影狼ノ朝

菜紬菜「影狼組さん、影狼組さん。おいでになってくださいな」(ニコ)


 菜紬菜はまたあの赤い鳥居の下で、銭湯屋に来た時と同じような呪文を唱える。


氷柱「何で影狼組屯所とか、銭湯屋とか、行ったり来たりできるの?新助君」

新助「ここは、天願てんがん神社なんだ。天に願うって書いて天願」

菜紬菜「天に願えばいいってこと。ほら、もう屯所に返って来たよ」(ニコ)


 本当だ、と氷柱。それから、銭湯屋に来て、銭湯屋から出た時にあったことを思い出した。銭湯屋でせっかく体を綺麗にしたのに、妖怪たちとの戦乱で…

 氷柱はまだ1日のスタートを切ったばかりなのにも関わらず、疲れていた。これもまあ、ご飯を食べれば元気になると思うが。


 屯所に帰って来た4人。

 氷柱は新助にありがとう、と言うと、新助の背から降りた。


新助「肩貸すよ」

氷柱「大丈夫」

新助「そういやァ、術を使ったときの反動、大丈夫だったか?」

氷柱「多少頭痛がしたけど…1番はこの足の怪我だね」

菜紬菜「半妖だから、傷の治りが遅いの?」

氷柱「菜紬菜さんは黙っててください」

菜紬菜「ひどいなぁ。まったく」

新助「ほら」


 新助は氷柱の体を支えながら一緒に歩いてあげた。


氷柱「ご飯さえ食べれば、治るはずなんだよね…」


 氷柱は独り言をつぶやいた。


新助「ご飯か!?」


 それを聞いてた新助。こういう時は人の話を聞いてるんだな、と氷柱は思う。


新助「じゃあ持って来っから!」


 新助は氷柱を置いて、走り去ってしまった。

 思い立ったが吉日。新助は行動がはやい。はやすぎる。


菜紬菜「行っちゃったね、新助」

氷柱「そうですね」


 氷柱は縁側に、ゆっくりながら歩いて座った。そして、自分の足を見る。

 菜紬菜は氷柱の隣にまだ目を覚まさない和香を置いた。


菜紬菜「濡れた手拭てぬぐい、持ってきてあげるね」(ニコ)

氷柱「え?」

菜紬菜「足を怪我していることが伊儀橋さんにバレたら、僕が怒られるんだから。それはそれでいいけど、伊儀橋さん、そんな時間、ないでしょ?いっつも忙しそうにしてるから」(ニコ)


 意外に菜紬菜は一郎丸のことを考えているんだな、氷柱は思った。


氷柱「ありがとうございます」(ニコ)

菜紬菜「どう致しまして」(ニコ)


 菜紬菜は和香と氷柱を残してどこかへ行った。



郡治「できました。どうぞ」

威吹鬼「ありがとよ」


 郡治は「あれ」を威吹鬼に渡した。威吹鬼はそれを受け取ると、台所を後にする前に言った。


威吹鬼「あいつら2人のご飯なんだが…一応、俺の部屋に持ってきてくれ。俺のも頼む」

郡治「承知しました」

威吹鬼「よろしくな」


 威吹鬼は台所から離れて行った。

 威吹鬼たちが言っていた「あれ」とは、二日酔いに効く食べ物『山に生えている葉っぱや大根、シジミ、梅干し』などを細かく刻んで、混ぜ、炒め、煮つめ…作る時の状況によって、作る工程が違う。つまり、その味はいつも違くて同じ味の時がない、ということだ。

 今回の「あれ」は刻んで混ぜて炒めたもので、使った材料は謎の葉っぱ、大根、梅干し、タラの芽、たけのこである。

 全て混ぜたら、絶対に不味いやつを二日酔いの者に食べさせてもよいのだろうか。無論、これは威吹鬼が考えた特別メニュー。威吹鬼は食に関して全くの素人である。だが、「あれ」を食べてから二日酔いがよくなっているのは事実らしい。これが妖怪にも効くかどうかはわからないが。

 しかしなぜ威吹鬼は二日酔いにならなかったのか。

威吹鬼はお酒に強い。酔ったとしてもすぐにアルコールが抜けるため、二日酔いにはならないのだ。そういう体質であった。

 それに比べ宇狗威は、自分ではお酒に強いと思っているが、実のところ弱い。自分の限界を知らずに飲むのだから、二日酔いになるに決まっている。だが、威吹鬼が考えた特別メニューの「あれ」を飲むと生き返る、らしい。

