53話

 小秋のそれには特に気にせず、成葉は会話を続けた。


「そういえば……小秋さん、ご卒業後の進路は決まったのですか?」

「高校同様、オンライン出席の形で東京にある大学に行くことになりました。去年の時点で既に決まっていましたが、実家の方でもようやく話がまとまりましたの。もう三年生ですから、周りと比べると遅いぐらいですが……」


 にこりと小秋が微笑む。彼女に見とれた成葉は、つい頬が緩みそうになった。

 初めての契約時に会った時、小秋はまだ幼さの残る深窓育ちの少女だったが、来年には大学生だ。今では彼女も充分に大人の女性だった。

 契約時当時、小秋が欠片のように、津吹家の血を源流とした素質として持ち合わせていた厳かな品格や雰囲気は、今日この頃になって更に深みが増したようにうかがえる。美人と表現するのに、まったく差し支えない吸血鬼になっていた。彼女の母親にも見劣りしないほどだった。

 いつか、小秋はあの人の当時の年齢に達する──。それを喜ばしい未来として認めるべきなのか、成葉は一瞬だけ悩んだ。


「何を専門に学ばれるのでしょうか?やはりお好きな文学や歴史を?」

「その道も考えたのですけれど……」

「違うんですか」


 小秋はこくりと頷き、口角を上げる。


「わたくし、将来的には気象予報士になれるよう勉学に励むつもりですわ」

「小秋さんがそのような夢をお持ちとは」

「変でした?」

「いいえ。ただ意外だったもので……。何かきっかけとかはあるのですか?」

「成葉様ですわ」

「……え?何ですか」

「うふふ、ごめんなさい……いいえ、そうではありません。きっかけの話ですよ。貴方なのです──成葉様」


 成葉はテーブル上に置いていた片手に何かが触れた。そちらを見下ろすと、いつの間にか、生地の綺麗なオペラグローブをはめた小秋の手が覆いかぶさっていた。妙に熱っぽく握りしめられ、成葉は困惑する。


「えっと……小秋さん?」

「配血企業には気象観測課がありますよね。雨から傘士や配達員の方を守るために……。ですからわたくし、大学を卒業した後はお父様の会社に入ろうと考えていますの。貴方と同じブランデル愛知支社に」


 どう返していいのか分からず絶句している成葉を見つめたまま、小秋は続ける。


「そうすれば、貴方のことをいつも見守っていられますわ」

「……配血企業の多くは、献血可能な人間しか採用しません。残念ですが吸血鬼の方は……採用枠が無いのです」


 成葉はやっとの思いで実情を絞り出した。だが、小秋は表情ひとつ崩さなかった。


「承知の上です。ですが、わたくしが気象予報士として働くようになる数年後には、きっと人手不足でブランデル社は雇用してくださるはずですよ。もしそうでなくとも、成葉様と一緒にお仕事をする望みはありますもの。お父様からお聞きしましたが、ブランデル社では気象観測の一部業務を外部の民間気象会社に委託する話が上がっているそうですね?それなら、わたくしがそちらの会社に入れば──」

「本気なのですかっ?」


 つい強い口調で訊いた。小秋はびくりと肩をこわばらせる。その目には困惑の色が浮かぶ。


「わたくしはそのつもりで進路を選びましたが……あの、貴方を怒らせてしまうような事を言ってしまったのでしょうか?ごめんなさい。わたくし、思い当たらないのですけれど……」

