第2話

日中。今日に限って太陽が服を脱がそうと画策しているのではないかと疑うほどの猛暑。北風は諦めて試合放棄してしまったようだ。


「どうぞ。」


「あ、いや。」


突然距離を詰めてきたティッシュ配りに無理矢理ポケットティッシュを渡された。周りからはどう見えているのだろう。


気慣れないスーツをきて歩く様は、時期的にも就活生に見えているのだろうか?タンスの奥に押し込んでいたシャツは皺だらけになっており、上着を脱ぎたいのに脱げない状況になっていた。幸いなのは、電車に乗るほど目的地が遠くなかったことだ。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


段ボールの中をくまなく探したが、破り取られた結末は見つからなかった。家を出たときに誰かに忍び込まれたのだろうか?記憶を遡ってみる。


鍵は閉めて家を出ていた。クーラーをつけているから、玄関以外の出入り口も閉めているはずだ。念のため窓の戸締りも確認したが、全て鍵が閉まっていた。段ボールを開けたのは、家を出る直前。


生まれてこの方彼氏なしの私は同棲相手など作っているはずもなく、合鍵の存在などいうまでもない。部屋を荒らされた形跡もないのだから、空き巣が入って結末だけ破っていったとはさすがに考えにくい。何より、恥ずかしさのあまり急いで帰ってきた私と出くわしていない時点で、この線はないだろう。


結論として、送られてくる前に破られていたと考えるのが無難だろう。


よりによって彼の作品でそのようなことをしてくるなんて凶悪犯過ぎる。殺人より罪が重い。


このどうしようもない倦怠感。拭えると思っていたのに裏切られた不快感。


やるせない気持ちを何処にぶつけるでもなく、飲み干した缶を凹ませる。なんの不手際かと絶望を感じながら諦める。伸びをしながら寝ようと考えたが、明るくなっている窓の外に目が留まった。


…。


私はかぶりつく様にスマホをみる。


7時だ。一般人なら起きていてもおかしくない時間帯だ。


すぐに彼に電話を掛けようとして思いとどまる。


上田瑞樹。人気小説家。


…彼は忙しいかもしれない。とりあえずこれ段ボールを送ってきた張本人。私より先にこの作品に目を通しているはずの編集さんに電話を掛けてみる。


出ないかもとも思ったが、すぐに応答があった。コール音が3回ほど鳴ったら諦めようと思っていたのに、出るの早いな…。


「もしもし、芽衣さんでしょうか?お世話になっております。坂口です。」


「坂口さん?お久しぶりです。声を聴けて嬉しいのですが…朝からということは何かありましたか?」


朝なのに眠そうな雰囲気はなく、いつも通り明るくはきはきした声だ。カチャカチャと食器の音がしていることから、朝ごはんを食べていたのかもしれない。


「お久しぶりです、原稿読ませてもらったのですが…。」


「もう読まれたんですね。流石坂口さんです。」


顔を見ていないのに芽衣さんの嬉しそうな笑顔が目に浮かんでくる。彼女は人の優れたところを見て幸せになれる、疑いようのない善人だ。


「はい、非常に面白かったのですが、一部欠損していまして…。」


「あつっ!あ、すいません。えと、欠損ですか?」


ジュ―という何かが焼ける音が聞こえてきた。どうやら朝ごはんを作っている最中のようだ。おそらく油でもはねたのだろう。今話しても迷惑だろうし、改めてかけなおした方が良いかもしれないな。


「忙しいようなので、時間をおいてから改めて連絡させてもらいますね。…今日のお昼は時間ありますか?」


「…本当にすいません。お昼は空いて…そうだ、昼食一緒に食べていただけませんか?おいしいパンケーキのお店があるんですよ。1人じゃ行きにくくて…。」


悪気はないのだと思う。しかし、このような状況でそのような誘い方。断り方を教えて欲しいものだ。


「…構いませんよ。」


私が承諾したのを切り口に、芽衣さんはパンケーキについて発祥から語るのではないかと疑うほどの勢いで話し出したので、またお昼に、と一言断って切ってしまった。


仮に彼女が犯人だとしたら、目的は私への精神攻撃なのだろうな…。そんなことを考えながら、少ししてから送られてきたメールをみてゆっくりと支度をするのだった。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