健斗は…詳細はわからない。何せ昨日、初めてお酒を飲んだのだから。今のところ、飲んだ時は酔いの症状は見られず、後になって、二日酔いになって返ってくるのかもしれない。それとも、自覚症状がなかっただけで、飲んだ当初から酔っていたかもしれない。(同じことを別の部で書きましたが、それの追加だと思ってください)

 威吹鬼は先を急いだ。台所と威吹鬼の部屋は真逆の位置にあるため、距離がある。二日酔いで寝込んでいる宇狗威と健斗に申し訳ないため、威吹鬼は先を急いだのだ。

 威吹鬼を撫でる風が生暖かく、心地よかった。

 


 その頃、一郎丸は夢から目覚め、布団を畳んでいた。

 畳み終えた一郎丸は部屋の外へ出る。一郎丸の部屋は内廊下に囲まれた、太陽の光が当たらないところに位置していた。だから太陽の光を浴びたかった。太陽の光を浴びようと、そして井戸で顔を洗おうと、一郎丸は歩き出す。袴の袂に腕を入れながら。



 一郎丸が井戸に着いた時、井戸には先客がいた。それが、どうもどこかで見たことがある背中で――嫌な予感がした。そう、とても嫌な予感が。

 井戸にいた先客が一郎丸の存在に気づき、背後を振り返る。先客はあ、と短く言葉を発してから、ニコっと笑った。一郎丸の嫌な予感が当たった。


菜紬菜「伊儀橋さん」(ニコ)


 ちっ、と一郎丸は舌打ちしてから、菜紬菜をにらむ。


菜紬菜「なんですか?僕はただ手拭を濡らしていただけですよ?特になにも…やりました」(ニコ)

一郎丸「何をやったんだ?」


 一郎丸の眉間にはしわが寄る。


菜紬菜「巻物を燃やしました」(ニコ)


 巻物…巻物…巻物!一郎丸は何の巻物かがわかった。わかった途端、一郎丸は怒りに溺れ、大きな声を出す。


一郎丸「菜紬菜!」


 一郎丸の声が井戸の中にまで届き、その中でも轟く。


菜紬菜「あれは事故だったんですよ、仕方ないじゃぁーないですか」(ニコ)

一郎丸「仕方なくねえだろうが。あれは大事な巻物で…」

菜紬菜「それは知ってますよ。伊儀橋さんがだぁーいじに、だぁーいじにしてる巻物だったってことはね。でも燃やしちゃったんだからここで叫(ほ)ざかないでください。戻ってくるわけじゃないんですから」(ニコ)

一郎丸「お前…」


 ギロリとにらむ一郎丸。一方、菜紬菜はニコニコといつもの笑みを浮かべていた。

 菜紬菜は一郎丸がどんなに怖い形相をしていても、威圧感(殺意も含まれる)を放っていても全く恐れない。


菜紬菜「なんですか?」(ニコ)

一郎丸「俺に何か言うことねえか」

菜紬菜「さようならー」(ニコ)

