結末のない小説
脇役筆頭
第1話
「…あ、いらっしゃいませ。」
コンビニの自動ドアをまたぐと、店員が声をかけてきた。私は返すでもなく、しかし無視するのも気が引けると迷った末、軽く会釈をしてさっさとレジから遠ざかる。
世間体では無職のニートである私は、外着に着替えて外出する手間をも惜しむクズに成り下がっていた。だからと言って、部屋着のまま外を出歩くほどの図太さを持ち合わせているわけでもないので、こういった深夜にこっそり買い物をしに来る。
つまり何が言いたいかというと、人目を忍んで家を出ているのだから『いらっしゃいませ。』という言葉に対しては、見つかってしまったという不快感はあれど、礼儀正しい店員だという賞賛は全くなかったということだ。
よくも見つけてくれたな、会釈すらしたくない。
まあそんなことではこの世の中やっていけないので、心の中でとどめておくのだが。
値段、カロリーなどに目もくれず、次々に食べたいものを籠の中に放り込んでいく。
ポテチ、さきいか、ポテトサラダ、カップ麺、チョコレート。いや、甘いものは前回買ったまま食べていないから今回は買わなくても…しかしもう入れてしまったし、商品を棚に戻すのは少し嫌だな。止めた足を再び進める。
深夜のコンビニは人一人おらず、この世界に一人きりなのではないかと…タイミング悪く、若いカップルが入店してきた。…あ、なんで私にいらっしゃいませって言ったのに二人には言わないんだ?私への嫌がらせか?俺は見てるぞとでも言いたかったのか?
しかし、密着した二人が雑誌コーナーの向かいの生活必需品の棚で足を止めるのを横目で見てすぐに買い物に戻る。どうやら店員はカップルには気を使ったようだ。
私は籠が重くなるので最後に酒を買う。酒を籠に入れて歩き回るのはニートにとって重労働だからだ。今回の外出の目的も酒だ。新作が届けられたので、酒を片手に楽しもうというわけだ。
新作について一つだけ今までと違うことと言ったら、いつもよりも完成が早かったことだ。
それは、私がいつも通りコスパのよいネットゲームで時間を潰しているときだ。本来なら、1年かけてじっくりと煮詰めてから送られてくるはずの作品が、わずか4カ月で送られてきたのだ。
どういう風の吹きまわしなのだろうか?時期が違うなどという不満はない。これは毎年私が生きていくのに必要な収入源であるから、感謝はあれ文句など一つもない。
しかし向こうがいつも通りをしなかったのだから、いつもより少し羽目を外しながら読んでしまっても私は悪くないと思うのだ。今までまじめにやっていたのだし、今回ぐらいは…という正当化の上で、嬉々として酒を買いに来た。
私がレジに辿り着くとカップルがコンビニから出ていくところだった。羨ましいとは思えない。今のままで十分幸せだ。
「袋は…。」
私はわかりやすいように3回ほど頷いて財布を開ける。バリバリバリ!
店員は異様な音に面を食らったのか、手を止めてしまった。なんだ、マジックテープを使っちゃまずい理由でもあるのか?しかし、まあ珍しいものでもあるから財布の中を覗き込んで再び手が動くのを待ってやることにした。注目を集めるようなことだとわかっていて見るなというのは、無理があるしね。
端的に言うと、文句をいう度胸がなかっただけなのだが。特に何かあるわけでもなくお互いが静止していると、向こうが痺れを切らしたのか口を開いた。
「身分証の提示をお願い致します。」
レジには年齢確認の画面が表示されていた。恥ずかしい!
