第6話 葉尻
鬱蒼と茂る、とまでではない。よく育った木々が日差しを遮り、地面は日の当たるところだけ深い緑。
短い雑草と腐りかけた葉を踏み均しながら歩くので、進行速度は遅い。遠出するわけでもないから別に構わない。
うきうきと先を進むルーシャには言いにくいのだけれど。
短槍で地面を軽く叩きながら、たまに目線あたりの枝を払って進む背中。
肩の動きがきびきびと、上機嫌なのが見てわかる。
先日の蜜漬けや今朝の糖パンがよほど美味しかったのだろう。
冬に採取するものなのだと説明したので、それは勘違いしていないだろう。覚えていれば。
フラァマの足くらいある黒い根っこ、その半分以上が甘い糖になる。
苦い実をつける木の下で育つ。木が欲する養分と、黒根糖に必要な養分が異なるのだと思う。だから共生しやすい。
木の実の方はそれはそれで有用なのだけれど。
黒根糖を刻んで煮つめると黒い糖分が固まる。溶かさずに砕いてパン生地に練り込んで焼くと、所々にざくっとした甘さが混じるパンが出来る。ルーシャはたいそう気に入った様子だった。
森にはまだたくさんの美味しいものがある。
それを取りに行くのだと勘違いしているのだろう。ルーシャの背中のうきうき具合は。
「止まって下さい、ルーシャ」
「なぁに?」
お嬢様育ちの割に尻込みせず森を進んでしまうルーシャを止める。
本人が言う通りお転婆なのは本当らしい。お転婆だとは言わなかったか。
「左の茂みは途中から急斜面になっています。崩れるかもしれないので近付かないで」
「そうなのね。崖にだけ咲く水色の花が万病の薬になるってお話、わたくし聞いたことがありますわ」
「崖にしか咲かない花があるはずないでしょう。それはおとぎ話です」
太い枝に手をかけて斜面を覗こうとしているルーシャに溜息交じりに応じて、フラァマも周囲を見回す。
森は静かだ。警戒が必要な生き物の気配は特に感じない。
木々の隙間から漏れる日差しは強い。まだ当分は晴れが続きそうだ。
家から南東側は今言った斜面の方角。そちらは緑が少ない岩場になっている。さらに進めば川も下方に川も流れているけれどここからでは迂回しないといけない。
「黒根糖はここから反対側、その川の向こうで取れますよ」
「本当!?」
「冬の話です。家から東側に回ると川を越えられるので、その頃になったら行きましょうか」
「冬に……ええ、そうね」
斜面を覗き込むのをやめ、短槍を片手に歯切れの悪い返事。
そうだ。冬までルーシャがここにいるとは限らない。何となく言ってしまったけれど。
問題が片付けば町に帰れるかもしれない。それがルーシャにとって良いことだし、フラァマだって自分のペースで暮らせるようになる。
お互いにとってそれが一番いい。
ルーシャの手をフラァマが必要としているわけではないのだし。
「そ、それより。今日は何を採りに行きますの? また別の果実? 白苺かしら? わたくし大好きなのよ」
「白苺はもう少し季節が先ですね」
早口で言葉を継ぐルーシャから目を逸らし、白苺の木がありそうな方向に顔を向けた。野苺と違って木になる果実だ。
爽やかな甘酸っぱさの粒々の果実。フラァマだって嫌いではない。
それならお師様が帰るより早く収穫を迎えるかもしれない。
どの辺りが一番先に収穫できるだろう。ルーシャが言うからフラァマも食べたくなってしまった。
「今日採りにきたのは」
そのままもう少し進み、手の平より大きな葉をたくさんつけた木々が多い場所で告げる。
広葉樹の枝を指して。
「それですよ」
「葉っぱ、かしら?」
「はい」
「これが美味しくなるの?」
「違いますよ。薬に使うこともありますけど」
手近な、登らなくても届く場所の一枚をもぎ取る。
食べることばかりに直結するのは、そんなに飢えているのだろうか。町では一日に何食も食べるのが普通なのかもしれない。
「見覚えは?」
「その……あれですわね。お尻を拭く葉っぱ……」