一郎丸「おい、こら、待て!」


 菜紬菜は一郎丸を誘うように走って行く。行先は氷柱のところ。

 一郎丸は菜紬菜を追った。


新助「至急、氷柱の飯を作ってくれ!」


 新助は息を切らせながら、台所の戸を開けた。作業している手が止まり、隊士たちは新助を見る。


七奈三郎「新助さん、どうか致しましたか?」


 威吹鬼と入れ替わりにやって来た新助の驚きながらも、いつでも冷静な七奈三郎は言った。


新助「氷柱がお腹空いたって言ってるからさ、はやく食べさせてあげたいんだ」

七奈三郎「そうなのですね。わかりました。では、もう盛られているものを。郡治君」

郡治「はい」


 またいても郡治が呼ばれ、郡治がお膳を運んだ。


郡治「どうぞ」

新助「ありがとうな。んじゃ」


 新助は郡治からお膳を受け取ると、足早に台所を出た。


郡治「今日はやたらと隊長さんがお目にかかるな。何か起こったのか?」

七奈三郎「恐らくですが、それは偶然でしょう」

海翔「そうかなぁ。僕は何か裏があると思うんだけど」

七奈三郎「気のせいですよ。さぁ、お膳を運びましょう」


 七奈三郎は次の指示を出した。



一郎丸「菜紬菜!待ちやがれ!」

菜紬菜「嫌ですよ、伊儀橋さん。待てと言われて、待つバカの方が少ないだろうに」

一郎丸「いいから待て!この野郎!」

菜紬菜「あ、暴言吐きましたね。訴えますよ、局長失格なんじゃないって」


 2人は口喧嘩しながら追いかけっこしていた。


一郎丸「お前の方がとっくに隊長失格だ!」

菜紬菜「局長失格の伊儀橋さんに言われる筋合いはありませんよ」


 菜紬菜はどこかへ目指して行っている、それは一郎丸にも察することができた。だがどうだろう。なぜそこへ向かっているのかはわからなかった。

 一郎丸は走りながら菜紬菜の考えていることを知ろうと、術を使う。


一郎丸『他心通』


 一郎丸は心の中でつぶやいた。一郎丸の術は「無隠」のタイプだ。

※「無隠」のタイプの意味をわからない読者は、『鬼という名の妖怪 拾ノ巻』を観覧してみてください。

 さて、話に戻るが、一郎丸は菜紬菜の心の中を見た。見ようとした。

 一郎丸はちっ、と舌打ちする。


一郎丸(自分で見えないように、波動を使ってやがる。こいつ…)


 心の中を見られないようにすることはできる。強い妖怪ほど波動は多く、強く。だが、弱い妖怪ほど波動は少なく、弱くなるのだ。

 菜紬菜は鬼族四神家の1家なだけあり、尚且なおかつ蘭家の頭領だ。波動は通常の鬼よりもはるかに多く、強い。そして、1点に波動を集めるという集中力と器用さを持っていた。

 菜紬菜に集中力と器用さが全くもってない、一郎丸は菜紬菜の行動からそう読んでいた。だが違った。菜紬菜は自分の実力を、冗談を言ったりして隠していると。無論、これは最近知ったわけではない。



氷柱「はぁ」


 氷柱は足を縁側から出し、ぶらぶらとさせていた。


氷柱「和香ちゃん、ホントにどうしたんだろ…菜紬菜さんに何かやられた?」


 寝ている和香に質問したって意味がない。無論、菜紬菜に同じ質問をしたとしても、答えてはくれないだろう。

 そんなことを思っていた時だった。まだ遠くではあるが、一郎丸と菜紬菜の声が木霊こだまして聞こえたのだ。


氷柱(また菜紬菜さんと伊儀橋さんが喧嘩してる?)


 氷柱は目を細めながら庭の奥の方を見る。おーい、おーい、と手を振りながら駆けてくる菜紬菜さんと、後ろからは怒った形相をしている一郎丸が駆けていた。追いかけっこしてるのかな?氷柱は思う。


菜紬菜「氷柱ちゃーん、投げるからちゃんと受け取ってね」


 そう叫びながら菜紬菜は濡れた手拭を氷柱に向かって投げた。


氷柱「え」


 絶句したが、こうもやってはいられない。向かって来る手拭に目を向けた。氷柱のところへ飛んでくる。

 氷柱は縁側の廊下に膝で立つと、手拭を頭の上でキャッチした。そして座る。それから氷柱は、睨むような目を菜紬菜に向けた。何で投げるんですか。氷柱の目はそう言っていた


菜紬菜「よくとれたね。すごーい」(ニコ)


 感情が籠っていないのは氷柱にバレバレだった。



 菜紬菜が氷柱の隣へ座った時、一郎丸は菜紬菜の前に立っていた。とても恐ろしい形相をしている。


一郎丸「菜紬菜」

菜紬菜「なんですか?」(ニコ)


 菜紬菜が何かやらかしたことはすでにわかっている。では、何をやらかしたのだろうか。そう考えながら氷柱は、貰った手拭で足を冷やした。一郎丸にバレないよう、隠しているようにも見える。


氷柱(やらかしたのって、銭湯屋さんでのことかな?)


 ふと、氷柱は思った。銭湯屋がある迷界で、妖怪と戦乱になったことが一郎丸の怒りに触れたのだろうか、と――が、


氷柱(そうだとしたら、私と新助君が怒られるはず…じゃあ菜紬菜さんは一体何をやらかしたんだろう…)


氷柱は2人の顔を見る。


菜紬菜「だから、あれは事故だったって、何回も言ってますよね?」(ニコ)

一郎丸「俺がすんなりその嘘を信じるとでも思ったのか?」

菜紬菜「嘘じゃないですよ。ね、氷柱ちゃん」(ニコ)

氷柱「?」


 なぜか、無関係な氷柱が話に巻き込まれる。


氷柱「何で、私が…?」

菜紬菜「だって、氷柱ちゃん、現場にいたでしょ?」(ニコ)