そこから何を話したか忘れてしまうほどにテンパって、気が付くと家で顔を真っ赤にしていた。人と話さない生活の弊害だな。誰もが自分に対して卑下の目を向けていると根拠もなく考えている。
しかしまあ、皆が見惚れていると思い込むよりもましな考えであると、心を落ち着かせる。今回もあのコンビニ店員と私だけの会話だから、気にしなくてよいだろう。そう思いつつ、今日の曜日を確認する。
月曜日。今後彼とエンカウントしないために、しばらくは月曜日は避けよう…。
しかし、やけに見覚えのある顔だった。もしかしたら、深夜にシフトを入れまくっているバイトか社員かもしれないな。その場合は私がこのことを忘れるまで、気にしなくなるまで、恥ずかしさより面倒くささが勝るまでは、別のコンビニにいこう…。
開戦、ならぬ開栓。
1人で缶チューハイの良い音に、心地よくなる。お酒を飲む前のこの瞬間、この雰囲気に酔うことができるのだから、飲酒は酒を開けた瞬間から始まっていると私は考えている。さらば理性。また会う日まで。
私は郵送で届いていた箱を開ける。段ボールのテープは既にカッターで切ってあるので、手を切ってしまう心配もない。豪快に酒を流し込みつつ中をまさぐると、一冊の冊子が出てきた。
「…綴じてある?」
いつもは封筒の中に原稿が入っているのだが…。中身をめくってみると、原稿用紙に穴があけられて紐を通してある。要は、本のような形をとっていた。珍しい…というか、読みにくそうだな…。
私はボールペンを片手に送られてきた小説を読み始めた。
酒を飲みながら、次々にページをめくっていく。私は酒が回るほど、夜が更けるほど、小説の世界にのめり込んでいった。
この短編小説は…彼の小説は面白くない。
展開、結末が決まっているからだ。彼の作品すべてがそうだ。主人公の取り巻くすべてがあることをきっかけに悪い方に、悪い方にと転がり落ちていく。
胸糞な展開は当たり前であり、涙すら流せないほどのひどい仕打ちを当たり前のように並べていく。誰かが意図的に仕組んだようにしか思えないような、フィクションでなければ許されないような、これ以上は悪くならないだろうという内容が、最後まで隙間なく書き綴られている。
平凡な一般人を主人公に置いていることや、身近な不幸を題材にしているせいでやたらと感情移入しやすい作品でもあるため、こんな作品を読んでいては鬱になってしまうのではないかと心配になってしまう。
だが、売れる。飛ぶように売れる。短編なだけあって新作からも入ることができる彼の世界。年々注目を集めて、新作の度にたくさん売れる。
その理由は、小説の結末だ。どれだけ覆しようのない不幸だろうと、取り返しのつかない失敗だろうと関係ない。
登場人物全員が必ず、誰がどう見ても否定しようのない、甘すぎて吐き気がするほどのハッピーエンドになるからである。
なによりも売りなのは、これが最後の数ページで行われることだ。最後の最後まで、絶望しか感じられない出来事が続くにもかかわらず、帳消しどころか不安になるほどの幸福がたった数ページに詰まっているのだ。
一部の書店では注意書きのようにネタバレを描いている。
『最後まで読めば必ずハッピーエンドになります。』
おそらく、彼の作品だけではないだろうか?出版されて間もない小説で結末がわかってしまうものは。
しかし、今も読んでいて一つの恐怖心に私は襲われている。おそらく彼の新作に目を通した読者全員が同じ気持ちになると思う。
彼がもし、今回に限り読者を裏切り、ハッピーエンドにしていなかったならば?
これは既に売られた彼の作品でも味わえないわけではないが、新作の方がその恐怖心を感じる。
悪い展開からハッピーエンド、そういう作品を書きたいから書いているのではないのか?それは周りの読者が勝手に言っているだけで、本人は作品の内容に関して一切口にしない。
唯一作品について答えたことと言ったら、最初のインタビューでの質問だ。
『次回作もハッピーエンドですか?』
…え?
彼の小説の思い出を頭に浮かべて油断していた私は、私は、最後のページをめくって絶望した。
ない。ない。ない。
あるはずのハッピーエンドがない。
「なんで…。」
頭を抱えて立ち上がり、台所に走る。蛇口をひねって水を飲もうとして思いとどまる。酔い覚ましのためだと思ったが、そこまで冷静さを欠いていない。思ったよりも
そんなことどうでもよくて、あまりの出来事に酔いはとっくに醒めていた。
恐る恐る自室に戻り、机の上の冊子を確認する。やはりない。
そこにあるはずの小説の結末が、見事に破り取られていた。
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