47話

 無機質な灰色の大地──広々とした墓地には、大粒の雨が降っている。

 十月三十一日。成葉は、岡崎市北西にある墓地区画に訪れていた。去年と同じ、この日に。

 今日のために有給を取得した。繁忙期だったが、どれだけ多くの仕事を抱えていても、一年のうちに一度だけ会社のことを放置して逃げる日だった。例年通り今年もそうした──といっても、仕事を忘れているはずの今の成葉は、普段と変わらずブランデル社の制服を着用した完全装備である。

 通い慣れた道を迷いなく歩き、目的の墓に着く。生垣に囲まれてひとつだけ佇む石の塊。そちらに一礼と挨拶を済ませ、成葉は片手に抱える花束を供えた。去年同様、白いツツジの花。花弁は雨粒で踊っている。


「去年こちらに来た時は、残念ながら雨は降っていませんでしたが……幸運なことに今年は大雨ですね」


 空から落ちる雨につつかれて、青年の被るフードの内側には絶え間ない雨音が流れる。正午前、未だ雨は止む気配はない。


「今日は良い天気──。奥様も好きでしたよね、この言い回しが。お嬢様もそうおっしゃっておりましたよ。どうも親子は似るようですね……これも血の繋がりがなせるものなのでしょうか?本当に羨ましいことです」


 返事はない。雨に濡れる墓がそこにあるだけだった。


「いいえ、違いますね。はっきり申してねたましい。僕にも奥様との繋がりがあれば良いですのに」


 そう言い切ってから、成葉はしばらく黙り込んだ。妬ましい、という言葉が自分の口から出てきて驚いた。これは誰に向けた敵意なのだろうか。その答えは分かりきっているのに、成葉は内心悩んだフリをした。

 今年はもうこれで去ろうか、と考え始めた時、成葉はツツジの花とは違うものが供えられているのを見つけた。それは去年と同じ場所、一見ではやや分からない墓の脇にあった。一輪の薔薇だ。


「奥様……こちらはどなたから?」


 薔薇の棘で指を切らないよう、注意を払いながら拾った。優雅に大きく広がった花弁は華やかだったが、棘は抜かれていない。

 成葉はそれを懐疑的にまじまじと眺めた。この薔薇の花は去年もあったが、津吹家の関係者が供えたものにしては不出来に見える。どういう意図があって──と、薔薇の茎に込める力を強めた時、背後から近づく足音があった。


「俺じゃないな。あの子だろ」


 予期していなかった声。素早く振り返った。そこに立っていたのは重装備の耐雨外套を着た津吹だった。


「……なぜ支社長がこちらに」

「墓参りに決まってるだろう」


 津吹は墓前に近づくなり、白いツツジの花束を安置した。ふたつの花束がひしめき合って、墓の周りが白く染まる。


「でも、まさか成葉がいるとはね」

「失礼しました。私はもうこれで──」

「別に帰れとは言ってないぞ」

「ですが」


 居心地が悪くなった成葉は渋った。

 一方の津吹は、青年には構わず至って平然とした態度だ。津吹は耐雨外套のフードを外した。呼吸を楽にすると、息で肩を下げた。


「お互い休みだ。少し話でもしていこうじゃないか」

「……分かりました」

「今年で十年か。早いなぁ、時間が経つのは」


 津吹が手を差し出してきた。成葉は自分がまだ薔薇を持っていたと思い出し、それを津吹に渡した。するとすぐに、薔薇は元あった位置に戻された。


「あの、支社長。そちらの薔薇は……お嬢様が?」

「おそらくな。あの子本人がここに来たのか、家の人間に任せたのかは知らないが」

「何故、薔薇なのです」

「魔よけのまじないだ」

「魔よけ……?」

「一輪の薔薇は吸血鬼の復活を抑えるという言い伝えがある……。吸血鬼は本来、ヨーロッパに存在した──蘇る死体としての伝承がルーツなのは知ってるよな?その時代、吸血鬼の伝承が本格的に広がってから、墓地というのは恐怖の場所でしかなくなったわけだ。いつ自分たちの生き血を吸ってくるバケモノが土の中から出てくるかと思うと、市民は夜も寝られなかったんだろう……そこで吸血鬼を封じ込めるまじないとして、一輪の薔薇が使われたんだ」

「封印するアイテムという訳ですか」


 尚更、成葉は訳が分からなくなった。小秋の心情が読めなかったのだ。

 現実と伝承は違う。しかし必ずしも接しないものでもない。現代の吸血鬼に供えるべき適切な花は他にいくらでもあるはずだ。それなのに、吸血鬼の伝承や作品に詳しいはずの小秋はここに一輪の薔薇を供えた。その行動に意味がないはずがない。本当に彼女の仕業だとするのなら、それは血の繋がった実の母親に対する、ある種の攻撃のように思えたのだ。

 そして、津吹の気持ちも成葉には理解できなかった。一輪の薔薇が吸血鬼を封じるまじないだと知った上で、花を元に戻す彼の行動そのものが。それとは反対に、彼は墓に眠る人物が生前好きだった白いツツジの花を持参してきているのだから、より一層不可解だった。