氷柱「何の現場ですか」

菜紬菜「やだなぁ、氷柱ちゃん。冗談言わないでよ」(ニコ)

氷柱「私は無関係です。だから話に巻き込まないでください」

菜紬菜「うわー、ひどーい。氷柱ちゃん、隊長のことを見捨てるんだー」(ニコ)


 棒読みだった。


氷柱「時と場合によっては見捨てます」

菜紬菜「君ならそんなことを言うってわかってたよ。一夜でこんなにも、初対面の人の性格がわかるなんて、ホント氷柱ちゃんはお喋りだなぁ」(ニコ)

氷柱「菜紬菜さんが仕掛けて、私の本性をさらけ出さないといけないときがあったからですよ」


 ああいえばこういう。氷柱はある意味弁舌だ。

 2人の話を聞いていた一郎丸は、なぜかふっと笑みを漏らす。それを瞬間的に悟り、見てしまった菜紬菜は悪戯っぽい笑顔を浮かべた。


菜紬菜「今日は雨が降るかもね」(ニコ)

氷柱「昨日も降ってましたよ。そして、今日は晴れてるじゃないですか」

菜紬菜「ねぇ、知ってる?氷柱ちゃん。伊儀橋さんがね、笑うと、絶対に雨が降るんだよ」(ニコ)

一郎丸「それはてめえが降らせてるからだろうが。俺は関係ねえ」

菜紬菜「伊儀橋さんが笑うから、僕が雨を降らせたくなっちゃうんですよ」(ニコ)


 この生意気な意見に一郎丸が反撃しようとした時、


威吹鬼「伊儀橋さん…それに菜紬菜と氷柱、和香までいるじゃねえか。どうしたんだ?」


威吹鬼が氷柱たちに声をかける。


威吹鬼「おーい、伊儀橋さん」


 威吹鬼が片手に何かを持ちながら、もう片方の手で手を振っていた。


氷柱「威吹鬼さん」

菜紬菜「威吹鬼さんじゃないですか。どうしたんです?こんなところで」(ニコ)


 威吹鬼は縁側に座っている菜紬菜と氷柱の背後に立つと、口を開いた。


威吹鬼「それはこっちの台詞だぜ?何で、お前らはここにいるんだ?」

菜紬菜「僕たちがいちゃいけないっていう理由、あるんですか?」(ニコ)

威吹鬼「ねえ、けど…」


 威吹鬼は先程の一郎丸と同じようにふっと笑った。


威吹鬼「いや、珍しいなって思ってよ。和香は寝てるしよ、氷柱と菜紬菜は座って、何で伊儀橋さんは座らねえんだーっても思ったしな」

菜紬菜「そういう威吹鬼さんは、なんでここにいるんです?」

威吹鬼「俺の部屋はこの後ろ。俺がここらをうろちょろしてても、誰も不思議がらねえんだよ」

菜紬菜「ふーん」(ニコ)


 氷柱は威吹鬼が持っているツボの中身が気になった。


氷柱「威吹鬼さん、そのツボ…」

威吹鬼「これか?これはな…」


 かくかくしかじか。威吹鬼は二日酔いを治すための薬だ、と言った。


一郎丸「また飲み潰れたのか」


 あきれたように一郎丸は言った。


菜紬菜「毎日の恒例じゃぁないですか。僕は慣れましたよ」(ニコ)

一郎丸「俺も慣れてるから怒らねえが…まったく、菜紬菜の冗談にも慣れてほしいよな。聞き慣れているはずなのに、慣れねえ。あァ、ムカつく」

菜紬菜「ははは」(ニコ)


 威吹鬼は笑みを浮かべながら、んじゃ、と言って、背後にある部屋の戸を開けた。その戸の隙間から、健斗の顔が見えたような気がし、氷柱は立つ。


氷柱「健斗…君?」


 氷柱は威吹鬼が戸を開けた時に見てしまった。やはりあれは健斗だ。だから氷柱は威吹鬼が戸を閉める前に戸を手で止めた。


威吹鬼「どう…したんだ?氷柱」


 少し警戒しながらも威吹鬼は言った。なぜ警戒しているのかって?それは――


氷柱「あの…健斗君が中にいますよね…?」

威吹鬼「それが…どうした?」


 氷柱は威吹鬼が仁王立ちして戸の前に立ち塞がっているにも関わらず、隙間から威吹鬼の部屋の中を覗き見た。


氷柱「健斗君、いるんでしょ?」

健斗「う…?氷柱…?」


 健斗は辛そうに顔を上げる。本当のところ、健斗は幻を見ているのだと思った。酔いつぶれすぎて、自分は幻を見ている。

 健斗は妄想していた。もし、氷柱が芸子姿になって、俺に酌をしていたら、胸がはち切れそうになるくらいドキドキするだろうな…でも、現実にこんなことが起きたとして、酔い潰れでもしたら正直恥ずかしい。

――酔い潰れている。まさに今の状態。そして、氷柱がいるのは現実に起こっていること。

 威吹鬼は男心、女心共にわかり切っていた。知り尽くしているのだ。だから健斗の気持ちを悟った。好きな人には己が酔い潰れているところなんか、見てほしくない、見られたくない、と。だが――


氷柱「健斗君!?大丈夫!?」


 氷柱は横たわって辛そうにしている健斗を見るなり、健斗に近寄ろうとした。

 だって心配でしょ?顔色が悪いんだから。これが氷柱の本音だ。


健斗「氷柱…!?…幻…じゃない…?」


 健斗はようやく気付いた。氷柱がいるのは幻ではなく、今自分の身に起こっている現実であることを。そう思う程、健斗の顔の紅さが増していく。


氷柱「ちょ、やめてくださいよ、威吹鬼さん」


 氷柱の腕を掴んだ威吹鬼。氷柱は威吹鬼の目をまっすぐ見た。


威吹鬼「少しは察してくれ」


 威吹鬼は小さな声でつぶやいた。まるで独り言のように。

 氷柱はハッとした。威吹鬼のされるがままに氷柱は廊下へ出る。


威吹鬼「ありがとよ」


 威吹鬼は戸を閉める前にニコっと笑って見せた。


氷柱「健斗君…」


 氷柱は締め切って中の様子は見れないはずの戸を、暫く見つめていた。



 やがて、菜紬菜が口を開く。


菜紬菜「あれれ?氷柱ちゃんは健斗君のこと、嫌いって言ってたのに…」(ニコ)

氷柱「誰が嫌いって言ったんですか」

菜紬菜「好きって言ったんだっけ?」(ニコ)


 いかにもわざとらしい声だった。菜紬菜はわかっているのにわざと聞いている。氷柱は面倒くさい、そしてウザいと思った。


氷柱「好きでも嫌いでもない、|ただの友達ですって、言いましたよね?」


 ただの、という台詞が強い口調だった。


菜紬菜「言ったっけ?僕忘れちゃった」(ニコ)


 菜紬菜は氷柱に笑いかける。氷柱は笑わないが。


菜紬菜「もぉ~氷柱ちゃんったら。変なとこに勘が働いて、変なとこ勘が働かないんだから」(ニコ)


 氷柱は先程座っていたところに座りなおすと、また手拭を足に当てた。氷柱は菜紬菜が言ったことなど聞いていなかったかのように無視する。

 一郎丸は細かいことでもすぐに気づく性格だ。だから氷柱が足を怪我していることに気づいていた。


一郎丸「氷柱、お前、その足どうしたんだ?」

氷柱「え…っと…」


 氷柱は菜紬菜のことをチラッと見る。言っていいんですか?氷柱の目はそう言っていた。菜紬菜は氷柱が足を怪我したことを一郎丸に伝えたくなかった。そう先程言っていた。

 菜紬菜は氷柱が目で訴えているにも関わらず、ニコニコと笑顔を作っているだけで返答した様子はない。これは言ってもいい?氷柱は判断し、


氷柱「実はさっき…」


銭湯屋の空間でのことをかくかくしかじか、正直に話した。


一郎丸「なるほどな…」


 はぁー、とため息を漏らす一郎丸。そして頭を雑にかいた。この反応から、氷柱は慣れていること、あきれていること、悩まされていること、ということがわかった。


一郎丸「影狼組に恨みを持っている奴はどうでもいいが…まさか湯屋でとはな…」

菜紬菜「それくらい、僕たちの悪評が広まっているんですよ」(ニコ)

一郎丸「悪評じゃねえ。この時世、妖怪やら幽霊やら溢れかえってるんだから仕方ねえだろ。俺たち妖怪、半妖、人間が手を組み妖怪、幽霊を倒す」

菜紬菜「妖怪が妖怪を殺すって、そうそうないと思いますけどね」(ニコ)

