一本の幸せを海の街に 3

 白い石畳の細道を下っていくと、程なくして、住民と出会った。


「こんにちは」


「こんにちは。見ない顔だ、旅人さんかい?」


「ちょっと仕事で。いい天気ですね」


 雲一つない晴天。空を見上げることすら満足にできなかった故郷とは大違いだ。


「ここじゃあ年中こんなもんさ」


「雨は降らないのですか?」


「滅多にな」


 丘の上、高台のさらに先には高高度の山々が連なる山脈が広がっている。それらが雲はおろか、雨雲までも堰き止めてしまうらしい。雨は一年に数回、二桁降れば万々歳。


 またウカイスを訪れるのに山越えはおすすめされない。そもそも人が通る道が整備されていない。時間こそかかるが、船で山々を迂回してくるのが一番安全な航路だ。


「だからこの街じゃあ、雨ってのは休日みたいなもんだ。船は港で、猫は木陰で、人は家で休み眠る。それがウカイスのお決まりよ」


「いい街ですね」


「毎日雨が降ってくれりゃ、毎日休めるのによ」


 半分本気に聞こえなくもない調子だった。


「一つお尋ねしたいんですけど、子供たちがよく遊ぶ場所ってご存知ですか?」


「子供なんかそこら中走り回ってるさ。強いて言うなら港だな。魚狙いに来る猫がよく集るもんでよ、それと遊んでんだ」


 猫と子供。想像するだけで頬が緩む。

 子供は好きだ。純粋で、ゆえに願う幸せもわかりやすい。

 邪悪を知らない。他人の不幸を願わない。まさしく平和の体現だ。


「そういやお嬢ちゃん、昼飯は食ったか?」


「? いえ、まだです」


「だったら寄っていくといい」


 ついと指差されて、幸せ屋は硝子張りの店先から中を覗く。

 思い出したようにふうわりと香ってくる小麦と砂糖と牛酪の匂い。


 入らない理由はない。招かれるままにお邪魔する。

 建物と同じ白い内装、柔らかい色合いの木のワゴンと陳列棚。パンの種類は取り立てて豊富なわけではない。街の民御用達、といった感じだろうか。


「今日は港が大量でね、おすすめは白身魚フライのサンドだ」


 その時。

 ぴょこん、と。

 さながら猫のように、幸せ屋の頭上に見えない猫耳がピンと立った。


「お嬢ちゃん、魚好きかい?」


「はい! 大好物です!」


 落ち着いた雰囲気はさっぱり消え、外見相応の、好きなものに目がない少女が姿を見せる。それが砂糖の雪化粧が施されたパンでも、ふんだんに蜂蜜を使ったパンでもなく、魚というのは少し、かなり、だいぶ珍しいが、さておき。


 他に目もくれず、そして一人の軽食にしては多い量のそれがトレーに積まれていく。

 パン屋冥利に尽きる思いと、目の前の山を天秤にかけた結果、店主は頬を引き攣らせながら袋に詰めていく。


「久々の旅人さんだ、サービスしとくよ」


 その大雑把さは豪快と呼んでもいいほどで、半分がサービスされてしまう。そもそも店に値札らしきものが見当たらない。幸せ屋が遠慮を覚える暇もなく、気づけば紙袋が両手に乗っていた。


「ほんとにいいんですか?」


「そんだけ嬉しそうにしてもらっちゃあしないわけにはいかないさ。お客さんに食って幸せになってもらうのが一番、金なんて二の次三の次よ」


「ではお言葉に甘えて。ありがとうございます」


「いいんだよ。あとこれも持っていきな。子供たちんところに何しに行くのかは知らんが、これがありゃ一発人気者だ」


 なんて、店の裏から持ってきた紙袋がさらに積み上げられる。


「ありがとうございます」


「いいっていいって、ほら、早く遊びに行ってやりな」


 意外にも照れくささと縁があるようで、幸せ屋は店の出口に急かされる。


「どうか、貴方に一本の幸せがありますように」 


 店を出る間際。

 息を吐き出すような、誰の耳にも届かない声で幸せ屋は言う。


 その時、慌ただしい音と荒い息遣いが扉越しに聞こえた。

 幸せ屋が手を掛けずともベルが鳴り、扉が開く。現れたのは、ふくよかな体つきの女性だった。


「あら外からのお客さん? 珍しいわね」


「はじめまして。ちょっと仕事で」


「そう、お疲れ様ね」


 朗らかな女性に軽く笑みを返し、入れ違う形で店を出る。


 大きな喋り声は閉まった後でも風に乗ってわずかに耳に届く。何やら近所の付き合いで急遽パーティーをすることになったらしい。そのための買い出しに急いでいるのだと。


 ついといったふうに、幸せ屋は笑みをこぼす。

 そこに買ったばかりの白身魚のサンドが合わされば、ほくほく顔の出来上がりだ。


 目覚めかけの活力が足元を走っているような朝方の空気とは代わり、再びの眠気に誘われてうつらうつらと頭を揺らす昼下がり。遠目に見える海も緩やかで、ぼぅと眺めていれば意識も流れていってしまいそうになる。


 それでも、今も仕事中だ。頭を振ると、ちょうど、視界の開けた先に港が見える。堤防の先には何かをぐるりと取り囲むように子供たちが集っていた。


 頬をほぐし、笑顔を作る。口の中で少しばかり声のトーンを上げた。

 初対面の印象は、その後の関係で最も大事なこと。子供相手とてそれは変わりない。


「こんにちは」


 全員が一斉に幸せ屋を振り返り、皆で顔を見合わせ、少女の一人が言う。


「あたしニムナ。おねえちゃん、だあれ?」


「ニムナさん、はじめまして。わたしは幸せ屋と言います」


「シアワセヤ? 変なお名前」


 名前ではないのだけれど、と幸せ屋は笑顔の裏でつぶやく。


「ここで猫ちゃんに会えると聞いたんですけど、いますか?」


「いるよ。そこでみんな……あれ?」


 ニムナが振り返った先に、しかし猫は見当たらない。そればかりか、子供たちは皆一様に幸せ屋の方を見ていた。


 はて、と幸せ屋は首を傾げ、自身の足下を見た。

 猫がいた。白い子猫だ。短い前脚を必死に紙袋へと伸ばしている。


「食べますか?」


 幸せ屋が訊く。


「にゃ」


 子猫が答えた。


 紙袋からパン耳を摘み出して、子猫の前に置く。そんな幸せ屋を、遠目から子供達が羨ましそうに見ていた。なるほど、人気者だ。


「みなさんも、よかったらどうぞ」


 なんて袋を開いたのを、幸せ屋は若干後悔した。

 食べて食べてと次々差し出されるのに、子猫は困り顔で後退る。さすがに全部は食べれない、最初に齧ったパン耳だけを咥えて、たっと走り去ってしまった。


 いつかその毛並みを堪能したいと思うが、明日は忙しい、叶いそうにないだろう。


 気を取り直して、幸せ屋は子供たちに向き直る。


「みなさんはいつもここで遊んでいるのですか?」


「お昼食べてここに集まるんだ」


 栗毛の男の子が教えてくれた。


「雨の日も?」


 質問の意図を測り損ねているのだろう、子供たちは揃えて首を傾げていた。

 幸せ屋がにこりと笑って見せると、素直に答えてくれた。


「ううん、雨の日は危ないからってお母さんが外にいかせてくれない」


 ぼくも、わたしも、子供たちは口を揃えて答えた。


「なるほど、ありがとうございます」


 そんな中、幸せ屋は視界の隅で、ニムナが消えた猫の方に視線を逸らしたのを見た。



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