「しっとりとした質感とある程度の丈夫さと滑らかな肌触り。傷が膿んだりするのを防ぐ効果も多少あります」
使い道は色々とある。冬でも枯れ切ってしまわない葉っぱ。
これをそのまま食べるのは草食の獣や幼虫の類だと思う。
「ルーシャが増えたので、減りが早いんです。家に近い木は急ぎの時に備えて残しておきたいですから」
「今日は食べ物の採取ではありませんでしたのね」
片手で下腹を抑えながら照れ隠しのように大きめに肩を竦めて。
「その……そうね、わたくし使いすぎているのかしら?」
「……余分に採っても採り切れませんから。別にいいですよ」
森はルーシャとフラァマが暮らすのには広すぎるくらい広いのだから、こんなのどうってことはないのだ。
「そういえばあれ、不思議だと思ったのです」
葉っぱを集めながらルーシャが言い、視線を向けたフラァマから顔を伏せる。
なんなのだ。
「水を流すとさぁっと消えてなくなってしまうでしょう?」
「あれは柄杓にお師様の魔法がかかっているんですよ」
さっきに続けてトイレの話だったか。
家のトイレは裏の小屋に、床板の中央に穴の開いた形で。堀った穴の中に排泄物をまあ、その。
終わったら桶の水を流すと、葉っぱと共にあっというまに消えてなくなってしまう。
「流したらすぐ森の土に還っていくようになっているって。町では違うんですか?」
「わたくしの館だと汚物が流れていく水路がありましたわ。庶民はそれようの壺があったり、そのまま土に埋めたりしていると聞きましたけど……ふふっ」
「なんです?」
笑いだしたルーシャ。何か面白いことがあっただろうか。
「おトイレの話を大真面目にしたことなんて初めてだったかしら」
「別に真面目というわけでは……まあ、そうですね」
ルーシャが森のことを知らないように、フラァマは町のことを知らない。庶民の話はずっと昔の記憶でそうだったかなと思ったけれど。
正直に言えば、幼少期より今の方が生活は恵まれているように思う。
食事にしても住環境にしても。それだけで十分幸せというものではないか。
町の暮らしはわからない。獣などへの警戒はいらないかもしれないが、他で色々と難しいこともあるはず。
領主の娘であるルーシャでさえ、予期せぬ災難で身を危険に晒すくらいなのだから。森の生活の方がずっといい。
「ねえ、フラァマ! あれは何かしら?」
恥ずかしさを紛らす為か、ただ生来落ち着きがないのか。あちこちに視線を送るルーシャが何かを見つけてまた声を上げる。
やれやれ、と。
「すごく綺麗なキノコだわ。虹色よ、美味しいのかしら?」
「目立つ色の植物は獣などに食べてもらうように色付いているんですよ、大抵。中には死肉を苗床に増えるものだってあります」
「ひ」
種を遠くに運ばせる為にということもあるし、その場で死んだ獣を栄養にしてしまうものも。
害のあるものかそうでないのか。とりあえず目に付いたものには警戒してほしいものだ。
「それは違いますけど……
「そ、そうですの? 見たことはないのですけど」
珍しいキノコの種類だ。昨年見つけてお師様に聞いたら、食べられなくもないと教えてもらった。
虹色の傘を乾かして削って、ほんの少し肉にかける程度になら。香ばしい匂いを際立たせるのに役立つのだと。
その説明を聞いたのは数日後だったが。ひねくれもののお師様の性格を忘れていたことを後悔したものだ。
「夢手茸はですね」
言いながら、葉っぱを溢れさせそうにしているルーシャの背負い袋に入れてあげた。
フラァマはお師様とは違って意地悪ではないので教えてあげよう。
「食べるとエッチな気分になっちゃうんですよ。町では高く売れるそうなので、それで新しい鍋を買いたいですね」
「な……なんっ……もう、フラァマ!」
ちゃんと教えてあげたのに、ルーシャは顔を赤くしてフラァマの背中に大きな声で怒鳴っていた。
◆ ◇ ◆
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