚いた。


千景「刀も俺たちの運命を認めているぞ?やはりお前は我が嫁にふさわしい。俺と夫婦めおとになれ」

夢睡「断ります」

千景「ふん。そのうちわかるだろう。お前の婿には俺がふさわしい、とな」


 何気に告白プロポーズした千景。夢睡は動揺もせず、ただひたすら酔っぱらいの相手は大変だ、と思っていた。


 しばらく2人は黙った。ドンヨリとした空気が、2人を包んだ。



 やがて、千景が口を開く。


千景「先刻、伊儀橋に会って来た。あいつの心配性にも手が焼けるな。だが、こんな美しい娘を守れと言われて、守らない奴がどこにいる?」


 ちょこちょこ自分をアピールする千景。酔っぱらいの戯言が。夢睡は心の中で凄く苛立っていた。


千景「安心しろ。俺はお前を命に代えてでも守る」


 じゃあ、私の代わりに九尾弧に食べられて死んでください。心の中で毒を吐く。


千景「無視、か。まあ、よかろう」

夢睡「帰ってもいいですか」

千景「無論だ。お前はずっとここにいてもらう。お前を見てるだけで、心が癒される」

夢睡「甘い言葉を呟かれても無駄ですよ」

千景「ふん。言葉ではなく、行動で示せと言うか」

夢睡「へ?」

千景「いいだろう」


 千景はニヤッと口元だけ笑うと、夢睡の腰を自分に近づけ――口を吸う。

 ビキッと夢睡の怒りは限界になった。ついに夢睡は、


〈バチン!〉


千景の頬を叩く。千景はギロッと夢睡を睨んだが、夢睡はひるまない。ふっとなぜか笑みが零れる。


千景「面白いな、娘」

夢睡「本当は、刀で斬りたかったですけどね」

千景「ふん。菜紬菜の真似事か」

夢睡「本心です」


 プイ、とそっぽを向く夢睡。


千景「ここの女はこんなに手荒ではないぞ」

夢睡「他のお客さんにはこんなことはしません」


 こんなこととは、頬を叩くような手荒なことだろう。千景の頬は少し赤くなっていたが、鬼な故だんだんと治ってきている。


千景「させないようにする。それが俺の役目だ」

夢睡「もう2度とやんないでください」

千景「口吸い、か。無理だ」

夢睡「っ…」


 夢睡は口を瞑る。


千景「お前はそんなことを気にせず、役を演じきれ」

夢睡「そんなことを気にさせようとしているのはあなたですよね」

千景「無論だ。我が嫁に口吸いの1つや2つ、やってはならぬという理由などあるまい」

夢睡「だから、私はあなたの嫁じゃありません」

千景「照れなくてもよいのだぞ?」

夢睡「照れてません」


 菜紬菜より手強く、ウザいかもしれない。夢睡ははぁ、とため息を漏らす。ここに来て、初めてのため息かもしれない。


千景「菜紬菜が言った通り、お前はため息をよく吐くのだな」

夢睡「菜紬菜さんが言ったんですか」

千景「それがどうした」

夢睡(勝手に何を言ってんだよ。あの人は)

千景「短気だとも言っていた」

夢睡(ウザい人ー)

千景「だが、着物姿は似合うだろうから、見てきた感想を伝えて、と俺に言ってきたな」

夢睡「その感想に、私の伝言も伝えてください」

千景「何だ?」

夢睡「呪いますよ、と」

千景「ふっ、つくづく面白いやつだ。お前は」


 そう言うと、千景は立つ。そして、


千景「今日のところはこれで勘弁してやる。お前の唇は甘かったが、甘いものでも食べたのか?」


 ギクッと夢睡は思う。美禰に着物を着させてもらった時、金平糖を食べたのだ。

 ニヤッと笑ってから、千景は座敷を出て行った。



和須子「夢睡ちゃん、どうでしたか?」


 藤原屋から出て行こうとする千景に言った。


千景「どうとは?」


 くるりと踵を返した千景が言う。


和須子「これから座敷に上がっても大丈夫か、とういうことです」

千景「あの娘は気品がよく美しい。妖怪人間問わず、座敷に呼べばたちまち男を惚れ落とすだろう」

和須子「ありがとうございます。七扇様がおっしゃるのであれば、問題ないでしょう」

千景「それよりあの女どもは何だ。俺を見てニヤニヤとしているが」


 千景は顎をしゃくって言う。廊下の方に女2人が千景を見ていたのだ。


和須子「何のようだい?あんたたち」

「あの夢睡って女と何か致したんですか?」

「七扇様に限ってそんなことはあるとは思いませんけど」

千景「無論だ」

「では、今度、わたくしたちを座敷に…」

千景「黙れ、ゲスが。人間風情にこの俺の酌をさせるとでも思ったか」

「あいつは人間じゃないですか?」


 あいつ、とは夢睡のことだろう。


千景「夢睡だけは特別だ」

「何でですか!?」

千景「黙れ。次は殺す」

「ご冗談」


〈ザクッ〉


「っ…」


 バタン、と2人の女のうち、1人が倒れた。辺りには血のにおいが漂い始める。千景は女の1人に自分の刀を投げ、突き刺したのだ。

 千景は今1度、藤原屋の中へ入り、もう1人の女がいるところへ歩んでいく。女は震えて、その場にしゃがみ込んでいた。

 女に刺さった刀を抜く。そして、生きている女の目の前に剣先を向けた。


千景「死ね」

「きゃぁぁぁぁぁ!」


 藤原屋には、女の悲鳴が駆け抜けた。


〈次回予告!〉


「だったら最初っから黙ってろ」


「自業自得だろう、それは」


「よろしくねっ」


「お強いですね」


「用とは他に何もない、あの夢睡、という女のことですわ」


「鬼?何のこと?」


新キャラクター登場!

間者の夢睡は新たに登場するキャラクター、美鈴に連れられて道場へ行く。

道場へ行った矢先、数千の蝶に囲まれて…?

一方、闇では早くも動きがみられていた。

その中にいたのは…

次回をお楽しみに!


読んでいただきありがとうございます。

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