フンとブン

てんと

フンとブン

ぼやっとした意識の中でゴソゴソと音が聞こえる。

目を開くと、視界の中で二人の男女が横たわっている。部屋は馴染み深い六畳一間だ。二人の脚は交互に折り重なっている。

すると、突然思い出したように胃の気持ち悪さを感じた。

その気持ち悪さが昨晩の記憶を呼び覚ました。

「いつメン」の4人で集まって我が家で飲み会をしたんだった。

こいつらとは大学に入ってからずっと週に一度は飲み会をしている。昨日もいつも通り、なんの理由もなく集まった。どれくらい呑んだかは覚えていないが、ちゃぶ台の上に大きな酒瓶やワインボトルが何本か空になって置かれているんだから、いつも通りたらふく酒を呑んだに違いない。


横たわっている二人、隆史たかし由香ゆかは起きる様子がない。

二人で天井を見上げながら静かな寝息を立てている。

ふと、そこで「いつメン」のもう一人がいないことに気がついた。

明るい性格と関西弁で飲み会を盛り上げてくれる真里の姿が見えない。


「あ!流してないの誰⁈」

突然玄関の方から甲高かんだかい真里の叫び声が聞こえた。

「何だよ。うるせえぞ。」

「だって誰か流してないんやもん。」

真里が部屋のドアを勢いよく開けながら入ってきた。眉間に皺を寄せた真里はトイレの方を指差している。


「何の話だよ。」

「分かるやろ。アレやん。」

何のことを指しているか察しがついた。

「俺は知らないけど。真里が自分でしたんじゃね?」

「サイテーやな。女性に対して言うセリフちゃうで。」

「冗談だよ。てか、そんなに騒がなくても第一発見者が流せばいいでしょ。」

「うわ、第一発見者とか言い出すん怪しすぎるんやけど。絶対アンタやろ。流してきて。」

「嫌だけど。」

「はあ⁈他人に流せって言うくせに自分では嫌って言うの?サイテーやな。」


「うるせえぞ。朝っぱらから夫婦喧嘩すんなよ。」

隆史が起き上がる。いつの間にか俺たち二人の声量が大きくなっていたようだ。

「隆史、アンタも十分怪しいんやからね。」

「途中から聞こえてたから、何となく状況分かるけど、流石にそれはねえだろ。ほら、由香の脚が邪魔でそっちに行けねえよ。」

確かに由香の脚と隆史の脚は交互に折り重なっている。


「でもアンタの脚の方が上にあるやん。トイレに行ったあとわざと由香の脚と絡ませたんちゃう?」

「だとしたらキモすぎるよ。そんなことしないよ。」

「まあ、それはせやね。」

「てか、ほんとにあるのかよ。ちょっとクサいもの見たさで見てくる。」

怖いもの見たさだろ。と言おうとしたが、二日酔いの気持ち悪さがのどのあたりでその言葉を止める。


隆史が立とうとして脚を抜き取るが、由香は起きる気配もない。

そのまま隆史は部屋から出てクサいものを見に行った。


「由香、よっぽど酔ってるんやね。ちょっと飲ませすぎたかな。」

「まあ男に振られたし、仕方ないんじゃね?」

「まあ飲みたかったのかもね。あと、ここまで酔ってたらさすがに犯人は由香ではなさそうやね。」

「そうだな。」


「うーん。」

不思議そうな顔をしながら隆史が戻ってきた。

「どうした?」

「いや、形が崩れてなかったから何時間も前のモノでは無さそうだってことが分かった。」

「おお、いい情報じゃん。んで、その顔は何?何か引っかかってんの?」

「いや、全然クサくなかったんだよ。」

「それもいい情報だな。少なくとも俺と隆史は昨日の飲み会前にニンニクラーメン食ってるからクサいはずだ。」

「てことは?」

隆史とセリフがハモる。


「てことは何よ?」

「てことは、犯人は真里。お前だ!」

名探偵ばりに真里を指差すと顔を赤くした真里がすごい速さで近づいてくる。

「ほんまサイテー!」

真里の手が素早く振り上げられたところまで見えた刹那せつなに、痛みが頬に走った。


「痛そうだな。」

「うん、痛い。」

「ほんまにサイテーや。第一ウチが犯人やったら、みんなに言わんと自分で流すわ!アンタはずっとデリカシーないと思ってたけど、そこまでとは思わんかった。もう帰る。」

真里は吐き捨てるように言うと、玄関に向かって行った。


「待てよ、真里。ごめん。冗談のつもりだった。」

「まあ面白くない冗談はただの悪口になるって代表例だね。」

隆史の言葉が鋭く胸に刺さる。

