85話
実親との
片足のない小秋は駐車場から墓まで自力で歩いてこれないため、車内で待つことになった。というのも成葉は外套や車椅子を勧めたのだが、雨ですから、と小秋が目を伏せたのである。彼女は初めから墓前まで行くつもりはなかったらしい。瘴雨だったので、成葉もあまりそう強くは催促できなかった。
──私一人で決着をつけろと言いたいのか。
成葉は津吹家の墓までの道を黙々と歩いた。赤く染められた灰色のコンクリートの大地は、傍目には大惨事の後のようだった。
目的地に着くと、外套姿の津吹の背中があった。
「花を持っていないみたいだが……忘れたのか」
津吹は青年を尻目に訊ねた。
「お嬢様が許してくれなかったのです」
「誰に似たのか嫉妬深い」
そうですか、と相槌を打って、成葉は津吹の横に並んだ。白いツツジの花弁が赤い雨粒を跳ね返して踊っている。
「僕はこうなるしかなかったみたいです」
「こう、とは?」
「あなたたち津吹家からは逃れられなかった──そう言っているのです」
「逃げ道を用意してやったじゃないか」
「引き返すしかない道でしたけどね」
「……すまなかった」
津吹はしゃがみ、耐雨グローブの指先でツツジの花弁に触れた。
「あの子が独りで生きていくだなんて、想像したくなかったんだ」
「別にいいですよ」
成葉は即答した。
「あなたの話を信用しようとした僕が愚かだったんです。どうせ僕はあなたと血で繋がっていない。それなのに、実の子と同等の扱いを求める方が馬鹿ですよね。最近になって、やっとそれに気づきました」
「血の繋がりが全てか」
「当たり前じゃないですか!」
ばっと、勢いよく身体を向けて、横にいる津吹を睨んだ。外套に張り付いていた雨粒が飛沫になって離散する。
「僕を構成する血に、津吹さんの血は入っていない。それにあなたは瘴雨患者でもないっ。血でも足でも、あなたとの関係なんて僕には微塵もない!なら、それなら……どうやって僕はあなたとの繋がりを実感すればいいんですか?」
「成葉……」
「名前だとおっしゃりたいのならお門違いですよ。あなたがかつて成葉と呼ばれていたからって、それを僕が継いだからって……何だって言うんですかっ。名前なんて誰でも継げる!」
「家は?」
「……何です?」
「家はどうなんだ。古い考え方かもしれないが、名前を継ぐというのは本来そういうことだ。誰でもいいわけじゃない」
年齢のためか、重そうな鈍い動作で立った津吹は、目を細めて成葉を見た。
「見てきたんだろ、本当の両親の墓を。……君は何を感じた?失ったはずの実家の存在を思い出して嫌気がさしたんじゃないのか」
的確な洞察を浴びせられて、成葉は狼狽した。
「気持ちは分かる。だがどうしても、君の家を……雨に野ざらしにはしたくなかった」
「止めてくださいっ」
真っ当な大人の理屈を耳にし、少し前までの動揺が嘘みたいに
「同情するくらいなら、身寄りのなかった僕を津吹家の養子にすれば良かったんですよ。簡単なことじゃないか……。けど当時のあんたと奥様は、僕を養護施設に放り込んだ!一方で連中の墓は作っただと?……ふざけんなっ!親がいなくなった子供より、死んだ人間の残骸を留めるあんな物の方が大事だったとでも言うつもりかっ?」
ほとんど一息に、十八年間分の不満を全て放出した。肩で呼吸するほどになり、軽い目眩がした成葉は地面に腰を下ろして嗚咽した。その間にも、雨は容赦なく父と子を頭上から打っていた。
成葉は何か投げ飛ばしたい気分だった。子供の頃、名前を捨てると決めた時期、身体の内の訳の分からない鬱憤を解消するべく、川沿いにある土手の道の上から私物のランドセルを捨てた。あの時のように、やり場のない負の感情を別の何かに任せたかった。物に当たる、という単純な話ではない。代わりになってくれる何物かに、自分では解決できないものの全てを委ねてしまいたかったのだ。
一陣の雨のように、ひとしきり涙を流した成葉は、墓石を仰いだ。磨かれた石の肌には女の影はない。静かに雨に濡れているだけだった。
真隣から水の弾ける音がして、そちらに目を移す。津吹が座って俯いていた。その顔には水滴が這っていた。外套から浸水したのかと、咄嗟に成葉は不安になったが、よく見ると水滴は無色透明で赤くはなかった。彼も泣いていた。それは成葉とは違い、駄々をこねる子供じみた表情ではなく、苦悩を噛み殺すことに終始努める父親としての顔つきだった。