「吸血鬼は、蘇る死体……」


 成葉は呻くように呟いた。


「もし現実でもそうであるのなら良いのですが。奥様にまたお会いできるのなら、たとえ生きていなくとも──」

「それはそうとまだ解けないらしいな。あの子のなぞなぞ」


 青年の言葉を遮り、津吹は無関係なことを訊いた。口を閉ざしかけた成葉だったが、ひとまず頷く。


「恥ずかしながら、もう少し時間がかかりそうです。答えは物や事象を指すのではなく、足の数を自由に変えられる動物であるとお嬢様からヒントを与えられましたが、私には……」

「そうか。引き続き頑張ってくれ」

「支社長は手助けしてくれないのですか」

「前にも一度言ったが、そいつは君の問題だ」

「いくら考えても私には分からないのですが。ギブアップと伝えてもお嬢様は納得されませんし。支社長だけが私の頼りで……」

「駄目だ」


 墓には目もくれずに、津吹は踵を返した。成葉は、立ち去ろうとする津吹の背中を追いかける。


「支社長!いい加減にしてくださいよ。どうしてそう私を突き放すのですっ」

「君のためだ」

「嘘にしか聞こえません。全部……お嬢様に口止めされているからなのですか?」

「それもあるが、俺の意向でもある」

「意味が分かりません。私を助けられないのは──」


 成葉は言い淀んだが、言葉をいだ。


「私が赤の他人だからですか?血の繋がりなんてない、他所の人間だからなのですか?私があなたの息子だったら……津吹家の人間だったら、私を……」

「そうじゃない」


 津吹が足を止めた。彼は尻目に、成葉と墓を見る。


「君は俺の息子だよ。少なくともあそこで眠ってる吸血鬼は、君を本当の息子だと思っていた」

「なら、どうして……」

「本当の息子だからこそ、手出しできない問題もあるんだ」



 墓参りの帰り、正午をやや回った頃、成葉は小秋の屋敷に立ち寄った。

 事前の連絡は入れていなかったものの、小秋は快く出迎えてくれた。平日はオンライン授業で学校に出席して勉学に励む彼女は、ちょうど昼休みで時間が空いているようだった。

 本が溢れる小秋の自室に通された成葉は、椅子に腰掛けた。本探しの際、休憩によく使う物だ。

 小秋は盆を持って台所から戻ってくると、用意した紅茶と少々の茶菓子を客人の青年に勧めた。昼ということもあって、サンドイッチもついていた。成葉はありがたくいただくことにした。少し前から、立ち食いそば屋には入りにくくなっていたのだ。主に、店主や高田との会話の件が原因だった。会社の寮にある食堂も有給では周りの目が辛い。

 雨の日、書籍の紙の匂いに満ちた部屋での食事。

 成葉にとってそれは、少年時代のあの運命の日を想起させるには充分なものだった。彼は食事しながら、目尻に涙が浮かびそうになり、それとなく拭った。サンドイッチはあの時のものと変わらない味だった。


「お口に合いました?」

「すごく美味しいですよ」

「それは良かったですわ。ずっと昔、お母様から作り方を教わったのです」


 小秋はにこりと微笑んだ。空になった盆を両手で胸の前に持つ少女は、片足は義足であるものの、立ち仕事を得意とする女性のような大人びた印象だった。

 すらりと伸びる足を綺麗に揃えて、小秋は近くの椅子に座った。盆を腿へ下げ、彼女は紅茶に口をつける。


「今日は……お仕事、お休みだったのですね」

「繁忙期ですけど、たまにはと思って有給を取ったのです」

「傘士のお仕事にご執心な成葉様が?珍しいこともあるものですのね。何か大切な用事でもあったのでしょうか?」


 成葉はカップを傾ける手を止めそうになったが、温かい紅茶を口に含んだ。ソーサーにカップを戻した。小秋は何食わぬ顔でにこにこと笑顔を振る舞っていた。


「去年も今年も見ていたのでしょう、小秋さん?」

「あら……何のことでしょうか」

「お墓参りですよ」


 ぶっきらぼうに成葉は答えた。ブランデル社の社員監視機構で、の一言はあえて出さなかったが、小秋には伝わったようである。

 小秋は口元へ上品に手を添え、小さく笑った。彼女はこくりと首肯する。


「真面目すぎる人ですこと……成葉様は。真面目も過度になると悪徳だと、ずっと以前にわたくしが忠告したではありませんか」

「私は真面目でもなんでもありません」

「そうご謙遜ならさずに。制服姿で外出しなければ、会社の監視網には反映されませんのに……貴方はあえてそうされませんでした。それは制服姿でなければいけないご用だったからでしょう?配血企業の社員で──もっと言うのなら、ブランデル社の制服姿で赴かなければいけない所に、わたくしに見られると承知の上で……制服を着ていかれたんです。真面目以外、他の何ものでもありませんわ」


 にこやかに語る小秋の青い瞳は、少したりとも笑っていなかった。

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