きびすを返した真里の目は赤かった。

親友を泣かせてしまったことは反省すべきだ。

でも、まさかこんなことで喧嘩になるとは思わなかった。


真里は玄関で靴を履こうとしている。

「ちょっと待てって。真里。」

急いで玄関に向かう。


ガチャッとドアが開く音がして、暗い玄関に明るい光の筋が見えた。

どうやら追いかけるのが遅かったようだ。


「びっくりした。なんでいるの?」

真里の声が聞こえた。


まだ立ち止まっている真里に追いつくと、扉の向こうに顔は逆光で見えないが、大きな人影が見えた。


「おはよ。酔いは覚めたか。あれ?真里、目が赤いぞ、まだ酔ってるのか?」

「中村君。おはよう。目は何でもない。でも、どうしたん?」

「どうしたも何も昨日お前らに呼び出された時に色々忘れ物したんだよ。泥酔してたから酔いが覚めた時に取りに来ようと思ってさ。」


ようやく目が慣れてきて、大男の正体が分かった。

中村章二しょうじ、最近由香を振った張本人で、俺たちの4人の大学の同級生だ。

4人全員と仲が良く、「いつメン飲み」のゲストとして呼ぶことも多い。


「よっ、章二。何忘れたんだ?」

「だから色々だよ。財布に携帯、あと靴も。」

「靴?」

玄関を見回すと確かに見慣れない靴があった。


「これ?」

「そうそう、それ。全くひどいもんだよ。」

「靴ぐらい履いて行けばよかったのに。」

「昨日のお前らは本当にひどかったんだよ。俺の差し入れを台無しにするわ、俺を呼び出したくせに『なんで来たんだ!』って怒り出すわ。由香に至っては、酒瓶持って追いかけて来たんだ。そりゃ逃げ出すよ。」


「申し訳ない。」

「ごめんね、中村君。きっと由香の振られた話で盛り上がってたから。」

「まあいいよ。俺だってタイミングが悪かったからさ。財布と携帯は、と。そうそうココだ。」

章二が玄関の靴棚の上から自分のものであろう財布と携帯を取る。

「じゃ、忘れ物も返ってきたし、行くわ。」

「じゃあ、またな。由香に挨拶して行かなくていいか?」

「いや、また今度にするわ。また追いかけられたくないし。」

「そっか。」


「あっ、でもちょっとトイレだけ借りてくわ。いい?」

「いいけど、おすすめはしないよ。」

「どういう意味だよ。まあとりあえず借りるよ。」

章二は靴を脱いでそそくさとトイレに入っていった。


思わず真里と顔を見合わせる。

章二はどんなリアクションをするだろう。


「あれ?まだあったんだ。」


予想外の言葉が飛んできた。

「まだって、章二が来た時もコレはあったのか?」

「いや、違うよ。覚えてないのか?これお前らが捨てたんだぜ。」

「えっ、中村君、捨てたってどういうこと?」

「これ俺が持ってきた極太カリントウだよ。飲み会が盛り上がると思って、差し入れに持ってきたんだ。そしたらお前らがこんなもん食べれるかってトイレに放り込んだんだよ。全く酷いことするよなあ。」


「カリントウが太いからって喜ぶ訳ないだろ。ん?てことは?」

真里と目が合った。

笑いが込み上げてくる。

真里と二人で爆笑した。


「なに笑ってんだよ。」

トイレの中から章二が出てきて不思議そうな顔をして聞いてくる。

「なんでもないよ。なあ、真里。」

「うん、何もない。」

二人とも涙の滲む目を拭う。


「おい、何があったんだよ。お、章二じゃん。どうした?」

はしゃぐ声に反応して隆史がやってきた。


一通り説明すると、隆史も爆笑した。

「あー、ほんとお前ら二人とも馬鹿だなあ。」

「ほんとにね。」

「だから、何が面白いんだよ。教えろって。」


「あー、よく寝た。」

奥で由香の声が聞こえる。

「あれ、みんな玄関で何してんの?」

由香がこっちを見る。

「あっ、章二!アンタ、よくも!」

由香が寝起きとは思えないスピードで走ってきた。

「おいおいおい、またかよ!」

章二も素早く反応して扉を開ける。

「章二、待てー!」

「勘弁してくれー!」


扉が開いた先には、家の中の喧騒に似合わず大きな雲が悠然と漂っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

フンとブン てんと @red-tento

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