第37話『円花お姉さんと蒼空くん』

 菫との関係は同居人。

 それ以上でもそれ以下でもないが、同居人以上或いは以下の関係ってどんなのだろうか。

 以上は直ぐに浮かぶ。恋人とか夫婦とか。一つ屋根の下で暮らすのは同じだが、もっと親密な仲の関係。

 以下は難しい。お泊まり会するくらい仲のいい友達、とかだろうか。

 結論を言うと、菫は僕と同居人以上の関係になりたいと思っているように感じる。

 わかりやすくまとめると『菫僕のこと好きなんじゃね?』といった感じか。

 だから僕は夏休みの間、菫の本音を知ろうと試行錯誤していた。そして夏休みも終わるという頃、更なる議題が発生した。

 夏祭りの帰り道、僕の背中で菫がつぶやいた言葉。

『蒼空の背中、あったかい。大好きだよ』

 それは僕をしばらく困らせ、もとい惑わせることとなった。

 僕はそれを聞いてすぐ後ろを向いた。そうして菫が既に寝ていることを確認し、それが寝言だったと確信した。

 故に戸惑った。ずっと聞きたかった言葉を聞けたものの、このシチュエーションでは菫の本音として受け取っていいものなのか。

 そして大好きは何を修飾しているのかわからないことも僕を困らせた。

・パターン①僕の背中

 蒼空の背中、あったかい。(そんな背中が)大好きだよ。

・パターン②僕

 蒼空の背中、あったかい。(そんな背中を持つ蒼空が)大好きだよ。

・パターン③あったかいもの

 蒼空の背中、あったかい。(あったかいものは)大好きだよ。

 僕の頭は菫のことでいっぱいだった。


 菫から借りた恋愛漫画を片っ端から読み漁る。

「おにぃ、鼻血出てる」

 円花ちゃんに注意されてようやく気づいた。

「え、嘘」

「ほんとだよ。だらーってしてる」

 ティッシュを鼻に当てると赤く染まった。本に垂れなくて良かった。

 まさか卑猥なシーンを読むだけで鼻血が出るとは。

 それにしても卑猥だったな、今のキス。頬だったけど。

「どんなの読んでたの?」

「幼馴染(イケメンの男子)が転校してきて、学園の花として人気のある主人公(女子)は自分のものだって宣言するために頬にキスをするってやつ」

 自分で言って恥ずかしくなるな。

「あ、わかった。やつでしょ?」

「ごほっごほっ」

 唾液が変なところに入った。


 少々お待ちください。

 少々お待ちください。

 少々お待ちください。

 少々お待ちください。

 少々お待…


 流石にそんなシーンはないはずだ。

「ど、どうしてそんなこと訊くの?」

 一応の確認。原因と犯人は分かっている。

「おとおさんの部屋の漫画、この前読んだらみんなそうだった。ねぇ? おにぃの読んでるのもそうなんでしょ?」

「違うよ」

 円花ちゃんの中では恋愛=卑猥なのだろうか。

 誠司さんのせいで、教わった卑猥な言葉を悪いことだと思わずに使うバケモノが誕生してしまった。

「あっ! あとは、裸の男の人たちが出てくるやつもあるの。そっち?」

 び、BL。

 誠司さんにそんな趣味が…

「そ、そっちも違うかな…」

「そうなの? ねぇ、読んでいい?」

「菫から借りたやつだからダメ。あとこれTLだから」

「えー」

「そこに置いてあるのならいいよ。僕の私物で全年齢だから」

「やった、ありがとう!」


 二人で漫画を読んでいると、菫が部屋に入ってきた。

「蒼空、円花ちゃん。ご飯できたから、冷めないうちに食べよう」

「うん!」

「あれ、本読んでるの?」

「うん。おにぃが漫画貸してくれたの。裸の人が出てこないやつ」

 唾液が変なところに入ったらしい。



 数日後、僕は彼女に呼ばれて学校に来ていた。

「なんでこんな所に呼んだんだよ」

「伝えたいことがあったから。高校生なら、ベタなのは学校かなって」

「伝えたいこと?」

 彼女は緊張とそれを打ち消す決意を顔に浮かべると、僕の目を見てこう告げた。

「好きです。よければ、付き合ってくれませんか?」

 しばらくの間、彼女が何と言っているのかわからなかった。

「…好きって、僕が?」

「うん。今の関係が壊れるのは怖かったけど、どうしても伝えなきゃって思ったの。あなたのことが好きで好きでしょうがなくなっちゃって」

 僕は少し悩んだのちに、結論を出した。

「なら、うん。付き合おう。こちらこそ、よろしくお願いします」

 今はまだ、これが正しいとはっきり言えるわけじゃないけど、どうか正しい決断でありますように。



 僕は読んでいた本を閉じた。

「このシチュエーションで好きと言われれば僕だって告白だとすぐに分かる。付き合ってくださいをつければなおさら。参考にはならなかったな」

「さんこーにならなかったって、何の?」

 円花ちゃんが読んでいた本から顔を上げて訊いてくる。

 ご飯の後、彼女はまた僕の部屋に戻ってきた。どうやら今日は僕と本を読んで過ごすと決めているらしい。

「うーん、円花ちゃんならわかるかな。『好き』についてなんだけど」

 僕は夏祭りの日のことを話した。今読んだ小説の話として。

「好きって言うなら好きなんじゃない? むしろ無意識なだけあって本音のかのーせーも高いと思う」

「なるほど、背中が好きなかのーせーは?」

「ないと思う」

 あと、真似しないでと円花ちゃん。

「あったかいものが好きな可能性は?」

「普通それは考えないよ。無理やり屁理屈ねて真実から目を背けてるように見える」

「でも! 菫が僕を好きなんてあり得ないんだよ。それなら、あったかいものが好きな方がまだありえる」

「おにぃ、不可能な物を全部無くして最後に残ったのは、どんなに信じられなくても真実なんだよ」

「菫が背中やあったかいものを好きになるのは不可能なのかよ…」

 後どこで覚えた。

「不可能なの。少なくとも、エロいお姉ちゃんがおにぃのことを好きになる方がありえる」

「そっか、そう言う考えも…」

 あるかなぁ?

 やはり僕は、菫が僕を好きになる方がありえないと思ってしまう。

 百歩譲って『あったかいもの』説がなかったとしても、『背中』はあり得ると思うんだけど。

 円花ちゃんの考えていることはよくわからない。これが十文字家の恋愛英才教育の賜物なんだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る