第2話 薬神宦官
香菱は一瞬げんなりしたが、その表情を素早く押し隠して宦官に向きなおる。
彼女に声をかけた
「ご機嫌よう、魏内官」
香菱はまるで貴人に対してするように、ことさら丁寧に拝礼してみせた。
「また鈴玉ちゃんが何かやらかしたんでしょ? 香菱ちゃんが人を捜すように歩いているとしたら、大てい彼女が目的だもんね」
「さすがは魏内官さま。ご明察のとおりです」
――ああ、面倒には面倒が重なるものね。
魏内官と呼ばれたその宦官は、にんまりと笑う。そうすると、彼の手入れの良い肌がいっそう艶光りした。何でも、小豆の粉が入った袋で日々念入りに磨き上げているらしい。
爪は綺麗に切りそろえて磨き、火熨斗が当てられているとわかる宦官の制服の着こなしとも合わせ、彼の身だしなみには一部の隙も無い。宮中で「典雅宦官」とあだ名されているのも頷ける。
「あんたも苦労が絶えないわねえ、香菱ちゃん。でも、そうやってとさかを立てながら鈴玉ちゃんを捜し歩いてるあんたが、一番生き生きとして素敵よ」
「お褒めのお言葉ありがとうございます」
魏内官こと
彼は何が気に入ったのか香菱に会うたびに絡んでくるのだが、香菱が体調の悪い時も、そして鈴玉が拷問を受けた後も、魏内官は
だから、香菱も一応は恩義を感じ、彼に下らぬちょっかいを出されても、粗略な対応をしたことはない。
「それにしても、鈴玉ちゃんも気の毒ねぇ。掌薬の話だと、背中の
香菱は、それを聞いて胸が詰まった。
鈴玉が政変で受けた心身の痛手からまだ十分に回復していない間、香菱は着替えも含めて彼女の世話をしていたので、何かとあの痛々しい傷を目にする機会が多かったのである。
――どうなの、香菱。まだ傷は残ってる?
――そのうち治るわ。
――ということは、たぶん跡が残るのね。
――いいえ、まだ見込みはあると思う。心配なら、合わせ鏡にでもして、自分で見てみる?
――ううん、必要ないわ。見たところで、傷が消えるわけでもないし。
あの時は鈴玉が傷を見るのを断った理由を香菱も察し、心を痛めずにはいられなかった。
だが、香菱はすぐに感傷を取り払い、魏内官を見据えた。
「側室ですって? あら、魏内官さまはご存じないかもしれないけど、彼女の目標は主上の寵愛を受けることじゃなくて、王妃さまにお仕えすることと、家門再興ですもの。本人は側室云々なんて気にしちゃいません。とにかく彼女は王妃さま一途で、他のことなんか目もくれないし……」
魏内官を前に鼻の孔を膨らませ、自信満々に言い切る香菱だったが、はたと気が付くところがあって言葉を切った。
――私、何でこんなに力いっぱい鈴玉の一途さを宣伝してあげているのかしら?
「あら、誤解しないで。嫌味なんかじゃなくて、鈴玉ちゃんのことを本気で気にしてるの、あたくしは。まあ、彼女の人生については、香菱ちゃんがそう言うならその通りなんでしょう。ただ、彼女がいち女官で一生を終わるのは勿体ないと思ってるの」
魏内官は肩をすくめた。
「どういうことですか? 鈴玉の顔相でもご覧になって占われたのですか?」
魏内官は、宦官になる前は部族の
したがって、香菱は疑念と非難の意を込めて言ってやったのが、宦官はくすりと笑って受け流した。
「占いなんかじゃないわ、単なる印象。それにそんなに妬かないで、まあ、同輩のために一生懸命になっちゃって可愛いこと。あたくしのお目当てはいつだって香菱ちゃんよ。おつむの良い子が大好きなの」
「はいはい、おつむの回る魏内官さまのお褒めに預かりありがとうございます。これ以上お話が長引くようなら、失礼しますけど」
「ああ、つまらないことを言ったわね。ごめんなさい、忘れて」
ここで、魏内官はしゅっと真顔になった。
「ところで、あんた、胃の調子が悪いんじゃない? そんな顔をしてるなんて。お詫びかたがた薬を調合してあげるから、あとで取りにいらっしゃいよ」
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