第16話 蔦遊びの歌
危険だから家にいて。
危険ならついていく。
平気だから家にいて。
平気ならついていく。
ああ言えばこう言うルーシャとの問答に、つい苛立ってしまって。
「足手纏いだからついて来ないで!」
「っ!」
息を呑んだルーシャと、同じくフラァマ。
お互いに口を開きかけたまま言葉を失う。
「……あ」
「だって……」
ひぐぅっとルーシャの顔が歪んだ。目から零れるものを堪えようと。
「さっきの熊だって……まだ他にも、いるかもしれない、のに……」
「……」
「フラァマに、何かあれば……わたくし、は……」
一人残って待つのが不安ということもある。
フラァマの身を案じてくれる気持ちも本当。それは逆も同じで、フラァマだって本調子でないルーシャを心配して言っているのだ。
突き放すような言い方をしてしまったことを後悔する。泣かせたかったわけではない。
誰かに心配されるという覚えがない。
誰かを心配するなんて、もっと経験がない。普段はお師様しかいないのだし、たまに訪ねてくる馴染みの行商人は旅の専門家だ。
フラァマが心配する誰か。ルーシャ。
その気持ちが一方通行の押し付けでは姉弟子として失格か。
「……危険を感じたら、私を置いて家に走ってくれると約束してくれるなら」
「でも」
「森に慣れていない上に怪我をしているあなたが、私より速く走れるはずがありません」
足手纏いと言ったのも事実。
普通でも森歩きに慣れていないルーシャ。片手が不自由な今の状態では余計に。
「いいですか、ルーシャ。あなたの手はいらない。けれどあなたの目は頼ります」
「目?」
「私の見えない方向を見る目になって下さい。それなら助かります」
何も出来ないと決めつけてしまったらそこで終わりだ。
この先いつでも万全でいられるとも限らない。問題を抱えた中で何ができるのか。役割を与えて成長を促すのも教育だろう。
泣き顔になりかけていたルーシャの顔が、ほんの少しの変化なのに笑顔に変わっていく。
「ええ……ええ、わかりましたわ。フラァマ!」
「あと、静かにして下さいね」
「わかりましたわ!」
本当にわかったんだか、どうなのか。とりあえず機嫌は直った。
背中の心配が減るのは悪くない。そう思うとフラァマの気持ちも少し軽くなった。
◆ ◇ ◆
結界に出る前に、思い出して老木の虚を覗き込んだ。
ひっくり返ったまま、微動だにしない。
死んでいる……わけではないのだが。上から棒で転がして戻すと、いつものように虚の中をぐるぐる歩き始める。
忌吐きを止める為に使ったほおずき。
沼や水辺に生える草で、種の入った袋を垂らす。
稀に種のない袋が出来るのだけれど、種がない代わりにぼんやりと灯る。それに惑わされ沼で溺れる人もいるとか。
中身は幽霊のようなもの。種の代わりにあやふやなものの何かが詰まるらしい。
放っておけば枯れて消えるけれど、採取するとそのままの形で数年ほど残る。
夜の段差を照らすのにも便利。
別の使い方で、魔女の手ではたいて潰すと中身のあやふやなものが勢いよく飛び散る。
拍手や歯を打ち鳴らす音にはよくないものを払う力があるとか。
フラァマの魂がびりりと衝撃を受けたように。忌吐きは悶えた。納屋の森羊は気絶したかもしれないが、翌朝には起きていた。
虚亀もその影響でひっくり返って、まあこの通り。
自分で起きられないこともない。と思う。
大雨でも降れば元に戻っただろうし、どうにか体を揺すって壁沿いに行けば戻れただろう。
ただ虚亀は長寿な生き物らしく、数日程度の時間は何ということもないようだ。
ひっくり返っちゃった。起きるかな、どうしようかな。
面倒だからしばらくこのままでいいや。
普段は歩き回らないといられない生態なのに、ひっくり返るとこの有様。よくわからない生き物だ。
虫などにも、丸一日死んだふりをするやつもいるし。始めの生き物があやふやなものから生まれた証左かも。
虚亀を戻してから、結界が破れているだろう方角に向かった。
方角はわかっているし、距離もわかっている。
すぐに見つかった。
「あ」
「?」
必要以上に足音を忍ばせようとしていたルーシャが、大木の前まで来て声を上げた。
静かにするよう言ったのはフラァマだが、別に忍び足は必要ない。そんな稚拙な動作で獣から気配を誤魔化せるわけもないし。
「なんです?」
大木の根元近くに落ちていた朱と白の布を拾い、元あっただろう上を見上げていたフラァマ。
何かあったのかとルーシャを見ると、困ったように首を傾けて、
「その……梯子を持ってきていませんわ」
「いりませんよ」
いくら家から遠くないと言っても、わざわざ梯子など持ち運んでいられない。