「君を津吹家の養子にしたら、君からあの子に輸血できないじゃないか。配血企業にうるさい世間への建前として。しかし、夫婦ならば話は違う」
仕事の話の時と同じ口調で、津吹が言った。金槌で殴られたような衝撃が成葉の頭に響いた。
「だから私を……」
「私を津吹家の人間にはしてくれなかったのですね。吸血鬼に捧げる完璧な生贄にしたかったがために」
「そうだ」
「……実に日本的な解釈です」
「そうとも言えるな。元々、この国には血縁という概念は希薄で、古くから家の文化があった。実の息子がいなかったりすると、あっけなく他所から優秀な養子なり婿養子をとって家を継がせたんだ……俺たちがやっていることと変わりはない」
「血でも足でも繋がれないなら、家で……名前で。そういうことなのですか?」
「ああ」
名前で始まった葛藤が、それ自体によって克服されようとしている。因果の奇妙さに、成葉は半ば惑乱した。
津吹は成葉の肩に手を置き、そっと首の後ろに腕を回した。肩を組む姿勢で、彼は青年の顔を覗く。
「駄目か?やはり……納得できないか?」
「分からないです……。自分の中で気持ちの整理がつきません」
「成葉、君はあの子を助けてくれるんじゃなかったのか」
「……」
「それとも俺の妻に未練があるのか?馬鹿を言うな。あの子だって立派に育った。あんないい子をむざむざ見捨てるのか?」
「待ってください。私はそんなことは言って──」
「だったら誓えばいいじゃないか」
津吹は青年の
「すまん。成葉、分かってくれ。俺は父親なんだ。一人娘の幸せと未来のためなら、君一人ぐらい殺しても構わないんだ」
「え、いえ……あの?支社長っ?な、何を言ってるんですかっ」
力づくで身体の姿勢を変えられる。成葉は墓前に向けられ、審判を待つ罪人のごとく
「これまでの君は、監視機構であの子に見張られていると承知の上で律儀にも……いいや馬鹿正直にも、位置情報を発信するバッジを付けた完全装備の格好で墓参りしてきた。どれだけあの子を刺激する結果になろうと知っていても、頑なにブランデル社の傘士としてここに訪れた」
「何なのですか支社長っ?」
「君は……真面目な奴だ。本当に。少なくともあいつに対しては……昔、あいつと約束したんだろう?将来は傘士になると。だからここに来るのにも、傘士の装備でないといけないんじゃないかと思い込んでいる。俺と同じだ」
成葉は諦める素振りで抵抗を止めて、津吹の力が僅かに弱まった隙を狙う。それだと思った瞬間、懸命にもがいた。しかし拘束は解けなかった。
「君はあいつの墓の前で、嘘なんて絶対に言えないはずだ」
フード部の耐瘴雨用の布地と外套を固定する金具のひとつが外れた。外套の中で、それが警告音のように何度も木霊する。首筋に鋭利な刃物を当てられるよりも命の危機を感じた。
津吹が次に言わんとしていることは、成葉にも既に分かった。
「母親の前で、あの子との未来を約束しろ。誓え」
「宣誓……のつもりで?」
「一分だけ猶予をやる。俺とあいつの聞きたい言葉じゃなかったら、君の頭を丸裸にする」
タイミング悪く、二人が付けている片耳のイヤホンに雑音が走った。一秒ほど経て、気象観測課が天候情報を届ける際の通知音が鳴る。
『──の該当地区にいる傘士へ』
予報士の声がした。ブランデル社は社員の位置情報を常時モニターしているので、無論、告げられた地区は、成葉と津吹のいる富裕層向けの墓地区画を含む一帯だった。
『警告。高濃度の瘴雨を含む雨雲が西方から急速に接近中。アメダス及び周辺地域の各種観測機器のデータによると、一時間あたりの降雨量は推定三十ミリを超える模様。豪雨。十分に警戒されたし。繰り返す──』
同じ文章が機械的に再生されると、無線機は何も言わなくなった。
沈黙の墓場には風が吹き始め、外套越しであっても雨勢の高まりを覚えた。
「成葉」
青年を背後から組み伏せる津吹は、平坦な声で語りかけた。
「……はい?」
「あと三十秒しか残ってないぞ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます