第17話 しょっぱい味
「明るいところを踏んではだめです」
「そうは言いますけど」
「滑ってまたお尻を打ちますよ」
うっかりしていた。塩を切らすとは。
完全になくなったわけではないが、残り少ない。
料理でもそれ以外でも塩は必要になる。
けれどここは魔女の森。町のように塩を買い求めることはできない。
必要な物は森で調達する。鉄製品などは仕方がないとして。
ここのところ晴れが続いた。そろそろ雨がくるなら、その前に準備しておきたい。
「
「うぅ」
「光っていないところは小さな苔を食べつくした跡です。乾いていますから、歩くのはそっちです」
家から出て、少し北に回ってから東に。
そうすると川に降りられる斜面に出る。
直接東に向かうと急な崖でとても降りられない。川で魚を捕ることもあるし、他の用事もある。
よく使う道なので目印がいくつかある。ルーシャにそれを教えながら歩いた。
降りてきた面の反対側はやはり崖。小さな山がいくつか連なっている。
フラァマ三人分くらい上の方に洞窟の入り口があった。
今日はルーシャと二人で洞窟探索だ。
いつものように切れない蔦で洞窟の入り口まで登った。ルーシャが登れるかどうかの心配は無用に済んだ。
「このネバネバが生き物……ですの?」
「ナメクジみたいなものです。ここに他の生き物はいません」
「鳥が巣をしたりしないのかしら?」
「だから」
言いかけて、彼女自身に見るよう促す。
奥に行く必要はない。明り食いが発光するのである程度の視野はあるけれど、奥はさすがに危険だ。
縦穴や斜面もあるだろう。分岐があれば迷うかもしれない。
「……白い? 壁も天井も」
「塩ですよ。言ったでしょう」
洞窟の中は白い壁に天井。
地面は黒いが、ところどころに崩れた塩の塊も見える。
「塩気が強すぎて、鳥などには毒になるみたいです。まともに植物も生えないので他の生き物も寄り付きません」
「そうなの?」
「明り食いは塩と水とわずかな苔だけで生きられるので。塩と水を食べている時に、何かの作用で光を持つという話です。下手に触れるとしびれるとも聞きますが」
明りを食っているわけではない。
粘液状の生き物。それ自体は半透明の体で地面にへばりついていて、体の中の節々――節はないが――がぼわんと光を持っている。
見た目は光を食べているよう。だから明り食い。
見たままで言えば地面に星空が広がっているようにも映る。
正体がネバネバでうぞうぞした生き物だと知っていると、そんな幻想的な風情は感じないけれど。
初めて見たルーシャは綺麗な光景に言葉を失っていた。
目を奪われるルーシャの顔が明り食いの放つ光にぼんやりと照らされていて。
つい注意するのが遅れたので一度転んだ。見事にすっころんだ。
この山そのものが塩の塊のようなもの。
地表は違うけれどかなり高濃度の塩成分がこの洞窟に染み出してくるようだ。
鉄のように固い塩壁もあるけれど、天井からつららのように突き出している塊なら取れる。
「これだけあれば当分は持つでしょう」
「もう終わり?」
「来る前に大した作業じゃないと言ったはずですけど」
つまらなそうなルーシャ。
結界を張りなおして二日。魔女の薬ですっかり元気になった彼女は、また猪狸の捕り物のような冒険を期待していたらしい。
そう何度もあんなことがあっても困る。
「川の場所を教えるついでです。ただ、雨が続いた後は近づいてはだめですよ」
「それくらいわかりますわ。もう、フラァマったら」
増水して流れが急になったら危険。
さすがに言わなくてもわかるか。お嬢様は川遊びなんてしたことがないかと思って。
「降りる時も気を付けて。下に置いてきた槍に刺さらないでくださいね」
「本当にフラァマってばわたくしを子供み――きゃぁっ!?」
「っ! ルーシャ!?」
洞窟の入り口付近に戻りかけたところで、ルーシャが悲鳴を上げた。
首を掻きむしるように手を払いながら尻もちをついて。
「な、なんですの!?」
「落ち着いて、明り食いです」
「ひっ」
ルーシャの襟から首にびとぉっとへばりついた半透明の生き物。手の平くらいの大きさの明り食いだ。
明り食いの大きさはよくわからない。他のとくっついたり切り離れたりもするし。
さっき転んだ時に服にへばりついていたのだろう。ルーシャの首近くに伝ってきた。
「明るいところは嫌いなんです。大丈夫、毒はありません」
「いやぁ……」
「大丈夫」
今度はルーシャの手にへばりついたそれを摘まみ剥がして、洞窟の奥に投げ捨てた。
他にも着いていないか見るが、見える範囲には何もない。
「痛かったですか?」
「ええ……いいえ、嘘ですわね。びりっとしてびっくりした、というのが本当かしら」
「見せてください」
尻もちをついて首を押さえているルーシャにフラァマも屈みこみ、噛まれた首を確認する。
どけた手の下、白い首筋。
薄っすらと赤く腫れた肌と、掻きむしった時の爪の痕だろう赤い線。
白い肌に赤い傷。
「今は、これしか出来ませんから」
「ふらぁ――まっ!?」
「ん……」
舌を這わせる。
森の獣がそうするように。
それ以上に強く、吸う。
「ひっ!? く……んん、フラァマ……」
「……おとなしく」
吸った血をぺっと吐いて、もう一度。
息を整え、ルーシャの首元に吸い付いた。
首に吸い付いているので、視界はルーシャの頬がいっぱい。吸うたびに赤みを増していくきめ細かな肌。
鼻はルーシャの耳元に。相変わらず憎らしいくらいにいい香り。
「……万が一でも、何か悪いものが残ってもいけませんから」
「ふら……ふらぁま……ふぁい」
「傷口回りの血は吸い出しました。私はいろいろと慣れていますが、あなたは違うでしょうし」
フラァマは森の魔女。見習いだけれど。
この森に存在する生き物や薬になるものと触れ合って育ってきた。
薬になるものは毒にもなる。そういったものを身近に扱い続けて、多少の病毒程度なら耐性がある。
ルーシャはそうではないのだ。だから応急手当を。
「あっ、いえこれは――」
「……」
頬を赤らめて首元を隠すルーシャに、自分が何をしたのか思い返して慌てて立ち上がった。
足元に置いていた塩の塊に足を取られ、今度はフラァマが尻もちをついてしまう。
「いた、た」
何をやっているんだか。
恥じらう様子だったルーシャがくすりと笑う。二人して尻もちをついて。
誰のせいだと思っているんだか。
「……外に出てちゃんと手当しましょう。傷が残らないように」
「ええ、ありがとう。フラァマ」
先に降りたルーシャに塩の塊を放り、身軽になって降りる。
手間がかかるのと、手が増えるのと。差し引きすれば手間の方が多いけど。
それでも誰かがいるというのは何か違うものだと感じた。
変化。良くも悪くも。
一人でできること。だけど二人でやること。
お師様がルーシャを連れてきたのは、こういうことをフラァマに教える為だったのかもしれない。
結界を結び直した時、別の場所のことを感じた。あれが森の声を聴くということではないか。
今までなら一人で完結していた。
たぶん、あやふやなものの中には人間も含まれていて、自分ひとりの中に籠ってしまっていては気づかないことがある。
自分ではない誰かがいるから、自分の内面に気づく。
面白いことばかりじゃない。もどかしかったり落ち着かなかったり。理屈に合わない変な気持ちも含めてフラァマで、世界にはそんなものもいっぱい溢れている。
自分のこともわからず世界なんて見えっこないのだろう。
◆ ◇ ◆
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