ルーシャの言いたいことはわかったけれど。
「見ていて下さい。森の魔女の一番弟子である私の魔法を」
一番弟子、を少し強く言いながら。
このくらいの木なら登ることも出来るけれど、魔法に興味があるようだから見せてあげよう。
「集い踊るは蔦遊び」
小瓶から一滴、地面に垂らす。
ぴとんと落ちたそこに向けて、腰に差していた杖を伸ばして先端を突いた。
「伸び伸び伸びて追いかける」
そのまま線を引く。結界の結んであった大木を囲うように。
すると、最初に突いた地面から十数本の蔦が生えてきて、フラァマが引く線を追いかけるように絡みながら伸びてくる。
「陽の粒欲しい子、この先止まれ」
ぐるりと回ってきたフラァマと、追いすがる蔦の先端。
「輪っかの冠、繋いで遊べ」
最初に雫を垂らしたところと繋ぐと、追って来た蔦も自分の尻尾に繋がる。
そのまましっかりと、出来上がった蔦の冠が切れないよう結びついた。
「歌?」
「歌詞に厳密な決まりはないですよ。どうせあやふやなものですし」
「ふふっ、フラァマの即興ですのね」
伸縮する杖を畳んで腰にしまい、大木を囲んだ蔦の輪をぐいっと引っ張って確認する。千切れないように作ったのでもちろん切れない。
蔦をくぐって大木と自分を一つの輪の中に。
「これで」
足を大木の幹に突っ張り、背中の蔦に体重を預けた。
輪を上にずらしながら、一歩ずつ上に昇っていく。切れない蔦が背中を支えてくれるので両手は割と自由に使えるのだ。
「このまま上に。ルーシャは周りに危険がないか見ていて下さいね」
「任せてもらって結構ですわ」
「はい」
ふんっと力のこもっているルーシャに水を差すこともない。
十分に周りへの警戒はしている。近くに危険な気配はないけれど、目を凝らしてあちこち観察するルーシャを置いて木に登った。
ある程度の高さまでは横枝もない。そういう木を選んでいるのだから。
フラァマと大木を繋いだ輪が越えられない枝のところまで登って、新しい結界の紐を結び、
「……」
高い場所からフラァマも見回す。
とはいえ、周囲にも似たような高さの木々が立っているので視界が良いわけではないけれど。
「?」
何となく。
本当になんとなく、騒がしい気がする。右手の森が。
物音が聞こえるわけではないけれど、何か意識が引き寄せられる。
「終わりましたの?」
「いえ……ここは終わったんですけど、もう少し」
お師様の結界は布紐だ。破れることは普通にあるから取り換え用の準備もしている。
いくつか予備は持ってきていた。
「……たぶん、もう一カ所ですね」
「わかりますの?」
「その……たぶん、です」
フラァマにもよくわからない。なぜ自分がそう思ったのか。
「遠い場所かしら?」
「そうでもありません。ここの隣ですけど……」
「ではそちらも確認しましょう。日が暮れたらよくないのでしょう?」
「そうですね」
結果的にフラァマの勘は合っていて、もう一つの切れた結界の根元には幽霊が集まっていた。
大した問題ではない。散らして、結界を結び直しながら考える。
これが森の声を聞くということかもしれない。
直感とは違った。なぜだか確信に近いものがあった。
今までにない感覚に戸惑いと、降りてきたフラァマに頷くルーシャの妙な微笑み。
「なんです?」
「言おうか迷ったのですけど、やっぱり言っておきたくて」
ちょっと勝ち誇ったような笑顔で、
「可愛いですけど変な歌でしたわ」
「……別にいいんですよ。魔法が使えれば」
先日、ルーシャの描いた絵を下手だと言ったことの仕返しだったらしい。
腰の杖を手にして、くるりと回してから。
「聞き分けの無いあなたを、これで寝台に縛り付けてきてもよかったですね」
「そ、それは駄目ですわよ!」
「森で魔女に逆らうなんて、どんな目に遭うでしょう」
「できませんわ、そんなこと……できない、ですわよね?」
「どうでしょう」
戻ったら屋根裏の簡素な寝台をフラァマの部屋に動かそうか。
怪我は治ったわけではない。また熱を出すかもしれないし。屋根裏まで様子を見に行く手間を考えれば、多少狭くても少しの間くらいなら。
「フラァマ、しないとおっしゃいなさい。魔法でずるをしてはいけませんわ」
「森の魔女に決まりはありませんから」
「もう、フラァマ!」
後ろから追ってくるルーシャがあんまり言うものだから、つい考えてしまう。
して欲しいのかも。
しても、良いのかもしれない。だってフラァマは森の魔女で、魔女に決まり事なんてないのだもの。
◆ ◇ ◆
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