「いや、おかしいじゃないですか。私と──ただの傘士と仕事がしたいがために、そういった身の振り方をされるのは……」

「そうは思いませんが?吸血鬼のわたくしが貴方のお傍にいるには、天候と社員の方の位置座標を確認する仕事に就く以外には手段がありませんから」

「……ちょっと待ってください。私と小秋さんとでは何やら認識が根本的に違うようです」

「あら?そのようなことはないはずですわ──わたくしたちも宇田さんたちのように、ゆくゆくは夫婦になる仲ではありませんか」


 当然のように言う小秋を前にして、成葉は寒気で背筋が伸びた。慌てて訂正に入る。


「違います。いいでしょうか、まずそこが私と小秋さんで意見が食い違っています」

「それはどういうことでしょうか?」


 本当に分からない、とでも言いたげに小秋は首をかしげた。


「私は小秋さんの傘士ではあります。しかしそれ以上でもそれ以下でもありません。結婚だなんて……」

「わたくしが言っていること、そんなにおかしいことだったのでしょうか?」

「当たり前ですよ。ただの傘士と仕事をしたいがために、ご自分の進路や将来を決めるのはいささか度が過ぎています」

「けれど、これはわたくしが選んだ道であることに変わりはないのです。例えきっかけは貴方でも、そこから先はわたくし自身の考えと決断ですわ」

「止めてください。お願いですから考え直してください」

「はい……?」

「ご実家の方々が小秋さんの考えを認められても、支社長がこんなことを許すはずがありません」

「お父様からの許可は既にいただいております」

「そんな」

「いけません?第一に、気象関係の職に就くのはわたくし個人の選択ですわ」

「それについてはそうですが……その目的が私であることが納得いきません」

「事実なのですから仕方ありませんわ。貴方にはどうしようもないことです──。ねぇ、成葉様はわたくしと一緒になりたくないんですの?わたくしのことが嫌い?」


 成葉は黙った。

 小秋は数秒の間を置いて、静かに語りかける。


「結婚のお許しも……他ならないお父様からいただいていますよ」


 今度こそ言葉が詰まって、成葉は何も言えなくなった。ひたすら動悸が早まる。全身を血が巡る。小秋以外には視界に映らなくなった。


「もちろん、その前に成葉様にはあのなぞなぞを解いていただきたいのですが……ふふ。焦らなくても大丈夫です。ゆっくりで良いのです」


 小秋は何も言わない成葉の顔をじっと見つめた。品定めするかのように、視線を彼に這わせる。


「近いうちに、成葉様のご両親のところへご挨拶に伺いたいですわ。ご実家はどちらなのでしょうか?そうそう、考えてみるとわたくしあまり聞いていませんでしたよね、成葉様のこと──」


 耐えられなくなった成葉は、立ち上がった。挨拶も会釈もせずに出ていこうとする青年に驚き、小秋は憐れむように震えた口調で彼の背中に問いかける。


「もうお帰りに?」


 成葉は何も言わず、天候情報を聞くために片耳にイヤホンを付けた。後ろから小秋が歩いてきた足音がしたが、それも振り切るように大股で進み、彼女の自室から出た。


「お待ちください……っ。成葉様!」


 廊下に一歩出たところで背後から両腕を回されて、捕まった。成葉は身動ぎせずに、ただ突っ立っていた。


「これからどちらに行かれるのです?」

「監視機構でも使って見ればいいじゃないですか。私に聞くまでもない」


 冷たく唾棄するように放つと、小秋の腕の力が弱まった。成葉は彼女の腕を振りほどいたが、その場に留まった。

 静寂の最中、成葉は廊下の窓に目をやった。今日も雨が降っている。胸の奥が痛む。目がくらむ。

 小秋が立つ位置を直し、義足が床を踏む音が響く。


「でも……“恋人も結婚で繋ぎ止めておかないと、永遠に去ってしまう恐れがある”とも言いますわ……。わたくし、成葉様が離れていかれるのがとても怖いのです」


 さきほどの話の続きをしたいようだった。

 成葉は振り向く。


「“御婦人の想像はとても速力がありますからね。あっという間に、賞讃から恋へ、恋から結婚へと飛躍します”──。小秋さん、私に固執しないでください」


 そう言い残し、成葉は立ち去ろうとしたが、小秋が眼前に立ちはだかった。再度、がちゃりと義足がきしむ。窓の外からは遠雷と雨音が二人の間に流れてきた。


「特定の誰かにこだわっているのは、成葉様も同じではありませんか」


 青年は押し黙った。彼は俯いた状態で、吸血鬼の少女の横を通り過ぎて行った。

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