氷柱「あの…影狼組の目的って何ですか?隊務とは?」

一郎丸「それを今日の朝、健斗とお前に話そうと思ったんだがな。生憎、あいつは潰れてるし…仕方ねえ。お前だけに話す」


 そう言って一郎丸は氷柱の隣に座った。その一郎丸が隊務について話そうと口を開けた刹那、


新助「氷柱!」


新助が乱入。


新助「氷柱、飯持って来たぜ」


 氷柱はあまりのタイミングの悪さに苦笑した。


氷柱「ありがとう」


 新助からお膳を受け取る。そこには湯気が立ち昇っているわかめの味噌汁と白いお米が盛ったお茶碗、筍と醤油のお浸し、梅干し、煮干しが乗せられていた。


菜紬菜「新助、僕のは?」

新助「え?お前、食べんのか?」

菜紬菜「食べるけど?」

新助「さすがに2つ一遍には持っていけねえし、そしてお前、僕も食べたいから持ってきてーとか言ってなかっただろ?」

菜紬菜「言わなくても、新助の鼻なら人の気持ち、わかるんじゃないの?」


 新助は口を結んだ。菜紬菜の言葉に反論しようとする間もなく、一郎丸が威圧感を放っていることに気づいたのだ。


新助「い、伊儀橋さん?どうしてそんなに怒ってるんだ?俺、まだ何にもしてねえけど…」


 一郎丸は怒っているというより、苛立っていた。別に新助に怒っているわけではないつもりだった。


一郎丸「…新助」


 何かを言いたくて新助の名を呟いたわけではなかった――が、新助は何か嫌な予感が脳裏をよぎり、


新助「さっさようなら!」


新助は一郎丸から逃げるようにその場を走り去って行った。

 どんどん小さくなっていく新助の背中を、一郎丸と氷柱はただ口を開けて見ていた。



 しばらくして、菜紬菜が口を開く。


菜紬菜「伊儀橋さんって、なにも言わなくても相手に伝えることができるんですね」(ニコ)

一郎丸「てめえ、俺をバカにしてるのか?」

菜紬菜「神通力でも使ってるんですかね?」(ニコ)

一郎丸「使ってねえ」

菜紬菜「じゃあなんで新助は逃げて行ったんでしょうね」(ニコ)


 菜紬菜の問いに一郎丸は口を閉ざした。返す言葉がなかったわけではない。菜紬菜と話すことに疲れたからだ。

 それを察した一郎丸と菜紬菜に挟まれている氷柱は視線を庭に向けた。どこを見ていればいいのかわからなかったからだ――菜紬菜の言う通りだった。氷柱は変なところに察しが付き、変なところに察しが付かない。

――見かねた一郎丸はこう氷柱に問う。


一郎丸「飯、食べねえのか」


 え?と氷柱は一郎丸を見る。


一郎丸「飯は冷めないうちに食べた方が美味しい。はやく食べろ」


 命令するかのように言った。


氷柱「はい」


 氷柱は本音、ご飯を食べたくてしょうがなかったのだ。だが、隣の2人は食べてないし、悪いかなぁ、と思っていたところだった。だから一郎丸のこの命令は素直に従う。


菜紬菜「ちゃんと食べて、はやく大きくなぁーれ」(ニコ)

氷柱「私は子供ですか」

菜紬菜「まだ子供でしょ?」(ニコ)

一郎丸「お前が言うな、菜紬菜。お前は冗談なしにガキだ」

菜紬菜「僕は子供のままでいいですよ。だって、子供はなにしても怒られまっせんからね」(ニコ)


 何か企んでいるような笑みを浮かべる菜紬菜。


一郎丸「んなわけねえだろうが。ガキは大人に怒られて学んで、次は同じ失敗をしないようにするんだ。だけどな、お前の場合、怒られても反省はしねえは同じことを繰り返すは。ガキより手が焼けるよ」


 吐き捨てるように言った。

 それをなぜか嬉しそうに笑いながら、菜紬菜は背後で寝ている和香に目を向けた。和香の寝顔は冗談なしに可愛かった。


〈次回予告!〉


「ここ、床の上…?」


「ったく、味は不味くって吐きそうだったけど、なぜか治ったんだよなァ、二日酔い」


「俺の本当の力を封印してくれてるんだ」


「隊長命令」


「新しく入隊した伊藤氷柱と天風健斗だ」


「あれれ?氷柱ちゃんの名字は…」


新助が面を付けている理由が明らかに!?

そして、ついに健斗と氷柱は影狼組全隊士の前で自己紹介をする!?

次回をお楽しみに!


読んでいただきありがとうございます。




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