目的地に辿り着くと、スーツ姿の芽衣が人目を気にせず大きく手を振ってきた。


「坂口さーん!」


他人のフリをしてそのまま歩いて行ってしまおうかと迷ったが、気になることがあったため思いとどまる。結末についてではなく、彼女についてだ。


「こんにちは、用件だけ済ませて…」


「そんなこと言わないで一緒に食べてください!私もうお腹ペコペコですよ。」


強引だ。嫌がっているのがわからないのか。客観的に見たらそう見えるかもしれないが、相手が私ならば非常に効果的な誘い方である。


なぜなら、内心嫌がっておきながらなぜか満更でもないからだ。


やれやれと思いつつ店内に入っていく最中も、芽衣の話は一切途切れなかった。


最近の流行りの雑誌、服装、化粧品、食べたもの、楽しかった出来事。


私が興味なさげに聞いていても、楽しそうに話す。私がほとんど口を開いていないのにどんどん話題が進むせいで、まるで会話しているかのような錯覚に陥る。話していて私が気まずくならないのは、今は彼女一人だけであった。


「このパンケーキです!坂口さんが頼まなくてもおすそ分けするので気にしないでください。」


彼女は分けてあげると言わない。そんな些細な言葉からも上から目線で話していると受け取られないように。揚げ足すら取らせてもらえない。


「…。」


「あ、もちろん無理言って来てもらっているので、今回は私持ちです!食べたいもの食べましょう!」


ただメニューを見ていただけなのだが…。それならば、と思いかけて首を振る。忘れかけていたが、私は結末について聞きに来ていたのだ。イチゴのパンケーキに気を取られている場合ではない。


「いえ、私がお話ししたく思ったのでお金は結構です。」


それより、素敵なお店を紹介してくださってありがとうございます!彼女ならそのような気の利いた言葉で締めくくり、空気をほぐすのだろう。しかし、私はしない。


「そうでした。私自分の話ばかりに夢中になってしまって…欠損でしたよね。詳しく聞かせてもらってもいいですか?」


この発言を聞けただけで、今回は解散してもよいのだが…。私は丁度目が合った店員さんに手を挙げて呼びつける。


「すいません、この『どきどき☆夜中の電話パンケーキ』を一つください。」


「は、はい、ブルーベリーのパンケーキを一つ…。」


店員の発言に私は凍り付いて思わず芽衣を見るが、彼女はフフッと軽く微笑みながら、続けて注文をするのだった。正直彼女の反応よりも、彼女ならこの状況をどう乗り切るのか気になったのだが…。


「じゃあ私は『ハートがいっぱいのパンケーキ~初恋風味~』ください。」


「かしこまりました。」


彼女はやはり彼女であった。


料理が来る間、彼女は注文について触れず再び一人で話し出した。しかし先ほどとは異なり、話をたびたび中断し水を取りに行ったり、トイレに言ったりして私から話を切り出すタイミングを作っていた。 


私はというと、恥ずかしさにそれどころではなく、空のコップを両手で持ったまま俯いてしまっていた。


「コンビニのこのお菓子がおいしいらしいので…あ、水なくなってますね。とってきますか?」


そこまで気を遣わせるわけには!私は思わず立ち上がり、無言で水を取りに行く。少し落ち着こう。


それまで周りに目を向けていなかったが、思ったよりもパンケーキ屋といった雰囲気はない。どちらかというと…いや完全にファミレスのような雰囲気だ。ドリンクバーがあったり、デザート以外の料理も充実していたり…。


もしかして行きにくいというのは、私を外に出す口実だったのかもしれないな。


私が水をとって戻ると、料理が来ていた。まさか、店員から逃がすために…。いやそこまで気が回るものなのか?


「食べましょう?」


芽衣は上品にパンケーキを切り始めた。彼女は私が迷っていたイチゴのパンケーキを小さく切り取ると、上手にソースを絡めてそのまま…私に向けてきた。


「おすそ分けです!」


私に合わせてスーツの上着を脱がない彼女をみて、店に入る前に気になったことを一つ聞く。


「…今日、仕事は?」


「仕事?休日なので気にしなくていいですよ。」


タイミングもそうだが、彼女との間にとてつもない壁を感じた。やはり敵わないと思った。


「そうですか。」


私は何も考えずに差し出されたイチゴのパンケーキを食べる。イチゴとは違う…少しすっぱいというか、程よい酸味を感じた。


「このレモンのソースが丁度良くないですか?」


そういいながら、別の器にあるソースをパンケーキに垂らす。ああ、なるほど。それで初恋風味なのか。


私は夜空のように真っ黒なブルーベリーのソースがかかったパンケーキを切りながら、本題に入った。


「送られてきた小説の一部が破り取られていました。」


芽衣が反応しないのでおかしいと思い正面を向くと、口いっぱいに頬張ったパンケーキをもぐもぐと急いで飲み込もうとしていた。


「それで欠損ですか。それはおかしいですね…。」


私はあえて小説のと言いという言葉を伏せてしまっていた。彼女からその言葉を結末と聞きたいのか、聞きたくないのか。私には自分の考えがよくわからなかった。


「おかしい?」


彼女が読んだときは破られていなかったということだろうか?つまり彼女が破った?それとも彼女は誰かに小説の包装を頼んでいたのだろうか?


「はい、因みに意図的である可能性はありますか?」


「…誰のですか?」


私は一瞬自分が疑われているのではないかとゾッとする。そうか、彼女が何もしていないのなら、私が気をひくためにやっている破ったように見えるのか。もしかして彼女がそれを狙ってやっているのか?


「え?」


私の動揺などどこかに吹き飛ばすように、半笑いに聞き返してきた。1人しかいないと言いたげな、質問の意図がわからなくて困っているような表情で続ける。


「そんなの水樹に決まっているじゃないですか。」


気さくに笑いながらパンケーキを口に運ぶ。決まっているのか?しかし、彼が意図的に破った可能性は…あり得るかも?


「破っても、問題ない場所を、切り取った可能性ですよ。」


彼女はそういいながらパンケーキが崩れない場所をうまく切り取る。問題ないわけではないが、これが作品と言われてしまったらそう考えるしかない。


「可能性はあると思います。」


だが、一つ問題が残る。彼女がそれに気づいていないことだ。彼女は破り取られた結末のことを知らないのだから、彼が意図的に破ったとは考えられない。仮にそうだとしたら、なぜ私にだけ結末を見せなかったのだろうか?


「芽衣さんは…芽衣さんはなぜ気が付かなかったのですか?」


私は最初の一口以降一切口をつけていないパンケーキを見ながら聞いた。これは明らかに芽衣さんを疑っているという発言だ。この発言の意味を彼女がわからないわけもない。怖くて顔を見られなかった。


「あー…読んでないからですよ。」


読んでない?思わず顔をあげる。


「読んでないんですか?」


「はい。先に坂口さんに読んでもらいたいと…私が思って読んでないんですよ。」


「どういうことですか?」


「…私より先に坂口さんに読んでもらいたかった、それだけですよ。」


いつもより苦しそうな笑顔で水を飲む芽衣。何か他に理由があるのだろうか?


「とにかく水樹が破り取った可能性があるなら本人に聞いてみますね。」


少し電話してきます。そういって席を外そうとする芽衣。私は途中まで彼女の背中を見送って…思い直す。


いや、破った話を聞くだけなら席を外す必要はないのではないか?私は電話を掛けながら席から離れていく彼女を追いかけて腕をつかんだ。


私のいない場所で何を話す気なのだろうか?


私が動いてきたことが予想外だったのか、店のど真ん中で動かなくなってしまった。私も、電話がつながった時に声を聴かれては面倒だと思い、押し黙ってしまう。そのまま、お互いが驚いた表情のまま、見つめあったまま。数十秒過ぎたあたりで、彼女のスマホから留守電のメッセージが聞こえてきた。


「急用だから、気づいたら連絡して。」


彼女は微笑んでから、席に戻りましょう、と彼女の腕を強く掴んでいた私の手を優しくひいた。


気まずい。非常に。パンケーキを黙々と食べていく。この空気の中でそれ以外にすることができなかった。


「目を通してから郵送すればよかったですね。次からは…」


「いえ。」


思わず遮ってしまった。しかしそのあとの言葉が続かない。芽衣に非はない、そういうべきなのだろうが、彼の作品に最初に目を通したいと言いかねなくてそれ以上口を開けなかった。


「…何処が破り取られていたんですか?」


わざわざ聞くこともせずに優しい声で話題を逸らしてくれた。おそらく彼女はこれからも今まで通りに、郵送してくれるのだろう。彼女みて、自分がどうしようもなく子供に感じてしまった。


「…結末です。」


「結末?」


彼女は驚きというよりも、困惑をしていた。小説の編集である彼女も彼の小説に目を通しているから知っている。彼の小説の結末の重要性を。


「はい。」


「この時期に送った時はおかしいと思ったけど…結末ができていなかったのに送ったのかな?でもわざわざ破る必要は…」


柄にもなく小声でぶつぶつと考え込む芽衣。確かに時期もおかしい。そしてその言葉の先にあるであろう言葉を私も思わず口に出してしまう。


「「結末がないことを知らせるために破った?」」


納得がいく。しかしなぜ、送ったのだろうか?4月という期限にその行動をするならば、まだ完成していないことを知らせる手段として面白いと思う。しかし、今は8月だ。まだ8カ月も時間はある。


空になった皿を凝視しながら考え込んでいると、制限時間とでも言いたげに芽衣のスマホが鳴り始めた。今日は仕事がないと言っていた。十中八九水樹からだろう。


名前を確認したのかどうかわからないほど一瞬で画面をタップしてもしもし、と言う芽衣。席を立たずにその場で話し始める。一瞬私を見たことから、先ほどのことを気にしているのかもしれないな。


「はい…は…え?それは………わかりました。すぐ向かいます。」


静かに電話を切った芽衣は、気が動転しているのか目を白黒させながら水を飲む。


何があったのだろうか?芽衣は水樹に敬語を使わない。呼び捨てで呼ぶぐらいだし、水樹からではないことはすぐに分かった。しかし、すぐに向かいますと言ったことや、その言葉とは裏腹に全く動く気配のない芽衣に不信感を覚える。


「…。」


しかし、見たこともない芽衣の血の気の引いた表情に、かける言葉が見つからなかった。あの短い時間になにを伝えられたのだろうか?まるで、花瓶を割ってしまったことを謝りに来た子供だ。


しばらく沈黙が続いたが、それでも何も言い出せない私は、水を飲もうと手を伸ばす。この水を飲めば、もう少し黙っていても大丈夫な気がした。


「水樹が…。」


私が動いたからか、偶然か、芽衣が突然話しかけてきた。私はゆっくりとコップから手を戻して静かに聞く。しかし、喉に何かつっかえたように話しにくそうにする芽衣。なんだろうか?ていうか、話し相手は水樹だったのか。


…もしかして。そう淡い期待を裏切るかのように、目の前が真っ白になることを言われた。


「水樹が自殺したって。」


掛ける言葉を探していたのは私だけではなかった。

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